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狂気こそは夢

作者: 鈴木美脳

 正しく生きるということは、悪に与しないということ。

 悪に与しないということは、立場の弱い者や集団に冤罪がかけられている時に、冤罪をかける側に回らないこと。

 約束するが、これを実行しただけで人生は破滅する。

 いやむしろ、この事実を認識しただけで人生は破滅する。


 なぜなら、立場の弱い者に冤罪を着せることが、人間という動物の社会の本性だからだ。

 人々が行う思考は一般に、客観的な事実性よりも自己正当化に傾いていて、自己正当化を行う社会的な実力は立場の強い者ほど強いから、自己正当化の反作用として「他者不当化」が起こり、最も弱い者ほど多く尊厳を削り取られる。

 そのような心理的な認知バイアス、つまり一種の狂気の中で人間の社会はこれまでもこれからも運営されていく。

 そして、その狂気の外側に出てしまった人は、何の利益にもならない精神的負担を背負うことになる。


 極端な話、法が事実にもとづいて実行されなかったならばどうだろうか?

 裁判所で殺人罪が、無罪の人に適用されて有罪の人が生きのびたらどうなるだろうか?

 協調的ではない、連帯的ではない、共感的ではない、対外的に弱い集団となり、部分が不幸になるとともに全体も不幸になっていく。

 程度問題こそあれ、立場の弱い者に冤罪を着せるということは、そういうことだ。

 つまり、合理的ではない。狂気の外側に出てしまった人は、その不合理性が見える。


 そのような人間社会の本質に立ち向かうことは、本質的には報われない。

 小さな正義を行うなら賛同者が得られるかもしれないが、大きな正義を行った者達は必ず否定され殺されていく。

 なぜなら、弱者に冤罪を着せるという人間社会の本質が変わることは、ありえないから。

 だから、有名な評論家だとか、地位の高い政治家だとか、成功した経営者だとかは、無限大に尊い人ではない。

 無限大の尊さに近づくほど、利益も名声も失われるからだ。


 ほとんどすべての人間は、感情的な直観の段階で、長いものに巻かれる。つまり無意識に、保身のため権威の派閥に寄り添う。

 そうでないわずかな人は、不正義に与して私的な利益を守るか、正義を貫いて利益を奪われるか、毎日が岐路に立たされていることを意識する。

 弱者に冤罪を着せる心理的な作用は、人間社会においてそこまで、あらゆる側面に日常的に現れるからだ。

 生きのびるためには、世俗の不正義にいくらかは与して従う以外にない。わずかな人々だけが、そのことに自覚的だ。

 しかし、そうして得られる尊厳のすべてが、でっち上げられた虚構であるなら、弱者を踏みにじってまでそれを手にして何になる?


 勉強ができる人が偉いとか、お金をたくさん稼ぐ人が偉いとか、税金を多く納める人が偉いとか、結婚し多く子を産む人が偉いとか、健康な人が偉いとか、外見の美しい人が偉いとか、そういった人間社会の嘘の塊。

 心理学的な虚構。

 人間社会では、尊厳の程度が幸福の程度に直結する。経歴や肩書きがどの程度の社会的地位として見なされるか。どの程度敬意を払うに値する人間か。機嫌を損ねてはまずい相手か、あるいはわずかにも配慮しなくて構わない相手か。投資してどれくらいリターンが見込める人か。つまり、どう見られるか。

 不正義に与することによってしか尊厳と安寧とが手に入らないならば、尊厳もしくは安寧の存在は、より立場の弱い誰かからそれを盗んできたことを証明する。

 幸せのすべてが、不当に得たものであるなら、自分の幸せを守って生きることに、何の意味があるだろうか?


 世界のどこかにはいつも、不当に虐げられている人々がいて、その人達は無限大の苦しみを味わっている。

 安全な立場で暮らすほとんどの人達は、それに対して自分に罪があるとは思わない。罪があるとすれば、一部の、権力ある悪人であって、自分は無垢な庶民だと信念する。

 しかしそう言いながらその人達は必ず、世界の大きな経済的な枠組み、軍事的な体制に与していて、挑戦はしない。

 もちろん、それに挑戦すれば瞬時に消し炭にされてしまうが、挑戦はしないという自分の不道徳な選択を理性的に自覚してもいない。

 そうして、無自覚に弱者に冤罪を着せて私的利益を確保するということが、人間社会の本性だと言うのである。


 ただ生きているだけで、身体は罪に汚れていく。シャワーを長く浴びても永遠に落とすことのできない、魂の穢れに汚されていく。

 そうして多くの人達は、生きていく上で、善悪なんてものを真剣に考えなくなる。狂気の外側にいる人々は、限りなく孤独になっていく。

 悲しいじゃないか。愛しい人間の社会と地球とが、たったそれだけのものだったなんて。


 でも、だからこそ、不正義を嫌う生き方を貫徹したら、どうだろうか?

 黒を黒と言い、白を白と思って、自分自身の真の尊厳から汚濁を拒絶したら、どうなるだろうか?

 自分自身がそれを行って限りない苦しみを強いられる時、天に広がる無数の星々を深く尊敬することを知るだろう。

 真理は決して孤独ではない。狂気こそが夢だからだ。

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― 新着の感想 ―
 まあ仕方のないことでしょうね。他者を貶めることで相対的に自己の地位に差がつくのは事実ですし。大義名分が有れば飛び付かない理由はないってことなんでしょうね。残念ながら弱肉強食は世の理です。  せめて力…
[一言]  そうですね。人に非ずとも言葉でなくともコミュニケーションをとる術を持つと獣にも現れる嘘を用いて特を得ようとするモノの存在は、これをすれば餌が貰えるという反復作用のような行動ですが、それをし…
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