【BL】とある村の少年と、とある国の王子さまのお話
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他の村は知らんけど、俺の村は極稀に変わり者がやってくる。
決して悪人とか怪しい奴じゃあ……いや、別の意味で怪し過ぎるんだけど。だけど村で悪さをするわけでもなく、そいつらはしばらく滞在した後村を去っていた。
ちなみにその変わり者たちは二通りある。
妙にすっきりした奴と、意気消沈してる奴。
前者は「念願の国外追放ー!自由の身ー!」なんて叫ぶ奴もいる。国外追放って何やらかしたんだよ? お前と思うがどうみても悪そうな人間に見えない。寧ろ善人。むちゃくちゃ善人。
例えばかなり前に来たやけに綺麗なお姉さんは、謂れのない罪をかぶせられ王子に婚約破棄された上、国外追放されたらしい。にも関わらずお姉さんは清々しい笑みを浮かべていた。
「あんなバカ王子の尻ぬぐいに疲れちゃったもん! これからはハッピーライフを送るわ!」
そして滞在中お姉さんはそろばんという計算に役立つ道具を作って村のみんなに使い方を教えてくれた。宿のおっちゃんや食堂のおばちゃんは特に喜んでいた。
それから三か月後。お姉さんは村を去って行った。
誰一人、お姉さんを引き留める者はいなかった。ずっと前からそうしてきた。彼らは何か大きな事を必ず成し遂げる人間であって、こんなちっぽけな村で生涯を終えるような人間ではない、と。
その二年後。どっかの国が大きく発展し、どっかの国が滅んだと風の噂で聞いた。そのどっかの国を発展させたのはあのお姉さんかな? と思ったが村のみんなはそのことについて語ることはなかった。
「おーい、ハインリッヒ! これから畑行くけどお前も来るかー?」
俺は村長の家の軒下にある長椅子に腰掛けぼうーとしてる青年……ハインリッヒに声を掛けた。ハインリッヒは少し嬉しそうに笑って小さく頷き俺の後を付いてきた。なんかひよこみてぇ。…俺よりずっとでかいひよこだけど。キラッキラの黄金のひよこだけど。
長身で金髪金目の色白、顔が無駄に美人過ぎるこいつは云わば後者の人間。ひと月前この村にやってきた。
この村に来た時のこいつはぼろぼろの状態で、悲壮感たっぷりの顔で「信頼していたのに……どうして……」と言っていた。もう今にも塵となって消えてしまいそうな勢いだった。
村長は慣れた様子で彼を自分の家に招き入れた。以来、ハインリッヒは一日中軒下の椅子に座ってぼーとしている。
俺がそいつに声を掛けたのは単なる気まぐれだった。
「気晴らしに畑やってみるか?」
そいつが村に来て一週間が経った頃。軒下にいたそいつに声を掛けた。だがそいつはなんの反応もせず、「ああ、まだ心の整理がついてねぇか」と俺はその場を離れた。
そいつに声を掛けたのはその日だけだった。……その三日後。
「………俺も……やってみても、いいかな?」
畑を耕していた俺にハインリッヒが気まずそうに声を掛けてきた。
「おうっ! いいぜ! 助かるっ!」
俺は笑ってハインリッヒに鍬を渡して耕し方を教えると、そいつは一瞬でコツを掴みせっせと畑を耕していった。
前者といい、後者といいここに来る奴らってほんと覚えるの一瞬だよなぁ……。めちゃくちゃ助かっているけど。
それを機に、ハインリッヒは俺の手伝いをするようになった。畑の他に家畜の放牧やヤギの乳しぼり、羊の毛刈りに麦刈り、野菜の収穫などなど。
その合間に川や森に足を運び魚を釣ったり、小動物を狩ったり木の実やキノコ類を採ったりした。
「ほい、お前のぶん」
家の軒下にある長椅子に座っていたハインリッヒに、ゆで卵を潰してマヨネーズと塩を和えて黒パンに挟んだタマゴサンドイッチと山羊のチーズを乗せたお皿と、野菜スープを入れた器を渡した。
畑仕事などを手伝うようになってから、ハインリッヒは俺の家で昼飯を摂るようになった。まあ、仕事を手伝ってくれたお礼だ。
「ありがとう」
ハインリッヒが受け取った後、俺は自分の分を持ってきてハインリッヒの隣に座った。天気の良い日はこうやって外で食べるのが美味いんだよな。ちなみに親父とお袋は中で食べている。
「これ、ほんとうにおいしいね」
「だよなー」
二人でタマゴサンドイッチを頬張る。このタマゴサンドイッチ、俺がまだ小さかった時に村にやってきた前者が広めたものだ。その前者が助けたお礼にと高価な塩をこの村に送って来てくれている。お陰で他の料理にも重宝している。
風の噂ではその前者は魔界に行って魔王と結婚して不老不死になったとかなんとか……。ほんとうかどうか知らんけど。
ちなみに食用油は俺が生まれるずっと前に、前者が作り方を教えてくれたらしい。
「この間のジャガイモにマヨネーズをかけたのも美味しかった……」
「だよなー」
ジャガイモが収穫したときは必ずやる。マジで美味い。マヨネーズ凄い。ジャガイモを潰してマヨネーズを合えたポテトサラダも旨いけど、アツアツのジャガイモにマヨネーズをたっぷりのせて食べるのが好きだ。ただ日持ちしないから作ったら必ず使い切らなきゃいけないけど。なお、このマヨネーズも前者が教えてくれたものだ。
……が、このマヨネーズ。食べ過ぎには注意とのこと。カロリー? みたいな、兎に角太りやすい食べ物らしく、太ると心臓を悪くしたり、頭の病気になったり、最悪死ぬこともあるそうだ。悪魔の食べ物? と引いたが度が過ぎなければいいらしい。何事にも程ほどのこと。
「………このままずっとここにいたいなぁ」
ぽつりとハインリッヒが呟いた。最近そう呟くことが多くなった。
こいつがこの村に来てもうじき一年が経つ。
(そろそろ、か………)
俺はサンドイッチの最後の一切れを口に放り込み、咀嚼しごくりと飲み込んだ。
「そうか」
俺はただそうだけを言った。
(もうじき……)
もうじきこいつは村を去る。
「殿下っ⁉」
「……っ! クレマー卿⁉」
ハインリッヒと一緒に畑で種まきをしていると、マントを羽織った男たちが綺麗な馬に乗って村にやってきた。そしてハインリッヒの姿を見つけるや否や慌てて馬から飛び降りマントのフードを脱いだ。男の顔を見たハインリッヒは驚き目を見開いた。
クレマー卿と呼ばれた男が畑の中に入って来ようとしたので、ハインリッヒは慌てて止め俺のほうを振り返った。
「………作業の途中でごめん。少し離れても?」
「おう」
気まずさと申し訳なさが入り混じった表情を浮かべるハインリッヒに、俺は気にすんなと軽く手を上げた。
「………行ってくる」
ハインリッヒはそう言って男たちのほうへ向かった。気のせいだろうか? 一瞬寂しそうな顔をしたような……。
「………続き、やるか」
俺は作業を再開させた。ハインリッヒは男たちを連れて村長の家に行ったまま、戻ってくることはなかった。
夜。
食事も済んで、さぁ寝るか、としようとした時、誰かが玄関のドアをノックした。父さんがドア越しに「誰だ?」と問うと「ハインリッヒです」と返って来た。ドアを開けると玄関前にハインリッヒが立っていた。
「夜分遅くにすみません。エト……いえ、ご子息と少し……お話がしたいのです」
え? 俺? とびっくりしてる俺に、父さんが「どうする?」と聞いてきたので、「えーと、いいよ」と頷いた。
ハインリッヒに連れられて近くの小さな丘の上にやって来た。道中真っ暗だったがハインリッヒが魔法で光の球を出してくれた。初めて見る魔法に俺は「すげぇ!」と興奮してしまった。
「………明日、俺はここを発つよ」
丘の上で暫く沈黙した後、ハインリッヒがぽつりと言った。
「そうか」
俺は明かりのない村のほうを見ながら言った。
「………何も聞かないんだね」
少し落ち込んだ声。
「お前は村長からこの村について何か聞いたか?」
この村にやってくる人たちのこと。そして去っていくその人たちを村の人たちは引き留めないこと。
「………うん。聞いたよ」
「でも…」とハインリッヒは言葉を続けた。
「それでも、俺は君に理由を聞いてほしかった。………引き留めて……ほしかった」
ハインリッヒが俺の手を握る。その手が微かに震えていた。
「君のことが好きだ。……好きなんだ」
まるで懇願するような声だ。
「ハインリッヒ」
俺はハインリッヒを見上げた。ハインリッヒは静かに涙を流していた。暗闇でもはっきりと分かる金髪金目の美しい青年。
(俺は知っている)
その目にずっと何が映っているのか、その胸にずっと何を抱いているのか……俺は知っている。
(後者の人間はみんなそうだった……)
そんな彼らがこの村を去り何を成し遂げたのか、風の噂で知っている。そして彼らの隣に立つ人間の存在も……。
(お前の隣に立つのは………俺じゃない)
「ハインリッヒ、いい王様になれよ」
俺がハインリッヒの手を握り返すことは最後までなかった。
翌日の明け方。ハインリッヒは男たちを連れて静かに村を去って行った。
数年後、どこかの国で愚王が死に新たな王が誕生したと風の噂で知った。
俺はいつもと変わらず畑を耕す日々だ。
………が。
「はぁ……」
耕す手を止め、ため息を付いた。ハインリッヒが去ってからどうも身が入らない。
(数年経つってのに……)
未練たらたらな自分に嫌気が差す。
本当はあの日、ハインリッヒに声を掛けたのは単なる気まぐれなんかじゃなかった。
一目惚れだった。
そして、それと同時にこの恋は叶わないと知った。
片やただの村人で、片や一国の王子様。その上男同士。
どうせ叶わない恋ないんだ。ならせめてハインリッヒがこの村を去る、その時まで隣に居たかった。
まさかハインリッヒが俺のことを好きになるとは思わなかった。
だから俺は突き放した。
ハインリッヒはこの村に残るような人間じゃない。と……。
(………そう思うのに)
せめてあの震えた手を握り返すぐらいしとけばよかったと後悔している自分がいる。
「はぁ…情けな」
俺はため息をついて止めていた手を動かした。
それから更に数年後。
村にマントを羽織った二人の旅人が馬を引いてやってきた。村に来るのはいつも一人だから珍しいなぁと遠くから眺めていたら、いきなり片方が俺の方に向かって一直線にやってきた。
え? な、何? と混乱する俺の前にそいつは立ち止まると、かぶっていたフードを取った。
「ハ、ハインリッヒッ⁉⁉⁉」
フードの中から現れたのはこの村から去っていた時よりもずっとずっと大人びた顔をしたそいつだった。……って、なんか目の下の隈酷くね? いや、違うそこじゃねぇ。 なんでハインリッヒがここに?
「え? は? な、なんで???」
「ずっと君に会いたかった」
大混乱する俺を他所にハインリッヒは満面の笑みを浮かべて俺を抱きしめた。うぁあ、なんかめっちゃいい匂いすr……。
「……ああ、エトの匂いだ」
「ひぇっ!」
俺の首に顔を埋めて匂いをスンスン嗅ぐハインリッヒに俺はぞわわっと鳥肌が立った。匂いってどう考えても汗臭さと土埃だよなっ! なんでそんなうっとりした声を出すんですかねっ!
「ハハハハハ、ハインリッヒ、ちょっ……!」
止めようとした時、ハインリッヒが俺の肩をガっと掴んできた。
「エト! 君はまだ結婚してないよね⁉ してないよね! ね!」
「し、してねーよ! 悪いかっ!」
いきなりなんだよっ! こっちは未練たらたらで未だに独身だよ! 悪いかっ!
「……ちょっとハインリッヒ。 必死過ぎて怖いんですけど」
ハインリッヒの背後から聞こえた、聞き覚えのない女の子の声に俺は「え?」と声を漏らした。
「リーチェ……」
ハインリッヒは俺の肩を掴んだまま後ろを振り返った。そこに居たのは肩より伸びた薄ピンクの髪に青い目をした美少女が立っていた。
その子を見た瞬間、ドクリと心臓が嫌な音を立てた。
風の噂で聞いた。後者の人間が大きなことを成し遂げた時、彼らの隣には必ず美しい少女が立っていたと。そしてその少女と結婚し共に国を発展させていったと……。
(なら彼女がハインリッヒの……)
無意識に俺はハインリッヒのマントを掴んでしまった。彼女は俺とハインリッヒを交互に見て、
「ほおおおおおおっ!」
と、突然奇声を発しその場に崩れ落ちた。
「……か、神よ感謝します。私の理想が目の前に……ッッ! エト君! 生まれてきてくれてありがとうっ!」
え? なに? どした? 彼女が何を言っているのか分からない。俺が生まれてきて? ってかなんでこの人俺の名前知ってんの? なんで鼻血出してるの? 美少女の顔が台無しだぞ。
「リーチェ、やめろ。エトが引いてる。……エト、すまない。本当は俺一人で戻ってくるはずだったんだ。でも彼女がどうしても君を一目見たいと駄々をこねて………」
「はぁぁ? 駄々なんてこねてないしぃ。私はエト君のこれからのことが心配で助言しに来ただけですー! この激重募らせ野郎がっ!」
く、口悪っ! っていうか……。
「戻って……くるって、どういう……」
「言葉通りだよ。俺はすべき事全部終えた後、ここに戻るつもりでいた。……君とこの村で生涯を共にするために」
「え?」
予想外の言葉に俺は目を見開いた。俺と生涯を共にするために……?
「でも、その、お前、……国が……新しい王様って……風の噂で……」
お前がその国の新しい王様なんだろ? とは声が震えて出てこなかった。
「あ、心配しないで。この人の叔父さんが王様になって、この人は王族の籍から抜けて平民になったの! この人、優しすぎて王様向いてないもん」
優しい王様はいいことじゃないのか? と俺は首を傾げた。美少女……リーチェは俺が考えていることが分かったのか「それだけじゃだめよ」と首を振った。
「あの世界はタヌキとキツネの化かし合い。腹に一物も二物も抱えてる連中がゴロゴロいるの」
タヌキとキツネの化かし合い? という言葉は分からないが、なんとなくいい意味じゃなさそうだ。
「叔父さんやあたしみたいな腹黒さがなきゃやっていけないわ。 あ、ちなみに私はその叔父さんと結婚して王妃やってまーす! 子どもも二人いまーす!」
「おうッッッ⁉」
リーチェが言葉にぎょっとした。さらっと言っていい言葉じゃない。
「この人がここに戻ってきて説明しても、エト君絶対信じないだろうから私が着いてきたってわけ。もうこの人ったら、口を開けばエト君、エト君ってマージでうるさかった! エト君とどんなことをして過ごしたとか耳にタコができるぐらい聞かされてさー。そんなに早く愛しい愛しいエト君に会いたかったら、さっさとクソ王様を引きずり降ろして、国を平和にしてプロポーズしてこいやっ! ってケツを蹴ったわ」
ケツを蹴った⁉ 彼女の外見から到底想像できない。
「………愚義母弟を引きずり降ろして、平和になったのにあれをやれ、これをやれと言ってきたは君たちだろう?」
「まだまだ復興途中でやることが山積みなのに村に戻るとか馬鹿なのっ⁉ 愚義母弟の尻ぬぐいをしっかりやらないと民に示しがつかないでしょーがっ!」
はぁぁとリーチェは深いため息をついた。
「国が安定するのに十年掛かっちゃったけど、これで心置きなくこの厄介でめんどくさい激重人間をここに置いていけるわ」
「厄介って……」
「私にとっては厄介以外何物でもないの。あーせいせいしたぁ! というわけでエト君!」
「は、はいっ?!」
「覚悟したほうがいいわよっ! そいつの十年分の愛は重いッ! 激重すぎてヤバい! 窒息レベルでねっ! 嫌だと思ったらはっきり嫌と言うのよ!二人の幸せを願っているわっ! じゃっ! あたしは愛する旦那様と子どもたちが待っているから、村長さんに軽く挨拶して帰るねぇー!」
言うだけ言ってすっきりしたリーチェは颯爽と行ってしまった。
「え、ええー……」
一人困惑しているとハインリッヒに呼ばれ顔を上げると、ハインリッヒが真剣表情で俺を見下ろしていた。
「君に色々話したいことがあるんだ。今夜いいかな?」
「え? あ……ああ」
思わず頷くとハインリッヒはホッとした表情を浮かべ「俺も村長に挨拶してくる」と言ってその場を離れた。
夜。そわそわと待っているとハインリッヒが家にやってきて、出迎えた父さんが「息子をよろしく」とハインリッヒに言った。え? と思わず父さんを見ると、母さんに「ほら早く行きなさい」と背中をぐいぐい押され、半ば追い出される形で家を出ると玄関のドアを閉められた。一体両親に何があった?
「行こうか」
ハインリッヒはそう言って、ごく自然に俺の手を握ってきたので俺はぎょっとした。
「ハ、ハインリッヒ!?」
「大丈夫。暗いから見えないよ」
魔法で光の球を出しながらいう台詞か? 放してくれそうにないので諦めた。緊張で手汗が凄い。
「村長の家に泊まるのか?」
「いや、宿を取った。前は文無しだったからね。暫くはそこに世話になるよ」
「そ、そうか」
道中当たり障りのない会話をした。そしてあの日と同じ小さな丘の上に来た。
「俺は……ある国の王太子だったんだ」
少しの沈黙の後、ハインリッヒは口を開いた。そして自分の身に起きたことを静かに語った。
「俺には、母上を早くに失った俺のことを実の息子の様に可愛がってくれた後妻と、兄と慕ってくれた義母弟がいて、そして幼少期から共に学び育った気心の知れた婚約者や側近たちがいた。次期国王という重圧は苦しかったが、支えてくれる彼らがいたから頑張れたし幸せだった。………愚かなほどに」
ハインリッヒは遠くを見つめていた。
「俺は父上の毒殺未遂の罪を被せられ、側近たちからありもしない罪状について糾弾された。……それが後妻の罠だと知った時にはすべてが遅かった。あの人は最初から俺のことを愛してなどいなかった。義母弟を次期国王にしたかったあの人にとって俺は寧ろ邪魔な存在でしかなかった。………俺に味方する者はいなかった。婚約者も……。叔父上だけが俺の無罪を主張したけど、叔父上も麻薬密売の罪を被らされ国外追放された」
「牢屋にいる時、義母弟に言われたよ」とハインリッヒは言葉を続けた。
「自分が信頼すれば相手も信頼で応えてくれるなど、なんて愚かで馬鹿な考えだと……。優しさだけでは王は務まらないと。母上や自分みたいな貪欲な人間でなければこの世界では生きていけない。……あなたを蹴落とすほどの貪欲さでなければ……ってね」
ハインリッヒは寂しそうに笑った。
「死刑になる俺を秘密裏に助けてくれたのはクレマー卿と数人の部下たちだった。……彼らに事前に指示を出していたのは叔父上だった。叔父上はいつかはこうなると予測し予め逃げ道を用意していた。……途中追手に気付きクレマー卿たちがおとりとなった。一人になった俺は森をさまよい……そして、この村に辿り着いた」
夜風が俺たちの間をすり抜ける。
「すべてがどうでもよくなった。王になれなかった俺に価値などないと思った。すべてを失った俺に生きている意味などあるのかと……。でもそんな時、俺に声を掛けてきた人がいた。………それが君だった」
俺の手を握るハインリッヒの手が微かに強くなった。
「最初はほっといてくれと君のことを……無視をした。……疑心暗鬼になっていた。君も俺を陥れるために近づいたんだと……思ってしまった」
「ごめん……」と謝るハインリッヒに俺は「それは仕方がないことだ」と緩く首を振った。
「俺もお前と同じ立場ならきっとそう思う」
「………ありがとう。………あの時思い切って君に声を掛けてよかったと……心の底から思っている」
嬉しそうに笑うハインリッヒは、俺がいつも見ていた顔だった。
「君と一緒に過ごすようになって、君のことを知るようになって………気付けば君のことを好きになっていた。……誰かに恋をするとは思いもしなかった。でもそれと同時にこの恋は叶わないと知った」
ドキリと俺の心臓が跳ねた。
「君はここの住人で、俺は冤罪だが罪人と呼ばれている身。そして何よりも男同士だ。………でも……それでも君を好きでいることをやめられなかった。この恋が叶わなくてもいい、ここにいる間だけでもいい………君の隣にいたかった」
「あの日……」とハインリッヒは言葉を続けた。
「クレマー卿たちがこの村にやってきた日、彼らから国の現状を聞かされた。父上が病で亡くなり義母弟が国王になってから国が傾き民たちは増税で苦しんでいると。そして叔父上は逃げた先でリーチェと共に密かに兵士を集めていると……」
「叔父上は昔から凄い人だった」とハインリッヒは小さく笑った。
「叔父上と共に戦うことを決めた俺は、この恋にケリをつけたくて君に想いを告げた。君にいい王様になれと言われた時この恋は終わったと思った。……でも君の顔を見て違うと気づいた」
「え?」
「あの言葉を言った時、君は酷く泣きそうな顔をしていた。 行くなって君の瞳が訴えていた。俺の手を握り返さないように必死に耐えていた」
「う……そ、だ」
あの時は何でもない風に装っていたはずだ。
「その時俺は心に誓ったんだ。この戦いが終わって身の潔白を証明したら、ここに……君の元に戻ってこようって。………何者でもないただのハインリッヒとして……」
「本当はその場で言おうとしたんだ」とハインリッヒが俺の頬を撫でた。
「でも臆病な俺は言えなかった。すぐ戻るつもりでいた。………結局十年掛かってしまったけど」
ハインリッヒは苦笑いを浮かべた。
「その間ずっと気が気じゃなかった。君の気持が変わって誰かと結婚しているんじゃないかって……。リーチェや叔父上にはだったら山積みの問題をさっさと片付けて行けって何度もどやされた」
「早く行けと言いながらあの二人、次から次へと仕事を押し付けてくるんだ」とハインリッヒは疲れたため息をついた。その目の下の隈はそれが原因だったのか……。
「エト……俺はやっと全てを終えた。もう何の未練もない」
ハインリッヒは真っ直ぐと俺を見た。
「どうか俺とこの村で生涯を共にしてほしい」
その目には憂いも、迷いもなく、ただ俺をだけを映していた。
ハッ……と喉が震えた。
「……お前は、本当に……それでいい、のか?」
ここにはきらびやかな服も宝石もない。娯楽もない。おいしいご飯や、甘いお菓子もない。冬はすきま風が入ってきて寒い。
「ああ。エトが生きる場所が俺の生きる場所だ」
「だからね、エト」とハインリッヒが言葉を続けた。
「俺を選んで」
俺は口を開くが全部嗚咽となって言葉にならなった。その代わりに震える手でハインリッヒの手を強く、強く握り締めた。
安らぎと呼ばれる村がある。どこの国にも属さず、何のしがらみもなく、天災や戦争、飢饉にも見舞われない場所だという。
その村は死者の森と呼ばれる樹海の奥にあるという。興味を持った者たちがその村を探したが見つけることは出来なかった。
その村に辿り着くには条件があった。
一つ、この村に災いを持ち込まない者。
一つ、この村に必要以上に干渉しない者。
一つ、謂れのない罪を背負わされた善良な者。
村に辿り着いた者の大概はそのまま村を後にするが、稀にそのまま村に住み着く者もいた。
すべてを捨て、愛する人とこの村で生きていく覚悟をした者だけが……。
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