第三十話
「ミュリエル様、到着いたしました」
そう言われ、ようやく頭がはっきりとした私は、馬車から降りてミラと共に王城へと足を踏み入れた。前回王妃様主催のお茶会で参上してから、およそ2ヶ月ぶりである。いつ来ても、気が引けるほど荘厳な場所だ。
王城の使用人の先導で、通されたのは第1王子殿下の執務室だった。国王陛下にご挨拶した際にもここへ立ち入ったが、あの時はオリヴィエ様が隣にいた。ミラが別室に移動した今、私は1人でこの扉を叩かなければならないのだ。
いつまでも迷い、殿下をお待たせしてもいけないと思い切って扉をノックした。すると、すぐに中から返事があった。
いつもより早い鼓動を感じながら、1つ息を吐いて取手を引き、扉を開けるとすでにお三方は揃っていた。
「ミュリエル・アリスタシーが第1王子殿下にご挨拶いたします」
膝を折り、淑女の礼をしたが、殿下からはお返事がない。何か不手際があっただろうか、と段々不安になっていくが、ロレッタ様が助け舟を出してくれた。
「ようこそ、ミュリエル様。今日は友人同士の気楽な会ですから、どうか気を抜いてくださいね」
ロレッタ様の言葉に顔を上げると、殿下は口元を押さえて愉快そうに笑っておられた。その様子を隣で嗜めるエイデン様。どうやら私は、気を張りすぎていたようだ。
しばらくしてお茶やお菓子が揃うと、本格的にお茶会は始まった。
「ミュリエル様、今日はこのようなところでお茶会を開くことになってしまい、申し訳ないですわ」
「い、いえ、とんでもないです」
ロレッタ様は眉を下げて申し訳なさそうにおっしゃったが、私としては久しぶりに公爵邸から出る機会を作ってくださって感謝しているくらいなのだ。
しかし、殿下がロレッタ様へ、納得がいかないという顔をなさる。
「ロレッタ、私の執務室をこんなところ呼ばわりするのはどうかと思うけど?」
「あら殿下、お茶会に相応しくない場所であることは間違いないでしょう?」
殿下とロレッタ様が軽い口論を始めてしまい、私はどう反応して良いのか困り果てる。しかし、対面のエイデン様が、いつものことなのでお気になさらず、と言って不慣れな私を気遣ってくださった。
「だいたい、秘密裏に話ができる場所が良いと言ったのはロレッタだからね? 全く、うちの姫様は注文が多いんだから…」
殿下はやれやれと肩をすくめ、その様子にロレッタ様は不服そうだ。
「はい、お2人とも、今日はそのあたりにしておいてくださいね。アリスタシー嬢がお困りですから」
手を打って、殿下とロレッタ様の争いを止めたエイデン様。さすが、幼少期から友人として関わってこられただけのことはある。
「それで、アリスタシー嬢を招待したのは他でもなく、たまにはヴィーの側から離れて息抜きをしてもらいたいと思ったからでね。ロレッタがどうしてもと言うから、完全な人払いができるこの執務室を会場に選んだというわけだよ」
殿下はカップに口をつけつつ、まぁ、ロレッタが君に会いたがっていたのも大きな要因なんだけれどね、と付け加えた。
「そのような経緯があったのですね。ご配慮いただきありがとうございます」
私がオリヴィエ様に付きっきりになっている状況を、お三方なりに心配してくださっていたのだろう。つくづく、私は良い環境に身を置いていると実感する。
「今日は私たち以外に話を聞いている人はいませんから、なんでもお話になってくださいね。もちろん、ただこの会を純粋に楽しんでくださればそれで十分ですが」
「ありがとうございます、ロレッタ様」
私はオリヴィエ様のお側にいることに苦痛は一切感じていない。けれど、外に出なくなっていくと段々気も滅入ってくるものだ。私がロレッタ様と楽しくお話をし、そのことをオリヴィエ様に話すのは、オリヴィエ様にとっても良いと思っている。
「皆様、気にしておられると思いますので、最近のオリヴィエ様について少しだけお話しさせていただきますね」
私の言葉に頷いた3人を確認し、続ける。
「オリヴィエ様は特にお変わりなく、毎日数時間ほど目を覚まして起きておられます。その間にお食事もとっておられますので、想定していたほどの悪化は見られません。かと言って、回復している様子もないのですが…」
私としては、良くも悪くもならないこの状況を大変もどかしく思っている。しかし、原因が分からない以上、何の治療も行えないので、今はただオリヴィエ様が自身の力で病を克服する奇跡をずっと願っているだけだ。
「今日は珍しく午前中に起きていらしたので、少しお話をしてきました。皆様によろしく伝えておいてほしいと伝言を預かっておりますわ」
本当なら、オリヴィエ様もこの会に参加したかっただろう。私も、早く4人が揃っている姿を見たいと願わずにはいられない。
「そう、ヴィーはまだそのような状態なんだね。それにしても、病の原因が分からないのはもどかしいな」
「そうですね… こんなにもはっきりと症状が出ているにも関わらず、原因が特定できないというのは珍しいと思います」
オリヴィエ様のことを診察してくださっているお医者様は、オリヴィエ様が生まれる前からグランジュ公爵邸で担当医師を務めておられるとても優秀な方だと聞いている。そんな方でも原因の特定ができないと言うのだから、私たちはお手上げの状態なのだ。
「ヴィーの状況が良くならないことには、2人の結婚式も延期したままになるし…」
「そうですわね。私も早くお2人の晴れ姿を拝見したいですわ」
オリヴィエ様が倒れられたことで、王都の大聖堂で行う予定としていた結婚式は延期となっている。特に何も起こっていなければ、今頃の時期に式を挙げていたはずだ。
「私としてはオリヴィエ様の体調が1番ですので… それに、式を挙げずともオリヴィエ様のお側にはいられていますし」
私の言葉に、お三方は笑みをたたえた。
「それもそうですわね。お2人は相思相愛で仲睦まじいですから!」
「見ているこちらが照れてしまうほどにはね」
「私はとても素敵な関係性だと思いますよ」
私はなんと返して良いか分からず、あ、ありがとうございます、とぎこちなく返答した。
残念ながら、楽しい時間というものはあっという間に過ぎ去ってしまうもので、そろそろ帰る時間だと知らされた。名残惜しいけれど、オリヴィエ様のことも心配なのでこの辺りで失礼する。
「ミュリエル様、またお誘いしても構いませんか?」
席を立とうとすると、ロレッタ様が私の手を取ってそう言った。私は断る理由もないので、喜んで受け入れる。
「もちろんですわ。ぜひ、また参加させてください」
今日の会で、殿下やエイデン様とも少し打ち解けられたと思う。まだまだ雲の上の存在であることには変わりないけれど。
今後、社交界で生きていく私にもこうして気兼ねなくお話しできる友人がいるというのは大変心強いことだ。できればこの先ずっと、仲良くさせていただきたいと思っている。
こうして楽しかったと明るい気分で帰路に着いた私は、早く帰ってオリヴィエ様に今日のことをお話ししたいという気持ちでいっぱいだった。




