不義理
不義理
ある晩のこと。
母が突然、「私の弟子の募集辞めてもらえる?」と言い出した。
はじまりは先週あった一本の電話に遡る。
「ブログを読みまして、茶道を習いたいと思いご連絡しました」
とある日、自宅にそういう電話があったそうだ。
キチンとした方だったそうだが、その木曜日に見学にとのこと。
私はちょっと面喰らった。
母と私の間で、「お茶事へ行こう」や「お茶会へ行こう」の後の一週間はお稽古休みの取り決めがあったからだ。その日曜によりにもよって「お茶事へ行こう」をしたばかり。稽古場は所狭しと道具が干されている。
「え? なんで?」
「善は急げでしょ?」
最早、何も言うまい。
母は私が自分の思い通りに動かぬと気に入らないのだから。言い合いも面倒で、私は黙ることにした。
個人的には急いては事を仕損じるーーと思わなくはなかったが、その土日にしようと思っていたことをし始めた。
干してあった懐石膳を仕舞い、懐石道具を仕舞い、渡邉庄造作の唐銅鬼面風炉を仕舞う。陶板と鉄鬼面風炉は既に用意してあり、雪洞が被されてある。三階と一階を行き来した。
稽古道具を用意して、点前が出来るように用意。
姉弟子から頂いた秋田杉の内朱面桶建水を用意し、天節の竹蓋置、箪瓢形の中水指、仁清写の茶盌二つ、常穂の茶筅二つ。二つあるのは母が手本を見せるためのものだ。
私は師匠と同じように口だけで指導するが、母はやってみせるようにしている。どちらがいいとかいう問題ではない。これは教え方の好みなのだろう。
着付の稽古用に姿見の鏡を二階から下ろし、準備万端ととのった。
明けて木曜の夜、母は上機嫌だった。いらした方はとても頭の良い方で、言ったことをすぐに理解できるし、他流を習われていた割には癖が染み付いていないし、何よりもお茶が好きで、娘さんがいて就活中で来られないが歴史好きであり茶道に興味があるーーなどなど、私に嬉々として語る。
「まだ先の話だけれども、あんたに付けるか、私につけるかね?」
始まった。
私は、これをやめたほうがいいと前々から思っていることである。
教え始めた先生が教え続けるのがいいに決まってるのだから、教えた先生が取り次げばよい。
しかし、師匠と家元の考えは違う。私につけるべきと考えている。それは、私に実績をつけさせるためである。
そして、母もそうは思っているのに、態々こう言ったその心理を推し量らねば地雷を踏むのは間違いない。
「いいんじゃない? お袋が教えれば。責任教授がウチに二人いてもよいのだから」
母は満足そうだった。
私は既に責任教授である。責任教授と教授の差は「弟子の許状を取り次いだことがあるかどうか」である。組織上、責任教授は教授の上とされる。
恐らく、母は私が責任教授で自分が教授であるのが気に入らないのだ。
親子なんだから、そこどうでもいいでしょうに、母にとっては私が自分より上に行かれるのがとても許せないのである。
「……」
私は人知れず溜息を吐いた。
その上機嫌も翌日までのことだった。この週の土曜日は月に一度の師匠のところでの稽古日である。
稽古が終わり、バス停近くのラーメン屋で呑むことになった。
案の定、母は弟子の件を告げ、どちらにつけるべきかを尋ねた。師匠は言う。
「そら、あんた、こっちにつけといた方がいいでしょ」
母の顔に一瞬落胆の色。
最初からわかっていたことだ。家元も師匠も個人の感情より、組織のことを優先する。師匠は、私を早く上にあげさせて、跡を継がせたいのだ。それには実績が要る。
「そうですよね。私は、この先長く教えられないし、いずれコレの弟子になるわけだから、最初から責任教授にしておいた方がいいですよね」
私にすれば、どっちでもいい。上にあがりたくない訳ではないが、そんなものは周囲に認められてからでなければ意味などないのだから。
私は、実力でのし上がりたいという気持ちがある。先代から直接教えを受け、筆頭宗匠になられた師匠の最後の弟子であり、師匠が「あたしの跡はあんた」と指名してくださったのだから、実力を示さねば、誰も納得しないだろう。
そして、その時、母へ一通のメールが入った。
母の顔色が変わった。
「どしたの?」
訝しんで問うが答えない。笑って誤魔化すだけだ。
時刻になり、暇を告げて帰途に就いた。その車中で、母が先程の話をし始める。
「菱田さん、お断りだって」
「なんで?」
そのメールには理由が書かれていなかったようだ。母は多くを語りたがらなかった。
「お稽古日まで決めて、帯締めも渡したのに……」
ああ、出たよ。母のお人好しが。キチッとした性格が故だろうか、母は約束したことを守る。それが故に相手もそうするものだという前提で物事を進めてしまうのだ。
これは口約束でも契約が成り立つ関西圏と、書面で取り交わさないと成り立たない関東圏の意識の違いとも言える。
「色々事情があったのかもしれないし。仕方ないじゃん」
母には、約束が守られなかったことが、堪えたようだ。裏切られた思いなのだろう。
そして、自らを守るために私を攻撃する。
「あんたの言葉にも傷ついたのよ」
申し訳ないが、母と私では茶の学び方が違う。
茶は守破離だ。先生といえども人であり、絶対に正しいとは言えない。その破れを見つけて補うのも弟子の務めであると私は思っている。
母は感性の人である。
手は綺麗だし、きちっとこなす。動作の理窟はキチンとできる。しかし、教わったこと以上ではない。自分で学び、考えてはこなかったのだ。
今回のことは誰の所為でもない。何が問題で断られたのかもわからないままなので、推測でしかないが。
母の良さというのは、すべてを他人より優秀であろうとする姿勢だ。しかし、競うような意識をみせられ続けると辟易とする。
そのために、私の苦手なところを態々指摘してくれなくていいですわ。