ある日、バザールでゴザールで追いかけっこをしました
月に一度、王都の中央広場ゴザール広場にて、異国からやって来た様々な商隊が合同で開くバザールがある。
バザールの存在は噂には聞いていた高位貴族令嬢のプリムローズたちは、近頃サロンへ講師として招いている吟遊詩人のグスタフ・グスタン(27)に「一度はバザールに行って異国情緒を体感するべきですよ」と言われ、彼の案内にて初めてそのバザールに訪れたのであった。
様々な国の様々な食べ物や物品。
生地ひとつにとっても織り方や染色の技法など多種多様で、プリムローズ達は目をキラキラさせて市場を回った。
男のフェロモンダダ漏れのグスタフに勧められて人生初の屋台での買い食いも体験したプリムローズたち。
公爵令嬢でありながら前世の記憶が蘇ったエリザベスは買い食いに少しの抵抗も感じないらしい。
串焼きの肉にかぶりつくそんなエリザベスを、少し離れた所で見守っているレントン公爵家の護衛騎士が驚愕の眼差しで見ていた。
「ご令嬢方、あちらをご覧なさい」
グスタフが色気たっぷりな流し目を向けた方向に視線を辿ると、そこには周囲よりも高くなるように設えられた簡易的な舞台があった。
そして見た事もないような異国の管楽器を手にした妖艶な女性が丁度演奏を始めようとしているところだった。
「あれは西方大陸最南端の国に古くから伝わる民族楽器ですよ。曲は遠く離れた故郷を思う旅人の心情を歌った民謡がベースになっているようです」
グスタフの解説を聞きながら、エリザベス心の友の会のメンバーは各々感心しながら、その郷愁溢れるせつない音色に耳を傾けた。
そんなプリムローズたちを吟遊詩人のグスタフは微笑ましげに見つめている。
その時、プリムローズはそんな柔らかな眼差しとは違う、別の強い視線をその身に感じた。
「ん?」
プリムローズはその視線の方向へと引き付けられるように目を向ける。
するとそこにはなんと、
「エクトルっ?」
多くの人が行き交うバザールの中、簡易舞台を挟んだ斜め向かいの方向にエクトルを含めた生徒会執行部の面々がそこにいた。
向こうはどこかへ移動している最中らしく、エクトル以外はこちらに気付いた様子は見受けられない。
紅一点であるリュミナを囲み、楽しそうに談笑しながら歩いていた。
エクトルは呆然としてこちらを見つめ、その一行から取り残される。
「……プリム、」
距離があったので直接声が届いた訳ではないのだが、エクトルの口が自分の名を象ったのを見た瞬間にプリムローズの体は動いていた。
咄嗟にエリザベスに、
「ちょっと向こうを見てきます!」
と言い残してプリムローズは脱兎の如く駆け出した。
とにかく逃げなければ、そう思ったのだ。
まさかこんなところでエクトルと出会すなんて。
向こうはリュミナを連れてバザールへ遊びに来たのか。
エリザベスが物語は着々と進行していると言っていた通り、プリムローズたちの婚約者は確実にヒロインリュミナとの関係性を深めていっているのだろう。
そんな姿なんて見たくはないし、まだ国外追放されるわけにはいかない。
───だってまだ何の準備も出来ていないもの。
冒険者ギルドに登録して、銀行に口座を開設してタンス貯金していたお小遣いを預金して、ギルドに登録する冒険者名もまだ考えていないし、家族に充てる国外追放される親不孝を謝る手紙も書いてないし、それから、それからっ……
そんな事を頭でぐるぐると考えながらプリムローズは必死に走った。
買い物客でごった返すゴザール広場を出て路地裏に入る。
しかし市井の地理に疎いプリムローズはすぐに袋小路へと突き当たった。
「あっ、」と思って引き返そうと思ったその瞬間、後を追ってきたであろう人物の胸に飛び込むようにぶつかってしまう。
体当たりに近いほど強くぶつかったというのにその人物は危なげなく(片足を一歩引いて踏ん張ったようだが)抱きとめてくれた。
バザール内で全速力とはいかなくてもそれなりの距離を走ったせいか互いの呼吸音が忙しなく聞こえる。
プリムローズを抱きとめたまま離さないその人物が誰かなんて顔を確認しなくてもすぐにわかる。
だけどその人物がなぜわざわざ追ってきたのかがわからない。
そしてなぜ同じくバザールに来ていたのかも。
───エクトル、どうして……?
ようやく息が調ってきたプリムローズがエクトルの腕の中で小さく身動いで言った。
「エ、エクトル、なぜここに……?」
「リュミナがバザールの事を殿下に話して、それに興味を示された殿下がお忍びで見物に来られたんだ。もちろん護衛はそこかしこに配置されているが、キミたちご令嬢がなぜこのような場所に来ているのかの方が不思議でたまらない」
「い、一応町娘のような服装をして貴族だとは分からないように変装したんだけどよく見破ったわね……?」
「変装できていないな。キミが貴族令嬢だとわかる者にはわかるよプリム。それにたとえプリムが完璧に変装しても俺は絶対に見分けられる自信がある」
「え。すごいわね、今度試してみてもいい?」
「それは構わないけどプリム、質問の答えになっていないよ。なぜキミが、いやキミたちがこんな場所に?」
「それは……えっと後学のための社会勉強を……」
「後学?しかもキミたちご令嬢だけで?」
「講師のグスタンさんの案内で……あ、そうだわエクトル!男のフェロモンってなぁに?みんながいつもそう言うのだけれどわたし、わからなくて……」
「………とにかく帰ろうプリム。屋敷まで送るよ、それからゆっくり話を聞かせてくれ」
プリムローズの肩を抱いて帰宅を促すエクトルに、プリムローズは慌てて告げる。
「でもっ……エリザベスお姉様たちに黙って帰るわけにはいかないわっ」
「それはもちろん声を掛けてから帰るさ。俺も殿下に了承を得ないといけないし」
そう言ってエクトルはこれ以上は有無を言わさないといった空気を醸し出しながら歩き出した。
まず向かったのはルドヴィックたち執行部の面々のところである。
皆、「少しお側を離れます!」と言って突然走り出したエクトルがプリムローズを伴って戻って来た事に驚きを隠せないでいた。
「プリムローズ嬢っ?なぜこのような場所に?」
ルドヴィックがそう言ったのに対し、エクトルが答えた。
「我々と同じですよ。ご令嬢方皆で見聞を広めるために訪れたそうです。殿下、俺はこのままプリムを屋敷まで送り届けますので本日はこのまま失礼いたします」
エクトルのその言葉にリュミナが頬を膨らませて抗議した。
「えーーっ!せっかくみんなで楽しんでいたのにエクトル様帰っちゃうのっ?プリムローズ様は辻馬車に乗せてあげればいいだけじゃないですかっ!」
そう言ってリュミナはプリムローズをキッと睨む。
まぁ子リスのように可愛らしいわと思ったプリムローズの隣でエクトルが返した。
「どこの世界に婚約者を辻馬車に放り込んでそのままま遊び続ける奴がいるんだ。それに俺は彼女を他人に任せるつもりはない」
「まぁ、エクトル様ったら責任感が強いのね♡さすがだわ!じゃあプリムローズ様を送ったらすぐに戻って来て下さいね♡」
「いや。そのままプリムローズと話をするから今日はこれで失礼するよ。よろしいですよね?殿下」
少々圧を掛けながら(不敬)ルドヴィックに確認すると彼はすぐに頷いた。
「それはもちろん構わんが。ちょっと待て、プリムローズ嬢がいるという事はまさか……」
それをいいながら段々と焦りを滲ませるルドヴィックに今度はエクトルが頷いた。
「はい。レントン公爵令嬢や他のご令嬢方もご一緒なようです」
「ベスが……バザールにっ!?」
驚き過ぎたルドヴィックが素っ頓狂な声をあげたその時、プリムローズ側の背後から話しかけてくる声があった。
「プリムローズ!どうしたというの?突然走りだして………殿下………」
「……やはり来ているのか……ベス……」
プリムローズを探していたであろうエリザベス一行とルドヴィック率いる執行部の面々とが、鉢合わせとなったのである。