第四十一話
「今の公爵には婚約者がいるそうだけれど、貧乏な伯爵家出身だそうよ。きっと大した子ではないわ。そんな子をお下がりで貰うよりも、エラさんの方がよっぽど素晴らしいわ!」
伯爵夫人の発言はどんどんエスカレートしていく。ここまで情報を与えれば、グランジュ公爵家の関係者ではなくても勘づく人が居てもおかしくない。
彼女は私がその婚約者であることに気がついていないが、目の前に本人がいると明かせばどのような顔をするだろうか?
これ以上、グランジュ公爵家とオリヴィエ様への侮辱的な発言に耐えることは難しく、早くこれが私による調査であることを明かし、彼女を公的に取り調べたいと感情が先行しそうになる。もちろん、今ここで切り上げて残りの調査を後日正式に行うことは可能だ。まだ彼女が意図を持って紅茶に混ぜ物をしたのかどうかは聞き出せていないけれど、もう公的な調査に踏み切れるだけの発言は引き出せたのだから。
それでも私は、まだこの場での調査を続けることにした。これが冷静な判断かどうかは分からない。きっと、オリヴィエ様やロレッタ様は私がそこまで危険を犯す必要はないと言うはずだ。けれど、今の私は怒りと焦りに燃えていて、このまま調査を終わり公的な調査を待っている間にオリヴィエ様を失うようなことがあれば後悔してもしきれない。もしも本当にそうなったら、未来の私は今の私を決して許すことはないだろう。
私は先走ろうとする感情をぐっと堪えて、わざと落ち着いた声色を意識した。
「夫人、子息様、本当に私を子息様のお相手に選んでいただけるということでしたら、私は喜んでお受けしたいと思っております。両親も、次期公爵様との婚約であれば反対はしないと思いますし…」
生家や自分自身の利益を追求する利益主義的な考えを持つ令嬢を上手く演じられただろうか?
私の言葉に嬉しそうな表情を浮かべた夫人。当然だ、私は夫人が喜ぶ言葉を選んで言ったのだから。
そんなことに全く気がつく様子もない夫人は、子息の方を向いて言う。エラさんと2人で話してきなさい、と。そして何かを耳打ちした。残念ながらその内容は聞き取れなかったが、夫人から子息への入れ知恵であることは間違い無いだろう。
夫人から2人で話すように言われた子息はひどく動揺した様子で、私の様子を伺うばかりだ。彼は女性が苦手な様子だったので、今なら私が主導権を握ることができるかもしれない。
「レック様、とお呼びしても構いませんか?」
「…は、い」
許可が得られたので、私はこのまま主導権を握ることにした。貴族同士の会話では、誰がどれだけ主導権を握るかがかなり重要なのだ。話の方向性を決定し、自分に有利な進め方ができる。私がこの半年間で身につけた社交術知識の一部である。
「それではレック様、参りましょう。私も2人でお話がしたいですわ」
交戦的な戦士のように、妖艶な踊り子のように、獲物を誘うおとりのように。私はオリヴィエ様のためなら何にでもなれる。何でもできる。
子息は私の提案に乗ってくれた。私は内心、ここからが勝負だと思いながらも、礼儀を重んじる高位貴族の令嬢らしく礼をして夫人たちにしばしの別れを告げた。
「レック様、あちらへ参りましょうか。人に話を聞かれる心配がありませんから」
私は、賑やかな中央付近から離れた壁際にあるソファへと誘った。ここなら周りに人が少ないのでロレッタ様もすぐに私を見つけることができるだろう。
特に反対の意を見せない子息。私はにっこりと微笑んでソファへと腰掛けた。その様子を見ていた子息もおそるおそる隣へと座った。私と子息の間には1メートルほどの距離。他に座れるところがなかったので、女性が苦手な彼なりの妥協だったのだろう。
「レック様、あちらでは多くの方に囲まれていて話しづらかったでしょう。私はこれ以上近づきませんので、安心してお話しください」
「あ、りがとう…ございます」
彼はずっと俯き気味のまま応対するつもりなのだろうか。私としてはどうでも良いことなのだが、この様子では婚約者は決まらないだろうなと思ってしまう。
「単刀直入に私の考えをお話しさせていただきますね。私はレック様に愛し合う関係を求めるつもりはございませんわ。私はただ公爵夫人の地位が手に入るのであればそれで良いのです。レック様は私をどう扱っていただいても構いませんが、私はレック様に干渉致しません。公爵夫人としての役割を果たすつもりはありますが、私たちの間に愛情が生まれることはないでしょう。これが私から提示できるレック様の利益となるお話です」
要するに、女性が苦手な様子の子息は私と愛し合う夫婦になる必要はなく、私を後継ぎ問題を解決するためだけの道具として扱って構わないということだ。そして、彼は他に愛人を作っても良いし、私に一切関わることなく生活していっても良い。この条件と引き換えに、公爵夫人の地位を手に入れたいと考える強欲な女性を演じる。
私の言葉に、子息は少しだけ動揺した様子を見せた。あまりにも自分に都合の良い条件だったからだろう。私は意図的にそう仕向けたのだから、上手く罠にかかってくれたものだ。
「ただし、1つだけ条件がありますの」
私は声のトーンを下げて続ける。
「私が公爵夫人となった暁には、贅沢をして暮らせるだけの生活資金を用意してください。私は王都で楽しく過ごしたいのです」
「…分かりました、約束します」
子息は私の要求をすぐに了承した。自分にとって良すぎる条件ばかりではなくなったので疑う考えがなくなったのだろう。
私は交渉が上手くいったので、ありがとうございますと言ってから、ほっと安堵した様子を見せた。そして、一旦この場から離れることにする。ロレッタ様に状況を報告しておきたいのだ。
「それでは私は一度親戚の元へと戻らせていただきますね。すぐにこちらへ帰って参りますので、レック様は少々お待ちくださいませ」
私は立ち上がって淑女の礼をし、踵を返した。直接ロレッタ様の所へ戻ると、明かすつもりのない素性までバレてしまいかねないので、一度会場から出て外側の廊下を通って再び会場へ戻ることにした。
扉の開閉を担っている使用人は、少々お化粧を直しに、と言うと素直に扉を開けてくれた。
仮面舞踏会もかなりの時間が経過して、会場の人も減ってきた。今の時間は私のような若い貴族よりもお母様世代の貴族たちが多い。そのため、化粧直しに向かう人も少なく、灯りに照らされた廊下は少し物寂しい。
廊下を歩き、再び会場に戻る扉を選んでいたところ。私は背後から左手首を掴まれ、後ろ向きに引っ張られた。一瞬、何が起こったのか全く理解できず、何の抵抗もしないまま引っ張られた方向へと体が傾いていく。社交用の高いヒールを履いている私がその状況で体のバランスを保っていられるはずもなく、私はそのまま壁際に尻餅をついてしまった。
何事!? と状況理解に頭を動かそうとした。足音はしなかったし、気配も感じられなかった。しかし、すぐに私の視界は男性の顔で埋まった。その相手は、先ほど別れを告げてきたはずのレックだった。
「な、にを…」
私は打ちつけた体の痛みに耐えながら、彼を睨みつける。私の目に映った彼の顔は、つい先ほどまでの彼とは別人のようだ。女性を恐れる様子はなく、まるで躾のなっていない獣のよう。
彼は私の両手を掴み、壁へと押しつけた。私が抵抗できないようにするためだろう。さすがの私でも、男性の力を振り解くことはできない。
「やめてください!」
私の叫びは廊下に響き渡ったが、他の誰かが助けに来てくれる様子は無かった。どうやら、私1人でこの状況を解決する必要があるようだ。




