そして、隣国の王子はお嬢様の忠犬になりました。
★★『作戦名は「先手必勝!」 虐げられるとか本当に無理なので、早めに回避します!』の続きのお話です。そちらを先に読んでいただけると、より一層楽しんでいただけると思いますので、お時間のある方は是非読んでみてください★★
大きな木の根元に腰を下ろす。
幹に寄りかかり、だんだんと痺れて動かなくなりつつある手足を投げ出す。
おそらく遅効性の毒だろう。
数時間前に飲んだ紅茶にでも仕込まれていたに違いない。
王宮の自分の部屋で、不意に誰かに殴られ気を失った。
そして、その間にこの森に運ばれ置き去りにされた。
私が3歳の時に、当時王妃であった実母が亡くなった。
その1年後、父は宰相の娘を側妃に迎えた。側妃はそのさらに1年後に男の子を産んだ。
私の弟、コンラッドを。
王子を産んだことが認められ、側妃は王妃となった。
王妃は――義母は――賢く気品に溢れた女性だった。
時には厳しく、でも根底には優しさをもって、私と弟を愛情深く育ててくれた。
私には、将来王となり国を治めていくための王太子としての教育を。
弟には、私を支え、共に国の繁栄を目指す王弟としての教育を。
王妃はいつでも国の事を第一に考えるような生真面目で慈悲深い人だった。
私は王妃を尊敬し、慕っていた。
王妃としても、義母としても。
王妃は生真面目で、努力家だった。そして、この国のことを誰よりも思っていた。
王妃の父親である宰相は、第二王子派と呼ばれる貴族の派閥の暴走を抑え、王太子派と呼ばれる勢力と上手くバランスを取っていた。
王太子派は、前王妃――私の実母の兄である侯爵を筆頭として、私が王位に就いた後、国の要職に就こうとする欲に忠実な貴族の集まりだった。
彼らが国を動かすようになれば、近いうちにこの国は滅ぶだろう。
そう思えるくらいに無能で強欲な集団だった。
弟が王位に就けば、宰相は王の外祖父となる。
だが、彼は真に国を思う高潔な人物であり、父王の親友だった。
彼は自分の権力を望むより、国が荒れないように振る舞うことを選んだ。
私は、そんな宰相を、王妃と同じくらい尊敬していた。
一ヶ月前、父王が病に倒れた。
それ以来、父王の意識は戻っていない。
侍医の話によると、最早回復は見込めず、亡くなるのも時間の問題だとのことだった。
このままだと、父王の死後、王太子である私が王位に就くことになる。
そうなれば、第二王子派が黙っていないだろう。
王太子派との争いが起きるのは目に見えている。
だが、私がいなくなれば。
問題なく、弟が王位に就ける。
王太子派は私がいなくなってなお、第二王子派と争うほどの力も信念もない。
私という旗印がいなくなれば、王太子派は自然消滅するだろう。
国にとっては、それが最善策だ。
私一人がいなくなるだけで、全ては穏便に収まるのだから。
王妃は、いつだって思慮深い人だった。
だからこそ、考え抜いて、これしかないという結論に至ったのだろう。
――私を、殺すしかないのだと。
※※※
手足は最早、完全に動かせなくなった。
目を閉じると、だんだんと意識が遠のいていく。
ああ、これでもう終わりだ――と思った瞬間。
「あっ! やっぱりいた!!」
離れたところから、若い女の声がした。
驚いて目を開けようとしたが、瞼が重く動かせなかった。
「大丈夫!? 苦しい? 苦しいよね?」
相当慌てているようで、駆け寄って来る途中で転んだようだ。
「痛い!!」「お嬢様! 大丈夫ですか!?」と慌てたようなやり取りが聞こえてきた。
「これ飲んで! 解毒剤だから!」
――解毒剤? 私が毒に侵されていることを何故知っている?
「ああ、どうしよう。もう毒が回っちゃったのかな? 起きて飲んで……って無理か……」
泣きそうな声。本当に案じてくれているような、切羽詰まった声。
「よし、こうなったらもう……」
ポンッと瓶の蓋が開くような音に続いて、唇に柔らかく温かいもの触れ――次の瞬間、口の中に少し苦みのある液体が流れ込んできた。
思わずそれを飲み下すと、傍らで、安心したようなため息が聞こえた。
驚いたことに、それからしばらくすると、意識がはっきりしてきた。
手足の痺れもだんだんと薄れてきたようだ。
目を開けると、目の前には二人――若い女と同じくらいの年齢の男がしゃがみ込んでいた。
「エリザベス……?」
女の顔を見た瞬間、思わず声が出た。
すると女は驚いた表情で叫んだ。
「ええっ? どうして私の名前がわかるの?」
(どうしてって、それは……)
――盲腸で入院した姉貴に、『やることなくて暇だから本を何冊か持って来い』って言われて。で、適当に姉貴の部屋の本棚から見繕って届けたら、『これはあんまり面白くなかったからもういい、持って帰って』って言われた本の表紙に大きく描かれていた女性とそっくりだったから、思わず――
(この記憶は一体……? 頭の中に次々と浮かんでくる……! 毒の影響か……!?)
「あなたとそっくりな女の絵が描いてある本を思いだしたのだ。その本のタイトルが『エリザベス』だったから、思わずそう呼んでしまった」
混乱のため手の内を隠すことなく、素直に言うと、女が叫んだ。
「あー、そうそう、そうだった! あのつまんない本のタイトル、『エリザベス』だった!! あー思いだしてスッキリした!」
(ああ、あの本、本当に面白くないんだな。姉貴もそう言ってたしな……って、どういうことだ! 何故この女はあの本のことを知っている!?)
「あの本を知ってるってことは……あなたも前世の記憶があるの!? うわああ!! どうしよう!!」
「お嬢様! 落ち着いてください!」
これまで黙ってハンカチで唇を拭っていた男が割り込んできた。
黒髪黒目の、精悍な男で、無駄に顔がいい。
改めて女の顔もよく見てみる。――その美しさに息を呑む。
一体、なんなんだこの二人は。
「とりあえず、お嬢様からご説明お願いいたします」
「わかった。あのね」
男に促されて、女が事の次第を説明し始めたのだが――それは信じられないような話だった。
※※※
――女の名前は、エリザベス・フォークナー。隣国の伯爵令嬢だそうだ。信じられないことだが彼女には前世の記憶があるのだそうだ。
そしてさらに驚くべきことに、この世界が、前世で読んだ小説の中の世界だと言うのだ。
その話の中で彼女は、側妃に暗殺されかかった王太子を助ける。
そのあとは二人で、差し向けられる追っ手から逃れ、忠実な家臣の手引きで王宮に戻り、側妃を追い詰め、王位を奪還する。
「信じられないかもしれないけど、本当の話なの。あなた、さっき『エリザベス』ってタイトルの本のこと思い出したって言ってたでしょう? もしかしたら、あなたも前世の記憶があるんじゃないの?」
そう言われて、よくよく考えてみると。
確かに、彼女の言う通り、私にも前世の記憶があるようだ。
だが、それは断片的で、自分がどんな人間だったかまでは思いだせなかった。
ただ、前世の俺も、彼女と同じ日本人だったことだけは確かだ。
「いや、それにしても、王子様が死ななくて本当に良かった!」
エリザベス嬢が、笑顔でほうっと息を吐いた。
「ああ、今日、ここに来て良かった……」
心から安心したように呟く彼女の顔をじっと見る。
美しい女性だ。こんな美しい女性に初めて出会った。
腰まで伸びた豊かな銀の髪に、星空のように輝く青い瞳、透き通る白い肌。
こんな美しい人が、私を助けてくれただなんて。
そこでふと、まだ助けてもらったお礼を言っていなかったことを思い出し、慌てて言った。
「助けて頂いて、ありがとうございます」
(そうだ、この人が私に解毒剤を飲ませてくれなかったら、私は今頃死んでいた。解毒剤……どうやって飲ませてくれたんだろう。……もしかして!!!?)
思わず、彼女の艶やかな唇を見つめてしまった。
すると、彼女は手を顔の前でひらひらと振りながら言った。
「いやいや、お礼ならリチャードに言って、彼が解毒剤を飲ませたんだから」
「え?」
隣にいる、リチャードと呼ばれた男を見た。
さっきからずっとハンカチで口を拭っていると思ったら……そういうわけか。
自分も思わず手の甲で唇を拭ってしまった。
「君も、その、ありがとう。助かった」
「仕方ありません。お嬢様に口移しなんて絶対にさせられないですからね!!」
吐き捨てるように男が言った。
「お嬢様に感謝して下さい。今日ここに来たのだって、このまま見殺しになんてできない! 国境の森に一緒に行って欲しいってお嬢様が言ったからなんですよ!」
「だってだって、私が行かなくて誰かが死ぬかもしれないなんて思うと、どうしても我慢できなかったんだもん!! でも来てみて本当に良かった! リチャード、連れてきてくれてありがとう!」
彼女が輝くような笑顔で言った。
なんて可愛らしい。天使のようだ。
リチャードとやらは、両手で顔を覆って上を向いている。耳まで真っ赤になっている。
その気持ちわかる。私も頬が熱い。
「ところで、王子様はこのあとどうするつもり?」
言われて気付く。私には帰る場所がない。王宮に戻ったところで、またすぐに命を狙われるだろう。
今後、王太子として生きていくことはできない。
私が王太子であろうとすれば、多くの血を流すことになるだろう。
「王子様さえよければ、うちに来る? あっちの方に馬車を置いてきてるんだ。一緒に乗ってうちに来ない?」
「お嬢様! なんてこと言うんですか!!」
「だってリチャード、王子様が可哀想じゃない! うちに来れば、少なくともごはんや寝床の心配はなくなるんだよ?」
「犬猫を拾うように簡単に言わないで下さい!!」
二人のやり取りを聞いていたら、可笑しくなってきて、思わず笑ってしまった。
――よし、決めた。
「王子様……?」
不思議そうに首をかしげる彼女の手を取り、目の前にひざまずいて懇願する。
「ウイリアムと呼んで下さい、美しい人。あなたに救われた命です。これからの私の人生をあなたのために捧げます。どうか、私をあなたの下僕としてお側においてください」
「ちょっと待て!! あんたを助けたの俺なんですけど! 下僕とかいらないよ、お嬢様には俺がいるんだからな! 金髪碧眼の美形王子だからって、許されると思うなよ!!」
横から男が必死になって言ってくる。
これは――まるで黒い番犬だ。
彼女は真っ赤になって震える声で「イ、イケボすぎる……!」と呟いている。
イケボとは何だか気になったが、今はそんなことどうでもいい。
王太子だった私はもういない。
私がいなくなることが国のためだというなら、それでいい。
王妃が――義母がそう望むなら、それが一番良いことなのだろうから。
これからの私は、目の前の彼女、エリザベス様のために生きることとしよう。
「これからはエリザベス様と呼ばせて下さい、あなたの忠犬のことは、どうぞウイリアムとお呼び下さい」
「いや待て! 忠犬ってどういうつもりだ! 頭おかしいんじゃないのか! わかったぞ、毒の後遺症だな!」
真っ赤になった飼い主と、必死に食い下がってくる黒犬を見る。
ああ、なんだか楽しい未来が待っていそうだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。