魔法の習得へ向けて
僕たちは談話室に戻り、再びお茶を啜り始めた。
「さて、俺たちが話せる事は話せたかね。それらを聞いて、君はどうしたい?」
アートは落ち着いた調子で僕に問い掛ける。
「今すぐ結論を出せって訳ではないよ。ただ何もせずここにいるのも暇だろう?」
「それはまあ、確かに。う~ん、そうだなあ…」
少し考えてみる。この世界は元の世界に無い物がある。魔法なんかは凄く気になるな。
「そうだね…。魔法についてもっと知りたいかな。あわよくば、僕も使えるようになりたい」
「おお!それは嬉しいね!」
オーバーリアクションで喜ぶ彼の隣で、ジェシカが迷惑そうに顔をしかめている。
「他には何か無いかい?」
「う~ん、せっかく体を動かせるようになったんだから、運動とかしてみたいかな。今朝見たジェシカの体捌き、凄く綺麗だったし」
「う…、い、いえ、そんな綺麗な物じゃ…」
彼女は少し顔を赤らめて視線を逸らした。
「おや、ジェシカの槍捌きを見たのかい?」
「うん。凄く綺麗だった」
「う~…」
余計に顔を赤らめる。何だろう、ちょっと面白くなってきてしまった。
「そうだろう、そうだろう!」
こっちは面白いとかそんなこと考えず、思った事を口にしているっぽいけど。
「いやあ、この子は昔っから負けず嫌いでねえ。実家からおイッ!」
あ、ジェシカがアートの脇に肘を叩き込んだ。
「私の事はいいんです!」
珍しく強い語気を放った。アートは脇を抱えて震えている。顔は青く、脂汗が滝の如く滴っている。凄く痛そう…。
「ご、ごめん…」
彼女の語気にビビった僕は、酷く尻込みした謝罪をしてしまった。
「はあ…。まあ朝もそう言う約束をしたし、私が教えるわ」
「そ、そうだね。武器を、扱えるようになるのは、生き、る上で、必要、な、事だね」
「よ、宜しくお願いします…」
僕はと言えば、やや気後れしてしまうのであった。
午後になり、軽い昼食(とアートの治療)を済ませてから――マディーナ王国だと、昼食は軽く食べるだけで済ませるらしい――アートの部屋に案内された。
「さあ、魔法の訓練を始めようか」
そう、魔法の訓練をする為に。
と言うのも、午前をジェシカによる戦い方の特訓、午後はアートによる魔法の訓練、と言う風に決まったのだ。
「私は狩りに出掛けて来るわ」
さっきジェシカは弓矢と槍を背負って出掛けて行った。そろそろ干し肉を作る必要があるとの事だった。
「そこに腰掛け給え」
アートは部屋の中央に置かれた椅子を指さした。それに従いそこに腰掛ける。
「さて、魔法の説明を軽く、もう一度しようか」
「お、お願いします」
僕の胸の奥で、心臓が強く脈を打っている。今まで創作物の中でしか存在しなかった物を、他でもない、僕が使えるようになるかもしれない。その事に興奮しているのだ。
「魔法とは、魔導言語を用いて現象を起こす法術だ。現象を起こすには、魔導言語で周囲のマナに指令を出し、操る必要がある。ここまでは話したね?」
「うん」
「さて、ただ魔導言語を口にするだけではマナに指令を出す事は出来ない。指令を出す為には、自分の中のマナと周囲のマナを同調させ、マナを掌握する必要がある」
「それをやるにはどうすればいいの?」
期待が先行し過ぎて、説明を急かしてしまう。
「少し落ち着きなさい。これからする事は、心を静める必要があるからね」
それを聞き、一度深呼吸をする。
「うむ。さて、これからする事はだね」
「うん…」
ごくり、と僕の喉が鳴った。
「黙想だ」
アートは何故かウィンクと共に言った。
「良いかい?最初からマナを感じようとはしなくていい。感じやすい物、例えば心拍、呼吸、胃の蠢動、筋肉の震え。そう言った物だね。それらを通し、自分の体の内側に意識を落として行くんだ」
アートは各部位を指さして言う。その顔は、やっぱり少し楽しそうだ。
「心はとにかく平静に。平静にって言うのは、何も考えないって事では無いよ。考えは止めなくて構わない。むしろ思考するままに流すんだ。そうだね、思考は川だとして、その底に潜って行くような感じ。そこで、自分の体の働きに集中しなさい」
僕は目を閉じて、言われるがまま黙想する。深く、思考の川に潜行する。
そう言えば、黙想って自分の内面に深く潜って行く事だったっけ。僕はよく瞑想と混同してしまうけど、改めてやってみると全然違う物なんだな。黙って想うのが黙想、死んだように、眠るように無心になるのが瞑想。うん。全然違う。
心臓はさっきまでの興奮が嘘のように、静かに脈を打っている。そこに苦しさは、微塵も無い。
それにしても、これをやっていて、何が分かるんだろう。自分の中にもマナがあるって言うけど、考えてみれば僕は異世界人な訳で。同じ法則で動いてるとは限らないけど、いや、この体は元々先代の物なんだし、この世界の法則に従ってるのかな。
呼吸は深く、腹の底まで落ちて行く。胸で少しの間渦を巻き、再び外へ。
ん?この体が先代の物なら、何で基本的な形や黒子の位置は元の僕と同じなんだろう。て言うか、体をくれたのなら、何故あの部屋に彼女の屍があったんだ?
さっき食べた朝食の残りのトマトスープが、胃腸の中で体に吸収されている。
もしこの体が彼女の物じゃなかったら、僕は勘違いで泣いた事になるな。うわ、凄く恥ずかしいぞそれ。
筋肉は重力に反抗して細かに震える。意識しなければ気付かない程細々と。
思考の川の底。思考は流れるままに放置する。必要な事は、自分の体の働きに集中する事。心臓、肺、胃、筋肉。余す事無く意識する。そうしてどれ程の時間が過ぎたんだろう。唐突に僕を呼ぶ声が耳元で聞こえた。
「おい、ユイト君!?聞こえているかい!?」
「うわあ!」
僕はびっくりし過ぎて椅子から転げ落ちた。
「おっと申し訳無い。何度か呼んだんだが、聞こえていなかったみたいでね。立てるかい?」
「いてて、うん、大丈夫」
アートが差し出してくれた手を取って立ち上がる。幸い尻餅だけで済んだようだ。
「さて、どうだい?何か掴めたかな?」
「うーん、今まで感じてなかった体の働きには気付けたけど、それ以上の事は。マナって体の中でどんな動きをしてるの?」
思えば、それが分からないと感じようがない気がする。
「そうだねえ。これは人によって捉え方が違うからね。俺の場合は、体の中に森があるような印象だね」
「う~ん、よく分かんない」
「だろうねえ。一番多いのが、闇の中で燦然と輝く光、と言う印象だね」
ああ、それなら何となくイメージできるかもしれない。
「まあ、黙想を繰り返していけば自ずと掴めるさ。ある時体の中に何かが見えて、それを辿って行けばマナに行き付く。皆そんな感じだよ」
「随分大雑把なんだね」
なんか少し残念だ。
「事実、皆そう言うからね。そんな物さ」
「そんな物なのかぁ…」
若干消化不良な感じで、今日のアートのレクチャーを終えた。