2話 勧誘も本気でやるから! その1
高校生に戻って慌ただしい一日が過ぎた。朝寝て起きるとまたサラリーマンに戻っているのではないかという淡い期待は枕横に置いていた青いガラケーが見事に打ち砕いてくれた。
そして今、昨日より余裕をもって教室へとやってきた俺はある困難に直面している。
目の前の女子は姫川さん。昨日教科書もノートも忘れた俺に教科書を見せ、そして落書き帳という名のノートを貸してくれたのだが、俺がノートにつらつらと書いた走り書きを読んだのだろう。朝、俺の姿を見つけるや否や満面の笑みで俺に詰め寄ってきたのだ。
「で、どうなの?結城君!やっぱりこれってさ…」
昨日の落書き帳を両手で持ち、目をまさにキラキラと輝かせて顔をずいっと近づけてくる。
「ど、どうって…言われてもどういえばいいのかな…」
思わず体を仰け反らせ要領を得ない答えを返してしまう。
「あの、やっぱり結城君も、そうなのかなって…」
結城君”も”ということは姫川さんはこういう人生やり直しのようなことに心当たりがあるのだろうか。だとすればぜひ詳しく話を聞いておきたい。
「姫川さん、ここじゃあれだからさ、今日の昼休み時間取れないかな。」
「あー、そうだよね。こんなこと人前で言い辛いよね。ごめんね。私気がまわらなくってさ。昼休み大丈夫だよ。何なら一緒にご飯食べようよ。」
「あー、それじゃ、昼休みに中庭のところでどうかな?俺、購買でパン買ってから行くからさ。」
「いいよ。それじゃお昼楽しみにしてるから!」
姫川さんとの会話を打ち切り考える。そうだ、もしかするとこんな風にやり直しをしてるのは自分だけとは限らないのだ。他にも俺と似たようなことになっている人がいるのかもしれない。ましてや、こんなことおいそれと他人に話したりできない。人知れず苦悩を抱えているのかもしれない。そう考えると幾分か気が楽になった。
朝のHRが始まる。深川先生は昨日に引き続き、ご機嫌に進めていく。点呼の時も一人一人合いの手を入れている。こういうコミュニケーションはその人のセンスが現れる。
合いの手もただただ挟めばいいというものではない。適当な合いの手なら必ずどこかでネタが切れる。そうなるとまるでbotのように機械的で不気味な印象が残る。
深川先生がこの短期間で生徒一人ひとりをいかによく観察しているのかが分かった。
HRも終わり授業もおおむね順調である。そのうち予習や復習をしなければついていけなくなるであろうことはわかっているので、今のうちにできる部分は予習をしておいた方が賢明かもしれない。
そして、授業の疑問点を残しておかないことも重要だ。
勉強についていけない、わからなくなる。主な原因は疑問点や不明点の累積によるところが多い。正直ケアレスミスは日常の中では些細な問題だ。肝心なのはちゃんと理解できているかだ。
専門学生、サラリーマン時代使う使わないに関わらず数々の資格を取得した。
資格を取得する際には受講のみで取得できるものと試験突破が必要なものとがあるが、試験の突破率を見ると就業者、従事者の突破率は未従事者よりも格段に良くなるのは文面の文字だけでなく実際に現場を見て体験し内容に対しての理解の難易度が下がるためである。
これはおそらく学校の勉強にも言えることだろう。なので学校の勉強に対して「社会に出たら使わない」とか言っているお馬鹿さんは落ちぶれるべくして落ちぶれていくのだ。過去の俺のことだけどな!
さて授業は4限目に入り科目は現国。担当講師は深川先生である。
深川先生は朝とは打って変わって毅然とした態度で授業を進めていく。落ち着いた口調で進め、私語をしている生徒には「私語は休み時間にお願いします。」と静かに正していく。こうされると生徒も自然と緊張感を持って臨まざるを得ないのだ。
現国の授業も終わり、昼休みに入ると深川先生は質問に来た生徒たちににこやかに朝のような爽やかさで受け答えする。その様子を横目に購買に向かって歩を進めると後ろから声を掛けられる。
「結城君、もし良かったらお昼保健室で一緒に食べないかなぁ?」
はっと振り返ると深川先生だった。
「ほら、並木先生もいるし、どうかなぁーって」
少しもじもじしながらこちらを伺ってくる先生はすごく可愛らしく思わずハイと言いたくなってしまうが生憎先約がある。
「お誘いありがとうございます。非常にうれしいお申し出なのですが、生憎今日は先約がありますのでそちらを優先させていただきたいと思います。僕も先生とは是非ご一緒したいとは考えておりますのでまたこちらからお誘いさせていただいてもよろしいでしょうか?もちろん先生のお時間がある時で構いません。」
電話口のように丁寧に丁重にお断りとご一緒したい気はあると伝える。深川先生は少し肩を落とし「先約ならしかたないかぁー。誘ってもらえるの待ってるからね。」と軽く肩を叩く。そして俺はまた購買に向かって歩を進めた。
***
購買で2つほどパンを見繕い自販機でお茶を買う。中庭に着くと姫川さんはもう来ていたようで俺を見つけると軽く手を振ってくる。俺たちは中庭に設置されているベンチに腰掛けお互いの昼食を広げゆっくり食べ始める。
「朝のことなんだけどさ、あれってさ…」
急に本題に入り身構えてしまう。いざ自分のことを話すとなるとなかなか覚悟が決まらない。さて、どうしたものかと考えるしぐさをすると彼女から衝撃的な言葉が飛び出した。
「やっぱり…結城君ってさぁ…隠れオタクだったのかなぁー!」
「は?」
朝以上に目をキラキラさせている姫川さんとは対照的にひどく間抜けな声がこぼれる。食べかけのパンは零れ落ち、おそらくひどく間抜けな顔を晒しているだろう。これが〇〇興業ならズダーンと椅子を蹴り飛ばしながら転げまわっているところだろう。
「あれって、今期のアニメの考察ってやつでしょ。わたしもさぁー、よくやるからわかるんだよねぇー。ほら、私ってさ、こう見えて高校デビューってやつ?なんだけどさぁ、ほら、好きなものって簡単に変えられないじゃない?だからこういう話ができる人ってすごく嬉しくてさぁー。ほら、クラスの子たちとはこういう話できないじゃん」
早口でまくし立てる姫川さん。俺は全身から力が抜ける。しかし、情報が得られなかったのは残念とはいえノートの件をごまかすには非常に好都合であった。ここは話を合わせて乗り切るとしよう。
「そうなんだよね。姫川さんは今期のアニメ何見てるのかな?お勧めあったら教えてほしいな。」
その後の彼女の勢いはすごかった。目からビームでも発射させそうな勢いで目を輝かせ、思わず口が触れるのではないかというくらい顔を寄せ、俺の手を両手でガッシリつかんで離さず自分の世界を繰り広げていた。
たしかに普通にこのテンションでアニメや漫画について語られてしまうと興味のないものは少し、いや、かなり引いてしまうものがあるかもしれない。
確かに昔の俺ならばドン引き確定だったかもしれない。しかし、専門学校時代付き合いのあった友達に重度のオタクの子は何人かいた。
そしていろいろ講釈を受け休日にはお勧めアニメ鑑賞会などやっているうちにその友達にも負けないくらいの知識を得るに至ったのである。
ちなみに彼女が話しているアニメの最終回にどうなるのかも、彼女が一推しにしている推しキャラが6話の最後に死ぬことも当然の如く知っている。
知ってはいるが不要なネタバレは控えておいた。やっぱりアニメはリアルで話を追った方が断然楽しいだろうし、一応推しキャラが死なない可能性も微レ存なんだからね。
しばらく語り尽くし、状況を理解した彼女は冷静になったのかバッと体を離し顔を真っ赤にする。
「ごめんね。なんか一気に話しちゃってさ。中学でもここまで聞いてくれる子いなくてさ、なんか嬉しくてさ。」
「全然いいよ。俺もアニメ好きだし色々話せて楽しかったよ。姫川さん教室とはまた違って好きな事話してるときって目がキラキラしてていいと思うな。」
またおっさん臭いことを言ってしまったと、軽く反省していると彼女の赤くなった顔がますます赤くなり茹でダコのようになっていく。
「えぇ!?いや、あの…またこういう話付き合ってもらえるかな?ほんとにすごく楽しかったし、そっちの話ももっと聞きたいし、話したい…」
最後の方は消え入りそうな声になりながら彼女はこちらを見つめる。
「うん。こちらこそ。今日は姫川さんとたくさん話ができて嬉しかったよ。また、一緒に話そうね。」
「うん。ありがとう…」
そう言ってしばし俯いた後彼女はパッと明るい笑顔を見せ走っていったのだ。
午後の授業も終え、帰りのHRが終わると深川先生が満面の笑みでやってきた。