親友に裏切られたオンディーヌ。願うはもう一度、あの日へ。
オンディーヌは久しぶりに、友達と会う事になった。
ゆらゆらと水槽に浮かぶ銀の魚…
目の前で口から血を流して息絶えた親友。
まさか、そんな事になるとは思わなかった。
オンディーヌ・ルルク伯爵令嬢。
歳は18歳。兼ねてからの婚約者マルディス・アレクトフ公爵令息と3年の婚約期間を経て結婚するのだ。
親友のマリリア・ユリエス伯爵令嬢。
彼女はオンディーヌと違って、とても派手な美しい容姿をしていた。
金の髪の青い瞳。
それに比べてオンディーヌは容姿こそとても地味で、黒髪に漆黒の瞳。
顔立ちもそれ程、美しい訳ではない。
そんなオンディーヌが玉の輿で、マルディス・アレクトフ公爵令息に見初められて、婚約を結んだのが3年前。そして、王立学園卒業したので近く結婚式を挙げるのである。
オンディーヌがカフェの前で馬車から降り中に入れば、こっちよとマリリアが手を振ってくれた。
マリリアの前にオンディーヌが座れば、マリリアが嬉しそうに微笑んで、
「もうすぐ貴方に会えなくなってしまうんですもの。結婚前に会えて嬉しいわ。」
「私もとても嬉しいわ。今日は沢山、お話しましょう。」
結婚すれば、公爵子息夫人としてアレクトフ公爵家の領地の方へしばらく行くことになる。
領地では夫マルディスの手伝いをし、色々と忙しくなり、当分、王都へ戻っては来られない。
親友ともしばらく会えなくなるだろう。
注文して運ばれてきた紅茶とチョコレートケーキ。
二人で王立学園の時の思い出話に花を咲かせる。
オンディーヌが思い出すようにマリリアに話をする。
「あの時は大変だったわね。いきなり王国の歴史に関するレポートを30枚、3日で書けっていうのだもの。皆で協力して徹夜したわね。」
マリリアが思い出すように。
「本当に、あの頃が一番楽しかったわ。」
オンディーヌはチョコレートケーキを切り取りながら、
「先生も怖かったわね。マリリアも食べて。」
「有難う。それにしても本当に、あの先生怖かった。元気かしらね。」
「それから…生徒会長。王太子殿下は本当に真面目な人だったわ…」
外が騒がしい。窓の外で若者たちが騒いでいるようだ。
思わず、窓の外を見るオンディーヌ。
「賑やかね。お祭りか何かかしら?」
ふいにマリリアが紅茶のカップを手に立ちあがる。
「貴方は私にとても良くしてくれた。私が困っている時に親身に相談に乗ってくれたわ。」
オンディーヌが頷いて、
「当然よ。貴方と私は親友なのですもの。」
水槽の中には細長い大きな銀の魚が優雅に泳いでいる。
マリリアはカップの紅茶の中身をタラタラと水槽の中に流した。
オンディーヌは慌てて、
「何をしているの?マリリア。」
マリリアはこちらを見つめながら、
「私ね…マルディス様と身体の関係にあったの。彼の事を愛していたのよ。」
銀の魚がばしゃばしゃと暴れ出す。
何が起きているの?何が…
静かになった銀の魚は水槽の中で水面に浮かび上がった。
マリリアはちらりと水槽の中を見つめ、
「猛毒よ。」
「マリリア…貴方。」
「私ね。貴方を殺したかった。それ程。憎んでいたの。だってそうでしょう。私、何度もマルディス様に頼んだわ。結婚して下さいって。貴方の事を愛していますって。でも、彼は言ったの。
― 君みたいな淫らな女とは結婚出来ない。オンディーヌは慎み深くて、私がいくら誘っても結婚するまで貞操は守りたいと。何て素晴らしい女性なんだ。それなのに君は、あっけなく私と褥を共にしたね。汚らわしい。他の男とも同様の事をしているに違いない。だから、私はオンディーヌと結婚する。彼女は幸い、王立学園での成績も優秀だ。十分、私の役に立ってくれるだろうよ。―
悲しかった…私は愛しているからこそ、彼に身体を許したのに。」
マリリアの口から血が流れ出る。
「私、貴方を殺せなかった。でも、貴方は私を殺した殺人犯になるわ。騎士団に通報しておいたの。もうすぐ、貴方を逮捕しに来るわ。さようなら。オンディーヌ。牢獄で…いえ、処刑されて破滅するがいい…」
マリリアはそのまま床に倒れ込む。
「マリリアっ。しっかりして。誰か医者をっ。」
騎士団員がなだれ込んできた。
「遅かったか。命を狙われているとマリリア・ユリエス伯爵令嬢から通報があった。」
ひと際、逞しい体つきの髭の生えた容貌の男、おそらく騎士団長だろう。オンディーヌの手首を掴む。
「マリリア・ユリエス伯爵令嬢の殺人容疑で逮捕する。」
「違いますっ。私ではないわ。早く医者をっ。」
他の騎士団員がマリリアの様子を見て、
「亡くなっています。」
騎士団長にオンディーヌは言われる。
「牢獄で言い訳は聞かせて貰おう。」
こうしてオンディーヌは牢獄へ入れられた。
取り調べと言われていたが、取り調べされる事も無く、オンディーヌは冷たい牢獄の中で一人過ごす。
与えられるのはカビの生えたパンと野菜も浮かんでいない薄いスープ。
両親が、マルディス様がきっと助けてくれる。
そう信じていたけれども、3日経っても誰も助けに来てくれる様子も見られず。
オンディーヌは絶望した。
3日後、やっとマルディスが会いに来てくれた。
牢屋の外からマルディスは冷たい口調で。
「まさか殺人を犯す女だとは思わなかった。お前とは婚約破棄させて貰う。」
オンディーヌは叫んだ。
「違います。私はマリリアを殺してなんていない。」
「状況的にお前が殺したんだろう?私が浮気をしていた事を知っていたのか。」
「いえ、知りません。マリリアから聞いて初めて知ったのよ。」
「嘘をつくな。最低な女だな。二度と顔も見たくはない。失礼する。」
マルディスは背を向けて行ってしまった。
「あああっ…このまま私は処刑されるのかしら。マルディス様に見捨てられてしまった。両親も助けに来てくれない。」
その時、黒ひげの騎士団長がやって来て、
「3日も閉じ込めてすまなかった。調べは済んだ。」
牢屋の鍵を開けて出してくれた。
「私の無実は晴れました?」
「ああ、毒を購入したのがマリリア嬢だと解った。ろくな物を食べさせてやれずすまん。罪人の食事は質素な物と決まっているのだ。私が何か奢ろう。」
騎士団長が近くの定食屋へ連れて行ってくれた。
一刻も早く両親の元へ帰りたい。
でも、お腹がすいて大ぶりのパンと肉の丸焼き、たっぷりとしたサラダ。具たくさんのスープを夢中で貪った。
美味しい…とても美味しい。
騎士団長は自己紹介をしてきた。
「俺はジョイド・ラセル、ラセル騎士団長と呼んでくれ。マリリア嬢に恨まれていたようだな。」
「ええ。私は恨まれていたようですわ。あまりにもショックで。私、彼女とはずっと親友だと思っていたんです。それなのに、私の婚約者と身体の関係があったみたいで。」
「それは大変だったな。もうすぐ、ルルク伯爵夫妻も迎えに来よう。知らせておいたからな。」
「有難うございます。」
涙がこぼれる。どんなに心細かったか。
パンを食べながら思わず泣いてしまった。
ラセル騎士団長は慌てたように、
「大丈夫だ。もう、大丈夫。」
傍に来て、背を撫でてあやしてくれた。大きな手…とても優しくて。
心が慰められた。
定食屋から出たら両親が迎えに来ていた。
二人とも駆け寄って来て、
「無事でよかった。」
「心細かったでしょう。わたくし達、何度も抗議したのですよ。うちの娘はそんな事をするはずはないと。」
ラセル騎士団長は困ったように、
「上からの命でな…アレクトフ公爵家は余程、オンディーヌ嬢が邪魔らしい。」
「私が邪魔…」
彼から婚約破棄を突き付けられたのだ。
浮気をしていたマリリアが問題を起こした。自ら毒をあおって自殺した。それに絡んだ自分も邪魔になったのだろう。
かといって権力もない。伯爵家ではどうする事も出来ない。
悔しかった。自分を嵌めたマリリアだって、被害者の一人だ。
あれだけ仲良くしてくれたマリリア。それをあんな風に変えてしまったのはマルディスのせい。許せなかった。
ラセル騎士団長がオンディーヌに、
「女神様の神殿へ行き、願ってみてはどうだろうか。ただし、愛の女神様だから、復讐は望まないと思うが。」
「女神レティナ様ですね。」
この王国も女神レティナ信仰があった。
女神レティナは愛の女神である。
この王都にも女神レティナの神殿があり、真剣に願えば女神が降臨すると信じられているのだ。
女神レティナの神殿に、沢山のハチミツを買い込んで、神殿の祭壇へ捧げる。
ハチミツは女神レティナが保護しているピヨピヨ精霊への貢ぎ物だ。
大きな神殿の祭壇で祈りを捧げる。
他にも数人の信者達がハチミツを祭壇へ捧げ、隣で真剣に祈っていた。
頭の中で声がする。
「貴方のお話を聞きましょう。さぁ、わたくしの神殿へ。」
頭が真っ白になって、いつの間にか見知らぬ神殿の大きな広間に立っていた。
ぴよぴよぴよと鳴きながら沢山のピヨピヨ精霊達が飛んでいる。
女神レティナが金色に輝きながら現れて、話しかけて来た。
「貴方は何を望むの?復讐?それとも…」
「私はマリリアを助けたい。あの日に戻って彼女の命を助けたいのです。」
「貴方の破滅を願った女よ。」
「レティナ様は愛の女神だと…私はマリリアの幸せを願いたい。それはマルディス様は許せないけれども、彼への復讐よりもマリリアに生き返って貰いたいのです。」
「解りました。貴方の願い、聞き入れましょう。」
「有難うございます。」
オンディーヌはいつの間にか馬車の中にいた。
カフェの前で馬車から降りる。
5日前に戻ったのだ。
カフェの中に入れば、こっちよとマリリアが手を振ってくれた。
自分を憎んで毒をあおって死んだマリリア。
殺人の罪を擦り付けて自分の破滅を願ったマリリア。
マリリアの前にオンディーヌが座れば、マリリアが嬉しそうに微笑んで、
「もうすぐ貴方に会えなくなってしまうんですもの。結婚前に会えて嬉しいわ。」
「私もとても嬉しいわ。」
そう、紅茶とチョコレートケーキを注文した。
銀の魚が泳ぐ水槽…あの時、紅茶のカップを手にマリリアは立ち上がったのだ。
だとすれば、紅茶に毒を…いつ?いつ入れたのかしら…
注文した物が運ばれてくる。
ウエイトレスが紅茶とケーキをテーブルに置いた。
今の時点で毒は入っていない。
マリリアにこの後、王立学園の思い出話を切り出したのは自分だ。
いつ?いつ…紅茶に毒を?
そう言えば、窓の外へ視線を向けた…若者が騒いだ。あの時に…
じっとマリリアの方を見つめる。
慌てた様子のマリリア。
「何?オンディーヌ。私の顔に何かついているかしら。」
マリリアの手を両手で包み込む。
「ごめんなさい。貴方の事、何も気づいてあげられなかった。貴方がマルディス様と出来ていた事、私、知らなかったの。マルディス様とは結婚致しません。だから、マリリア。死なないで。生きていて欲しい。だって貴方は私の親友なのだから。」
マリリアはオンディーヌの言葉に目を見開き、
「何で?私がこれからやろうとしている事を知ったような口ぶりで…何でよ。私、貴方に罪をなすりつけようとした。この毒をあおって死のうとしたのよ。」
バッグの中から毒の瓶を取り出すマリリア。
マリリアからその毒の瓶を奪い取り、慌てて投げたら、壁にぶつかって銀の魚が入った水槽にぽちゃんと落ちた。
「私は貴方に生きていて欲しい。ただただ生きていて欲しいの。」
「オンディーヌ…」
「本当に死なないで。マリリア。」
マリリアの方へ走り寄り、強く抱きしめた。
マリリアは泣きだした。
「私の方こそごめんなさい。マルディス様を、貴方の婚約者と浮気をして。本当にごめんなさい。」
二人で人目をはばからずワンワン泣いた。
恐ろしい親友マリリア。でも、生きていて欲しい。大事な親友なのだから。
女神レティナに感謝をした。
マルディスとは婚約破棄をした。
マリリアと浮気をしていたのだから当然で、多額の慰謝料を貰えた。
マリリアは反省をし、自ら修道院へ入ると言い出した。
だが、マリリアの両親がそれを許さず、今は孤児院で孤児たちの為に働いて、自分のした事を反省している。
マルディスはと言うと、新たな婚約を結んだ。
ただ、今度の婚約者はこの王国の王女である。それも相当、我儘でキツイ女性だ。
浮気は決して許さないだろう。マリリアとの浮気も知っており、ギシギシに監視をして、
締め付ける生活をマルディスに強いるはずである。
そして、オンディーヌは何故か、ラセル騎士団長と親しくなり、今、とてもいい感じだ。
いや、ラセル騎士団長は時が戻ったから知り合わなかったはずなのに、何故か、別の機会で知り合いになった。
「今度、お気に入りの定食屋で飯を食おうか。」
「ええ、あそこのご飯は美味しいですわ。」
「え?知っているのか?君もああいう所へ?」
「いえ、その…」
牢獄の後に連れて行って貰った定食屋だとは言えない…
愛しいラセル騎士団長との新たなる恋に心をときめかせるオンディーヌ。
今、とても幸せに暮らしている。