33 魔王はそこに訪れる(4)
本物が来る。
どうぞ。
光量が下がると、濃い色はどれも同じく見えるようになる。深海魚が赤いのは、海水を通って青のベクトルを帯びた光の中では、赤がもっとも見えにくい色だからである。
ガサガサ、と急に樹上に何かが起きた。「BPB」の末端メンバーたちは、ギルドマスターである「ディリード」の指示通り、遠距離攻撃の構えをとった。投光器の代わりに、〈魔術師〉たちが灯りを用意――できなかった。
「は……」「へ?」「わ」「いるぞ!!」
木の幹を走って降りた何者かが、途中から跳躍した。本来斬撃のあるべき軌道ではなく、首を狩るという結果だけを発生させた……特技を使ったのだろう。では、刀を振るって空中を抜けたはずの赤いものは、いったいどこへ行ったのか。否、あれは本当に赤かったのか。それさえ不明なまま、雲に隠れた月を待つ。
しかし、月の代わりに白刃がかれらを照らした。ごくわずかに雲の切れ目から漏れた星明りが、鏡のような刀身に映る。それを視認できるほどの、極限の思考の加速が、しかし体の動きにつながらない。
「……あ」
冗談でとんと打たれたかのような軽い衝撃が、いくつか感じられた。
首がそちらを向いた瞬間、見えたのは赤だった。豪奢で鮮やかな赤が、ようやく本人の速度に追い付いてふわりと落ち着く。
「彼岸、花……」
死亡アナウンスが画面に出て、視界は閉ざされた。
一方そのころ、「水銀同盟」ギルドホーム付近。
「そろそろ時間だぞ。……お、なんか出てきた」
「顔隠しと白バニー、あと赤いのは……なんでしょうね」
「わからんなあ。寝返りでもなさそうだ」
「うお、投げた! マジか、あんなことするんすね」
時間が来た。
「おっし、お前ら! ここでいいとこ見せとけば、この後やりやすくなるぞ」
『■◆■■』
やさしげな笑顔の、ギリシャ神話風の装束に身を包んだ少女。豊満な体型と愛らしい美貌は、何か危うげなものを溶かし込んでいるように感じられる。
『あれ【狂妄】だな? 亀裂どこだ』
『っス、足元っス! あと首元にもありまスね』
見れば、右の太ももから足首にかけて縦に亀裂がある。首元のものは視認できなかったが、どちらにせよ【狂妄】であることは確かだ。
「んじゃあ、行くか」
「っス……」
ざぁあああっ、と矢が殺到した。炎や氷が恐るべき勢いで降り注ぎ、すさまじい爆発音が残響なく雨のように空間を満たす。爆炎が晴れると、そこには真っ黒い塊があった。
「た、炭化……?」
「するわけないだろ。この音、鎖だ!」
じゃらりと開いた黒いものは、ふたりの人物がそれぞれ出した鎖だった。そして、その二人は。
「メインターゲットだ。気ィ入れろ!!」
「「「応!!」」」
言葉を待たずに、手枷足枷をつけたギリシャ風の少女は突進してきた。
「ばボッ」
盾を掲げようとした男の体が、腰のところでぐにゃりと折れ曲がり、盾を胴体にめり込ませて斜め上に吹き飛んだ。殺害でも損壊でもない、破壊あるいは災禍といった言葉……人の起こせるそれらは当てはまらない。もしくは、飛行機事故の痕跡を見たものがあれば、すこし似ていると感じたのやもしれぬ。
蹂躙、ではない。重機がマッハの壁を突破して飛び込んできたかのような、筆舌に尽くしがたい光景であった。まだかれらに思考が残っていれば、「配信に広告付けられないだろうな」などと考えられた可能性もあろうが……残念ながら、神話に語られる「パニック」の語源のごとく、恐慌状態で逃げ惑うものに理性は残されていない。
「なんだあれ!? 最初から解でも使ってるのか!」
『■■』
サムズアップする少女は、きっと「正解」と言っていたのだろう。突きが、蹴りが、そこから伸びた鎖が、人のかたちを崩していく。やみくもに突っ込んで消し飛ぶか、逃げて切り刻まれるか……降伏の意を示してログアウト、あるいはホームに撤退するか。
人は、ひとつ増えた選択肢に飛びついていった。
◇
『ってことがあってねぇ』
「あちらとの協議は終わりましたぞー。あたしたち「水銀同盟」と組むところも出てきました。ひとまずは解決ですな」
私は百人も倒していないけど、唯一リーダーを倒したとか、どうやっても勝てないとかのうわさが広がりに広がったせいか、二つ名がついてしまった。
「なんなの、「ラフィン・ジョーカー」って……」
「わたくしは「彼岸花」と」
現実で二つ名がついている人なんて見たことがないから、どういう感じで呼ばれるのか、ぜんぜん想像がつかない。現実での私は、動画サイトに高校総体のときの映像でちょっと映っている程度、その晴れ舞台の映像でさえ「この人の名前分かりますか?」なんてコメントされるくらいの無名人だ。
有名になって嬉しい気がしなくもないけど、なんだか微妙だった。
『災害のように軍勢を蹴散らすあの鬼畜が、単独行動を命じるほどの猛者! だってさぁ』
「物は言いようのアルティメットフォームだね……」
パーティーで戦うのに向いてないから、一人で暴れさせただけだ。バフもちゃんとあるから、きちんと全部使った方が強いのかもしれないけど、ボールはちょっと邪魔かもしれない。まだまだレベルアップできる、と確信して、私はちょっと嬉しくなった。
「……あれ? なんかコールが」
「なんのコールでしょうか」
[玉華苑に 魔王虫「サイオウクワガタ」(零等級) が訪れました!
浸食率:82%]
「魔王虫!? ほんとに来た!」
「事前に止めるべきでしたなー、〈レイニーチェリー〉を植えたでしょう」
「え、うん」
『や、やっちゃったねぇ……被害状況は?』
浸食率が八割超えと伝えると『あかぁん!』とアンナが叫んだ。
『ギルドホームは実体化解いたから、これで大丈夫。ヘルプ行くよ!』
「いいの?」
「種類はなんでしょう、クワガタ? カマキリ、それともバッタでしょうか」
「サイオウクワガタって書いてあるよ」
とっこはアンナと顔を見合わせた。
『……みんな、来てくれる?』
「問題ありません」「いいけど」
相当マズいことになっているようだった。