第二話
そうして、オリーヴのことを思い出としてしまいこんで生活していた最中、急にあの鳥がオリーヴからの手紙を持って現れた。
「…!?」
窓枠へふわっと降り立った鳥の姿を見て、言葉を失ってしまった。もう5年も連絡がなかったのだ。何度も自分を責め、彼女を心配し続けていた。
「ありがとう、ゆっくり休んでいってね」
鳥の足から筒を外した私は、小さなカップに水を入れて置いた。
自室の椅子に腰を下ろし、ふうっと息をついてから筒を開けた。
中の手紙には間違いなくオリーヴの字で、丁寧に紡がれた言葉が。
『長らく連絡出来ずにごめんなさい。近いうちに会いに行きます』
彼女は無事だった。その事実だけで私の胸はいっぱいになって、溢れた分は涙となって流れた。
「よかった、よかった…」
本当に短い言葉だけれど、私が安心するには十分だった。長い間、連絡が取れなかった不安が、彼女の言葉で一気に消え去った。
「…それにしても、『近いうちに会いに行きます』ってどういうことかしら?」
彼女とは文通友達で、互いに本名も住んでいるところも知らない。どう頑張ってもオリーヴが私を訪ねてくることなどあり得ないのだ。
しばらく意味を考えたけれど、やはり分からない。
「いいわ、今はオリーヴの無事が分かっただけで」
私は純粋に、オリーヴが無事でよかったと思ったのだ。
そのことを、そのまま手紙に書いて鳥に託した。
そしてそれから数週間後、急にこの貴人が現れたのだ。
「あの、状況が飲み込めないのですが…」
アリスタシー伯爵家にやってきた貴人は、お父様と小一時間話し合い、そのまま私を馬車に乗せてどこかのお屋敷に連れてきた。
もちろん、私は抵抗してお父様に説明を求めたけれど、にこにこと笑って幸せになるんだぞとしか言わなかった。
「ミュリエル様、説明は後ほど、ご主人様からなされると思いますよ」
私の身支度をする侍女の1人がそう言った。そもそも、彼女たちに身支度されている状況を説明して欲しいのだが。
「ミュリエル様は何色がお好きですか?」
「薄藤色の御髪には濃い色が合いますね」
使用人たちは嬉々としてドレスを持ってきては私の体に当て、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返している。
どれも高価そうなドレスばかりで、とてもではないが私の普段着とは比べ物にならない。
「こちらにいたしましょう。よくお似合いになると思いますよ」
結局、選ばれたのは濃紺色のドレスだった。私の瞳の色とも少し似ていて、シフォン生地が軽い印象を与えている。
「さぁ、ドレスが決まりましたから、身支度を始めますよ」
「ミュリエル様、こちらへお座りくださいな」
「御髪を整えさせていただきますね」
淑女と呼ばれるような年齢になってから、使用人に身支度を手伝ってもらったことはない。
基本的には自分で着替えができていたし、どうしてもという時はお姉様かお母様に手伝ってもらっていた。
そのせいで、このように囲まれてもみくちゃにされることに対してあまり免疫がないのだ。
状況を説明してほしい、という私の希望が通ることはなく、綺麗に身支度を整えられたのち他の使用人によってどこかへ案内された。
「こちらのお部屋でお待ちです。どうぞお入りください」
「…はい」
使用人の手で開かれた扉の先はサロンのような場所で、テーブルセットのソファに貴人が深く腰掛けていた。変わらず肩に鳥を乗せ、優雅に紅茶を飲んでいた。
「お待ちしていました、ミュリエル嬢」
あまり気は進まないが、どう考えても相手の方が高貴な身分のお方なので礼儀的に淑女の礼で応える。
「どうぞこちらに座ってください。話は長くなるでしょうから」
対面のソファを勧めた貴人は、笑顔だけれどどこかに黒さを感じる。そんな態度を取られる理由に心当たりは全くないのだが。
「さて、まずは何から話し始めましょうかね…」
少し考えた後に口を開いた貴人の言葉に、私は大きな驚きを与えられた。
「長らく連絡ができず、不快な思いをさせてしまいましたね。すみませんでした、ミュリー」
私を愛称であるミュリーと呼ぶのは、両親とお姉様、そしてオリーヴだけである。この貴人が、私を愛称で呼ぶわけがない。
そんなわけがない、信じられない。そんな思いを持ちながらも、確認せずにはいられない。
「いえ、その…あなたが、オリーヴなのですか?」
私の頭は理解を拒んだ。なぜなら、オリーヴは女性だし、彼女はもう何年も連絡がつかなかったのだ。
しかし、貴人は笑みを浮かべて、はい、と答えた。
「私はオリヴィエ・グランジュです。ただし、ミュリーにはオリーヴの名の方が親しみがありますね」
言葉としては理解できるけれど、頭は処理してくれない。
「えっ、と… オリーヴは女性のはずなのですが?」
私の言葉に、貴人は目を見開いて驚いた表情をし、そっと一息ついてから微笑んだ。
「まずはこちらの状況を説明させてください」
「…わかりました」
兎にも角にも、話を聞かないことには何も分からない。なぜこの貴人がオリーヴを名乗るのか、なぜ私はここへ連れて来られたのか。
「約10年前、最初の手紙をこの子に託したのはほんの気まぐれでした」
貴人は肩に乗せた鳥を軽く撫でて続ける。
「当時の私はグランジェ公爵家の跡取りとして厳しい教育を受け、方々からの期待に応えるべく努力していました。それが貴族として生を受けた宿命だと思っていましたが、同時にまだ子どもらしく友人と楽しい時間を過ごしたいという願いも持っていました」
私の生家であるアリスタシー伯爵家も、経営が傾く前はお姉様と私にきちんとした淑女教育を受けさせていた。今思えばそこまで厳しいものではなかったけれど、当時の私たちはよく逃げ出して庭で遊んでいたものだ。
そんな私とは比べ物にならないほどの教育を、グランジュ公爵家では施されていたのだろう。
「友人と過ごす時間を捻出することはできなくても、合間の時間に手紙を書くことくらいはできました。その時の気まぐれで私はあの手紙を書き、この子に託したのです。どこかの誰かに、私という存在を見て欲しかったのかもしれません」
確か、初めの手紙には「どこかの誰かへ」と書かれていた。彼と手紙を通して話をしてくれる人なら本当に誰でもよかったのだろう。
「ミュリーから返答があった時、私はこの上なく嬉しくなりました。幼心に、大人に秘密の遊びに喜びを感じていたのです」
そこまで話した貴人は、そっと瞳を伏した。
「誰にも邪魔されることのない、楽しいやりとりが5年ほど続いた頃、僕はとある病を患ってしまいました。ベッドから起き上がることが出来なくなり、ミュリーへ手紙を出すことも難しくなってしまいました。大人たちに秘密の遊びを明かしてしまえば、2度と手紙が出せなくなるかもしれない、けれど手紙を出せないまま死んでしまうくらいなら最後に1通だけ出したい。色々なことを考えて手紙を出さないままでいるうちに、ようやく体調が安定しました。その頃にはもう、5年以上の時が過ぎていました」
彼はよほど辛い思いをしたのだろう。
それまで健康体で生活していた人間が、急にその日常を奪われることの辛さは想像に難くない。
「もっと早く、ミュリーに連絡するべきだと分かってはいました。けれど、時間が経つごとにもうミュリーは私のことを忘れているかもしれないという思いが募り、心配させて怒っているかもしれないとも思うようになりました。そう思うと行動を起こすことがどんどん怖くなっていったのです。本当に、すみませんでした」
貴人はまっすぐに頭を下げた。私は慌てて頭を上げるように言い、もう終わったことですからとも伝えた。何より、私の不安はオリーヴからの手紙で打ち消されたのだ。
「再び連絡をしようと思ったのは、私の婚約者選びが本格化した時のことです。公爵家の当主として早く身を固めろと周囲から急かされるようになりましたが、私には想い人がいました」
これはよくある話だ。平民は自由恋愛が進んできたと言いつつ、貴族はまだまだ政略結婚が大多数を占める。子の結婚が両家の繋がりを強固にするのだから当然である。
そして貴人は、スカイブルーの瞳をまっすぐ私の瞳に合わせて言った。
「ミュリー、あなたのことです」
「……えっ?」
思わず、頭の混乱がそのまま言葉に出てしまった。とてもではないが、貴人に対して発して良い言葉ではなかった。
「し、失礼いたしました。少し、動揺してしまって…」
「構いませんよ。突然の話で驚いたでしょう」
そして、微笑んだ貴人はそのまま次の衝撃発言を投下した。
「…そういう経緯で、あなたを婚約者に選んだというわけです」
「……!??!??」




