第三話
「…そういう経緯で、あなたを婚約者に選んだというわけです」
「……!??!??」
この瞬間が、私の人生で1番脳内にクエスチョンマークが浮かんだ日である。
「…あの、仰る意味がわからないのですが?」
しばらく頭を回してようやく絞り出した言葉に、貴人は笑顔を崩さず返した。
「意味も何も、そのままの意味ですよ。私はミュリーを婚約者に選び、それがお父上に許された。これが事実です」
何もかも初耳だ。貴人の話が本当だとすると、私は婚約者としてこの公爵邸に連れてこられたことになる。そして、お父様が幸せになるんだぞとしか言わなかったことにも納得がいく。
「今はまだ、全てを理解できなくても構いません。ミュリーに受け入れてもらえるよう、頑張りますよ」
貴人、改め婚約者様は微笑んだ後おもむろに立ち上がり、私の左手を取って唇を落とした。
「心構えして置いてくださいね?」
アイスブルーの瞳に見つめられ、私の言葉は飲み込まれてしまった。
「はぁぁぁぁっ……」
私は与えられた部屋のベッドで淑女らしからぬため息をついていた。部屋の中には私以外に誰もいないが、はしたないと言われても仕方がない。
オリーヴ、いや、オリヴィエ様から説明を受けた後、晩餐をご一緒し、湯浴みをして今に至る。使用人たちは湯浴みの手伝いまでしてくれようとしたが、さすがに慣れないので丁重にお断りした。
「色々起こり過ぎて、何が何だか分からないわ…」
枕に向かって嘆いても不毛である。
理解できなくても、この現実は変わらない。
自力でアリスタシー伯爵家に帰ることが出来ない以上、私は公爵邸で過ごすしかない。お父様が私の婚約を決めたのなら、それに従うのが伯爵家の人間である私の義務だ。
だから私は、ここでオリヴィエ様の婚約者として過ごすしかない。他の選択肢はここに来た時から与えられていなかったのだ。
「悩んでも仕方がないわね。オリヴィエ様がオリーヴなら、私を悪いようにはしないはずよ!」
そう言って、自分を納得させるしかなかった。私が信じられるのは、文通友達として交流してきたオリーヴだけだから。
「ミュリエル様、お目覚めでしょうか?」
「…はい」
朝日が昇り、使用人が部屋の扉をノックしたが、正直あまり眠れていない。頭の中に大量の情報が溢れかえっていて、整理するのに時間を要したから。朝になった今、ようやく睡魔が襲ってきているくらいだ。
「よろしければ朝食をご一緒したいとご主人様より言伝を預かっております」
「…分かりました。身支度が整い次第お伺いすると伝えてください」
使用人の1人がぺこりとお辞儀をして出て行った。
私がオリヴィエ様からの誘いを立場上断れないことを分かった上で誘っているのなら、彼は相当意地が悪い。
「さぁ、お支度をいたしましょう」
ドレスが収納されている部屋へと消えて行った使用人たちは、どこか楽しげだ。
彼女たちにドレス選びを任せている間、私は髪をといてもらう。オリヴィエ様の説明によると私は婚約者という身分になったらしいので、今後この公爵邸で過ごしていくためにも使用人たちに慣れていかなければならない。
「グランジュ公爵家にはお嬢様がおられませんでしたから、こうしてミュリエル様のお支度をお手伝いできて、皆嬉しいのですよ」
髪をとき終わった使用人は、微笑んで言った。そんなことを言われたら、嫌とは言えなくなってしまう。
「さぁ、ご主人様がお待ちですから、早く支度を終えてしまいましょう!」
「今日はどのような髪型になさいますか?」
「きっと、ご主人様もお綺麗だと仰いますわ!」
完全にされるがままだった。基本的に身なりに特段気を配ったことがないので、どう考えても使用人たちに任せた方がいいのは間違いないが。
「お待たせいたしました…」
「おはようございます、ミュリー。とても気分の良い朝ですね」
使用人に案内されたのは、庭園の端にあるサンルームだった。ガラス張りの建物になっていて、柔らかい朝日に照らされている。中央に設置されたテーブルセットには、朝からいきいきとしているオリヴィエ様。
昨夜はよく眠れましたか?なんていうたわいもない話をしている間に、次々と朝食が運ばれてくる。
昨日の晩餐でも感じたことだが、名門公爵家だけあってどの料理も高度な技術によって作れたもの。過去に1度だけ参加した王城のパーティーでのものと遜色ない。
「今後の予定ですが、近いうちに陛下へご挨拶に伺います。ついでに、アル…いえアルフレッドにも挨拶することになると思うので心づもりしておいてくださいね」
オリヴィエ様は、食事中に衝撃発言を投下した。アルフレッド、という名前を聞いて、連想されるのはただ1人。
「へっ、陛下と第1王子殿下に、ですか…?」
「はい。これでも私はグランジュ公爵家の当主なので、報告と挨拶が必要なのです。あまり気乗りはしませんがね」
ははっと苦笑したオリヴィエ様だったが、私からすると笑い事ではない。
私は斜陽伯爵家の人間なので、当然だが王族の方々に直接お会いしたことはない。遠目に拝見したことならあるが、社交デビューした5年前の話だ。
「え、えと… 失礼の無いように振る舞える自信がないのですが…」
幼少期に淑女教育を受けていたとは言え、その程度で上手く振る舞えるほど私は器用ではない。この国のトップである国王陛下と次期国王と言われている第1王子殿下の前では、なおのことだ。
そんな私の心配もよそに、オリヴィエ様は微笑んで言った。
「心配する必要はありません。基本的な礼儀さえ弁えていれば問題ないですし、何かあれば私が対応します。それでも心配なようなら、教育係をつけることもできますよ」
「…分かりました。ですが、やはり心配なので教育係の方をつけていただきたいです」
今回のご挨拶はもちろんだが、この先オリヴィエ様の婚約者として過ごしていくなら同じように丁寧な振る舞いが求められる機会があるはずだ。不本意ではあるが、私のせいで名門グランジュ公爵家の名に傷がついても困る。
いずれ必要になるのなら、今のうちに指導を受けておくべきだ。
「もちろんです。手配しておきますね」
「よろしくお願いします」
それからの私の日々は、非常に規則的なものとなった。
目が覚めたら身支度をしてもらい、朝食をとる。
そのあとは淑女としての作法教育を受けて、昼食を取る。
そして午後は自由だが、図書室にこもって自学をすることが多い。
また夜になったら晩餐をいただいて眠る。
はじめは、いきなり連れてこられて混乱しているだけだったけれど、1週間が過ぎてようやく状況も理解できるようになった。
おそらくだが、私がオリヴィエ様の婚約者になった代わりに、アリスタシー伯爵家には相応の対価が支払われているはずだ。貴族の婚姻とは家同士の契約なので、恋だの愛だのなんて理由で結ばれるわけではない。領地の経営が傾いている以上、お父様もその対価を断ることはしないだろう。むしろ、オリヴィエ様から「ミュリエル嬢を慕っている」なんて説明されて、喜んで握手していそうだ。
そう理解すると、私も下手なことはできなくなる。当主であるお父様が決めた結婚には従わなければならないし、斜陽伯爵家である我が家が名門グランジュ公爵家に刃向かえるわけもない。
もしも私がオリヴィエ様に無礼を働けば、アリスタシー伯爵領に余波が及ぶことになる。
「まぁ、オリーヴならそんなことはしないでしょうけど…」
私はオリーヴを信頼している。まだオリヴィエ様を信頼できなくても、きっと大丈夫だと信じている。




