第26話 ー 闇に触れた記憶
「忘れた記憶は、心の奥でまだ泣いている。」
再び、景色が歪み始める。
次の記憶が姿を現そうとしていた。
ユノはノゾミに向かって静かに告げる。
「これから、あなたに何が起きたのかを見せる。
過去を受け止める覚悟を持ちなさい。」
気づけば、二人はあるアパートの室内にいた。
ノゾミは椅子に縛られ、手首が拘束されている。
目の前には、顔がぼやけた男が立っていて、怒鳴り声を上げていた。
その光景は現実とは思えないほど異様だった。
男はノゾミの首を掴み、彼女の顔は前に垂れ下がり、表情は消えていた。
ノゾミは思う。
「私は…もう死んでいるのかもしれない。」
そして、ユノは“死の番人”なのではないかと考え始める。
胸が締めつけられるような感覚に襲われる。
その時、記憶の中のノゾミの前に、誰かが膝をついている姿が見える。
その存在はほとんど見えないが、時折“感じる”ことができる。
誰なのかは分からない。
でも、どこか懐かしい。
その気配に、ノゾミの心臓は高鳴る。
突然、男がノゾミの顔を平手で叩き、彼女は意識を取り戻す。
そしてまた、怒鳴り声、罵倒、問い詰めが繰り返される。
忘れていたはずの記憶が、容赦なく心をえぐっていく。
次の瞬間、男が拳を振り上げ、ノゾミの顔に強く打ちつける。
彼女は床に倒れ、男はその場を離れる。
ノゾミは急いで拘束を解き、アパートから逃げ出す。
場面が高速で切り替わる。
今度は、静かな通りの前に立っている。
記憶の中のノゾミが、建物からよろめきながら出てくる。
顔には痣、手首と口元には血が滲んでいる。
足元がふらつき、立っているのがやっとだった。
彼女が建物の外に出た瞬間、背後から男が叫びながら追いかけてくる。
そして、避けられない運命が訪れる。
ノゾミは歩道で足を滑らせ、転倒する。
その瞬間、猛スピードで車が近づいてくる。
止まる気配はない。
彼女は支えもなく、車に跳ねられ、地面に顔を伏せて倒れる。
意識はすでに失われていた。
男は恐怖に駆られ、その場から逃げ去る。
車は急ブレーキをかけてスリップし、止まる。
そして、誰かがノゾミに駆け寄る。
それは、アパートで見えた“気配”の人物だった。
彼は泣きながら、ノゾミの体を抱きしめていた。
ノゾミは、自分自身とその人物に対して、深い悲しみを感じる。
涙が頬を伝い、ユノに問いかける。
「この“気配”の人は誰なの?
知っている気がするのに、顔も名前も思い出せない。
すごく大切な人だった気がするのに…。」
ユノは背を向けたまま、低く、抑えた声で答える。
「それは、あなた自身が見つけるべき答え。
記憶も思い出もない今、頼れるのは自分の心だけ。
“愛する人”を見つけることができた時、
ここで失ったものを取り戻すことができる。」
ノゾミは、胸の奥を誰かに掴まれたような感覚に襲われる。
その“気配”を見つめると、身体が温かくなる。
でも、理由は分からない。
心も頭も空っぽで、ただ揺れていた。
霧が立ち込め、景色は消えていく。
再び、闇がすべてを包み込む。
ユノはノゾミの方を振り返り、最後の言葉を告げる。
「時が来た。
あなたは、見るべきものを見た。
感じるべきものを感じた。
そして、失うべきものを失った。
このことを忘れないで。
記憶を取り戻すチャンスは、必ず訪れる。
でも、“愛する人”を認識できなければ——
二度と彼に会うことはできない。」




