第十五話
しかし、そんな私たちのもとに使用人が声をかけに来た。
「ご歓談中失礼致します。グランジュ公爵家、ディルヴァーン侯爵家からお迎えが到着致しました」
どうやら私たちは盛り上がり過ぎたようだ。ガゼボに差し込んでいた日差しは角度を変え、もうしばらくすれば日が沈んでしまうかというところまで来ていた。あまり遅くまで滞在するとオリヴィエ様にもご心配をおかけしてしまうことになるので、そろそろこの楽しい会にも別れを告げなければならない。
「あら、残念ねぇ。まだまだ話したいことはたくさんあるというのに… ミュリエルちゃんさえよければ、もう少し残っていってもいいのよ。そうだわ、晩餐を食べて帰れば良いのではなくって?」
どうにも話し足りないご様子の王妃様だが、王族の方々と晩餐を共にするなど滅相もない。心臓が爆発して死んでしまいかねない。
「いえ、私は…」
丁重にお断りしようとしていたところ、私の背後から聞き馴染みのある声が聞こえた。
「ローズマリー様、そろそろミュリーを返してくださいね」
「…オリヴィエ様!」
振り向いた先にいたのは、薄い緑の瞳の彼だった。
今日は1日、公爵邸でお仕事だったはずだ。どうして王城におられるのだろうか?
そんな私の疑問は、王妃様によって解決された。
「オリヴィエ、久しぶりね。どうしてあなたがここに?」
「ちょうど仕事がひと段落したので、彼女を迎えに参っただけですよ」
オリヴィエ様はにっこりと微笑んで、私の手を取った。
その様子を見て、王妃様は少々不満げなご様子。
「そう。それにしても、返してだなんて言い過ぎではないかしら? ミュリエルちゃんはあなたのものではなくってよ」
「いいえ、ミュリーは私の大切な人です。ローズマリー様がどうしてもとおっしゃるのでお貸ししていただけに過ぎませんよ」
王妃様に対して不敬な物言いなのでは!? という私の心配とは裏腹に、王妃様の表情は明るい。まるで大輪の薔薇が開花したようだ。
「あらぁ、そうなのね。いいわ、仲良しな2人のお邪魔をするわけにはいかないもの! ロレッタちゃん、あなたは晩餐を食べて帰るでしょう?」
「はい、ローズ様」
どうやら、普段は見られないオリヴィエ様の表情を見ることができたので、満足なさったようだ。そっとオリヴィエ様の顔を伺うと、反対に私の顔を覗き込まれ、どうしましたか? という表情をされた。思ったよりも顔が近くて、反射的に距離を取ってしまう。
「ミュリエルちゃん、また近いうちに遊びにいらして? 今日のお話の続きをしたいわ」
「ありがとうございます」
私とオリヴィエ様は王妃様とロレッタ様にご挨拶をして帰路についた。
日が沈みかけている王都内を走る馬車の中で、私はオリヴィエ様に感謝の意を伝える。
「オリヴィエ様、わざわざお迎えに来てくださってありがとうございます」
「いえ、お礼を言われるほどのことではありませんよ。そろそろミュリーも疲れてくる頃だろうと思っていましたし、ローズマリー様にミュリーと揃って顔をお見せするのも恩返しの1つになるかと思いましたしね」
これは王妃様からお聞きした話だが、幼い頃にご両親を亡くされたオリヴィエ様には、2人の育ての母がおられるそうだ。
1人は王妃様。高位貴族としての振る舞いを教え、優しく、時に厳しくオリヴィエ様への教育を行われた方。
もう1人はライラ・オフェレット伯爵夫人。オリヴィエ様のお父様の妹君で、叔母にあたるお方だそうだ。普段はオフェレット伯爵領におられるけれど、時折オリヴィエ様の様子を見に王都までお越しになっているようだ。オフェレット伯爵家には私と同じ歳くらいのご子息がおられるそうで、彼とオリヴィエ様は実の兄弟のような関係なのだとか。最近はお忙しいのかあまりお見えになっていないようだけれど、きっと私もいつかご挨拶をする時が来ることだろう。
そんなわけで、オリヴィエ様はこのお2人をとても大切に扱っておられる。先ほどの王妃様への言動も、親しく、母のように慕っているからこそのものなのだろう。
「そうですね。私も、王妃様にはとてもよくしていただきました」
「ミュリーが楽しめたのなら良かったです。息抜き、にはならなかったかもしれませんが…」
確かに今日は緊張をしていたので息抜きとは言えなかったけれど、想像していたよりもずっと王妃様とロレッタ様とは楽しくお話ができたと思う。最近は淑女としての振る舞いを意識し過ぎずとも適切に行動できるようになってきたというのも大きな要因かもしれない。
「オリヴィエ様は、お仕事を終えられてそのままお越しになったのですか? お疲れだったのではありませんか?」
「これくらいは全く問題ありませんよ。最近はかなり落ち着いていますから、余裕もあるのです」
「それならよろしいのですが、私のためにお体に障るようなことはなさらないでくださいね」
オリヴィエ様を支えるべき存在である私が、彼のお荷物になっているようではお話にならない。私を気遣ってくださるのはとても嬉しくありがたいことだけれど、まずは多忙なご自身の体を大切に労ってほしい。
私の言葉に、オリヴィエ様は少し戸惑い、考えを巡らせた。
「…ミュリーには敵いませんね。分かりました、気をつけることにしますよ」
グランジュ公爵邸へ到着し、晩餐をいただいた後、何やらお話があるとのことでサロンへ呼び出された。オリヴィエ様が私をサロンに呼ぶのは珍しいことではないけれど、いつも私が外出した日は早く休むようにおっしゃることが多い。何か大切なお話なのだろうか。
私は不思議に思いながらも、言伝の通りにサロンへ降りた。
いつもと変わらずソファに腰掛けておられるオリヴィエ様の対面へ座ろうとしたけれど、すぐ隣に座るように言われてしまった。今日は王妃様たちとオリヴィエ様の話で盛り上がって来たところなので、近くに寄るのは少々気恥ずかしいのだが。
「お疲れのところ呼び出してしまい申し訳ないです。どうしても、ミュリーには早く伝えておきたいと思いましてね」
オリヴィエ様は早速本題に入られたようで、手に持った書筒を私に手渡された。
「開けても構いませんか?」
「はい、どうぞ」
何やら豪奢なその書筒をおそるおそる開くと、中から出てきた書には王家の印が。
「こ、国王陛下からの書ではありませんか! このようなものをどうして私に…?」
この国の主たる国王陛下から各貴族へ送られる印付きの書は、容易には人の目に触れない形で保管されることが求められる。なぜなら、それほどまでに重要な書類にしかこの印は押されないからだ。
そのようなものを私に渡してきたオリヴィエ様の真意はわかりかねる。
「内容を確認してください。ミュリーにも関係のあることですから」
オリヴィエ様は促すように笑って、私が内容を確かめるのを待った。
何やら難しく、仰々しい言葉で綴られているけれど、平易に表現すればオリヴィエ様と私の結婚式を執り行う日程や会場についての内容だった。
「ようやく詳細が決められました。式は半年後、王都の大聖殿で行います」
「大聖殿…ってあの大聖殿ですか!?」
この国を守ってくださっているとされている女神様がおられる、王都の大聖殿。普段は貴平問わず礼拝を行うことができるよう開かれている場所だが、結婚式を行うことができるのは王族のみと限られている。王都の大聖殿が女神様に最も近い場所であるゆえに。そのような場所で私たちの結婚式が行われるなど、本来ならありえないことなのだ。
「そうです。色々と事情はありますが、やはり私に王家の血が流れていることが1番大きな理由です。それに、私にはその意思が全くありませんが、王位継承権を持つ人間でもあります。権威のある場所で式を行わなければ、周りに示しがつかないという王家からの指示ですね」
オリヴィエ様がそのような地位におられることは当然理解していたけれど、改めて本人からはっきり言われると、私はとんでもないお方の婚約者になったのだと実感する。
私には王家の政治的意図やオリヴィエ様の詳しい事情を全て察することはできないけれど、きっと、大聖殿でなかったとしても参列者の数はそう変わらなかっただろう。私が大勢の前に立たなければならなかった事実は変わらない。となれば私はもう特に思うところはない。
「…分かりました。半年後ですか、早く準備を進める必要がありますね」
「ミュリーには負担をかけることになります。できる限り、使用人たちに手伝ってもらってください。私も進められるところは進めておきます」
「はい、ありがとうございます」
婚約から3ヶ月と少し。異例の早さで決まった式まで、あと半年。
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いよいよ物語は大きく動き始めることとなります。今後ともよろしくお願いします!




