3話 未来も嘘も見えるから! その1
放課後、俺は並木先生に呼ばれ保健室に来ていた。保健室に来ると並木先生の隣には深川先生もいた。二人ともいつになく神妙な顔をしている。
「1組の子なんだけど、入学から一週間くらいしてから急に不登校になっちゃった子がいるの。」
「担任の先生も何度かお家に伺ったみたいなんだけど取り合ってもらえないみたいで…」
先生方は代わる代わる話す。どうも俺に引きこもり支援をしてほしいということのようだ学校に来ていないらしい。本来ならこんなこと一生徒で何のかかわりもない俺に出る幕はない。しかし、俺はその依頼を受けることにした。
深川先生は学年名簿を出し、俺に見せる。個人情報の緩い時代だ。五年後には大問題だよ。名簿には名前と住所が書き込まれておりそれをメモする。
”鈴原 琴美”。もう2週間以上学校に来ていないらしい。学校としてもそれ以上重篤化する前に何とか引っ張り出したいのだろう。
あとは地図アプリでと考えていたところで並木先生からツッコミが入る。
「住所だけだとわかりづらいでしょ。今日はその子の家まで私も行くわ。」
そうだ、この時代にそんな便利なものはないのだ。危うく路頭に迷うところだった。
並木先生と校門をでる。その子の家は学校の徒歩圏にあった。
先生は「じゃ、おねがいね」と言い残して去っていく。
俺は意を決してインターホンを押す。少しして、短く「はい」と応答がある。
「あの、僕、琴美さんの同級生の結城と申します。琴美さんとお話できればと伺ったのですが。」
そこまで言うと、数秒の沈黙の後「どうぞ」と家の中へ招かれた。
鈴原さんの家に入りお母さんから情報収集をする。
「あの子、ずっと部屋から出てこないんです。もうどうしていいのか…」
「トイレや食事はどうしているんです?」
「食事は部屋の前においてます。そしたら食べ終わった食器がまた置かれてますので。トイレは誰もいないときにこっそり行ってるみたいですが。」
「お家や学校で何かあったとか、わかりますか?」
「いえ、あまり学校のことは話しませんので…家では特に何もなかったと思いますが…」
「わかりました。お母さんは琴美さんにどうなってほしいですか?」
「ただ、部屋から出てきてほしいんです。本当にそれだけで。」
「琴美さんとお話しさせていただきたいのですが、琴美さんのお部屋はどちらですか?」
「階段を上ってすぐの部屋になります。」
「ありがとうございます。では少し二人でお話しさせてください。」
予想通り大した情報は得られなかったが鈴原さんと話すことに了解を得ることはできた。鈴原さんの部屋の前に来て声をかける。
「鈴原さん、4組の結城です。声を聞きに来ました。いるのかな?」
返事はない。ノックをしてみる。また返事はない。
「鈴原さん居ないのかな?ノックしたし入るね。」
ドアノブを回すが当然の如く鍵がかかっていてあかない。
「鍵かけてるの?悪いけど、スペアキーで開けるよ。ごめんね。仕方ないよね。」
自分勝手な理屈を並べ部屋の鍵穴を適当にガチャガチャする。当然こんなことで鍵は開かない。すると、ドアの向こうでガタタっと音がする。当然だ。突然見知らぬ同級生が来たと思ったらいきなり力ずくでドアを開けようというのだ。鍵が突破された時のためにドアを抑えに来る。
「いるんだね。ごめん、まだスペアキーは預かってなくてさ。返事しなくていいから、聞いてほしい。」
できる限り優しい声色を心掛ける。かといって変にへりくだったりはしない。相手の心に卑屈さを生むからだ。
「一応、保健室の並木先生に頼まれてきたんだけどさ、学校に来いとか言うつもりはないんだ。本当に単純に、俺が話したくて来ただけで…」
まるで独り言だ。
「今は難しいかもしれないけど、お母さんに顔見せてあげてほしい。外に出るの難しかったら部屋に呼んだっていいじゃん。部屋の片づけおねがいしたりしてさ。子供にとっていつまでたっても親は親なんだからさ。甘えるのに遠慮なんかいらないんだよ。」
「今出てこなくてもさ、1年もしたらさ、キミは部屋から出るよ。でも、部屋にも家にも学校にも居場所がなくてさ…それでもキミは明るく毎日を頑張るんだ。」
「でも、キミはずっと後悔するんだよ。自分を支えてくれたお母さんにろくなお礼も言えないまま疎遠になって…それでも多分キミはいつか和解してるんだろうなと思う。キミは強い子だから。」
「想像で何言ってんだって、思うかもしれない。でも、わかるんだ。見てきたから…わかるんだよ。」
扉の向こうから、こつんと音が聞こえる。長い沈黙だった。しかし俺の独り言はどうやら聞いていただけたようだ。
「…明日もまた来るよ。迷惑かもしれないけど、許してもらえる限り、毎日来るから。」
部屋を後にして彼女の母親に明日も来たい旨を伝える。彼女の母親は俺に何度も頭を下げて礼をいう。一応明日も来てもいいようだと胸を撫で下ろす。軽く挨拶をして鈴原家を後にした。
帰り道、俺は思い出していた。鈴原琴美。俺は彼女を知っている。以前高校生の時俺の放課後はアルバイト一色だった。彼女はその時の同い年の後輩にあたる。
彼女とは同い年でバイトのシフトもよく同じだったので仲のいいバイト仲間だった。俺の知っている彼女は一生懸命で、よく笑い、同い年なのに先輩先輩と慕ってくれる子犬のような人だった。
「あたし、バカだから、親とかにも迷惑いっぱいかけたし、謝れないし…」
そんなことを時々彼女が口にしていたのを今でも思い出すことができる。当時はさして気にもしていなかったが、今ならその言葉の意味が分かる。
「まさか同じ学校だったなんてな。」
俺は彼女は高校に進学そのものをしてなかったのだと思っていた。彼女は辛かったのだろうか。自分が通っていた高校の制服を着てバイトに現れる俺を見るのが…
ある日、彼女はバイトに来なくなった。それ以来、俺は彼女を見ていない。
気分が沈みそうになる。ふと習慣で懐の煙草を探して、ふと気が付く。煙草、高校生が持ってるわけないのに。
翌日から俺は放課後に鈴原家を訪ねることが日課になった。深川先生がものすごく寂しそうな顔をしていたが事情を理解しているので何も言ってはこない。
「携帯って難しいよね。なかなか操作なれなくてさ、未だに番号交換の仕方すらわかんなくてさ。」
「いつも母ちゃんが起こしてくれるんだけどさ、それよりも大体早く起きてるんだよね。」
「学校の中庭の桜がさ、この時期になると毛虫だらけでさ…」
「俺、昔は数学好きだったんだけどさ、最近は現国の方が得意でさ」
「…俺さ、部活やろうと思っててさ、天文部なんだ。新設の部員集めしてるんだけどなかなかうまくいってなくてさ。」
とりとめのない話をしていると話題はどうしても自分の話になる。あいまいな過去の自分との境界線は意識しないと一気に瓦解しそうだ。
こつん。
ここ二、三日。こんな風に扉の向こうから音が聞こえるのが会話終了の合図になっていた。
「また、明日も来るね。」
鞄をもって扉の前から去ろうとする。
「未来の…」
扉の向こうからかすかに声が聞こえる。俺は再び鞄を置き扉の前に座る。そして声の続きを待った。
「未来の…あたし、どんな感じだった…」
先日の俺の話を鵜呑みにしたわけではないのだろう。しかし、彼女の何日ぶりに他人に聞かせたのであろう言葉に、俺は誠実に向き合うことにした。
「いつもニコニコしながらバイトしてたよ。明るくて一生懸命で、自分が俺より遅くバイトに入ったからって俺のこと先輩先輩って呼びながらさ。お客さんからも好かれてた…」
「そんで、たまにさみしそうな顔をしてた。親に謝れないってずっと気にしてるみたいだった。」
「ある日、バイトに来なくなっちゃって、それっきり…俺の知ってる未来の鈴原さん。」
「…そう」
短い返答の後長い沈黙。そして、こつん。
「明日も来ていいかな?」
独り言でなく扉の向こうに問いかける。しばらく沈黙の後。
「…来て」
「明日も来るよ。」
彼女は意思を示した。それは間違いなく、未来を変えるための一歩だったのだろう。俺も精一杯それに応えたいと思った。
翌日、帰りのHRを終えた俺はすぐさま教室を飛び出る。まだ誰もいない校門を通るとまた昔を思い出す。昔もこうやって誰よりも早く下校してバイトに勤しんだものだ。
鈴原家に着き中にあげてもらう。鈴原母ももう名前を言うだけで中に招いてもらえるまでになった。
扉の前に座り軽くノックをする。俺の独り言の開始の合図だ。さて、今日はどんな話をしよう。そう思いを巡らせる。
かちゃり。
扉から、今まで聞いたことのない音が鳴った。