第十八話
結婚式の日取りが決まってから1ヶ月。ミラやジェスパーが手伝ってくれたおかげで、残す作業はパーティーの手配のみとなった。
会場は大聖殿の建物内にあるホールであると決まっているので、私が決めなければならないのは料理や装飾用の生花くらいだ。パーティーを開く側に立ったことがない私だけではどれから手をつけ、どう進めるのか分かりかねる。今回も使用人たちの力を借りることとなるだろう。
「ごめんなさいね、2人も忙しいのに…」
「いえ、私はミュリエル様のお手伝いをさせていただけることをとても嬉しく思っておりますわ。きっと、公爵邸に来られたばかりのミュリエル様でしたら、私たちに頼ることはなさらなかったでしょうから」
ミラは優しく微笑んで、ジェスパーさんもそう思っておられますよね? と振り返って聞いた。
「えぇ、もちろんでございますよ。ご主人様がお生まれになる前からお仕えしていた私といたしましては、あれほどまでに小さかったご主人様がご結婚なさるのですから、その幸せのお手伝いが出来る事がこの上ない幸せにございます」
ジャスパーの表情は、まるで実の孫を思うようなものだった。彼はもう引退をして、余生をゆったりと過ごしていてもよい年齢。そんな彼が今でもこうしてオリヴィエ様の隣で動いているのは、彼自身の忠誠心とオリヴィエ様の希望によるものなのだろう。
談笑もそこそこに、私たちは手配を始めた。厨房への指示書作りや生花の配置計画書作り等々。私にとっては慣れない作業ばかりで手間取ったけれど、2人のサポートのおかげでなんとか終わらせることができそうだ。
「…オリヴィエ様はこのようなお仕事を毎日こなしておられるのよね」
ひとりごと程度の小さな呟きだったが、隣にいたジャスパーの耳にはしっかりと届いたようだ。
彼は少し眉尻を下げ、遠い目をして言う。
「ご主人様がご両親を亡くされたのはまだ10歳の頃でしたから、その時からずっと、当主としてのお仕事を担っておられます。もちろん私たち使用人も出来る限りのお手伝いはさせていただいておりましたが、年端もいかぬご主人様にはお辛いお役目だったと思います」
まだ次期当主としての教育を受けている途中での出来事だったのだろう。結果、その教育と実践が同時に行われたのかもしれない。そう考えてみると、オリヴィエ様と私の文通が始まった時期とも合致する。彼は次々に変わる環境になんとか適応しようと必死で、生活のどこかに心のゆとりを求めたのだろうか。
「そう…」
私は斜陽伯爵家で育ち、貴族家の重責のようなものとはほぼ無縁で生きてきた。私は跡取りではなかったし、厳しい教育を受けた記憶はない。そんな私と行っていた文通は、オリヴィエ様の心を安らげることができていただろうか?
「ミュリエル様とのご婚約が決まってからのご主人様は、今まで以上に笑顔が増え、生き生きとしておられます。私どもといたしましても、この素晴らしきご縁に感謝するばかりでございますよ」
私の不安をかき消すかのように、ジャスパーはほほっと笑った。
オリヴィエ様を1番近くで支える彼がそういうのであれば、私が余計な心配をする必要はないのだろう。
「さて、こちらで作業もあらかた終了でございますね。ミラ、ミュリエル様に新しいお茶を」
「はい」
ミラが淹れてくれたダージリンはとても温かく、私の心まで落ち着けてくれるようだった。
その日以降の私は、ひたすらに結婚式に向けた練習を行う日々を送った。大聖堂で行われる結婚式とパーティーにおいて、私が何か失態を犯せばそれは一生の傷になる。私のためにも、公爵家のためにも、この練習は必要なのだ。
「ミュリエル様、目線が下がっておいでです。足元は見過ぎず、もう少し頭を上げてくださいませ」
「歩幅は旦那様が合わせてくださいます。ミュリエル様が無理のないように調節してください」
ただまっすぐに歩くだけでも、こんなに注意される点がある。私は幼少期の淑女教育をもう少し真面目に受けておけば良かったと心底後悔した。成人してからそれまでの癖を治すのはとても難しいことだから。
「まだ当日までは時間がございます。日々の生活から意識してみると早く身につけることが出来るかもしれませんわ」
教育係の先生は、私の体の負担を考えて今日のレッスンを終わらせた。私はレッスンに使っている部屋の椅子に腰掛け、窓から庭園を眺める。
公爵邸に来たばかりの頃の庭園は草木が丁寧に整えられているものの、彩りというものはほとんど存在しないどこか寂しげな場所だった。けれど、今では色とりどりの花が育てられ、眺めているだけで随分と楽しい場所になった。庭師たちが私のために丹精込めて世話してくれているそうだ。
視線を庭園の端へ滑らせると、薄い紫色の小さな花が植えられているのに気がついた。私はもしや、と思い、部屋を出て庭園へ降りた。
「やっぱりそうだわ」
近づいてみてよく観ると、それはすみれの花だった。もう季節は終わったはずだが、どうしてだろうか。
疑問に思いつつしばらく眺めていると、近くを庭師の1人が通りかかった。
「お仕事中にごめんなさい。少し聞きたいことがあるのだけれど」
「…は、はいっ!」
まだ若く、私と同じか少し上くらいの歳にしかなっていないであろう庭師の彼は、私のすぐ後ろに控えていたミラの様子を少し伺ってから答えた。おそらく、直接私と話しても良いものか判断に困ったのだろう。
「もうすみれの時期は終わったと思うのだけれど、どうしてここに咲いているのかしら?」
「え、あ…そのすみれは少し特殊な品種で、かなり長い期間花を咲かせるのです。ご主人様の指示で植えられたと聞いております」
そうだったのね、忙しい中引き止めてごめんなさい、と答えた私にぺこりとお辞儀をして元の仕事に戻っていった彼を横目に、ミラがぽつりとこぼす。
「ご主人様は庭園の花にご興味がおありでないご様子でしたのに…」
「あら、そうなの?」
「はい、ミュリエル様もここへお越しになったばかりの頃にご覧になったと思いますが、元々この庭園にはほとんど花が咲いておりませんでした。それはひとえに、ご主人様が不要と判断されたからなのです。ですが、2ヶ月ほど前に、ミュリエル様がご覧になって楽しめるものにするようにとご指示があったと聞いております」
つまりは、オリヴィエ様が急に庭園に花を植えるよう指示をなさったということか。このすみれもその一環なのだろうか。
「ミュリエル様がお越しになってから、公爵邸全体が明るくなったように感じます。やはり、お屋敷には女主人がおられないといけませんね」
ミラは公爵邸の建物を振り返って言った。これまでここで過ごしてきた彼女がそう言うのであれば、その通りなのだろう。私が公爵邸に何かの影響を与えた覚えはないけれど。
「そうだわ。できればこの庭園のことをオリヴィエ様にお話ししたいわね。ミラ、今日の晩餐をご一緒できないか聞いてもらえる?」
「はい、かしこまりました」
この庭園が整えられたのが本当に私のためなのかは分からないけれど、このすみれのおかげでレッスンを今まで以上に頑張ろうと思えたのは事実。その感謝を伝えるべきはオリヴィエ様だろう。
数時間後、ミラから私にオリヴィエ様からの言伝が伝えられた。本日の晩餐はご一緒できそうです、と。




