逢魔時《おうまがとき》
逢魔時と呼ばれる時間帯がある。
光で照らされるでもなく。
闇につつまれるでもなく。
どちらにも所属しない夕方の時間帯。
まるで世界の境目のようなその時に、実は異なる世界と繋がる瞬間があると知ったら、あなたは。
いつもの光景でも、恐れず歩くことが出来るだろうか。
学校からの帰り道。ヨシキは幼馴染みのユリと些細な行き違いから置いてきぼりにされ、少々苛立っていた。
原因はお互いの思い込みである。
そう分かっていたから素直に謝る事が出来なかったし、長い付き合いだから先に頭を下げる事も出来なかった。
そして今、田んぼに囲まれた農道を、いつもならユリと一緒に通る道を、ヨシキは独りで歩いていた。
日が沈み、全ての輪郭が朧気となる黄昏どき。逢魔時。
幼い頃のユリは、この時間を怖がっていた。いや、今でもこの辺りを通る時は距離が近かった気がする。
ヨシキがふとそんな事を考えたとき、ポケットのスマホが鳴った。ユリの好きな楽曲を流すそれを取り出して、通話をタップする。
「ユリ?」
いつの間にかユリの心配をしていたヨシキは、とにかく声が聞きたかった。
『…………いま、どこよ』
不機嫌な、だけど長い付き合いだから分かる、どこか甘えた声に、ヨシキは安心した。
「いつもの農道だよ。団地の入口まであと500mくらい」
『え? あたし、まだ手前の堤防だけど』
そんな馬鹿な。
ヨシキは誰とも会っていない。ユリがいたなら喧嘩になったかもしれないが無視などしない。
ヨシキは胸騒ぎがして、来た道を振り返る。堤防まで一直線の農道を、手前から奥へと見ていく。
いた。
遠くてハッキリしないが、ユリが堤防にいた。
「見えた。そっちへ行くよ」
ありえない事が起きている。そう気付いたヨシキは、カバンを置いて走り出した。
『いいよ、別に。てか本当に農道にいるの? 見えないんだけど』
「いま、むかってる、俺からは、ユリが見える」
何かがおかしい。
ユリのいる所まで、およそ2分。見えないはずがない。ヨシキからはユリがこちらに歩き出したのも見えている。
『え~――ザッ――暗いからか――ザッ――しから――ザザッ――ないよ?』
なぜか音声が途切れ始め、膨れ上がる不安の中でヨシキは見た。
透明な、靄の様な何か。
それが、ユリの周りをグルグルと回っている。
無数の腕をのばし、品定めするかのように、ゆっくりと。
「ユリ! 駄目だ! 動くな!」
「あ! ヨシキいた!」
届いた声に安心したのか、ユリが駆け出した。
そこに靄が回り込んで重なり、
「やめろお! ユリぃ!!」
―――ユリは忽然と消えた。
『あれ? ヨシ――ザザッ―――ツーーーー……』
一瞬だけスマホから聞こえたユリの声。
「ユリ! ユリ! ユリぃぃぃぃ!」
ヨシキの悲痛な叫びが、いつまでも響いていた。
行方不明事件の重要参考人となったヨシキは全て正直に話したが、不可解な話を信じる者などおらず、大切な幼馴染みを失ったというのに、ヨシキに同情する者はいなかった。
2年が過ぎ、ヨシキは堤防を訪れていた。
あれからすぐに家族ごと引っ越した。身内にまで疑われて家を棄てた。そして今日まで独りで生きてきたが――もう限界であった。
ユリが消えた場所に座り込み、大切に保存していた、ユリからの最後の着信履歴を眺める。
日が沈み、全ての輪郭が朧気となる黄昏どき。逢魔時。
「……謝っていたら、こんな事にならなかったのかもな」
後悔が口を突いて漏れた。涙はとうに涸れている。
――いっそ自分も、あの靄に消されてしまえば――
そんな事を考えて、フラりと立ち上がる。
「あれ? ヨシキ? 今むこうに見えたのに何で?」
突然背後から掛けられた声に、ヨシキの体が跳ねた。
恐る恐る振り向くと、そこに――居た。
「……ユ、リ?」
「ねえ、どうやって一瞬でここまで来た…………あれ? あんた背が伸びてない? ――きゃ!?」
「ユリ、ユリ! ユリ!!」
「ちょ、ちょっと、ヨシキ! こんなとこで!!!…………て、泣いてんの?」
全身でユリを感じながら、ヨシキは泣いていた。
哀しみの涙は涸れていた。
嬉し涙は、当分涸れそうになかった。
ユリのスマートフォンにはヨシキとの通話を最後に使用履歴がなかった。アプリケーションの更新通知も届いておらず、これらの不可解な通信記録は空白の2年が存在する極め手となり、ヨシキの疑惑が晴れることとなった。
逢魔時と呼ばれる時間帯がある。
光で照らされるわけでもなく。
闇につつまれるわけでもなく。
どちらにも所属しない夕方の時間帯。
まるで世界の境目のようなその時に、実は異なる世界と繋がる瞬間があると知ったら、あなたは。
いつもの光景でも、恐れず歩くことが出来るのだろうか。