最終話 よりよい明日をつかむため!
前も後ろもわからない。真っ暗で何も見えない。
体中がズキズキと痛む。足も腕も、もうボロボロだ。
立ち止まってしまえば、その場にへたり込んでしまえば、どれほど楽だろう。
しかし、そうするわけにはいかない。
ただひたすらに足を前へ前へと進める。
微かに記憶に残る女の子。その澄んだ瞳にもう一度会いたい。
もう、顔も、声も思い出せない。ただ、胸に焼き付いて離れない、不思議な瞳だけを頼りに前へ進む。
黒い霧の中で誰かが前方からやってきていることに気付く。
「よぉ。」
彼はスーツに身を包み、こちらに気さくに手を上げる。
真っ暗な視界の中でも、その人物のことははっきりと見えた。
「そんな…俺?」
背格好はサラリーマンのようだが確かに俺だ。もう未来の記憶は今は思い出せないが、それが自分の未来の姿であることは容易に分かった。
「そう。俺はお前だ。」
「そこ、どけよ。俺は美海のところに行くんだ。」
そう言いながら自分の隣をすり抜けようとする。
しかし、俺は未来の俺に足を掛けられ、またしても転ぶ。
「痛えな!何しやがる!」
俺の剣幕に奴はため息交じりに言う。
「いいのか?それ以上行くっていうなら、お前にはしっかりと過去と向き合ってもらうことになる。」
俺の心を覗き込む様に俺を見下ろして奴は続ける。
「いやはや、お前の記憶力ってのは便利なものだな。便利で、親切で、おせっかい。だから、過去の痛みは記憶の奥底で眠ったままだ。それをお前に教えてやる。」
「や、やめろよ。なんのためにこんなことするんだ。」
奴は少し表情を厳しくする。
「彼女との、約束だからな…」
そう言い、一呼吸置くと、奴は静かに語り始める。
「小さい時からお前は誰かの役に立ちたい。必要とされたい。この思いを胸に生きてきた。最初に目を付けたのは空手だ。俺が強くなって母さんを守る。そんなことを口癖のように言っていたな。」
だから何だ。こっちは今昔話をしている時ではない。しかし、彼は続ける。
「でもある日、気付いちゃったんだよな。強くなっても、誰かの役に立てるわけじゃないって。それでお前は虚しくなり、空手を辞めた。」
「そ、そんなこと。」
「そんなことあるだろう?次に高校生のお前が目を付けたのはアルバイトだ。それも好き好んできついバイトばかり、人手不足の会社ではお前は随分重宝されただろう。」
「も、もうやめろ…」
俺の言葉を聞いていないのか、彼はそのまま続ける。
「お前のその性格は社会人になっても続いた。入る会社はことごとくブラックな会社。新人だって次々と辞めていく。そんな会社ばかり選り好んで入った。そして、評価されてくると、転職。だから、いつまでたっても出世できない。なぁ、お前、奈緒子の時はどうだった。」
「な、奈緒子…それは…」
俺が言い淀むと、奴は俺を片手で制しながら話を続ける。
「いい依存先だったな。それなりにお前のことを必要といってくれてお前は満足だった。しかし、玲が生まれて、お前の子じゃないと知った時、お前は気付いたんだ。」
「やめろ。言うな。」
「異物は自分自身だったんだってな。それでお前は離婚を決意した。」
俺は何も言い返せない。
「そして美海に出会った。彼女は本当の意味でお前を必要としてくれた。お前も彼女を必要とした。そしてある日、彼女は言ったよな。」
「に、逃げないで…ちゃんと向かい合って…」
「よく覚えているじゃないか。お前、本当に向き合ったのか?」
「と、当然だ。」
俺の答えに奴は鼻で笑う。
「はっ、嘘だね。お前は今も逃げ続けている。だからこうなった。今回美海を隠したのは誰でもない。お前自身なんだよ。」
奴は俺の目を覗き込みながら言い放つ。
「じゃ、高校生活の話に戻ろうか。お前は以前の高校生活で、一人のイジメに遭っている生徒を見たな?その子にお前は何をした?」
俺が答えようと口を開きかけると、また奴に制される。
「いや、答えなくてもいい。お前は何もしなかった。それが答えだ。そして、さらに内面と外見とのギャップに悩む友人にお前は何かアドバイスでもしたのか?してないよな。仲の良かったバイト仲間が急に辞めた時も、同級生が学校を辞めた時も、お前は何もしなかった。」
「お、お前に何がわかる!?」
もうたくさんだった。それ以上聞くのが嫌だった。
「わかるさ。俺はお前自身。お前の後悔だ。そして、修学旅行の二日目のことだ。」
「やめろ。言うな。聞きたくない。」
「感心。感心。しっかり思い出してるじゃないか。ある女生徒が自らの命を絶った。その生徒の名は…」
「やめろー!!」
俺は思わず耳を塞ぐ。
「姫川優子」
俺の耳を塞ぐ手をこじ開けながら、奴は俺に囁いた。
「結城君、はじめまして。同じクラスで隣の席だし、よろしくね。」
「気になる子が居るの?でも居なくなっちゃったんだ。私も探してみるね。」
「誠君の気になる女の子、転校しちゃったんだって。元気出して、ね。」
「あのね、誠君、相談したいことがあるんだけど、あ、バイト忙しいんだ。ごめんね。急ぎでもないし、また今度にするね。」
「……」
彼女との記憶が一気にフラッシュバックする。そうだ。いじめにあっていた彼女は誰にも相談できず、自分を出すことも適わず、自ら命を絶った。
涙が零れた。俺の暗い封印していた過去。
「修学旅行は中止。3日目の判別行動もなくなった。修学旅行のことが思い出せない?本当はもう、思い出していたんだろう?でも、お前は逃げ続けた。」
「ち、違う。」
「いや、違わないね。なぁ、もう、こんな過去の記憶捨てちまおうぜ。このまま美海を諦めるなら、平和な学校生活に戻してやる。なんのトラウマも抱えず、平和な日々だ。」
奴は悪魔のような囁きを俺に向ける。
「すべてを…忘れて。平和なただの高校生に…?」
「そうだ。もう過去を思い悩むこともない。誰かのために走り回らなくてもいい。すべては泡沫の夢になる。」
確かに楽かもしれない。胸の痛みも、過去の辛さも、すべてを投げ出せるチャンスなのだ。
だけど…
そこに、美海はいない…。
「…やだ…」
喉の奥から、声を絞り出す。涙が落ちることを厭わず顔を上げる。
「嫌だ!この記憶は俺のだ。どこにも捨てない!誰にもあげない!この記憶も捨てちまったら、また後悔する人生だ!俺はこの痛みも、苦しみも、全部抱えて生きていく!」
奴の顔を思いきり睨み付ける。
「すべてを忘れて平和に生きろだ!?ふざけんじゃねぇ!そうやってまた俺は後悔を繰り返す!理子が過去に戻ったのは空っぽの自分を埋めるため。美海が過去に戻ったのは臆病な自分自身を変えるため。俺が戻ったことにも理由があるなら、それは、屁理屈ばっか言って何にもしてこなかった、そんな自分を変えるためだ!」
俺は痛みに震える足を殴りつけ、立ち上げる。奴を無視して、再び歩き出す。
「本当にいいのか!?もうこんなチャンス二度とないぞ!」
奴の声はもう聞かない。俺は自分の選んだ道を歩んでいる。後悔だらけでも、要らない過去なんて何一つない。
一歩、また一歩と歩を進める。奴が後方で、笑みを浮かべた気がした。
「おい!忘れものだ。」
そう言って奴は何かを放り投げる。
それをかろうじて受け止める。それは先ほど落とした琉球ガラスのキーホルダー。それを胸ポケットにしまい、俺は再び歩き出す。
やがて、黒い霧を抜ける。視界が開けたその先は小高い丘になっていた。
「ここは…。」
そこは、かつて美海と夜空を見上げた場所。
あの時と同じように、夜空には満天の星空。
その丘の上に一人の少女が立っていた。
「…美海。」
美海はこちらに振り向くと、にこやかな笑みを浮かべる。
「待ってたよ。誠。」
俺は駆け寄ろうと足を出すが、うまく足が上がらず、その場で、膝を着く。
慌てた美海がこちらに来ようとするが、それを制して、立ち上がり、一歩、また一歩と彼女に近付いていく。
「待たせたな。美海。もう、どこにも行くなよ。ずっと俺の傍に居ろ。」
そう言いながら、ボロボロの体で彼女を抱きしめる。
「うん。うん。」
彼女は俺の胸の中で泣いた。俺も涙が零れるのを彼女に見られないように強く抱きしめる。
「痛いよ。誠。」
美海が胸の中で呻く。
「今だけ。もう少しだけ。もう少しこのままで。」
さらに強く美海を抱きしめる。
しかし、もう足が限界のようだった。俺は美海を抱きしめたまま倒れこんでしまう。
何とか美海をかばうような形で倒れたが、俺は立ち上がることさえもままならないでいた。
「誠。」
美海が俺の顔を覗きこ…
「……。」
「……。」
唇と唇が触れ合う。それは甘く、長いキス。意外だったのは、美海からのキスだったこと。
顔を離した後、美海ははにかんだ笑顔を俺に向ける。
「誠、よく頑張りました。だから、私も、勇気を出してみた。」
そう言う彼女の笑顔が可愛くて、どうしようもないくらいに愛おしくて。
「……。」
「……。」
柔らかな草の上に彼女を横たえ、彼女の唇に唇を重ねる。
彼女も静かに目を瞑り、キスに応じる。体中が痺れてお互いが溶け合うような錯覚に陥る。彼女の柔らかな唇の感触とその熱が互いの存在を強く確信させる。
そのまま、どれほどの時が経っただろう。どちらともなく唇を離し、俺は美海の横に横たわる。
夜空には満天の星空が視界いっぱいに広がっている。
「美海。星が綺麗だよ。」
美海は俺の横に寝転がると、同じく夜空を見上げる。
「なんだか懐かしいね。」
そう言いながら笑う彼女の瞳は、あの時と同じように蒼く不思議な煌きを放っている。
「ああ。だけど、俺たちはまた出会えた。もう離れない。昨日よりも今日よりも、よりよい明日をつかむんだ。」
強く彼女の手を握る。彼女も強く握り返す。
星々が降ってくるような錯覚の中、彼女を強く、より強く感じる。
いくらほど時が経ったのだろうか。突如鳴り響く携帯が、俺たちを現実へと引き戻す。
「いけね。理子たちに連絡するの忘れてた。」
そう言いながら携帯の画面を開く。二人で携帯の画面をのぞき込む。そこには着信履歴が埋まりきるほど、みんなからの着信で埋め尽くされていた。
俺は慌てて携帯の受話ボタンを押す。
「どこ行ったのよ!この大馬鹿!!」
耳をつんざくような理子の大声がスピーカーから聞こえてくる。
俺がどう答えたものかと思案していると、美海が俺の手のひらから携帯をそっと掬い取る。
「美海です。ご心配おかけしました。」
美海が電話口に答える。その後、数分間何やら話し込んだ後電話を切り、いたずらっ子のような笑みで俺を見上げた。
その後、俺たちは美海たちとある約束をし、地元に帰っていった。
――
7月6日
「長らくお休みをいただいておりました、深川七海です。この度本日付で復職させていただくことになりました。よろしくお願いいたします。」
壇上に立つ七海が笑顔で挨拶をする。
結果として、美海と七海は転校、休職をしたままの状態だった。
しかし、彼女たちは理子のアパートで一緒に暮らすという事で俺たちの学校に帰ってくることができた。幸運だったのは、七海が退職ではなく、休職中という事になっていたこと。これで理子も七海と教師を続けることが出来る。
あんな不思議な出来事はもう起きないだろう。俺にもその確信があった。
明日の七夕に向けたささ飾りの準備をしながらふとそう思った。
「そろそろかな?」
「うん。そろそろだね。」
先ほどからそわそわしながら作業をしていた琴美と優子がひそひそと不穏な動きをしている。
「さっきからこそこそと、何を話しているんだ。」
「内緒!」
二人はいたずらっ子のように人差し指を唇に当てて笑う。
コンコン
「来た!はーい。」
扉に向かって元気に答えた二人は俺を引っ張って扉に向かう。
カラカラ
「二年の深川美海です。天文部に入部しに来ました。」
俺に向かって差し出された入部届を受け取ると、美海は俺の胸に飛び込んでくる。
「ただいま。」
「ああ、おかえり。」
そう答えると、美海を強く抱きしめ返す。
明日の七夕。晴れてくれるといいなぁ。
なぁ、織姫様や彦星様、それとも神様か、今の俺達を雲で隠しちゃうなんて勿体なくないかい?
だって、俺たちはこんなにも今、輝きを放っているんだから。
よりよい明日をつかむため-ある日気が付いたら高校生の自分に戻っていたので全力で青春することにした!- 完
よりよい明日をつかむため!-ある日気が付いたら高校生の自分に戻っていたので全力で青春することにした!- 最後までご愛読ありがとうございました。
小説というものを人生で初めて書きまして、読みづらい箇所、誤字、脱字など、ご不便な思いをおかけしたと思います。
しかしながら、こうしてたくさんの応援、評価等を頂き、ここまで来ることが出来たこと、心より感謝いたします。
執筆作業を通して仲良くしてくださったり、たくさんのアドバイスを頂けたり、本当に多くの方に支えていただけました。
直接の関りを持っていらっしゃらない方も、PVなどでもたくさんの方から励ましていただきました。本当にありがとうございます。
これからも、新しい物語を書くときは今の気持ちを忘れぬよう精進いたしますので、是非ご愛読くださいませ。
ご感想、ご評価等、していただけますと、作者として、大変嬉しく思います。是非、よろしくお願いいたします。
皆さまに感謝と愛を込めまして、本当にありがとうございました。