釣りと情勢
朝食を食べ終え、食器を外の井戸水で洗いながら午前中何をしようか考えていると、アートが話し掛けて来た。
「釣りにでも行かないかい?」
「釣り?」
「ああ。神殿の中ばかりいても退屈だろう。少し森を歩きつつ、近くの沢まで行こう」
「いいわね。午前中やる事は無いし、丁度干し肉にも飽きてきた所だったし」
「僕、釣りした事ないけど…」
「それはまあ察し付いてたよ。大丈夫。一から五ぐらいまでは教えようじゃないか。あ、もしかして、釣りには興味ないかい?」
少し考える。病室にいた頃は、あまり釣りが描写される作品に触れた事が無いから気にしていなかったが、いざ触れる機会が来るとやってみたくなる。
「これから先好きになるかは分からないけど、取り敢えずやってみようかな」
「うんうん、取り敢えずやってみようって言うのはいい心掛けだ。それじゃあ準備を手伝ってくれるかい?」
「分かった」
午前中は釣りをする事に決まった。
神殿から出て北方面、山が続く方へ歩いて行く。思い出せる限り初めての森の散歩に、僕のテンションがやや上がっていた。離れた所に、こちらをじっと見詰める動物がいた。
「あ、鹿だ。本物見るの初めて」
「帰りに狩って行こうかしら」
用意の良い事に、ジェシカは釣り竿の他にも弓矢と槍を持って来ている。
「狩りって楽しいの?」
「んー、少し不謹慎だけど、楽しいと言えば楽しいわね」
「…僕もやった方がいいのかな」
「やりたいなら教えるけど、まだ無理する必要は無いと思う」
「でも、命を奪う事には少しずつ慣れて行った方が良いだろうね」
まあ、継承者にならないとしてもこの世界で生きて行こうとするなら、狩りが出来る程度には命を奪う事に慣れる必要があるのかもしれない。魔族とかの危険もあるし。
「最近、盗賊とかも増えてるしねえ」
「え?盗賊?」
予想外の名前に、思わず聞き返してしまう。
「ユイト君が居た所には居なかったのかな?」
「うん、聞いた事ないね。精々強盗くらいで、それだってそうそうはいなかったし」
「随分治安の良い所に住んでたのね」
「まあ、それなりにね。盗賊から身を護る術が必要なくらい、盗賊がいるの?」
「そうね。少し前、ちょうど私が生まれた頃くらいから増えたらしいわ」
「となると、…ジェシカって何歳?」
そう言えば、ジェシカとアートの年齢を知らない。
「二十歳ちょうど」
「じゃあ二十年前くらいから増えたんだ。一体何があったの?」
「あ~…」、とアートが歯切れの悪い声を漏らした後、ややあって口を開いた。
「ちょっと面倒臭い話だから、釣りを始めてから話そうか。そろそろ川に着くしね」
その表情は、少し思い詰めているように見えた。
森の合間に川が流れていた。流れは早過ぎず遅過ぎず、水は透き通り、キラキラと光を返している。
「わあ…」
その美しさに思わず声を漏らす。もうここに来てから何度目になるかも分からない感動が胸を満たした。
「さて、ちゃちゃっと準備しようか」
アートは釣り竿と魚籠をジェシカに預けると、それなりに水深がある所を探して、徐に川に手を突っ込んだ。
「俺の声を聞いてくれるかい、ウンディーネたち」
最初は水面を見詰めていたが、誰かに手を携えるような動作と共に視線を上げる。
「少し手伝って欲しくてね。この深い所に少し魚を集めてくれないかい?」
きっと妖精に話し掛けてるのだろう。僕には見えないらしいし。
「ジェシカには妖精って見えるの?」
「見えないわ」
あまり興味が無いのか、釣り竿に糸を通しながらにべもなく答えた。
「勿論、報酬はあるよ。俺のマナでいいなら」
こうして知っている人が見えない相手と会話しているのを見ていると、なんだか不気味な気分になる。
「よし、じゃあ頼んだよ」
そう言うと、こちらに戻って来る。
「少ししたら、そこの深くなっている所で釣りを始めようか。ユイト君には糸の通し方を教えよう」
「うん、よろしく」
ややあって、僕も下手くそながら自分の釣り竿に糸を通し終えたタイミングで、「呼ばれた」と言って、アートはさっきの所へ行く。
「魚を集め終わったってさ」
片手を誰かに差し出すようにしながら、僕たちに声を掛ける。
「そこに妖精がいるの?」
「ん?ああそうだね。ウンディーネって言う、水に宿る妖精だ」
「どんな妖精なの?」
「そうだね、見た目は美しい基幹種の少女と煌びやかな鱗の魚を合わせた感じで、性格は、あっ」
「え?何うわあ!?」
アートが何かを言いかけた時、何かが僕の腕を引っ張り、そのまま水に引きずり込まれた。
(お、溺れる!)
必死に藻掻こうとするが、考えてみれば僕泳いだ事殆ど無いじゃないか…、と妙に頭が冴えてしまい、少しやる気の無い藻掻き方になった。そんな僕の腕を、再び誰かが引っ張る。
「ぶもぼぼ!」
驚いて再び藻掻こうとするが、引っ張られるまま、岸に引き上げられた。
「げほ!げほ!な、何!何なの!?」
「ごめん、もっと早く説明すれば良かったね」
「はあ、げほ!何を?」
「さっきの話。ウンディーネは悪戯好きなんだ。たまにさっきみたいに水際にいる人を水の中に引き込んで驚かしたり、水をぶっ掛けたり」
「た、質わる…」
「まあ基本的にすぐに引き上げてくれるんだけど、幼い子供とかが巻き込まれると死ぬ事もたまにあるんだよね…」
「しかも普通に怖い!」
「うん、これは全面的に俺が悪かった。本当に申し訳無い」
「うん…」
二つ、この世界で生きる知恵を知った。水際には近寄らない。そして泳げるようになろう。僕はそう心に誓った。
釣り竿の使い方と釣りの仕方を教わり、釣り始めて一時間程。ジェシカとアートが割と釣り上げているのに対し、僕はまだ一匹も釣れていなかった。
「…そう、これは初心者だから、仕方の無い事なんだ」
悔しさを誤魔化す為にぽつりと声を漏らし、自分に言って聞かせる。
「何言ってるの?」
再び魚を釣り上げつつ、ジェシカが言った。聞かれていた。ちょっと恥ずかしい。
「これは毒のあるやつね」
そう呟き、魚を川に戻す。そう、ジェシカは食料の確保の為に釣りをしていた。水を入れた桶には、何匹かの魚が泳いでいる。対してアートは、
「うん、いい艶だ。色っぽいね。もっと大きくなれよ」
よく分からない評価を釣った魚に与え、川に戻す。ただ釣りを楽しみたいだけのようだ。
「…」
さっき自分に言い聞かせたのに、再び悔しくなって来たので、気分転換に話を聞く事にした。
「それでさ、さっき森の中で話してた盗賊が増えた理由って何なの?」
「ん?ああ、そう言えば釣りをしながらって言っていたね。済まない、忘れてた。えーっと、どこから話すのがいいかな」
「取り敢えずマティーナの政治体制から話すのがいいんじゃないかしら」
「そうだね。マティーナは貴族制を執ってる。貴族があらゆる政治の案を考え、話合った上で纏めた案を王に報告。これを王が承認する事で実際に施行される。ここまでは分かるかい」
「うん。大丈夫」
「本来はこうする事で悪政が世に回らないようにするんだけど、今はこれが悪用されているんだ」
「王様が自分に都合のいい案だけを世に回してるとか?」
「確かにそうなる可能性もあるけど、そうなった時の対策もある。今回は違うんだ」
「じゃあ、一体何があったの?」
「マティーナには十の貴族がいるんだが、その内の五家が王を傀儡としたんだ。何があったかは詳しくは知らないけど、五家が結託して王の家族を誘拐、人質にとったり、見せしめに殺したりした」
「んな…」
「王はとても家族に対する愛が深い人でね。家族を虐げられて、精神的に壊れてしまった。そうやって政治の実権を握った五家が暴走。それを止める為に残る五家の内三家が武力行使に出た。つまり、国内で内乱が発生してるんだよ。結果国民の生活は圧迫されまくり、食って行くには他人から奪うしかなくなった人が盗賊になってしまったんだ」
「…」
「ただでさえ魔皇の目覚めが近い事で色々騒いでるのに、何やってるんだって感じだよね」
「しかも、その五家の内の一つが私たちの実家のプリムローズ家なのよ」
ああ、森の中でアートが少し思い詰めた顔をしたのは、そう言う事情があるんだ。
「な、何と言うか、その、えっと…」
何を言えばいいのか、しかし聞いてしまったからには何か言わなければならない気がして、もごもごと口ごもってしまう。
「別に貴方が気にする事じゃないわ」
そんな僕の様子を見て、ジェシカは気まずそうな笑みを浮かべて言った。
「まあ、マディーナの情勢が変わった時に、俺たちも処断される可能性はあるけど、今すぐそうなる訳ではないし、君には関係の無い話だしね」
「一応私たちがここにいるのはプリムローズ家と五家の内のもう一家、ブロワリア家しか知らないはずだし」
「随分不穏な状況なんだね…」
正直、聞いていて酷く不安になって来る。
「もう一つ、盗賊が増えた理由がある」
「まだあるんだ…」
「これは隣の国、クランベル神聖王国での問題だ」
「神聖王国って、確かこの辺りで一番古い国だよね」
「お、よく知ってるね。ジェシカに聞いたのかな?」
「うん。暦の名前の由来にもなってるって」
「その通り。で、歴史が長い国は腐敗するのが必定。今の神聖王国の内部はドロドロに腐り切ってる。その上で神聖王国の名の通り、ゼシリオ信仰が強く根付いている。が、実態は王家と諸侯は自分たちに都合のいい部分だけ激しく信仰している」
「実際にはどんな事が起きてるの?」
「そうだね、法王を筆頭とする王家や諸侯は重税を国民に課して私腹を肥やし、国民の嘆きは黙殺。歯向かえば見せしめの処罰。しかし魔族の存在はゼシリオ信仰的に許されない物だから、国民を徴兵して無理矢理魔族と戦わせている」
「そして耐えられなくなった神聖王国民は、自分が食べる為、家族を食べさせる為、盗賊に身を落とす人々が現れたわ。盗賊になる以外にも、まだまともな政治が機能しているシエト民国やその向こうのゼーベル公国に逃げて行く人もいるわ」
不穏どころの話ではない。完全に世紀末だ。そう考えていた僕の耳に、更なる言葉が届いた。
「逃げるのも一筋縄じゃないのよ。実際、私の目の前で殺された人もいた」
そう言葉を零したジェシカの目は水面に向けられているけれど、その実、何も映していないかった。何故そんな現場を見てしまう事になったのか気になるけれど、流石に聞ける訳も無い。
「…」
何を言えばいいか分からずに黙りこくっていると、不意にジェシカが僕を見てふわっと、微笑んだ。
「なんでそんな物を見る羽目になったのか、って聞きたそうな顔してるわよ?」
「へあ!?い、いやそんな事は!」
「別に聞かれて嫌な話じゃないから、気になるなら正直に言って?」
彼女はあくまで優しい声色で、僕に本心を聞いてくる。気が引けるけど、ここまで曝け出してくれる彼女の厚意を無碍にするのも躊躇われる。うんうんと悩んだ挙句、結局聞く事にした。
「…じゃあ、聞いていい?」
「ええ、勿論。とは言えそんな難しい話でもなくて。ただ単純に、私が逃げる人たちの護衛に付く依頼を受けただけの話よ」
「それはいつの話?」
「今から三、四年前くらいの事ね。その頃はプリムローズ家から勘当されていて、母と街外れの小屋で暮らしていたから、お金が無かったの。プリムローズ家は魔法の才能が無い種族と、その血を引いている家系を毛嫌いしていたから。母は普通の基幹種で、優秀な魔法使いだったけれど。私が生まれたから」
少しずつ尻すぼみになって行った彼女の声は、捨てられた、と、最後の言葉で掠れて消えかかっていた。一瞬、ぐっと唇を噛んだのを見て、僕は少し話題を逸らす事にした。このまま彼女に話させていたら、良くない気がしたからだ。チラッとアートの方を見たが、彼は彼で少し心配そうな表情をしている。
「ちょっと割り込んでごめん。ジェシカって吸血種なんだよね?」
「え?ええ、そうよ」
面食らった顔でジェシカが答える。これで少しは気を紛らせてあげられただろうか。
「吸血種って吸血種から生まれるんじゃないの?」
「ああ、えっと。そうね。あ~、兄さん、お願い」
「お、俺かい。そうだね、種族の話はジェシカから軽く聞いたんだったか」
「うん」
「なら個々の種族の話は省くとして、どの種族も元は基幹種だったんだ。それが神話時代に分化し、長命種、頑強種、吸血種、煌晶種、最強種などの種族が現れた。これらの種族は互いに子を成す事が出来てね。その場合、基本的にどちらかの子供が生まれる。基幹種と長命種ならそのどちらか。頑強種と吸血種でもそのどちらか、と言った具合に。ここまでは大丈夫かい?」
「うん。大丈夫」
聞き覚えの無い種族の名前も出て来たけど、話の腰が折れるので聞かないでおこう。
「よし。だが、時折先祖返りを引き起こす子供がいる」
「チェンジリング?」
「大昔は妖精の悪戯とか、悪神の業とか言われてたらしいけどね。今はちゃんと解明されている現象さ。大体十世代前までに交わった先祖の種族の血が、稀に隔世的に新たな子供に現れる事がある。この現象を先祖返りと呼ぶようになったんだ」
「成程」
取り換え子の響きは、まだ解明されていなかった頃の名残か。
「だから両親共に基幹種でも、私が生まれてしまった。しかも、私から見て五世代前の話だから、次の子供も吸血種になるかもしれない。そんな女に価値は無いって事で、私ごと母を捨てたのよ。あいつは」
あ、結局さっきと同じ表情をさせてしまった。人を思い遣るのって難しいな…。酷く、胸がモヤっとする。
「――、ごめん」
「――いいのよ。仕方の無い事だから。…そんな訳で、お金を稼ぐ為に、私は戦えるようになろうと決めたの。体を鍛えて、肉体活性をもっと効果的に扱う為に兄さんにマナの扱い方を教わって。おかげでそれなりに戦えるようになったわ」
今朝の彼女の発言を思い出す。筋肉は正義なのよ――
「そうして街や外の村の人から色々な依頼を受けて、魔族と戦うする腕貸しのような事をしていたわ。母さんはよく、『そんな危険な事はしないで欲しい』って言っていたけど、私にはそれしか無かったから」
そこで彼女の竿に当たりが来て、それを釣り上げる。暫く吟味した後、「まだ小さい」と呟いて、その魚をリリースした。
「ある日、『隣のシエト民国まで逃げるからその護衛をして欲しい』って言う依頼が来たの。勿論受けたんだけど、途中で盗賊に襲われて。一人、犠牲者を出してしまったわ。すぐにその盗賊は殺したけど、それが私が初めて人の命を奪った経験でもある」
そこまで言って、彼女は口を閉ざした。
「…、ありがとう。話してくれて」
コクリと軽く頷くだけで、彼女は何も答えなかった。僕も再び無言で糸を垂らす。少し待っても、やっぱり当たりは来ない。
「ユイト君、ユイト君」
後ろから、アートが小声で呼んだ。
「何?」
「ありがとう。ジェシカの話を聞いてくれて」
「――むしろ悪い事したと思うんだけど…」
「いいや。あの子は悩みや苦しみを自分の内側に溜め込んでしまうんだ。それじゃあ何時か爆発してしまう」
内側に溜め込んで爆発してしまう、と言うのは僕にも身に覚えのある事だった。
「あの子は未だに後悔しているんだ。死なせてしまったのが、妻子のいる父親だったから」
「え…」
「依頼から帰って来た時は、そりゃあもう酷く焦燥していてね。多分、自分でも知らない内にあの子自身の境遇と重ねてしまったんだろう」
「それは…」
「ま、だから吐き出すきっかけを作ってくれてありがとう、と言う訳さ」
ポンポンと、彼は僕の肩を叩いて釣りに戻って行った。
釣りを終え、釣った魚の処理を始める。鰓の中にナイフを入れ、血管を切り、絶命させる。僕も手伝うべきなのだが、まだ踏ん切りがつかず、脇から眺めるだけに留めている。元の世界ではただ食べるだけ、何なら残してさえいた僕は、こう言うやりたくない事をやってくれる人たちがいた事のありがたさを、今更に実感していた。
「大丈夫?無理して見ていなくてもいいのよ?」
ジェシカが僕の顔を覗き込み、伺うような表情を見せる。
「ん?ううん。大丈夫だよ」
「…そう。無理しないでね。顔色、悪いわよ」
言われて、自分の額に触れる。じっとりと、脂汗を掻いていた。
「まあ、今は大丈夫。…少しでも、慣れないと」
「…」
伺うような表情のまま、ジェシカは作業に戻っていった。僕もそれを眺める事に戻る。血管を切って溢れ出す血を見ていると、やっぱり嫌な気分になって来る。それでも目を逸らす事はしたくなかった。まだ自分の手で命を奪う覚悟が出来ないのなら、せめてその様子を見続けよう。いつか、慣れる事を信じて。が、まあ無茶をし過ぎたらしい。段々頭がくらくらし始めて、僕はそのまま後ろに倒れて気絶した。
ほぼ一か月ぶりの投稿です。伊上友哉です。
ワクチンの副作用でぼやける頭で書置きを編集したので、どこか間違えていたり日本語が可笑しいかったりするかもしれませんが、「しょうがねーなー」と言う気持ちでお許し頂ければ幸いです。
疲れたので寝ます。今回もお付き合い有難う御座いました。