死にたがり
ジェームスの前には二人の死体が転がっていた。正確にはソファの上に二人、重なるようにして横たわっている。
一人は強姦魔の男で、もう一人はその妻だった。男はジェームスの婚約者であるエマに手をかけ、女は男の妻でありながらその手助けをした。その後、エマは精神病院に通っている。
ジェームスはこの家にピッキングで鍵を開けて侵入した。そして、リビングのソファでテレビを見ながら馬鹿笑いしている二人を撃ち殺したのである。拳銃には抑制器がついているので、近隣住民に銃声を聞かれる心配はない。まずこちらに気づいて叫び声を上げそうになった女の頭を撃ち抜き、それから命乞いをし始めた男を撃った。
この屑共の手にかかった人間はエマだけではない。恨みを買っている人間は他にも大勢いるから、自分だけに疑いがかかることはないだろう。ジェームスはそう考えていた。
恐怖に歪んだ死体の顔をまじまじと眺め、「ざまあみろ」と吐き捨てた後、ジェームスはリビングから廊下に出て、玄関に向かった。そして、呼吸が止まるほど驚いた。
玄関に見知らぬ若い女が立っている。ターゲットは二人暮らしのはずだ。こいつは誰で、どうしてこんな夜中にこの家を訪問したのだろうか。
考えていても仕方が無い。このままでは通報される。
ジェームスの意識は女から右手の拳銃に移った。
これであいつも殺そうか。しかし、それは……。
半ばパニックになっているジェームスに、女は平然とした態度で言った。
「大丈夫、通報しないから」
ジェームスの体から緊張が抜けていった。これで女を殺さずに済みそうだ。しかし、女の言葉に納得がいかず、ジェームスは尋ねた。
「俺が何をしたのか知ってるのか?」
「知らないわよ。でも、その拳銃を見ればだいたい分かるわ。あなた、強盗か何かでしょ? 誰か殺したの?」
「……いや、俺は強盗じゃない。だが、ここの住人は殺した」
「へぇ、そう」
女は尚も平然と相槌を打つ。ジェームスは女の態度を不気味に感じ、さらに質問した。
「なぜそんな平然としてられるんだ。俺は人殺しなんだぞ。もしかして、お前もここの奴らに恨みがあって、俺と同じように殺しに来たのか?」
「いいえ、違うわ。でも、あなたがこの家の住人を殺してたってどうでもいいの。だから通報しない代わりに、私の願いを聞いてくれないかしら」
「……願いってのは何だ? 金か?」
「そんなくだらない物じゃないわ。私の願いは、死ぬ事よ。あなたの手で、私を殺してくれないかしら」
「なに? どういうことだ?」
ジェームスは耳を疑った。女が答える。
「そのままの意味よ。私は死にたいの。だからあなたに殺してほしいのよ」
「なんで俺に頼む? 一人で自殺すればいいだろう」
「立ち話は疲れるから、とりあえず中で話しましょ」
二人はリビングに入り、その横にあるキッチンのテーブル席に向かい合って座った。
死体を横目に、女が口を開く。
「私の名前、まだ言ってなかったわよね。スミスよ。よろしくね。あなたは?」
「怪しい女に教えられる名前はないね」
スミスはくすりと笑った。
「あなたの方がよっぽど怪しいわよ。人殺しなんだから。ま、名前なんていいわ。どうせ私は死ぬんだし」
「なんで俺に殺してほしいんだ?」
「別にあなたじゃなくたっていいの。私は死にたいだけ。でも自殺をすれば、神の罰を受けなければならない。自殺した魂がどんな罰を受けるのか知ってる?」
「……いいや」
「恐ろしいなんてものじゃないわよ。自殺した人間の魂は神の世界へ行けないの。そして永遠にこの忌々しい現世に縛り付けられる。それだけじゃないわ。魂は自殺した時の行動を繰り返して、自分自身に罰を与え続ける。そんなの絶対に嫌でしょ。だからあなたに殺してほしいのよ」
「……なるほどねぇ」
ジェームズはスミスの言葉に納得し、彼女に感じていた不気味さがなくなった。どうやら目の前の女は敬虔な宗教の信者様らしい。
ジェームズは他の質問を投げかけた。
「俺に殺されたい理由は分かったが、どうしてこんな時間にこの家に来たんだ。まるで俺の犯行計画を知ってたみたいだが?」
「そんなの知らないわよ。たまたま道を歩いているあなたを見かけただけ。こんな真夜中に田舎道を一人で歩いてるなんて不思議でしょ? だからなんとなく後をつけたの。そしたら家の鍵をピッキングでこじ開けたから、強盗だろうなと思って、それならついでに私も殺してもらおうって思ったの」
ジェームスは隣の死体に顎をしゃくって言った。
「俺はこいつらを殺すために夜道を一人で歩いてたわけだが、じゃあお前はなんで歩いてたんだ?」
「意味なんかないわ。なんとなくよ。でも強いて言うなら、死に場所を探して彷徨ってたんでしょうね……」
「……まあ、いい。お前の言うことを信じるとしよう。だが、結論を言わせてもらう。俺はお前を殺さない」
怒りを帯びた声でスミスが言った。
「どうして?」
「簡単な話だ。俺はあんたに恨みがない。たしかに俺は人殺しだが、快楽殺人者じゃないんだ。そこにいる男は、生前俺の婚約者を襲って、女はそれに協力した。だから俺が制裁を加えただけだ。お前はそんな屑とは違うだろう? なんたって神を信じてるんだからな」
スミスは嘲りの目を向けて言った。
「あなたは自分が置かれている状況が分かってないみたいね。私を殺さないなら、私はあなたを通報するわ。そしたらあなたは死刑になるかもね」
「でも、お前は俺を死刑にしたいわけじゃないはずだ。なあ頼むよ。俺を見逃してくれ。お前も命を粗末にしたらダメだ」
「くだらない同情はやめて。あなたが大事なのは自分の命だけでしょ? 私の命なんかどうでもいいはずよ」
「そんなことはない。まあ、信じてくれなくたっていい。でも、お前の両親はどうなんだ。お前が死ぬことを望んでいるなんて知ったら、どれだけ悲しむことか」
「たしかに悲しむでしょうね。でも、それだけ。パパとママがどれだけ私のために心を痛めても、私の痛みが消えることはない」
「そんなこと分からないだろ? 両親に相談はしたのか?」
「するわけないじゃない。私の死を止めてとでも頼むの? 私の目的は死ぬことなのに?」
「目的が死ぬことから生きることに変わるかもしれないだろ」
「ならないわね」
「どうしてそんなに死にたいんだ?」
「あなたに話すことなんて何もないわ。不幸自慢は嫌いなの。あなたは黙って私を殺せばいい。分かった?」
「分からないよ。……なあ、俺はお前がどんな宗教を信じてるのかは知らない。だが、神が自殺を禁じているのは、人間に死を望んでほしくないからだろう、違うか? だったら、お前は生きるべきだ。仮にこの銃で俺がお前を殺しても、お前が死を望んでいるなら、それは自殺する事とたいして変わらないんじゃないのか?」
「さっきからずいぶん偉そうなことばかり言うじゃない。あなたも神を信じてるの?」
「……いや、俺は無神論者だが」
スミスは声を荒げた。
「じゃあ神を語らないで! 神を信じていない愚か者のくせに! あなたみたいな人殺しの魂がどうなるのか教えてあげましょうか。人殺しの魂は死後、地獄に落ちる。そして地獄の業火に焼かれ続けるのよ!」
ジェームスは慌ててスミスを宥めた。
「分かった、分かった。お願いだから静かにしてくれ。他の家の奴らに気づかれるだろ。これ以上神を語ったりしないよ。お前の言う通りにする。俺は地獄に落ちるのは怖くないが、警察に捕まるのは怖いんだ」
スミスは不敵に笑った。
「最初からそうしていればいいのよ」
「待ってくれ、俺はまだお前を殺すなんて言ってないぞ。俺の身にもなってくれ。もしお前を殺して、ここに三人の死体が転がったとしよう。それで俺が警察に捕まった場合、俺の罪が増える。あの屑二人だけなら情状酌量されるかもしれないが、無関係なお前を殺せば、俺は間違いなく死刑になるだろう。だから殺せない」
「なんだ、そんなこと気にしてたの? 死んだ私に罪を被せればいいだけなのに」
「被せるったって……」
「遺書を書くわ。私はこの男に強姦されました、だから女と一緒に殺して自分も死にますってね。余罪があるなら警察は遺書の中身を簡単に信じるでしょ?」
「たしかに、そうだが……」
「これでお互いに得するわ。あなたは私に罪を被せて、一生警察の捜査に怯えずに生きていける。で、私はすぐに死ねる。悪い条件じゃないと思うけど」
「……」
ジェームスはどう返答するか迷った。だが、心はもう決まっているようなものだった。死にたがりの女よりも、自分の身の方が大事に決まっている。それに、自分には精神が不安定になったエマを助けるという義務がある。警察に捕まるわけにはいかない。
ジェームスはスミスを思って葛藤する演技を見せた後、もったいぶって口を開いた。
「……分かった。お前の言う通りにするよ」
「契約成立ね。ありがとう」
スミスは立ち上がると、電話機の近くに行き、側にあるメモ用紙を引きちぎった。そこにペンで文を書いている。
書き終わると指先で用紙を摘まみ、ひらひらとジェームスの目の前で振った。そこには先ほど言っていた文句が書かれている。
「これでいいでしょ? さっさと殺して」
そう言って用紙をテーブルに置き、元の席に座った。
今度はジェームスが立ち上がる。スミスの右隣に立ち、こめかみに銃口を突きつけた。
「本当にいいんだな?」
「ええ」
スミスは目を瞑った。その顔は実に安らかに見える。
引き金にかけた指に力を込めた。だが、どうしても引くことができない。隣の屑を殺す時は何の躊躇もしなかったのに……。
二人の間に沈黙が流れた。
静まりかえっていたリビングに、スミスの声が優しく響いた。
「ドクター、もう疲れたの。早く安楽死させて」
ジェームスは黙って目を瞑り、引き金を引いた。
スミスの体がテーブルに倒れ込む。こめかみから溢れ出した血が、メモ用紙を赤く染めた。
ジェームスはスミスの手に銃を軽く握らせた。これで警察は彼女が拳銃自殺したと思うだろう。
ジェームスはリビングから廊下に出て、玄関に向かった。そして、呼吸が止まるほど驚いた。
玄関に若い女が立っていたのだ。その女は、スミスだった。
ジェームスが呆然と立ち尽くしていると、スミスが言った。
「大丈夫、通報しないから」
その言葉には聞き覚えがあった。たしか、始めてここで対面したときに、スミスが言った言葉だ。
ジェームスは尋ねた。
「お前は誰だ。スミスか?」
「知らないわよ。でも、その拳銃を見ればだいたい分かるわ。あなた、強盗か何かでしょ? 誰か殺したの?」
会話が噛み合っていない。しかも、この言葉も一度聞いたはずだ。
「いったい何を言ってるんだ? 俺をからかってるのか?」
「へぇ、そう」
「……」
「いいえ、違うわ。でも、あなたがこの家の住人を殺してたってどうでもいいの。だから通報しない代わりに、私の願いを聞いてくれないかしら」
「……」
「そんなくだらない物じゃないわ。私の願いは、死ぬ事よ。あなたの手で、私を殺してくれないかしら」
「……」
ジェームズが何も言わずとも、スミスは一人で喋り続ける。そのどれもがついさっき聞いた言葉だった。そして、「立ち話は疲れるから、とりあえず中で話しましょ」と言うと、玄関からこちらに向かって歩いてきた。
よく見ると、彼女の目はおかしかった。こちらを見ているようで見ていない。ジェームスの事を認識していないかのようだった。
スミスはジェームスを避けようともせず、真っ直ぐ廊下を歩いてくると、彼にぶつかった。しかし、ぶつかる衝撃もなければ、肌が触れ合う感触すらない。
ジェームスが振り返ると、リビングに入っていくスミスが見えた。信じられないことに、体をすり抜けたらしい。
ジェームスはリビングを覗いた。すると、スミスは自身の死体と重なるようにしてテーブル席に座り、誰もいない空間に話しかけていた。
「私の名前、まだ言ってなかったわよね。スミスよ。よろしくね。あなたは?」