「無風通夜」
「ぎゃああああああああああああああああ!!?」
業平は空を飛んでいた。いや、正確には、成層圏すら突き抜けこの星の外に追いやられそうになっていた。
「どんどん樹林から遠くなっていくぅぅぅぅっっ!!?」
とてつもない速さで離れていく樹林を見て業平は叫ぶ。
先ほどまでは辺りが緑林に囲まれ、アーサーを背負いながらどうロウィンに向かおうかと考えていた周りは、今では空と雲と夕焼けの天と地の変動によって逆転していた。
「どこまで飛んでいくんだ俺はっ!!?このまま宇宙にまで飛んでっちまうのかっっ!!?いや、それよりもっ!!」
叫びながら業平は、いつの間にか着込んでいた謎の服に目を向ける。
それは、狩衣という、平安時代以降の公家が普段着としていた着物なのだが、歴史に強い人間ではない業平は、昔の貴族が着ていた高級そうな服だと思っていた。
だが、それは空を飛ぶ前までの認識であって今は違う。狩衣を見て叫んだ理由、それは..
「問題はこの服がいつまで俺を飛ばし続けるかだっ...!!」
首から下、つまり、狩衣から放出され続ける力は例えるなら暴風。
その風は、業平の身を渦巻くように広がり、衰える様子すら見せずに天高く突き上げよう噴き出し続けていた。
「このまま飛ばされ続けたら終わり..でも、この風が途中で消えても空なんか飛べるわけがないからどっちみち終わり....どうしようもないな..」
上を見て、下を見て、苦悩する。まさに今の業平は無力だった。
「...あっという間だったな、よく分からない世界での二年は。こんな形で終わるとは思わなかったけど、最後に外の空気吸って吐けただけ幸せか..鉱山が消滅してなかったら、それすら叶わなかったんだから..」
「アーサー、悪い。俺、ここまでみたいだわ」
視界が黒く染まる...
「........あいたぁぁぁぁっっ!!?」
ことはなかった。
「な、なんだっ!!?何でおでこに激痛がっっ...」
終わりだと、意識を落とすように目を閉じていた業平だが、突然感じたおでこの痛みに悶絶しのけぞる。
それでも、手で押さえながら前を向くとそこには、業平をさんざん追いかけ回し苦しめ続けた剣がいた。
「はぁぁぁぁ!!?う、嘘だろ!!?なんでこの気持ち悪い剣がここに...!!?あたたたたたっっ!!?」
目の前で浮いている剣は少し全体が光っていて、曇りが一切都内透き通った剣身には、業平の驚いた顔が綺麗に反射していた。
そして、その驚いた顔が良くなかったのか、業平は、またもや剣身の面でおでこを叩かれ続けた。
「..こ、このクソ剣がぁぁっっ!!!さっきから人のおでこ叩きまくって、ふざけるなっっ!!!だいたい、何で飛んで来いって命令してないのにこっち来てんだよ!!!気持ち悪い!!!......ん?あれ、ちょっと待って...何で風が消えてっ...え」
違和感、それは、先ほどまで風と風とが擦り合うようにぶつかり、頭が痛くなるほどに鳴っていた風切り音が聞こえなくなったことに対する変化の感知。
今はただ、凍えるように寒い冷気だけが体を通り抜けるように吹いている音だけが耳に響いている。
「....」
業平は剣から目を離し、恐る恐る周りを見る。すると..
「...と、止まった??」
景色は揺れも動きもせず、ただ一定に留まっていた。
「何で止まって...もしかして」
確認するように業平は剣の方に目を向けた。
すると、無機物に感情が宿るのかは分からないが、剣は胸を張るようにキラリと強く光った。
「....うげぇ、まじかよ、こんなのに助けられるとか、どんな風の吹き回しだよ」
だが、業平は感謝などしない。むしろ、なめ腐った。
どんな理由があろうと恩知らずでしかないのだがそれもそのはず、今は剣だが業平からすれば、二年間、投げても埋めても壊そうとしても意味はなく張り付いてきた石であり、先ほどまで、その煌びやかな刃に追いかけ回されていたのだから感謝の意など示せるわけがなかった。
それが更に、自分の身を痛める理由になる事が分かっていたとしても..
「おごぉぉっ!!?..こ、こいつ、腹をっっ..」
感謝が無い事だけにではなく、そっぽを向き、見ようともしない態度が気に食わなかったのか、剣は、業平の腹を抉り潰すように柄頭を押し込んだ。
「......物凄く痛いし、苦しいけど、今はそんなこと気にしてられないからな。我慢だ、我慢だ俺」
腹に柄頭を押し込まれ、口から胃液が洩れ出る業平だが、それを手で押さえると、もう片方の手で剣を払い、直ぐに顔を上げ、睨むように見ると構えをとった..が、直ぐに構えを解いて下を見下ろした。
そう、業平が言うように、ここは空の上。いつ落下し始めるのか、いつ、また空高く飛ばされ続けるのか分からない状況。
この状況を無視して戦いを挑めるほど、業平は馬鹿ではなかったし、もう一つ、業平が戦いを挑むのをやめた理由があった。
「思い出したんだが、この服が現れたのってお前におでこ叩かれた後からだよな。いつの間になんて俺言ってたけど、、この服、お前が着せたろ」
確信を持ったように業平は剣に尋ねた。
そうすれば、剣が頷くように光り、反応を返した。
「..剣に確認取って納得するなんて普通じゃないけど、今は、こいつと自分を信じるしかないな」
業平は、思い返した少し前の記憶から考える。
今着こんでいる服は目の前に浮かぶ剣が着せた物で、剣は攻撃してきたりするが、頭の中か、口で命令すれば、飛ばしたり、引き寄せたり、止めたりする事が出来る。
更に、剣が自身に触れれば、渦巻くような風は消え、落ちないよう、一定の風が服から穏やかに放出され続ける状態に変わった...つまり、これらから導き出せる答えは一つ。
「直接命令しても通るんだろうけど、剣が俺にこの服を着せたんだ。どんな原理かは置いといて、これも、アーサーが教えてくれたやり方を試せば大丈夫なはずだ...考えが間違ってなければ」
業平は剣に命じる。アーサーの教えと自分の選択を信じて。
「この服を思い通りに使わせろ」
剣が光る。
「......へっ!!そう何度も何度も食らうと思ってっ..!!?うごぉおっっ...!!?」
命令を受けた剣は全体を光らせ、業平の命に答えたかと思えたが、またもや柄頭を先端にして突っ込みだした。
それを何度も攻撃を食らってきた事から読んでいた業平は、焦る様子も見せずに少し首を横に傾けると、剣は後ろに通り過ぎた。
勝ち誇った顔を業平は浮かべる。しかし、次の瞬間、腹に何かを叩きつけられたかのような痛みが走る。
「..こ、こいつっ、俺の腹を叩いてっ...!!?」
何が痛みの原因なのか顔を下げると、腹に剣身の面が深々と叩き込まれていた。
業平はそれを見て目を見開き恟然とした表情を浮かべる。
痛みも気になったがそれ以上に、頭に浮かんだ想像が正しければ、剣は、攻撃を避けられた事で柄頭が空ぶると翻るように一回転して、そのままの勢いで腹に、打ち上げるように面を叩きつけたことになるからだ。
「...な、何なんだよお前はっっ!!俺を、何度も何度も痛い目に合わせてっ!!どっか行けよっっ!!怖いんだよっっ!!...何チカチカ光ってんだよ!!煽ってんのか!!!」
それでも、いつまでも腹に面が叩き込まれたままなのは嫌なのか、剣の掴んで投げ飛ばすも、痛みで力があまり入らず、飛んできた地点と同じ場所に止まり、チカチカと煽るように点灯している。
「こ、このぉぉぉっっ!!!...い、いや、今はそんなことよりもだ!!過程はどうあれ、剣に命令した後に俺に触れたんだ!これで、自由に浮いたり飛んだり出来るはず!!そうだよな!!剣!!」
痛みと怒りで震える体を抑え、叫ぶように確認を取る業平に剣は光った。
「よしっっ!!痛いの我慢したかいがあったな!!これで帰れる!!...って!なんでまた飛んでくんだよ!!」
何が引き金になったのか、剣はやっと地上に戻れると喜ぶ業平に水を差すように今度は刃先を向けて飛んできた。
「ふっ!!」
業平は体を横にずらし避けると、右手で剣を掴んで動けなくさせた。
「お前もしつこいなぁ...!!さっきは避けた後に、俺の思い込みによる油断で攻撃食らっちまったから絶望しただけで、お前の攻撃を見切れないわけでも、止める方法がないわけでもないんだぞ」
逃れようとカタカタと揺れる剣を冷たい目で見下ろしながら業平は囁く。
「まぁ、これもアーサーが教えてくれたことなわけで、自分が誇れるものは何一つない事には変わりないんだけどな」
業平は思い出す。二年間、鉱山で壁を掘ったり、搬入作業に勤しんだりしながら、アーサーに強くなれと鍛えられた日々を。
強くなりたいと願ってないと言っても懇願むなしく、辛くて長い作業が終わると、修行と称して蹴られたり、殴られたり、投げられたりして何も出来ず硬い地面に突っ伏し、時には壁に顔がめり込み、朝まで抜け出せなかった日もあった。
精神的にも肉体的にもそれ以上の事も沢山あった。勝手に思い出しといて業平は辛くて泣きそうになりだした。
「..強くなりたいとか、強いやつと戦いたいとか、そんな願望、今も持ち合わせちゃいないけど、お前みたいに、俺のことを傷つけようとしてくる奴を抑え込める力があるっていうのはいいもんだ」
言葉は続く。
「おい、暴れんな。見てわかる通りこっちは疲れてるんだよ、お前に振り回されたせいで...って、分かるわけねぇか。お前剣だから...ぶふっ」
勝った気にでもなっているのか、業平は、追撃するように煽りだす。
それがよくなかった。
「しつこいな、無駄だって言ってんだろ。どんなに暴れても逃れられない腕力の差ってもんが...?そんなに光を貯めて何をっ..!!?」
掴む手から逃れようと激しく暴れていた剣の動きが止まる。
そして、外側から内側に剣を包むように魔力が収束していき、業平の目を焼くように広がった。
「目がぁぁぁぁぁっっ!!!?」
想像を絶するほどの痛みが目を襲い、もだえ苦しむように業平は泣き叫び、痛みで、掴んでいた剣を手放そうとするが、剣が業平の手から離れることはなかった。
剣から放出された魔力の一部が伸び、縄の様に業平の手を覆ってきつく締まったからだ。
「ぎゃああああああああああっっ!!?」
そして剣は、業平の手が絶対に離れないよう更に魔力を込めて固めると、猛速で樹林めがけて急降下を始めた。
「たすけっ.........」
最初は目を焼かれた痛みや、真っ逆さまに落下させられる怖さで騒いでいた業平だったが、下に突き進む力のせいで呼吸することが出来ず、体の中の酸素が失われると気絶してしまい、死人のように動かなくなってしまった。
だが、そんな業平を他所に、剣の降下する速度はどんどんと上がっていき、数分後、あんなに離れた樹林が目前に迫るが勢いは落ちず、そのままの速さで中に入り込み、地面に突き刺さらないぎりぎりで剣は下向きから真正面に向きを変えると樹林の中を突き進んだ。
...............................
「...もう夜か」
業平が剣に引っ張られ降下しているころ、目を覚ましたアーサーは業平の帰りを待っていた。
「夕日が上る前には目が覚めたのに、業平、帰って来ないな...やっぱり、俺のこと置いて先進んだのか...?」
目が覚めた時にはいなくなっていた業平は、いつまでも待っても帰ってこないので自分は置いて行かれたのかと悲しむアーサーだが、それを直ぐに馬鹿な妄想だと頭を振ってかき消した。
「違うな、業平は、気絶した俺を置いていくような奴じゃないし、俺たちの仲は、風に吹かれれば消えるような関係じゃないはずだ」
置いて行かれるわけがないと自信を持って呟くとアーサーは、辺りを見て業平が自分を置いてロウィンに向かったわけではない理由を考え始めた。
「業平が俺を置いていくなんてことは絶対にありえないが、仮に一人でロウィンを目指し始めたとしても...この惨状を業平が乗り切れたとは思えない」
そう言いながら辺りを見渡し始めたアーサーの周りは、歩く隙間を探すのが難しいほど木が密接し合っていたというのに、今はそんな空間は最初からなかったかのように根っこごと吹き飛ばされていて、地面は、何かとてつもない力が飛び上がったかのように捲れあがっていた。
「業平に魔力の存在は教えたが、監視役に魔力を引き出せることがバレると殺されるぞと忠告したからこの惨状は業平自身の手によるものじゃないはずだ..それに、例え裏で俺にもバレないよう魔力を引き出す練習をしていたとしてもこれは魔法の域。それも、相当経験や研鑽を積まないと放つ事が出来ない程の..」
自身を含めた他の奴隷、また、監視役達に悟られないよう、裏で一人、魔力を引き出そうとしている業平の姿を想像して、声に少し怒りが混ざるも、直ぐに思考を切り替え、気絶してから得た情報を元に考えを構築し始めた。
「目を覚ますと消えていた業平..そして、吹き飛ばされた木々と、何かが飛び立ったかのように捲れた地面...魔法によるもので、誰がいつどこで放っ...たか...?」
何かが引っかかった。何か、何か忘れているような、そんな思いが胸に渦巻くアーサーの顔は青ざめ、汗が流れて止まらなくなる。
いや、それ以上に..
「何故、俺は、生きてる?」
風が切られるような音がした
一番難しかった、大変だった、怖かった、
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