マナと法術
部屋に一人になってから、ベッドの端に腰かけて一息つくと、入院していた頃からの癖で勝手に思考が走り始める。
(何か色々、キャパシティを越えた話ばっかりだったな)
別の世界に呼ばれた事、それ以前に自分が恐らく死んでいる事。改めて意識すると、再びあの感覚が体を覆い始め、頭を振って無理矢理意識の外にはずす。取り敢えず、考えなければいけない事は沢山ある。
(何にしても、まず僕が何の為に呼ばれたのか、って所だよな)
ジェシカは「使命に従い貴方を呼んだ」と言っていた。そして始まりかけた歴史の話。あれは確か、千年前の誰かが魔皇を討とうと名乗りを上げたって話だっけ。そんな話をしなければならないって事は、それに関わる役目を僕に担って欲しい、と言う事なのだろうか。あまりいい予感がしない。そもそも、病院のベッドに寝そべって、ご飯を食べて、検査して、本を読んだり考え事や勉強をしたりして、ご飯を食べて、眠ってしかしていなかった僕が何かの役に立てるとも思えない。断れるなら断ろう。そう心に決めた時、急に胸が苦しくなる。いつもの心臓が悲鳴を上げるのとは違う、内側から幾つもの刃で刺されるような感覚だ。息が浅くなっていく。
(――いやだ――)
胸を押さえて、自分の呼吸にのみ意識を向ける。短く息を吐いて、出来る限り長く息を吸って、呼吸を落ち着かせる。悪く思われたとしても、僕に出来ない事をしようとして失敗するくらいなら、しない方がましだ。そう自分に言い訳して、心も落ち着かせる。考える事はまだある。
(僕は元の世界に帰れるのかな)
そこも気になる所だが、正直希望はあまり持てそうも無かった。命を失う感覚。あれが幻で、実はまだ生きている、というのは考えにくい気がする。でも、なら僕のこの体は何だろう?
頑張れ
耳元で声が聞こえた気がして、後ろを振り向くが、当然何もいない。ふと、あの闇の中で何かが僕の体の中に入って来た事を思い出す。あまりはっきりとあそこの記憶が残っている訳じゃないが、もしかしたら、あれのおかげで今の僕があるのだろうか。その影響で、肉付きや髪、瞳の色が変化した?全く現実的ではないが、もしそうなら、今までの話を鑑みてもう否定できない事だろう。
(頭が可笑しくなりそうだ…)
今日は何も考えずに眠りに着いてしまいたい。疲れた。
夕飯の時間になったら彼女が起こしてくれるだろうし。と考え、眠ろうとした時だった。
「やあやあやあ、目が覚めたようだね!君!」
凄く声の大きな少年が部屋に入って来て、訪れかけていた睡魔は秒速で何処かへ泳いで行った。
「いやぁははは、お疲れの所申し訳なかったね。ユイト君」
彼、アーノルド・プリムローズさんは後頭部を掻きながら言った。足元には水晶っぽい物や動物の一部らしき物が入った革袋が置いてある。深い青の髪に端正な顔立ちと尖った耳。さっきジェシカから聞いた各人族の特徴と照らし合わせると、多分エルフだろう。背こそ高いけれど、年の頃は十五歳くらいに見える。エルフは寿命が長いと言う話だから、もしかしたら成長のスピードが遅いと言う事も考えられる。実年齢は何歳なんだろう。
「いえ、ちょっと暗い気分になっていた所だったんで、助かりました」
「おお、それは間が良かった。いや、君の迷惑になってしまっていたらと思って、やってしまってから『やらかした!』と思ったんだ。ちょっとテンションが昂ってしまってね」
ジェシカはアーノルドさんを「軽い」と評していたが、かなりフランクな人なんだろう。まあ、確かに軽薄さも感じるが。
「アーノルドさんの苗字、彼女と同じなんですね。家族なんですか?」
苗字が同じなのに種族が違う事に疑問を覚え、僕は聞いた。
「アート。呼び捨てで呼んでくれ給え、ユイト君。俺は堅苦しいのが苦手でね。で、ジェシカと家族かと言う問いは、おおよそ当たりだ」
彼は何処か遠くに目をやってから、再び僕を見て話し始める。
「所謂腹違いの妹さ、あいつは。まあ、長い事実家から離れて母親の下で暮らしていたから、あんまり実家との繋がりは濃くないがね。本来であれば俺もほとんど関わらない立場だったんだが、まあ、俺は親父もお袋もあまり好きではなかったからね。彼女の家に入り浸っていたんだ」
結果半ば勘当されてしまったがね!と、彼は茶化すように両腕を広げた。
「…すいません、こんな聞くべきでない事を聞いてしまって」
「いや、気にする事はないさ。話したくない事だったのならば、俺が口を閉ざせばよかっただけなのだから。あと口調も適当でいいよ。さて、俺からも質問、いいかい?」
彼はやや強引に話題を変えた。
「――うん、いいよ」
「ではでは。ここに呼ばれてから一日経っているのだが、体に異変は無いかい?何処か痛いとか、気持ち悪い、とか」
「あー、えっと。特に調子が悪いとかは無いんだけど、体つきとか髪の色とかいろいろ変わってて…」
僕は体の変化と、思い出した闇の中での出来事を彼に語った。
「ふむ…、“門”の内部での出来事、か。“門”の魔法は未だ研究段階の魔法でね。今はっきりとした事は言えない。申し訳ない。勿論、責任は魔法を執り行った俺にある。責任を取れと君が言うのであれば、どんな事でもしよう。それだけの事を、俺は仕出かしたのだから」
彼は椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
「そんな、責任なんていいよ。それに、こう言うとなんだけど、この体になって良かった、って思ってるんだ」
「うん?それは何故だい?」
彼は頭を上げ、こっちを見る。
「僕の体は前まで、いつ死ぬかも分からない体だったんだ。と言うか、多分、一度死んでるんだ、僕。今でも、あの命を失う感覚を思い出せるし…」
「…」
「だから、その、むしろ、ありがとう。うん、本当に。本当に、ありがとう」
あの初めて窓の外見た時の感動を、心臓が悲鳴を上げない事の感動を、改めて噛み締めて、伝えた。上手く言い表せる言葉が見付からず、しどろもどろになってしまったけれど。
「…そうか。それなら、何よりだ」
彼は少し震えた声で言った。
「まあ、だが“門”の魔法には問題がある事に変わりないな。この事は連中にも報告しなければ…。ああ、面倒臭いな…」
魔法と聞いて、僕は思い出した。そう言えば、ジェシカがマナの話は彼の方が上手くできるだろう、って言ってたな。
「ねえ、アート。聞きたい事がまだあるんだけど、いい?」
「ん?おお、構わないよ。何だい?」
「マナって何?」
「ん?んん?」
発せられた音こそ違うが、ジェシカと同じ反応をした。
「僕が住んでた所にはマナって無くてさ。あと、法術って言うのが何なのかも分からないんだ」
「…あ~、そうか。そうなのか…」
そんな事もあるんだな…、と彼は少し額を押さえてから、僕の方を向いた。
「そうだな、まずマナの話をしよう。法術はその後に聞いた方が理解しやすい筈だ。…長くなるが、いいかい?」
「うん」
「よし。マナと言うのは、この世界に満ち、この世界を構成する“原初の力”の事だ。故に“成素”と呼ぶ人や地域も存在する。で、この世界の万物はこのマナを保有し、それによって存在していられる。ここまではいいかい?」
なんと言うか、物理的に干渉できる概念、と思えばいいのかな。いや、意味が分からないけれど、もう無理矢理でも飲み込まなければついて行けなくなりそうだ。
「う、うん」
「で、このマナに干渉し、簡単な書き換えを行うのが法術だ」
話が法術の方へ移った。
「法術には現状三種類存在する。まずは魔法から話をしよう。“魔法”とは、“魔導言語”と呼ばれる特殊な言葉を用いる事で現象を発生させる方法だ。例えば…」
アートは周りを見渡し、それから人差し指を立てる。いつの間にか、部屋は薄暗くなっていた。
「《灯る》《光》」
彼が唱えると、人差し指の先に、眼球くらいの大きさの、蛍のような光の玉が灯った。
「こんな風に魔導言語を用いてマナに命令を行うと、本来ない物をそこに生み出したり、元々ある物を操ったりできるんだ。ただし、無生物に限定されるがね」
「…」
「…大丈夫かい?」
「…はっ、う、うん」
本当に魔法だ。元の世界で呼んだ小説や漫画に出てくるような、魔法だ。
「…休むかい?」
「だ、大丈夫。続けて大丈夫だよ」
なんか、体が痺れている。それ程衝撃的だった。
「じゃあ、続けようか。疲れたらいつでも言ってくれよ?…次は、使役の話をしよう。“使役”は妖精と契約をして、その力で現象を使わせる法術だ」
「妖精?」
「妖精って言うのは、ざっくり言えばマナが姿と意識を持った存在だよ。実際はもっと複雑なんだが、そうだな…」
彼は何かをぼそぼそと呟いてから、じっと僕の顔を見詰める。
「…」
「…えっと、何?」
「…う~ん、どうやら妖精は見えないみたいだから、詳しい説明は理解するのが難しいかな」
「え、今妖精がいたの!?」
「ああ、君の目の前で踊って貰っていた」
全然見えなかった…。
「妖精は見える人とそうじゃない人がいてね。君は前者だった」
「何か残念だ…」
「まあ、そうなると相当力を持った妖精でもないと関わる事も無いだろうから、使役の話は切り上げよう。事実、原理も理論もほぼ存在しない法術だしね」
アートは何かに手を振り、一息ついてから再び話し始める。
「最後は“奇跡”。これは、俺にも扱えない物だ。むしろ、扱える人の方が遥かに少ない。何せ、神様の恩寵なり寵愛なりを受けなきゃ使える物じゃないからね」
「神様もいるの?」
「?もしかして、君の所には神様もいないのか?」
「うん。あいや、いないって訳じゃ無いんだけど、そんな明確に世の中に干渉する事が無いって言うか」
「――どんな所なんだ…?逆に気になって来たな…」
そう言えば、元の世界の話をしてなかってな。…でも、別の場所どころか別の世界から来ました、なんて言ったら、ジェシカが凄く気に病みそうだし。必要になるまでは黙っていても、いいか。
「まあいいや。ついでに神様の説明をしよう。まず、神様は二つの陣営に分類される。善神と悪神だ」
元の世界で考えれば、拝火教みたいな感じだろうか。
「善神の陣営は調和神ゼシリオを筆頭として、その妻、豊穣神ノスファリア。自然神レプセティア。技巧神アグナシス。先導神ルーゼが存在する。対し、悪神の陣営は戦乱神ガズルを筆頭として、不和神ゼヴィルアノス。腐敗神ザルグ。破壊神ハブナクトル。疑惑神ネガルズが存在する。個々の神様について話をするといつまでも本題に入れないから、またの機会にしようか。主に、この十の神々が信奉される神様だね」
「うん」
「で、奇跡って言うのは、自らが信奉し、また自らに加護を与えて下さる神様の力をこの世に降ろす法術でね。これには相当に強い繋がり、つまり恩寵とか寵愛とかが必要になる。故にごく一部の人しか扱えない。しかも、扱える人の多くが苦難の多い道を歩む羽目になる、と言われている」
確かに僕の知っている神話でも、神様に愛された人物は大抵冒険とか、○○退治とか、そんな物に向かう羽目になるな。
「しかも、本来人に扱えない神の力を、人の体を媒体にしてこの世に降ろす物だから、使用者の体には大きな負担が来る。正直、あまり使いたいとは思えないね」
確かに使う度に体が痛んだり、傷付いたりする物は、あまり使いたくはない。
「ま、法術についてはこんな所かね」
パン、とアートが手を叩き、話が終わる。それを感じて僕も集中力の糸が切れる。気が付けば、日もとっぷりと沈み、部屋の中は薄暗くなっていた。
「《灯る》《光》」
アートはさっきと同じ魔導言語を唱えた。しかし、次に現れた光の玉はもっと大きく、僕の拳より少し大きいくらいだ。
「魔導言語を使う時に干渉するマナの量を増やせば、ある程度規模を操作できるんだよ。自分の意思で細かく規模を決められるのが、魔法の利点だね」
彼は楽しそうに語る。もしかしたら、人に何か教えるのが好きなタイプなのかもしれない。
「さて、そろそろジェシカの料理ができる頃だろうし、食卓に向かおうか」
革袋を背負い直し、僕から視線を外した所でドアをノックする音が響く。
「ユイト、入ってもいいかしら」
ジェシカの声が聞こえて来た。どうやらアートの予想通り、晩御飯ができたようだ。
「うん、いいよ」
彼女はそっと扉を開いて中を覗く。
「あら兄さん。帰ってたのなら言ってくれれば良かったのに」
「やあ妹よ。自室に戻る前にユイト君の容態を確認しようと思って寄ってみたら、マナや魔法についてついつい話し込んでしまってね」
「そうだったの。大丈夫?兄さんの話、長かったでしょう?疲れてる所にそんな長話を聞いてしまって、余計疲れてない?」
「ううん、大丈夫だよ。むしろありがたいくらい」
「それなら良かった。あ、ご飯できたから、皆で食べましょう」
それを聞いた瞬間、グウウウウゥゥ、と、僕の体が空腹を訴える。こんな盛大な音鳴らす事は入院してからずっとなかった為、少し気恥しくなって俯いた。
「あ、そう言えば丸一日食べてないんだものね。急ぎましょう」
「そう言えばそうだったね。期待し給え、ジェシカの料理はとても美味しいぞ!」
「兄さん、そうやって無駄に期待を膨らませる事を言うのは止めてちょうだい。恥ずかしいわ」
「本当の事を言っているつもりなんだがねぇ…」
こんなよく目にする会話に、僕はどれ程の憧れを抱いていたんだろう。本や漫画で見て、空想して。今、目の前にあって。そんな事に、僕はまた泣きそうになってしまうのだった。
この度も本作をお読み頂き、誠に有難うございます。
一応、メイン人物が出揃いました。今暫く話は進展しませんが、どうか気長にお待ち下さい。それではまたいつか。