三日目、未明
次の日、まだ朝日の気配すら感じられない二の刻前(元の世界の午前二時くらい)に目を覚ました。昨日と同様に少し肌寒さがある。夕食の時に渡された動きやすい衣服を着て、外、昨日の朝に彼女と会った場所へ向かう。月明かりが強く、目が慣れれば問題なく動ける程度には見通せる。
「おはようジェシカ」
着くと、そこには既にジェシカが立っていた。昨日と同じように棒を携えている。
「おはよう、ユイト。よく眠れた?」
「うん。今日は何をやるの?」
「そうね、まずは走り込みからやりましょう」
戦い方を教えてくれる、と言う話だったから少し意外だ。
「戦い方じゃないの?」
「ええ、最初から戦い方を教えるのは、あまりいい順序じゃないわ」
「理由を聞いてもいい?」
「勿論。ユイト、貴方は以前、いつ死ぬかも分からない体だったと兄さんから聞いたわ。なら、ちゃんと体を動かした事は無い、と思って。勘違いだったらごめんなさい」
彼女は僕を伺うように見る。
「ううん、当たりだよ。僕はかつて、満足に走った事すら殆どない。死ぬまでの殆どの時間を部屋の中で過ごしてた」
「…そう、なのね。…まあ、体を鍛えるにしても、まずは体の動かし方を覚えなければ大怪我をしてしまう可能性もあるから。運動の基本である走り込みをしようと考えたの」
「そっか。ありがとう。僕なんかの為に」
「気にしないでちょうだい。この国に無理矢理呼んだ以上、ここで生きて行ける術を教える事は私たちが行うべき責務なのだから」
責任感と強い罪悪感が、彼女の目に浮かぶ。
「うーん、そう重く考えないで欲しいなあ。僕まで申し訳なくなっちゃう」
彼女の「死ぬまでこの人の面倒見る」と覚悟を決めた視線に、僕は自分の気持ちを振り返る。正直、元の世界に帰れるなら帰りたいけれど、多分、元の世界で僕は死んでいるし、帰った所で大混乱を招きかねない。なら、きっと帰らない方が良いんだろう。顔に出ないように気を付けつつ、改めて自分に言い聞かせる。僕は元の世界に帰らない。絶対に。
「それよりも早く走り込みをしよう。実は昨日から楽しみだったんだ。体を思いっ切り動かすの」
これは紛れもない、僕の本心だ。せっかく健康な体を先代がくれたのだから、動かさない手は無い。
「…ええ、分かったわ。でも、まずは準備運動からしましょう。運動をした事が無いなら猶更」
ジェシカの表情も和らぎ、微笑みを浮かべる。それを見て、僕もほっとするのだった。
「ゆっくりでもいいから、まずは神殿を一周しましょう。疲れたら立ち止まらず、歩き続ける事。その方が、疲れが抜けるのが早いわ」
そんなジェシカの一言から走り始め、十分程。悲鳴を上げない心臓に感動しながら走り続ける。僕が思っていた以上にこの体は鍛えられていたらしく、体力にまだ余裕があり、神殿の中の様子を見る事も出来る。どうやら神殿に勤めていた人々の為の居住区のような物が神殿の殆どを占めているらしい。そんな僕の考えを感じてか、後ろを走るジェシカが声を掛けた。
「ここは先代、サラ様が魔皇を封印してから終生の時まで住んでいた場所で、彼女はその殆どの時間を神々への祈りに費やしたそうよ」
「そうなんだ。どのくらい、ここにいたの?」
「大体半年くらいらしいわ」
半年と言うと百八十日ぐらいか。いや、この世界って一年が何日なんだ?ジェシカに聞こうと考えたけれど、流石にそれはおかしいか。いや、元の世界でも太陽暦と太陰暦で一年の日数が違うのだから、そう言う事にすれば自然かな?
「ジェシカ、また変な質問、いい?」
「いいわよ。何?」
「ここの一年って何日?」
何か背後からまたかよ、みたいな気配を感じる気がする。僕は慌てて取り付けた。
「もしかしたら、僕の元居た場所と、暦が違うかも、と思ってさ」
「ああ、そう言う事。マディーナ王国では太陽暦が採用され、一年は三百六十日、当時の日を元日としてるわ」
「太陽暦で、三百六十日、大体僕の国と、変わらないね」
大きく日にズレが無い事に、何故か安堵を覚える。
「ちなみに、クランベル神聖王国、この周辺国で最も古い国の事ね、が建国した日を紀元と定め、それから千四百年が経ってるわ。つまり、今はクランベル暦千四百年よ」
「クランベル神聖王国、ね」
後で地図でも見せて貰おうかな。
そうこう話している内に、神殿を一周し終えた。体感大体二十分くらい走り続けたが、この体、かなり体力がありそうだ。ありがとうございます、先代。
走り込みの後、十分程の休憩を挟んでから次の特訓が始まる。
「次は懸垂よ」
そうジェシカは言い、懸垂するのにちょうど良さ気な木の下へ移動する。
「武器の扱い方はまだ教えないの?」
「そうね、この後少しは教えるけど、まずは筋肉を作る所からよ」
「肉体活性を覚えれば、筋肉ってそんなに重要じゃないんじゃない?」
少し疑問を覚え、彼女に聞いてみる。正直、早く武器を扱えるようになりたくて先走ってしまった、と言うのもある。
「まあ、確かに肉体活性が出来ればそんなに筋肉は重要じゃないように感じるかもしれないわね。事実、そう考えて体を鍛えるのを疎かにする人もいるし」
「そうなんだ」
「そうなのよ。でも貴方、まだ自分のマナの感知できてないでしょう?」
「う、うん」
「それが出来なきゃそもそも肉体活性も出来ないのだから、それを前提に考えるのは危険よ」
「う…」
仰る通りです…。
「それに、肉体活性ばかりに頼るのも危険なのよ」
「?どうして?」
「考えてみて。もし、何かしらの理由で体内のマナを満足に使えない状態に陥った時、充分な肉体活性を出来ると思う?」
「う~ん、多分出来ない、かな」
「その通り、出来ないわ。そんな時に活躍するのが筋肉よ」
ちょっと得意気な顔でこっちを見る。
「筋肉はどんな状況でも持ち主を裏切らないわ。例え肉体活性が出来なくても、筋力があれば勝てる見込みが増すし、勝てずとも切り抜けられる可能性が高まるの。筋肉は正義なのよ」
思った以上に筋肉に拘りがあるらしい。しかし、得意気なその顔は、どことなくアートに似ている。やっぱり兄妹なんだな。
「だから、私もほら」
彼女は服の袖と裾をめくって右腕の筋肉と、腹筋を僕に見せつけて来た。
「うわ!」
唐突な行動に思わず顔を覆おうとしてしまったが、しかし、確かに彼女の筋肉は鍛え上げられている。いつも長袖を着てたから細く見えたけど、いざ体を露出させるとかなりバキバキだ。しかもそこに女性的な柔らかなラインも相まって、なんだか、いけない物を見ている気分になる。何と言うか、健康的に不健全と言うか。
「…、あ~、凄いね」
恥ずかしさで歯切れの悪い評価しか出で来ない。しかし、彼女は「ふふん」と嬉しそうに鼻を鳴らして腕と腹筋をしまった。
「そんな訳だから、肉体活性が出来る如何に関わらず、筋肉は鍛えるべきなのよ」
「成程ね」
「だから、懸垂しましょう」
「分かった。宜しくお願いします!」
それから一時間、みっちり様々な筋トレを教えて貰ったのだった。
日が昇って来た頃、待ちに待った、武器の扱いについて教えて貰える事になった。
「まずは槍の扱いから教えるわ」
「お願いします」
「槍について、何か知ってる事はある?」
唐突に聞かれ、少し疑問に思いながら考える。以前読んだ本にはこう書いてあったな。
「まずリーチが長い事。戦う上で遠い距離から攻撃できるのは多くの場合有利に働く」
それを聞いて、彼女はうんうんと頷いた。
「他には?」
「他には、ええと、訓練が容易な事。取り敢えず突きと薙ぎが出来れば、ある程度は戦える、って聞いた事があるよ」
再び頷く。
「その通り。勿論習熟するにはかなりの訓練を積まなければならないけれど、素人に剣を握らせるよりも槍を持たせた方が戦えるのは事実よ。だから、まず槍の扱い方を教えてあげる。まあ、武器を扱う為の体慣らしだと思ってちょうだい」
「分かった」
こうして、槍の握り方から基本的な突き方、振り方を教えて貰った。想像していた通り、武器の訓練はとても楽しい物だった。
「お疲れ様。さ、日も大分昇ったし、ご飯の支度をしましょう」
「はあ、はあ、うん、ありがとうございました」
みっちりとしごかれる事一時間、僕は肩で息をしながら答えた。流石に二時間以上動き続けたから、大分疲れてしまった。でも、この感じは新鮮で、ちっとも嫌じゃない。しかし、ジェシカはそこまで呼吸が乱れていない。凄いなあ。
「思っていたより体力と筋力があったし、槍を扱う筋も悪くないと思うわ」
と言うのがジェシカの僕への評価だった。
「まあ、この先どこまで成長するかは分からないから、絶対とは言えないけれどね」
とも言っていたが。
「今日は何を作ろうかしらね~」
彼女の呟きを聞きつつ、訓練用の棒を片付けてから畑へ向かう。
「今日は焼きナスと豆のペーストにしましょう」
昨日と同様に収穫の手伝いをして、料理を準備した。豆のペーストに塩を少し混ぜて、それをパンに挟んだ物と、何かの香辛料の利いたシンプルな焼きナスだ。どちらも美味しかった。
どうも、ご無沙汰しております。伊上友哉です。
またも時間が空いてしまいました。最近、諸々の用事が多く、小説をちょこちょこ書いてはいたものの、投稿に至りませんでした。また、ここからは話の流れも書きながら考える事になるので、余計投稿ペースが落ちてしまうかもしれませんが、ご了承下さい。
それではまた、何処かでお会い出来たら、どうぞよろしくお願いいたします。