大人編
episode 16
大学を卒業してから、あかりはカフェで働き始めた。
俺は小学校の教師にになった。
「みなさん、今日の道徳の時間は、
命についてです。
みなさんは、
人はなぜ生きるのだと思いますか?」
子供たちが一斉に手を挙げる。
「はい、松山さん」
「理由はないと思います」
「どうして?」
「なんていうか……命には限りがあるので、生きている理由を探すより、感謝して生きることが大事だと思います」
「そうだね。
……私たちは生きることを許されています。
それは生きる権利、生存権と言います。
だからみなさん、自分の命は大事にしないといけません。
お友達に嫌な思いをさせたり、死んでしまえと言ったりしてもいけません」
俺はいつもの先生モードで言った。
俺のクラスの子はいい子ばかりだ。
「影山先生!ちょっと」
同僚の先生が教室に入ってきて、俺を呼んだ。
「……みなさん、先生は呼ばれたので、
待ってる間『心の本』の17ページを読んでおいてください」俺は言った。
「影山先生、県立病院から連絡があって、お母様のことで急ぎの連絡とのことです」
そう言って同僚の先生は、俺にメモを渡した。
「わかりました。折り返します」俺は冷静を装ったが、冷静ではいられなかった。
「もしもし?影山さんの息子さんですか?
お母さんが、1時ごろに倒れて、救急搬送されました。ご近所さんが同伴してくださっています」病院の人は電話口で早口で言った。
「わかりました。すぐ行きます」
俺の顔面は蒼白だったと思う。
「影山先生、大丈夫ですか?」
「すみません、母が倒れて……」
「それなら早く言ってください。僕が授業の続きをします」
「ありがとうございます。すみません……」
「影山さん。影山晶子さんの病室は、あちらです」
看護師さんが案内するがままに、俺は早足で母さんのところに向かう。
カーテンを開けると……
「あら、宙。心配かけたわね」
駆けつけた俺の険しい顔を見て、母さんは穏やかに言った。
あかりのお母さんが、ベッドに添わせた椅子に腰掛けていた。
「大丈夫、お母さん貧血だって。一応検査するみたい」
「……そっか。あかりのお母さん、ありがとうございます」
「ええ。回覧板を届けに行ったの。
そしたらね、お返事がなくて。ドアの鍵が空いていて、玄関で晶子さんが倒れていたの」
「どうやら買い物に行こうとして、倒れちゃったみたい。お世話かけてごめんなさい」
俺は母さんの穏やかな顔を見て、
ほっと胸を撫で下ろした。
母さん、しばらく入院するらしいから、
実家戻っていろいろ準備しないとな……
「お母さん大丈夫だったの?」
あかりは言った。
数日前、アパートに戻ってすぐ、
俺はあかりに母さんのことを話した。
俺とあかりはアパートを借りて
一緒に暮らしていた。
「多分……貧血らしい」
「そっか。今日もお見舞い行くんでしょう?
お大事にと伝えておいて」
「わかった」
その時病院から電話がかかってきた。
「影山さん。お母様の検査結果が出ました。大至急病院まで来てください」
それを聞いて、ずっと胸騒ぎがして落ち着かなかった。
俺は母さんの病室に行った。
「あら、宙」
「母さん、気分はどう?」
「うん。普通よ?
でも検査すごく痛かった!
あなたを産んだ時ほどじゃないけどね」
そんな話をしていると、看護師さんが呼びにきたので、母さんと診察室へと向かった。
「影山さん、落ち着いて聞いてください。
診断の結果、白血病が見つかりました。
病気の説明をさせていただきますね。
白血病とは、血液の……」
医師が病気の説明をする中、母さんはそれを真剣に聞いていた。
ときおりうん、うん、と頷きながら。母さんは全然ショックを受けていないみたいだった。
一方、俺はショックで全く話が耳に入っていかなかった。
episode 16-2
side あかり
こうして宙くんのお母さんの
闘病生活は始まった。
「母さん、調子はどう?」
宙くんは言った。
「大丈夫よ。宙、仕事は大丈夫なの?」
「今日から学校は春休みだ」
「そう。
あかりちゃんも来てくれてありがとうね」
「いえいえ、ご気分はどうですか?」
私は言った。
「うーん。実は抗がん剤がけっこう気持ち悪くてね……あと髪の毛が抜けちゃって」
「そうですか……何かできることありますか?」
「大丈夫。私強いから」
そうして私と宙くんは病室を後にした。
病院の前に公園があって、
私たちは公園を抜けるように歩いていく。
「宙くん」
「あかり?」
「私決めた」
「なにを?」
「秘密」
そう、私はこの時、心に決めたことがあった。
次の日、私は美容院に来ていた。
「この髪、ベリーショートにして、ウィッグ作りたいんです「
「ヘアードネーションですね」
「あ、いえ、寄付するんじゃなくて、私の髪で作ったウィッグを、知人にプレゼントしたいんですけど……」
「わかりました。知り合いにウィッグの業者さんがいます。連絡をとってみますね」
私は髪を短く切った。
とても軽くなって、なんだか不思議な気持ちだった。
「母さん」
「今日も来てくれたのね、あかりちゃんも、ごめんね……」
宙くんのお母さんはもともと痩せているのに、さらにどんどん痩せていった。
ウィッグが今日出来上がって送られてきた。
私はその箱に、院庭に落ちていた桜の枝を結んで、宙くんのお母さんに渡した。
「あら、あかりちゃん……綺麗な桜。それにこの箱……これは何?」
箱を開けると、ウェーブのショートヘアーのウィッグが入っていた。
「まぁ!素敵。あかりちゃんは優しい子ね」
「喜んでもらえてよかったです」
「……あかりちゃん、宙のことよろしくね。
私もお父さんも孤児だったから……
私が死んだら宙には
身寄りがなくなるから、ね」
宙くんはそんな死ぬみたいなこと言うなよ、
というような顔をしていた。
次の日、宙くんのお母さんの容態が急変して、宙くんのお母さんは帰らぬ人となった。
side 宙
母さんが亡くなり、
俺は病室のものを整理していた。
葬式とかどうしたらいいんだよ……
やることはいっぱいで、
悲しむ暇が全くなかった。
引き出しをあけると、
1冊のノートが出てきた。
『宙へ』
もし私が死んだら
お葬式は簡単に済ませてください
私とお父さんは
まごころ園という孤児院で
出会いました。
貧乏で裕福な暮らしを
させてあげられなくて、
ごめんね。
あかりちゃんと幸せに
過ごすのよ。
お母さんは、幸せでした。
晶子
表紙のメッセージを読み、
ページをめくると、
葬式のことや手続きのやり方など、
細々としたことが丁寧に書き込んであった。
「母さん……」
窓から風が吹き込んで、桜の香りがした。
episode 17
母さんが亡くなってから1年と半年が経った。
俺はあるとき、思い立ってあかりに言った。
「あかり。俺のルーツをたどる旅に、
ついてきてほしい」
「ルーツ?」
「母さんと父さんが出会った街に行って、
2人が住んでた孤児院を訪ねようと思うんだ」
「……わかった。どこなの?」
「うん。日本海側の方で、県内だけど、
ここから5時間車を走らせたところなんだ」
「わかった。泊まりがけ?」
「うん。泊まろう。温泉もあるみたいだし」
「じゃあ私、旅館押さえておくね」
「うん、ありがとな」
こうして俺たちは、
俺のルーツを辿る旅に出ることになった。
休憩しつつ車を走らせていくと、
次第に空が青く、
夏の入道雲はより厚く、
草木の緑が深くなってきた。
視界が開けて、左側には海が見える。
俺とあかりは車を止めて、海を眺めた。
「わぁぁ。海だぁ」
あかりは言った。
潮の香りがする。
この街で母さんは、
父さんと出会った……
波は荒々しく、小刻みに波打って、
岩と崖を打ち付けていた。
「まごころ園」
「まごころ園?」
「うん。俺の母さんと父さんが出会った孤児院なんだ。今から行くけど、ついてきてくれる?」
「もちろんだよ、宙くん!」
まごころ園についた。
80歳くらいのおじいさんが、俺たちを
迎えてくれた。
「こんにちは。よく来てくださいましたね。
私は園長の細見です」
「こんにちは。あの、俺、昔この園にいた、安達晶子と、影山信雄の息子で、宙って言います」
「そうですか。覚えていますよ」
園長さんは、古いアルバムを出して、
俺の母さんと父さんの若い頃の写真を見せてくれた。
「晶子ちゃんと、信雄くん。2人とも体が弱くてね。あるとき孤児院を卒業して、2人で街に出て、一緒に暮らすようになったんですよ」
「そうだったんですね」
「ふあー。温泉気持ちよかった!」
浴衣に着替えたあかりは言った。
「いい温泉だね」
「うん。ルーツ辿れてよかったね!宙くん」
「本当だよ」
いいお湯に浸かり、
俺の感傷はどこかへ吹っ飛びそうだ。
その後俺たちは旅館の中にある
料亭に行き、席に着いた。
美しく盛り付けられた前菜を見て、
俺の感傷は完全に吹っ飛んだ。
「わぁぁぁ!かにだぁぁぁ!」
あかりは言った。
「かに好きなの?」
「うんっ!うんっ!」
「そっか」
「宙くん、綺麗に食べるねぇ」
「そうかな?」
「わ!宙くん、窓見てみて!」
窓を見ると、海に夕日が落ちていくところだった。俺は感動した。
「あかり、ついてきてくれて、ありがとう」
「うんっ!」
食事を終えて、俺たちはゆっくりと
お酒を飲んだ。
「んーもうダメ……眠い〜」
あかりは言った。
「いっしょに寝る?」
「うん……」
一緒に布団に入った。
俺はあかりを、後ろから抱きしめてみた。
「ん……」
あかりがエロい声を漏らすものだから、
俺はどうにかなりそうだった。
静かな夜だった。
悲しい出来事からひと段落して、
俺たちの心は落ち着きつつあった。
episode 18
side あかり
「あかり、今日は付き合い始めて
10年の日だね」
「え!?あ……もうそんなになるんだ」
朝ごはんのパンケーキを
焼きながら私は言った。
「今日は予定ないって言ってたよね」
「う、うん」
「行きたいところない?」
「……す」
「……水族館ね(笑)」
私たちは着替えて水族館に向かった。
「くらげかわいい!」
「あかりの方がかわいいよ」
「えー本当かな」
「いわしすごい!」
「天ぷらにしたらうまそう」
「もうっ」
「いるかえらい!」
「まー調教師さんがすごいんだろ」
私たちは、もう空気みたいになりつつあった。ドキドキはしないけど、幸せだった。
「あかり?」
「なに?宙くん」
「食事の予約してあるんだ」
「え?私おしゃれしてないんだけど」
気づけば私は、ホテルのディナーに連れて行かれていた。
「わー嬉しい!ありがとう♡」
「うん。記念日だから」
料理も出揃って、あとはデザートだけになった。その時、懐かしい言葉で、
宙くんは私のことを呼んだ。
「桜姫」
「え?」
「きみは、桜姫、だね」
宙くんは小さな箱を取り出した。
中身は……ピンクダイヤモンドの指輪だった。
「あかり……結婚しよう」
「はい!」
私は笑顔で答えた。
「あかり、宙くん。おめでとう」
「カナエさん!」
「宙、あかり、おめでとう」
「風雅くん!」
カナエさんと風雅くんが、式場の控え室に来てくれた。
私たちは結婚式で再会を果たした。
「ほらほら、もうすぐ式始まるから、
行かなきゃ!ね、風雅」
と、カナエさん。
「あぁ。披露宴では俺たちで1曲やるから、
楽しみにしてな」
風雅くんは言った。
音楽が始まり、
お父さんとバージンロードを歩いていく。
そこには、真っ白のタキシードを
着た宙くんが待っていた。
もちろん私も純白のドレス。
ヴェールは私が選んだマリアヴェールだ。
司会に従って、私たちは
誓いの言葉を書いたガラスのボードを持った。
2人で考えた誓いの言葉を読み上げると、拍手が起こった。
「それでは、誓いのキスを」
司会の人が言った。
宙くんの顔が近づいてきて……
私たちはキスを交わした。
「宙くん」
「ん?」
「いろいろあったけど、私、幸せだよ」
「俺も」
「これから2人で、いろんなこと乗り越えていこうね」
「うん。あかり」
「宙くん?」
「ありがとうな……」
フラワーシャワーは桜の花びらの形で、
私たちを祝福してくれた。
「きみは、僕の大事な桜姫だ」
宙くんは静かに言った。
了