第二十三話
オリヴィエ様が晩餐の席で倒れてから約1ヶ月が経った。最近のオリヴィエ様は眠っている時間が長く、体を起こすことが難しくなっていた。何が影響してそんなにも体調に波ができているのかは分からないが、症状がひどい時は薬を打って抑えることを繰り返している。
「この薬はかなり効能が強いものなので、多用することはあまり推奨できません。公爵様のお体にどのような意図しない影響が出るかも分かりません」
お医者様は原因が突き止められない自分を嘆き、今日も診察を終えて帰って行った。
私はオリヴィエ様の側へ寄り、顔色を伺う。今は特段悪いわけではないが、目を覚さないとということは体調が良いわけではないということ。私はそっと手を彼の頬に当て、そのさらりとした感触に悲しみが湧く。
オリヴィエ様が私に人生最後で最大の願いを伝えてきてから、私はオリヴィエ様の病を何とか治せないか画策していた。しかし、力を持たない私ではあまり本格的な調査もできず、ジャスパーの力を借りても何の手がかりも見つからなかった。せめて、何の病なのか特定できれば治療法を探すのが楽になるのだが。
すっかり生きる気力を失ってしまっているオリヴィエ様には、私が治療法を探していることを秘密にしている。きっと彼は私のしていることに反対はしないだろうけれど、良い顔もしないと思うからだ。あまり時間がない中で、どこまで調べられるかは分からないが、病の治療に一抹の期待を寄せている。
「行ってまいりますね」
名残惜しさを振り払うように、私は振り返ることなく部屋の扉を閉めた。
「ミュリエル様、ご準備をいたしましょう」
「えぇ、よろしくね」
残念ながら私は、ずっとオリヴィエ様のお隣に居続けることができない。私には、グランジュ公爵家の次期夫人としての仕事があるから。
「お久しぶりですわ、ミュリエル様」
「本当に、お久しぶりです、ロレッタ様」
今日は午後から王宮の茶会に参加している。王妃様主催の会で、王都にいる貴族たちが多く集められている。私はオリヴィエ様が心配なのであまり長時間側を離れるようなことはしたくなかったのだが、王妃様から直々にお手紙で招待をいただいたので、欠席するわけにもいかなかった。
私はグランジュ公爵家の次期夫人という立場で参加しているが、オリヴィエ様の体調が良くないことは世間一般に伏せられている。これを知っているのは、王家とエイデン様、ロレッタ様くらいだ。
「ある程度のお話はお手紙で把握いたしましたが、その後はいかがですか?」
ロレッタ様は周囲の人間に配慮をして、私にだけ聞こえる程度の声で話を振った。私もそれに合わせて、とても小さな声で答える。
「はい、状況は変わらずですわ。今日も診察をしていただきましたが、やはり原因は分からない上、改善の兆しは見えない、と…」
1ヶ月前からずっと向き合い続けている現実をただ言葉にして言っただけなのに、私の心はズキリと痛んだ。それが表情に出ていたのか、ロレッタ様は少し慌てたように謝る。
「すみません、辛いことを言わせてしまいましたわ」
「いえ、気にしないでください。ロレッタ様は悪くありませんから」
私は顔の前で両手を振って否定し、申し訳なさそうな顔をするロレッタ様には、本当に気にしないでください、と念押しした。
「それよりも、ロレッタ様は私と話してばかりでよろしいのですか?」
今日の茶会はフリーシート制で、ある程度自分の意思で会話する人を決めることができる。私はこの会場に来てからロレッタ様以外とお話ししていないが、そもそも知り合いがいないので構わない。けれど、ロレッタ様は社交界の華で、第1王子殿下の婚約者でもある方なのだ。私以外にも話したいと思っている人はたくさんいるはずだ。
「えぇ、構いませんわ。ミュリエル様とお会いしたのは久しぶりのことなんですもの、ミュリエル様がお嫌でなければゆっくりとお話しさせていただきたいですわ」
「嫌だなんて、そんなわけはありませんわ」
結局、茶会の前半をロレッタ様と共に過ごすこととなった。たまに他の令嬢が声をかけに来たけれど、ただ挨拶をして掃けていくのみだった。
「ロレッタ様が第1王子妃になられたら、今のようにこうして気軽にお話しすることも叶わなくなりますから…」
今は友人としてこのような場で共にいても咎められることはない。形式的な立場上、同じ貴族で親しくしているという外面を保っているからだ。けれど、ロレッタ様が殿下とご成婚なされば、明確に私たちの間に上下関係が生まれる。たとえ私たち2人が個人間で親しくすることを許したとしても、世間はそれを良しとしない。
「…そのようなことはありませんよ。もうすでに、ミュリエル様は私の親しい友人として周囲の貴族たちに認知されています。私が王族の仲間入りを果たしたからと言って急に表で関わらなくなれば、逆に不審がられますわ。どうか、これまで通り接してくださいませ」
ロレッタ様はにっこりと微笑んで、せっかく仲良くなれたのにそのような理由で疎遠になるのは寂しいですわ、と付け足した。
「ありがとうございます。とても、嬉しいです」
ロレッタ様とそのようなお話をしていたところ、私の視線の先にある女性が入ってきた。会場の反対側にいるので良く見えないが、どこかで見たことがあるような風貌の女性なのだ。私が知っている貴族の女性などかなり限られているのに。
「…ロレッタ様、少し教えていただきたいのですが」
「はい、何でしょうか?」
私は周囲の人間に悟られないように視線でその女性を示し、聞いた。
「あの紫色のドレスを身に纏った女性、彼女は誰ですか?」
私の質問に、ロレッタ様は一瞬驚いた後、詳しく教えてくれた。
「彼女はライラ・オフェレット伯爵夫人、公爵の叔母にあたる方ですわ」
「まぁ、彼女が…」
他家の令嬢に親族の顔を教えてもらうという何とも奇妙な出来事を起こしてしまったが、ロレッタ様のおかげで既視感の理由がわかった。オリヴィエ様と彼女は確かに似ているのだ。
「まさか今日のお茶会に参加しておられるとは思いませんでしたわ。何も連絡はいただいておりませんし…」
ジャスパーは、夫人が王都へお越しになる際は公爵邸に滞在されるため連絡が入ると言っていた。しかし、今回は全くそのようなことはなかったはずだ。あれほどまでに優秀なジャスパーがこんなに大切なことをうっかり伝え忘れるとは思えない。
「私も、久しぶりにお見かけいたしましたわ。もう数年、王都の社交界にはお見えになっていなかったはずですわよ」
社交界のありとあらゆる情報を持つロレッタ様がそうおっしゃるのなら、それは確かなのだろう。実際、ジャスパーも最近はお見えになっていないと言っていたと記憶している。
「何か急なご用事でもおありなのでしょうか?」
「さぁ、どうなのでしょうね…」
私はオフェレット伯爵夫人にご挨拶へ伺おうかと考えたけれど、ロレッタ様の助言で考えを改めた。オリヴィエ様と私が婚約をしたことは当然ご存知なはずだが、私の身元を証明するオリヴィエ様がここにはいらっしゃらない。ここは正式にお会いする機会を待った方が得策だろう。
それからの私はお茶を楽しみながら令嬢たちと交流を持ちつつ、ずっとオフェレット伯爵夫人の動向を気にかけていた。もちろん、彼女本人には気が付かれないように気をつけつつ。
一体何用で連絡なしに王都へお越しになったのか、気になって仕方がなかったのだ。




