第27話 — 忘れた記憶が拒絶する手
ノゾミは、ついに夢から目覚める。
まぶたがゆっくりと開き、ぼやけた視界が少しずつ形を取り始める。
そこは病院のベッドの上。
周囲には医師たちが集まり、彼女の意識回復に喜びを見せていた。
ノゾミは状況を理解しようとするが、思考が定まらない。
言葉を紡ぐのも難しく、かすれた声で問いかける。
「ここは…? 何が…起きてるの?」
医師たちは驚きながらも冷静さを保ち、一人が優しく話しかける。
「お名前は覚えていますか?
ここに来る前のこと、何か思い出せますか?」
ノゾミは必死に記憶を探る。
頭の中は霧がかかったように曖昧で、思い出そうとすると頭痛が走る。
額に手を当て、苦しそうな表情を浮かべながら答える。
「はっきりとは…思い出せません。
断片的に何かが浮かぶだけで…
名前は…水野ノゾミです。
どうしてここにいるんですか?」
医師は頷き、説明を続ける。
「そうですか…
頭部に強い衝撃を受けた可能性があります。
落ち着いてください。
あなたの状態は非常に深刻でした。
まず、ご家族に連絡を取りたいのですが、心当たりはありますか?」
ノゾミは再び記憶を探るが、誰の顔も浮かばない。
ただ、誰かが自分を心配している気がする。
その感覚だけが胸を締めつける。
「…いません。
両親は遠くに住んでいて…心配させたくないです。」
医師は静かに頷き、他の医師と共に部屋を出て、廊下で話し合う。
ノゾミはベッドに横たわりながら、周囲を見渡す。
腕には点滴、横には血液バッグが吊るされている。
彼女は夢の中で見たユノのことを思い出す。
あれは本当に夢だったのか?
見せられた記憶は現実だったのか?
医師たちに話すわけにもいかず、心の中で問い続ける。
数分後、医師たちが戻ってきて、先ほどの医師が再び話しかける。
「話し合った結果、明日まで経過を観察し、退院について再度判断します。
落ち着いてください。
現在、あなたのご主人が病院費用を負担しており、状況を把握しています。
事故の内容ですが…
あなたは車の事故に遭いました。
側面衝突で、助手席にいたあなたが意識を失いました。
運転していたご主人、黒沢シンジさんは無傷でした。
彼の証言によれば、奇跡的に命が助かったそうです。」
ノゾミは、その名前を聞いた瞬間、血の気が引くのを感じた。
顔も思い出せないのに、名前だけで胸がざわつく。
何をされたのかも分からないのに、ただ“危険”だと感じる。
その時、部屋の外で会話を聞いていたシンジが入ってくる。
目を見開き、駆け寄ってくる。
涙をこらえながら、ノゾミの手を取ろうとする。
ノゾミは反射的に手を引く。
その触れようとする動きに、強い拒絶反応が走る。
理由は分からない。
でも、触れられてはいけないと、身体が告げていた。
医師はその様子を見て、シンジの肩に手を置き、静かに話す。
「黒沢シンジさん、彼女は事故によって記憶の一部を失っています。
過去を思い出せない可能性もあります。
時間が必要です。
どうか、焦らずに。」
シンジは唇を噛み、深く息を吐く。
顔を手で覆い、涙を隠すようにして、かすれた声で呟く。
そして、ノゾミに向き直り、優しく語りかける。
「ノゾミ…心配しないで。
思い出せなくても、僕はここにいる。
僕は君の夫だ。
僕たちは…とても愛し合っていたんだ。」




