食指
食指を包丁で切った。
昨日は珍しく私が炊きおきのご飯が切れそうなのに気づき、米を研いだ。
我が家は日々ご飯を炊かなくて良いように炊きおきをする。一膳づつタッパに詰め、冷蔵庫で保管していた。本当はラップでくるんでおくと長持ちするのだが、消費する日程からしてそれほど劣化しないので、そのままである。
米を研ぐと、その研ぎ汁を洗い桶に入れておく。母曰く、脂汚れや油汚れが落ちやすいのだそうだ。
一応、米を研ぐ前に、洗い桶は空にしておかなければならないので、前以て洗い物はしてあった。その間に洗濯機が回っている。
洗い物も米も研ぎ終わり、洗濯物を干していたら母が帰宅した。
母は七十にしてよく動く、よく働く。息子ながら感心するし、しかし、この人は働かねばボケる気がしているので、働いていた方がいいよ……といつも言っている。
夕飯の支度。
私は料理が作れない。作ることが出来ないと言うよりも、作った経験がないという方が正しいか。
食事を終え、炊きおきタッパを作るべく、タッパを用意する。詰める。ご飯があまりそうだったので、その日空いたタッパを洗い使いまわそうとした時、指が切れた。
まさか洗い桶に包丁が入っているとは思わなかったから、無造作に洗い桶に手を突っ込んだのだ。
普通、洗い桶に包丁は入れない。
私はそれでも何も言わず、絆創膏を探し出し、指に巻いて黙々とご飯を詰めた。
飯釜を取り出し、水に漬ける。杓文字を中に沈めておいた。しばらくすれば、流すだけで綺麗になるからだ。
終わって一服していると、母が指の怪我に気づいた。
どうしたのか?と聞くので、包丁が洗い桶に入っているとは思わなかったので、指を切ったことを言った。
「バカじゃないの? そういうこともあるから、気をつけなさいよ!」
母はそう批難した。
私は耳を疑った。そこはごめんね、ではないのか。
母は自分が気をつけられるなら、気をつけている。年をとって面倒臭くなって、しんどくて、注意力が散漫になっているから、お前が気をつけなさいと宣わった。
私は、解ったと返事をする。
しかし、母にも気をつけて欲しい旨を告げた途端、三時間にも及ぶ私への批難が始まった。
日常の不満をぶつける相手も友達もいない母にとって、息子の私だけが、平然と言える相手なのだろう。では、ぶつけられた私の不満は何処にぶつけられるというのだ?
私は不満だった。
父が家を出たのは私が幼稚園に通っている頃だった。母の性格は昔からこうだったから、嫌になって癒しを外に求めたのだろうと思う。
多くの男にとって、家庭とは気を置かないで良い場所であり、外での疲れを癒す場であるのに、母に掛かっては家が戦場さながらである。
これでは明日の活力など生まれず、逆に精魂尽き果てるというものだ。
私にも至らぬ点は多々あるだろう。しかし、人は思いやりであるし、普段していないことをするというのはとても大変なことである。
慣れというのは恐ろしく合理なものであり、途轍もなく洗練されたものなのだ。つまり、人は少しずつでなければ新しいことを増やすことなど出来ない。必要は上達の母とはいえ、一朝一夕にできるようにはならぬものだ。
それにしても、たった一言、「ごめんね。でも、私も年取ってそういうことも増えるから、あんたも気をつけてね」と最初に母が言っていたら、この三時間という無駄な時間を過ごさなくて良かったのではないか……一晩明けて、私はそう結論した。
どちらが悪い訳でもない。
しかし、たとえ家族であっても、他人は思い通りには動かないのだ。努々、忘れること毋。