第二十二話
後半はオリヴィエ視点です。
「さようならみたいに、愛しているなんて言わないでください!」
私の言葉は部屋中に響いて、静寂を生み出した。オリヴィエ様はただ私の手を取るだけで何も言わない。大きな声を出しすぎた、とおそるおそる顔を上げると、薄緑色の瞳と視線が重なり、オリヴィエ様は困ったように笑った。
「…ごめんね」
崩れた敬語は、むしろ私とオリヴィエ様の離れた距離を示すかのようだった。そして、いやでも彼が考えていることが分かった。
あぁ、彼は生きることを諦めてしまっている。
長い間病に体を蝕まれ続け、心まで病んでしまっている。未来に希望がなく、私を思い出にしようとしている。そんな身勝手はいくら私でも許せない。
「私は、これから先ずっと、ずっとオリヴィエ様の隣にいるつもりです。だからあと数ヶ月だけという願いは叶えられません」
私は自分の意思でこの場所にいることを選び、これからもオリヴィエ様の1番近くで生きていくと決めたのだ。勝手に期限を決められては困る。そして何より、私は彼への恋情を自覚してしまった。大切な人をこんな形で失いたくないと願うのは、人として当然の感情ではなかろうか。まだ目の前で生きているのに、そう易々とその命が失われるのを黙って見ていられるわけがない。
「オリヴィエ様に生きていてほしい、ずっと側に居させてほしい。私はもう、あなたのことを好きになってしまいましたから」
瞬間、彼の顔に動揺の色が浮かぶ。
しばらくの沈黙の後、オリヴィエ様は私の手を握る両手に少しだけ力を込めて、ふわりと笑った。
「私は本当に、あなたをここへ連れてきてはいけなかったのかもしれませんね。ミュリーの私への愛情は、私が居なくなったあと、深い悲しみへと変化してしまう。もう何もかも、手遅れのようですが…」
私はこれ以上、何も言えなかった。私とオリヴィエ様の間に、大きな距離ができてしまったかのように感じる。
私には、オリヴィエ様の考えや気持ちを完全に理解することはできない。けれど、今まさに死を受け入れている彼に、私の言葉が届かないということは、この数分で痛いほど分かった。
私では彼の心を救えそうにない。私は、彼の生きる理由になれない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
いつから、自分の余命を考え始めただろうか。病が発覚した時から? 医者に原因が分からないと言われた時から? ミュリーがこの屋敷に来てから?
思い返せば、ずっと「あとどれだけ生きられるか」を考えて生きてきたかもしれない。
両親を亡くした時、人は突然亡くなるものなのだということを幼いながらに理解した。何の予兆もなく、ただ偶然と必然の重なりで、あっさりと自分の前から大切な人がいなくなる。それが当たり前のことで、人は誰しもその可能性の中で生きているのだ。きっと自分もそうだと思い、幼かった自分はあとどれだけ生きられるのだろうかと考えた。
けれど、自分には病気という予兆が表れた。だからこそ、心は死をすんなりと受け入れた。
自分の人生はここまでで、周りの人間に別れを告げてから死ぬことができる。できれば、もう少し体の辛さを軽くしてもらえるとなお良かったのだが、なんて考えた。
体調が安定し、配偶者を設けるようにとジャスパーたちが口うるさく言うようになった頃は、もしかしたら自分は、まだ生きることができて、人並みの幸せというものを手に入れられるのではないかと思った。だから自分はかねてより思いを寄せていた、顔も知らない「ミュリー」を婚約者にした。その過程を今更後悔しているが、自分は未来への期待と希望に溢れていた。
再び体調を崩し、それが今まで以上にひどいことを自覚するまでは。
ミュリーには仕事が忙しいと嘘をつき、隠そうとした。それは単に彼女に心配をかけたくない、ただでさえ慣れない環境に適応しようと頑張っている彼女の不安を増やしたくない。そんな思いからの指示だった。
けれど、結局は彼女の前で倒れ、隠してきたという事実がより一層彼女の心に深い傷を作ってしまった。
もう、自分の命は長くない。そう感じ、ミュリーに人生最後で最大の願いを叶えてくれるよう頼んだ。自分勝手で、ミュリーの心を傷つける願いだということは自分が1番理解していた。それでも、どうしても最後に、自分の側にいてくれる人はミュリーがよかった。
そんな勝手な自分を、彼女は拒んだ。当然だ、これはただミュリーをより傷つける行為でしかないのだから。ここ数ヶ月間、長い時間ではなかったけれどそれなりに共に過ごしてきたのだ。少しばかりの情くらいは彼女も持っているだろう。
自分は両親という大切な人を亡くす経験をしておきながら、彼女にまたそれに近しい体験をさせようとしている。なんてひどい人間なのだろうか。自分でも、まさかここまでとは思わなかった。
『さようならみたいに、愛しているだなんて言わないで!』
そう彼女に言われた時、ただ申し訳がなくて、普段から大人しくして責任感の強い彼女にこう言わせてしまったことを深く悔やんだ。
そして、彼女が自分のことを好きになってしまったと言った時、自分の犯した罪の大きさが、それまで考えていた以上に大きくなっていたことを知った。自分は、彼女にとって大切な人になってしまっていた。ただの情で済んでいたなら、どれだけ良かっただろうか。
好いていると言われて、嬉しくなかった訳ではない。むしろ、自分の体が言うことを聞いたならば彼女を強く抱きしめたいとさえ思った。けれど、自分にはそんな資格はないし、その感情を彼女の中に芽生えさせてしまったことを後悔しなければならなかった。
彼女の好きという感情は、自分がこの世を去ったあと、彼女を縛り付ける重い鎖となるだろう。きっと、普通の令嬢として幸せに生きていくことはできなくなる。彼女の人生を、大きく狂わせてしまった自分の罪は、どれだけの時間をかけたら償えるものなのか。
自分が、死ぬまでの数ヶ月の間に彼女にしてあげられることは何だろうか。何の力もない自分には、何が残せるだろうか。毎日、身体中の痛みと闘いながら考え続けていた。
自分の身勝手な考えと行動で狂わせた彼女の人生を少しでも良くするために、与えられた猶予で何をしようか。
次話からはミュリエル視点に戻ります。




