第十話
会場へ入ってからしばらく経ち、私たちへ向けられる視線の数はかなり減った。それでも全くなくなったとは言えないのがさすがというべきなのだが。
「ミュリー、疲れてはいませんか?」
「はい、今のところは全く問題ありませんわ。何せ、まだここから動いてすらいませんし…」
私とオリヴィエ様は、最初にロレッタ様に勧められた席から移動していない。勧めた当の本人は他の方々への挨拶へ離れられたけれど。
本来なら、今後のために積極的に社交に勤しむべきなのだけれど、あまりオリヴィエ様のそばから離れないように言われている以上、私一人で女性の方に声をかけに行くのも難しい。
そんなわけで、久しぶりのパーティーは比較的穏やかに進んでいる。
「グランジュ公爵家としては、そこまで社交を重要視していません。父も母も早くに亡くなって、私も病に倒れて。しばらく社交をしていませんでしたが、特に支障はありませんでしたからね」
オリヴィエ様は、けれど… と続ける。
「ミュリーが頑張ろうとしてくれていることは理解しているつもりです。ですから、応援と協力は惜しみません」
あくまで私が気負わないようにしつつ、尊重もしてくれる。あまりにも温かい言葉。
こうして言葉をかけてくださるから、私もその期待に応えたいと思うことができる。
「ありがとうございます。お役に立てるよう、少しずつ頑張りますわ」
私の言葉に、オリヴィエ様は微笑んでくれた。
今日の私はオリヴィエ様に相応しい淑女で居られているだろうか。
「グランジュ公爵、お久しゅうございます。お隣のレディーが、噂の婚約者様ですか?」
「あぁ、伯爵殿、久方ぶりですね。こちら、婚約者のミュリエル・アリスタシー伯爵令嬢です」
唐突にオリヴィエ様に声をかけてきたおじさま。恰幅がよく、どこか有力な貴族家の方だということは一目で分かった。
オリヴィエ様が私のことを紹介してくださったので、私も淑女の礼をしつつ名乗った。
「お初にお目にかかります、ミュリエル・アリスタシーと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
自分で言うのも何だが、練習と場数のおかげでなかなか板についてきたのではないだろうか。
伯爵様は私の挨拶を受けてにっこりと笑い、礼をした。
「これはこれは、ご丁寧にどうも。私はニコフ伯爵家当主、コンラートと申します。あのグランジュ公爵が婚約をなさったとお聞きしまして、お相手がどのような方なのか気になっておりましてね」
ロレッタ様によると、現在の社交界は私たちの話で持ちきりとのこと。今日の注目度合いから察するに、それはあながち誇張されたものでもないのだろう。
ある意味、私の品定めが行われているのだから、一人一人に対して丁寧に応対しなければならない。
伯爵様の言葉にどう返そうか悩んでいたところ、オリヴィエ様が自然に助け舟を出してくれた。
「周囲の皆さんが気にされるのは理解できますよ。彼女のことは今まで表に出してきませんでしたからね」
「ほう、それはまたどうしてですかな?」
オリヴィエ様は少しいたづらに笑ってから私の顔色を伺い、すぐに伯爵へ向き直って言った。
「彼女は私の大切な人なのです。守るのは当然のことでしょう」
一瞬、周囲の音がなくなったかのように感じた。私も、伯爵様も、言葉を失ったかのように黙ってしまったからだ。
幸い、先に動き出したのは私だった。この1ヶ月と少しの間に、オリヴィエ様から飛び出す言葉の数々に耐性がついてきたのかもしれない。
「まぁ、公爵様。皆様の前でそのようなことをおっしゃるだなんて、少し照れてしまいますわ」
動揺を表に出さず、上手く言葉の後ろに隠すことができただろうか。
伯爵は私の言葉に反応して復帰し、それはそれは… と少しばかり気不味そうだ。
「オリヴィエ様、何もあそこまで言わなくても良かったのではないですか?」
伯爵が離れて行った後、私はこそっとオリヴィエ様へ耳打ちした。周囲からは人がいなくなったので、こんなにもこそこそ話をする必要はないのだけれど、内容が内容なので気を使う。
「あそこまで、とは、何の話でしょうか?」
「何の話って、守ると仰ったではないですか。あれでは周りに威嚇しているのと同じですわ」
オリヴィエ様の言葉は、一見して私への愛情を表現しているように聞こえる。しかし、あのトーンは間違いなく、周りへの牽制だった。周囲の人間が私に何をするか分からないので、守るために表に出してきませんでした、と言っているようなものだ。
それが間違っているとは思わないけれど。
「大丈夫ですよ。あれくらい言っておいた方が、余計な外野からの口出しが減りますから」
「そう、ですか…」
私としては、嫉妬などを原因として絡まれるリスクを下げられたのでここのところは良しとする。
「なんて、ヴィーったら格好つけちゃって」
「…アル!」
背後から聞き覚えのある声がして振り返ると、そこには第1王子殿下がおられた。
「第1王子殿下、ご機嫌麗しゅう」
「あぁ、アリスタシー嬢、ご機嫌よう。パーティーは楽しんでいるかな?」
相変わらず、気さくにお話をしてくださる方だ。少々心臓に悪いが。
「はい、とても楽しんでおります」
「それは良かったよ。ヴィーとも仲良くやっているようで一安心だ」
仲良く、仲良く…?
殿下の前でオリヴィエ様とは特に会話をしていないけれど、どこをどう解釈してそう思われたのだろうか。
ぐるぐると頭を回し、すぐに気がついた。
ドレスだわ!!
自分のドレスが持つ意味を思い出し再認識すると一気に顔が熱くなった。
けれど、それは承知の上だったはずだ。今更気にしても仕方がないこと。
「心配しなくても、ミュリーとはずっと仲が良い。と思います…」
「どうしてそこで自信を無くされるのですか。オリヴィエ様とはつつがなく楽しい時間を過ごせていますよ」
オリヴィエ様と私の会話に、どうしてか殿下が笑いを堪えたような表情をなさる。
「殿下、どうかなさいましたか?」
「…ふっ、いや、何でもないんだ、何でも。…すまないね、邪魔をしたよ。また後で話そう」
殿下は足早に会場の中心部へと消えていかれた。
まるで嵐のようだった、という感想を抱かざるを得ない。
「いつもいつも、急に現れるんですから…」
オリヴィエ様は不満げながらも、やはり嬉しそうだ。
幼少期から親しく関わってこられた殿下と気を張らずに会話をすることで、公爵という重責を一瞬だけ忘れることができるのかもしれない。
「ふふっ、私は殿下とお話しされているオリヴィエ様が好きですよ。何だか少し、少年のような一面を見ることができますからね」
私よりも年上で、ずっとしっかりとしているオリヴィエ様に少年のようと言うのは失礼かもしれないけれど、微笑ましいと思うのは事実なので許してほしい。
私にとってオリーヴが心置きなく話せる友人であるのと同じように、オリヴィエ様にとって殿下が大切な友人であることは、まだ関わりの少ない私にでも分かる。烏滸がましいけれど、ずっとずっと、その友情を大切にして欲しいと願ってしまう。




