3話 未来も嘘も見えるから! その2
俺は立ち上がり、様子を伺う。
沈黙、向こうからそれ以上のアクションはない。
「入るよ?」
向こう側から返答はないが、肯定と勝手に解釈し扉に手をかける。
カチャ。
軽い音がして扉が開く。引きこもりのわりに片付いた室内に足を踏み入れる。見渡すとベッドの上で膝を抱えた鈴原琴美がいた。
俺の記憶にある琴美は長い金に近い茶髪を後ろで束ね、当時の今風メイクでキメる。所謂イマドキギャルだった。
ベッドの上に座る琴美は髪の色は綺麗な黒でメイクもしてないが、穏やかな目元は確かに記憶の面影を残していた。
「よう。元後輩。やっと会えたな。」
気さくを装って声をかける。
「あんたの後輩になった覚え…ない」
琴美は穏やかな目元とは裏腹にそっけなく答える。
「そりゃそうだ。」
軽く笑いながら答える。俺は琴美の向かいの床に腰掛ける。
「入れてくれて、ありがとな。」
琴美は声にはしないが、こくりと首を振る。
「…毎日来るし。変な事言いだすし。」
ボソッと琴美がつぶやく。
「そうだよなー。ほんと意味不明だよなー。」
確かに、いきなり部屋の前まで来て未来のお前がーなんて正気とは思えない。俺なら確実に門前払いの翌日からはお断りだ。
「でも、こうやって部屋に入れてくれた。」
俺が言うと琴美はポンポンと自分の隣のベッドを叩く。少し積極的じゃないですかね。
俺は逆らわず、琴美の隣に腰掛ける。すると琴美は俺の目をじっと見つめだす。ほんとさっきからすごく積極的。部屋の扉だけじゃなく体の扉まで開く気なの?
我ながらすごくおっさん臭いことを考えていると、琴美は口を開いた。
「昨日の話、もう一度して。」
琴美の未来の話だろうか。今一つ要領を得ないが彼女なりに何か確認したいことがあるのだろう。俺はもう一度真剣な顔をして俺の知っている彼女の未来について話す。
彼女はそれを静かに聞いた後、独り言のようにつぶやいた。
「変えられるのかな。私の未来。」
「鈴原さん、信じるのか?自分で言っといてなんだが、かなり意味不明な事言ってるんだぞ。」
「あたし、そういうのなんとなくわかるから。目を見て話すとなんとなく…嘘言ってるのかどうか…わかる。」
「もしかして、それが原因か?」
「友達と話しててもさ、結構嘘って多いんだよね。嫌んなっちゃった。人の目を見るのが怖くなった。そうこうしてるうちに部屋からも出れなくなった。」
「そうか。」
つぶやきながら考える。
「それって昔から?」
「ううん、高校に入る少し前くらいかな。突然そんな感じになって…」
なるほど、それなら混乱もする。確かに人間は嘘だらけだ。寧ろ嘘のない人間はいない。しかし、知らなければ嘘もまた真実なのだ。それは知らないほうが幸福な事なのだろう。
よく嘘は幸せで真実は残酷だというが必ずしもそうではない。嘘を嘘と認知してしまうことはさぞ辛かったのだろう。
「俺も、よく嘘つくけどな!」
「そうだよね…みんな嘘つき。」
「だけど、それでいいじゃん。社会出たらさ、そんな能力なくてもさ、他人の嘘には敏感になってくるよ。嘘ってわかっても気付いてないふりをする優しさだってあるんだからさ。」
言ってて気付く。この言葉のブーメランは深く俺の心を抉る。
「わかんないよ…まだ、高校生だし。」
「だから今はそれでいいんだよ。他人の嘘に傷ついて、逃げて、拒絶したって、人間なんだから、嫌なものは見たくないし逃げたくなる。それが普通だよ。だから学校が嫌なら来なくてもいい。」
「…昨日まではそう思ってた。今日は違う。」
鈴原は驚いた様子で俺を見る。
「鈴原さん、さっき自分で言ったよね。未来、変えられるかな?ってさ。変えたいならさ、行動しなきゃ!」
実際もうすでに未来は変わっている。昨日扉の向こうから声をかけた時点で。
「でも今更!どうしたらいいのかわかんないよ!…ッゲホ」
久々に大きな声を出したのだろう。琴美は咽る。
「嘘だね。俺もわかる。他人の嘘。」
「嘘…じゃない…本当に?」
「鈴原さんほどじゃない。でも、いろんな人を見てきたから、それなりにはな。」
「でも本当にあたし…どうしたら…」
「違うな、鈴原さんがわからないのはどうしたらいいかじゃない。どうやればいいかだ。教えてやるから、行こう。」
「行くって、どこに…」
「わかってるだろ。お母さんにお礼。ちゃんと言わないとな。」
そう言って琴美の手を取り立ち上がらせる。突然の展開にまだ心が付いて行ってないんだろう。
「そういえば、部屋、案外綺麗にしてるんだな。もっといろいろ転がってるのかと思ってた。ほら、ペットボトルとか…」
「はぁ?何でよ。」
俺の言葉に琴美が怪訝な顔をする。
「ほら、トイレとか我慢できなくなった時にさ。」
おどけて言うと琴美が顔を真っ赤にして怒る。
「は、はぁ!?バッカじゃないの!…っゲホ」
また咽た。が、時には勢いも大切だ。そのまま琴美の手を引く。ドアノブに手をかけると琴美の手が微かに震えているのに気付く。
「怖いか?」
「怖い。でも、このままじゃ、やだ。」
琴美の意思を確認し、ノブにかけられた手を外す。
「?…どうしたの?」
琴美は不思議そうな顔をする。
「やっぱ、鈴原さんが開けよう。」
俺の言わんとすることを理解したのか、琴美は意を決してドアノブを回した。
カチャ。
ドアノブは俺が入ってきた時と同様に軽い音を立てて開いた。
琴美を連れて鈴原母のいる居間に行く。居間に着き、琴美の手を引いてやる。
鈴原母は琴美の姿を認めるとよろよろとこちらに近寄ってくる。
「琴美…」
「お母さん。」
それっきり、二人とも黙りこくってしまう。やれやれ、この親子は本当に不器用だ。
「気持ち、ちゃんと言うんだよ。」
琴美を促す。琴美は口を開くが「あ」「う」とかしか声が出てこない。しかし、琴美の言葉を待つ。琴美ももう救援がないと悟ったのか、言葉を絞り出す。
「お母さん。ごめんね。いつも、ありがとう。」
琴美の目から涙が溢れ床にこぼれる。感謝の言葉は嗚咽に消えぎえだ。しかし、琴美は確かに口にした。琴美はずっと伝えられなかった言葉を時をさかのぼりついに伝えたのだ。
鈴原母は琴美を抱きしめる。琴美と同様涙が溢れ床を濡らす。
「琴美、お母さんもごめんね。琴美が辛いなら部屋にいてもいいのよ。お母さんちゃんとご飯も持ってくから。」
「ううん、あたし、大丈夫だから。学校も行く。お母さんに感謝してる。私のそばにいてくれて、いつも守ってくれて、ありがとう。」
二人は互いを強く強く抱きしめながら泣いた。
俺は二人に気付かれないよう、そっと鈴原家を後にした。
駅までの道を歩いていると琴美が俺を追いかけてきた。俺の手を掴み引き留める。
「あ、あの…その…」
言い淀む琴美を制止する。
「お礼なら、学校で聞くよ。来るんだろ?学校。」
「その、うん。頑張ってみる。」
「よく玄関出れたな。優しい嘘もちゃんとあるだろ。」
「うん。あった。」
琴美も思い当たるのか、優しい顔でうなずいた。
「そうだ、これ、渡しとくからさ。」
そう言いながら、俺は紙を取り出して琴美に渡す。
「これ…入部届?」
「言っただろ。俺部活するんだ。バイトはしないからさ。ほら、また一緒に何やかや、やろうぜ。」
「あたしは何やかやのおぼえ、ないんだけど」
琴美の抗議の視線を受け流し、背を向ける。
「学校で待ってるから。」
そう言い残し、俺はまた歩を進めた。