第35話 ー 嘘と真実の狭間で
「言葉が真実を隠す時、心はどちらを信じるのか。」
午後、ノゾミは朝食を終え、退院の準備を整えていた。
病院の手続きは済み、費用はすべてシンジが支払っていた。
彼女はただ、父の迎えを待つだけだった。
外に出て、病院の前で立ち止まる。
父が来るのを待ちながら、ノゾミは携帯を手に取り、通話を装った。
シンジと話すのを避けるために。
しかし、数分後——
彼は車から降り、まっすぐノゾミの方へ歩いてきた。
彼女の隣に立ち、時折視線を向ける。
ノゾミは仕方なく、通話が繋がらなかったふりをして口を開いた。
「黒沢シンジさん、お待たせしてすみません。
母に連絡しようとしたんですが、忙しいみたいで…」
シンジはその言葉を信じるふりをしながらも、目には疑念が浮かんでいた。
「大丈夫だよ、ノゾミ。
それより、君のお父さんに連絡できなくてね。
迎えは不要だと伝えられなかった。
だから…僕たちの家に帰らないか？」
「僕たちの家」——その言葉に、ノゾミは一歩後ずさる。
母から聞いた話と食い違っていた。
心の中で問いが渦巻く。
「私は一人暮らしじゃなかったの？
いつ結婚して、この人と暮らすようになったの？」
記憶は曖昧で、思考は混乱する。
答えを探そうとする間に、シンジは眉をわずかに吊り上げ、彼女を見つめ続けた。
その時、一台の車が近くに停まる。
降りてきたのはノゾミの父、武志。
白髪交じりの中年で、年齢を感じさせながらも体格はしっかりしていた。
シンジは彼の姿を見ると、ノゾミに向かって言った。
「また連絡するよ。」
そう言って手を振り、義父に軽く会釈をして自分の車へ戻っていった。
直接顔を合わせることを避けるように。
ノゾミはその様子を見つめる。
病院での態度とは違う、奇妙な距離感を感じた。
武志は険しい表情を浮かべながら、娘に駆け寄る。
そして強く抱きしめ、涙をこぼした。
「ノゾミ…生きていてくれて本当に良かった。
その傷跡を見ていると胸が痛む。
全部、あの男のせいだ。
私は最初から彼を信用していなかった。
君が離婚を望んでいると聞いて、安心したよ。」
ノゾミは父の温もりに安堵しながらも、その言葉に心を揺さぶられる。
離婚——？
彼女はそんな記憶を持っていなかった。
「どういうこと…？
彼が言っていたことは全部嘘だったの？
私が受け取ったメッセージは…なぜあんなに本物に感じられたの？」
