第四十話
私はオフェレット伯爵夫人の発言を不審に思いつつもそれが態度や表情に出ないよう細心の注意を払った。彼女たちはお酒に酔っているようなので多少のことは見逃されると思うが、気をつけるに越したことはない。
「ねぇあなた、うちの息子と1度会ってみるのはどうかしら? あなたは身なりもしっかりしているからきっと高位貴族のご令嬢でしょう? うちの息子にぴったりだわ」
オフェレット伯爵夫人がワインの入ったグラスをあおって言った。今の私は確かに、ディルヴァーン侯爵家の血縁者として恥じない質のドレスを身に纏っている。夫人は元グランジュ公爵令嬢。ドレスの質を見極めることは酔っていても可能なのだろう。
「そ、そうでしょうか?」
あまり強く拒否をして夫人の機嫌を損ねては調査にならない。かといってオリヴィエ様という婚約者がいる身で喜ぶような態度はとりたくない。
「えぇ、間違いないわ。今日は、息子も来ているのよ。ここに呼びましょうか」
夫人は近くにいた使用人を呼び寄せて、子息を連れてくるように指示をした。その間に私はソファ席へと促され、ご婦人方の中にポツンと1人挟まれるような形となった。
正直、かなり気まずい状況である。ほとんど社交経験のない私にとってはこのような状況は初めてだし、お母様世代の方々からそれぞれの子息を結婚相手に勧められるというこの状況は精神的な苦痛が大きい。
「こんなことならうちの息子も連れてくればよかったわ。あの子ったら社交にもろくに出ないせいで良いご縁がないのよ」
「うちもですよ。仕事にばかり熱心で、少しは家の後継者のことも考えて欲しいと何度も言っているのに…」
私は愛想笑いを貼り付け、そうなのですね、大変ですわね、と当たり障りのない言葉を繰り返して場を繋いだ。もう少し私に社交スキルというものがあればマシな応対ができたのかもしれないが今更嘆いたところで何にもならない。
「それにしても、今まであなたのように美しくて所作の洗練された令嬢は見かけたことがありませんでしたね」
「確かにそのとおりですわ。私も色々なパーティーに参加しておりますけれど、あなたとはお会いしたことがない気がいたしますもの」
今日の私の素性は、ロレッタ様と一緒にすり合わせをして設定が決められている。私はそれを思い出しながら、笑顔で答える。
「私は王都から離れた田舎の貴族家の者でして、王都の社交界とはほとんど関わり合っておりませんわ。ですから皆様が私のことを初めて見たとお感じになるのも無理ありません」
嘘というものは、あまりにも自然に、当然の事実のように語るとさも本当のことのように感じさせることができる。今日の私はディルヴァーン公爵家の親戚である。
「通りでお見かけしないわけですわ。あなたのような黒髪と言えば、ディルヴァーン侯爵家のイメージがありますけれど」
「あのお家には第1王子殿下とご婚約なさったロレッタ様がおられますでしょう?」
「あぁ、あの黒髪の…」
そんな話をしているうちに、1人の男性がこの集団へと近づいてきた。周囲に注意を払っていた私はいち早く気がつき、彼がオフェレット伯爵夫人の子息であることはすぐに分かった。
「あぁ、レック、ようやく来たのね。こちらに座りなさい」
ぺこりとぎこちない紳士の礼をして席に着いたのはオリヴィエ様と同じ薄緑色の瞳を持った男性だった。顔の雰囲気は少し違うけれど、どことなくグランジュ公爵家の血筋を感じさせる。
「レック、あなたに彼女を紹介しようと思ってね。そういえば名前を聞いていなかったわね。あなた、お名前は?」
私は綺麗に偽りの笑顔を浮かべて、子息をまっすぐに捉えて自己紹介をする。
「私のことはどうぞエラとお呼びください」
当然本名を明かすことはできないので、ロレッタ様と決めた偽名を使う。仮面舞踏会の場では当たり前のことなので問題はないはずだ。
「…エラ、ですね」
私に視線を合わされて気まずくなってしまったのか、レックと呼ばれた彼はふいと視線を外してしまった。仮面で目元が隠れているので感情が読み取りにくいが、おそらく私に対してあまり良い印象は持っていないようだ。
「あなた、エラというのね。いいわ。レック、あなたにエラを婚約者候補として紹介するの。あなたも良い歳なのだから、早く婚約者を決めなければならないわ。エラさんもそこまでお若いわけでもないようだから、あなたの相手にピッタリよ」
初対面の年頃の女性である私に対して少々失礼な物言いだが、ここは我慢だ。私が女性の結婚適齢を超えかけていることは事実なのだから。
伯爵夫人にそう言われた彼は、ぴくりと肩を振るわせ、動揺を見せた。
「は、母上、私は…」
その続きが言葉にされることはなかったが、おそらく「女性が苦手」と続くはずだったのだろう。私への態度を観察していれば、この短い間でもそれくらいのことは分かる。目は合わない上、常に俯き気味で、明らかに女性慣れしていない応対。
「あなたが誰も良い令嬢を見つけてこないから、私がこうしてエラを紹介しているのですよ。文句を言うのではありません!」
夫人の言葉に、より一層縮こまってしまった子息。彼の女性嫌いは母親の影響もありそうだと少し哀れにもなる。
貴族家に生を受けた以上、家が決めた相手と結婚をすることは当たり前のことで、それが嫌なのであれば両親に認めてもらえる相手を自分で見つけてこなければならない。高位貴族になればなるほど、幼少期に婚約者を決めることが多いのでそれは叶わないのだが。
彼はまだ婚約者が決まっていない状況で、母親の決めた相手と婚約をしたくないのであれば自分で相手を見つけてくる必要があるが、それはきっとこの性格の彼には難しいのだろう。
「あなたはもうすぐ公爵となるのよ。しっかりしなければ、せっかくのチャンスを逃してしまうわ!!」
「……」
集団に流れた沈黙。1番可哀想なのは子息であるが、私は今彼のことを考えている余裕はなかった。伯爵夫人が、あなたはもうすぐ公爵となる、と言ったからだ。
私の頭はその言葉を何度も繰り返し反芻し、理解しようと努めた。そして、受け入れたくはない言葉の真意を読み取り、頭の中で全てのピースがはまる音がした。
「エラ、あなたもレックと結婚をすれば公爵夫人になれるのよ! 田舎で暮らすよりよっぽどの贅沢ができるわ。良い条件だと思わない?」
「…そう、ですわね」
彼女はお酒に酔っているのと早く子息の婚約者を決めたいのとで、自分が言っていることの問題点を理解していないようだった。ここまでの発言をしてしまえば、たとえ素性を隠していたとしても関係者にはバレる。そして、彼女がなぜこのような大口を叩いているのかも。
私は怒りに震える拳を隠していたが、貼り付けた偽りの笑顔は崩れかけていた。
あまりにも彼女が自分勝手で、人の命を軽く見ていることが許せなかった。今すぐにここで彼女を断罪したいという衝動に私自身の体が支配されそうになる。
私はその堪え難い衝動をなんとか落ち着けて、冷静になろうと努めた。




