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24話 一度の失敗は人生においてどれほどの重みを持つにいたるのか その4

 救急車が走り去った後、残された俺達はタクシーを捕まえ病院に向かう。


 無言の車内、大樹が口を開く。


 「俺のせいだ。俺がもっとしっかりしてれば…」


 その呟きに答える者はいない。


 今この状況は、紛れもなく彼らの未熟さが生んだ結果なのだ。しかし、これで終わりではない。これから彼は、いや、彼らはこの状況と向き合っていかなくてはならないのだ。


 病院に着き、待合室で由佳の処置を待つ。


 この時間はまだ病院も診察時間でそこそこの喧騒があるが、俺たちは誰も口を開くことはない。


 ふと、自分の手が震えていることがわかる。それは決して由佳の様態を案じての事ではなく、俺自身のトラウマによるものだと自覚してしまう。そんな自分に嫌気が差す。


 しばらくすると、処置室から出てきた看護師が大樹を呼ぶ。彼は青ざめた顔をしながら病室に入っていく。


 ふと琴美が俺の隣に座る。


 「どうして由佳の事、わかったの?」


 俺はその質問の答えを持ち合わせてはいたが、答えることはできなかった。


 「こんにちは。少しいいかな。」


 俺たちの元へ男性がやってきて声を掛ける。琴美の父だ。琴美の父はこの病院で医師をしている。俺も由佳に刺されて入院した時には、主治医としてお世話になった。


 彼は俺たちを無人の診察室に手招く。


 「今日は大変だったみたいだね。一応、彼女の主治医から状況を聞いてきたんで結城君と琴美にも伝えておこうかと思って。」


 そう言いながら彼は人差し指を自身の口元で立てる。医師である彼が患者の状況を第三者に伝えてしまうのは御法度なのだろう。


 「彼女もお腹の子供も無事だったよ。今はね。でもあと一日、いや、もしかすると、あと数時間遅ければ、どうなっていたことか。」


 彼の言葉に琴美は胸を撫で下ろす。


 「お腹の子供は今十八周だよ。五か月ってところだ。」


 「そうですか。」


 ここまで来て、ようやく俺は口を開く。


 「どうするのかは本人たちが決めることなんだけどね。あまり時間はないよ。」


 彼の言葉に俺は小さく頷く。事情を飲み込めてない琴美は俺と彼の顔を交互に見る。


 「ねえ、どういう事?」


 琴美の質問に俺と彼は顔を見合わせる。それは悪意のある言い方をすればお互いに罪を押し付け合うような具合だ。


 「堕胎だよ。二十二周を超えると堕胎は出来ないから。」


 その言葉を口にするのは抵抗があった。


 「どういうこと?」


 琴美はまだ納得がいっていないのか俺に食って掛かる。


 「あの二人に産んで育てる意思がなければ堕胎することになる。でも堕胎が出来るのは妊娠二十二週目までだ。」


 俺は言葉を振り絞るように琴美に説明する。


 「正確には二十一周と六日目までだね。結城君、詳しいね。彼らはお腹の子供を産むのか降ろすのかを、あと三週間以内に決める必要がある。」


 俺の足りない説明を彼は補足する。


 「どうして…。」


 琴美の反応は当然で、低年齢の妊娠を、安易に堕胎と結びつける俺の方が何かが壊れているのかもしれない。


 「大樹はまだ大した経済力もない。学校辞めて仕事をしているようでもないし。それに、一番の問題は二人の心にあると思ってる。」


 「心?」


 「由佳の方はどうかわからないが、大樹はまだ父親になるということを理解できていない。もし産むという選択をしてもそのことを理解できないまま産んで子供を育てていくことが二人にできるのか…」


 「そうだね、それに産むにしてもこれまでの過度の栄養失調状態もあるし、お腹の胎児にもかなりの影響が出ることも予想される。」


 俺と彼は同じ見解を持っているようで、その意見は難色を示す。


 「ちょっと、二人ともおかしいよ。どうして堕ろすことが前提みたいな話し方してるの?」


 琴美は俺と彼の批判的な言葉に抗議する。


 「琴美、子供を産むって言うのは遊びじゃない。現実的な問題と向き合っていかなくちゃいけないんだ。」


 琴美の父は娘に諭す様に言う。


 「実際産むかどうかを決めるのは彼らだ。俺たちにそれに口出しをする権利はない。」


 俺達の間に沈黙が流れる。


 重苦しい沈黙の後、一人の看護師が診察室にやってきた。


 「音無さん病室決まったんで移動しますけど。」


 どうやら由佳の病室が決まったようだ。


 「琴美たちも行ってあげるといい。僕も仕事に戻るよ。」


 「どうも、ありがとうございました。」


 俺は彼に礼を告げると診察室を出る。


 ノックをして病室に入る。


 そこには無表情のまま点滴につながれた由佳と、未だ青ざめたままの大樹が居た。


 大樹は俺たちを見止めると無気力に椅子を差し出す。


 「一応処置は終わったんですけど、さっきからずっと、こうなんです。」


 由佳は無気力にベッドにもたれかかり、その視線はきょろきょろと宙を行ったり来たりしているが、どこを見ているわけでもないようだ。


 「何話しかけても、無反応って言うか…」


 大樹は悔しそうに俯く。


 俺は由佳の隣に椅子を持っていく。


 「こんにちは。俺がわかるか?」


 俺の言葉に由佳の反応は返ってこない。


 俺は由佳の手を取り、手の甲を軽くポンポンと叩きながらもう一度話しかける。


 「どうして、部屋から出なかったんだ?」


 すると、由佳はうすぼんやりと俺の方を見た後、感情なく呟くように話し始めた。


 「大樹のね、赤ちゃんできたの。私、大樹に言えなくて。そのまま学校退学になっちゃったし、どう頑張っても産んであげられないなって思ってさ。


 部屋に籠ってたんだけど、そのうちご飯食べないままでいたら赤ちゃん死ぬのかなって思って。


 でも、赤ちゃんだけ死んじゃったらきっと悲しいから。私もそのまま死んじゃった方が良いのかなって、そう思ったの。」


 ゆっくりと抑揚なく話す彼女に、俺も、琴美も、そして大樹も、言葉を失っていた。


 「由佳はどうしたいんだ?」


 先ほどと同じように手の甲を叩きながら由佳に話しかける。


 「私は、産んであげたいな…さっき先生が言ってた。もうこの子ね、命が宿ってるんだって。私のお腹の中で、お腹空いた。って、ずっと言ってたみたい。」


 そう抑揚なく話す彼女の瞳から、涙が一筋零れた。


 「そうか。」


 それだけ言って俺は立ち上がる。


 「今日はもう帰ろう。」


 そう言いながら病室の扉に手を添える。


 「も、もう帰っちゃうのか?もう少しいてくれても…」


 大樹は慌てて立ち上がり俺たちを引き留めようとする。


 「甘えるな。少しは冷静になって自分でも考えてみろ。彼女はあの部屋の中でずっと一人で考え続けてきたんだぞ。お前もちょっとは考えろ。」


 病室の扉を開けると由佳の母親と鉢合わせる。お互い気まずさから目を逸らす。


 「明日も、もう一度様子を見に来ます。」


 由佳の母にそれだけ告げると俺たちは病院を後にした。


 帰り道、琴美が俺の袖口を引っ張る。


 「今日の誠、やっぱり変。」


 自覚はあった。ただ、どうしても過去の記憶がフラッシュバックするのを抑えられない。


 -誠、私、出来たみたい。


 必死に首を振り過去の記憶を頭から追い出す。


 「俺も、疲れてるのかもな。」


 「嘘だよ。」


 今度は俺の嘘を見逃してはくれない。


 「明日…話すから。俺にも考える時間をくれ。」


 琴美はそれ以上、この日、俺を問い詰めることはなかった。


 翌日の昼休み、俺と美海、琴美は保健室へとやってきた。俺と美海は皆勤賞ものだ。


 皆、一様に重々しい表情をしている。


 「まず、俺の予想は当たってたんだ。」


 「それで、どうするの?」


 理子は肩を竦めながら俺に問いかける。


 「正直、もう関わりたくない。彼らの問題だ。彼らに任せたい。」


 「やっぱり投げ出すの?私の言ったとおりね。」


 理子の指摘はもっともだ。昨日、すでに忠告は受けていた。


 「待って!昨日、考えるって言って、それがこれ?アタシ、納得できない!」


 俺に琴美が突っかかる。俺は何も言い返せず目を背ける。


 「琴美、誠の話も聞いてあげて。」


 美海が琴美を宥める。彼女はこんな俺のことも、信用して言葉を待ってくれている。


 「俺には…彼らに、何かを言う資格はない…」


 「違うよ。」


 美海はまっすぐに俺の目を見据えて言う。まるで心の奥底まで覗き込まれているような感覚に陥る。


 「お、俺は、俺には、子供が居るって言っただろ。」


 「あ、前の奥さんとの…」

 琴美は思い出したように呟く。


 「あ、あの子は、玲は、俺の子供じゃなかった…」


 俺の言葉に琴美も理子でさえも驚きを隠せないでいる。ただ一人、美海だけが静かに冷静に話を聞いていた。


 「玲が生まれた時、色々調べたんだ。どうしても計算が合わなくて。」


 これまでで一番の胸の痛みを感じる。目が回り、今にも気絶しそうだ。


 「結果、父子関係は0%完全に他人だった。お、俺はそのことを奈緒子に問い詰めることもできず、ただ、玲からの視線に怯えて…そして、逃げ出したんだ。」


 俺の告白に、三人はただただ黙って聞き入っていた。


 「血は繋がっていなくても、俺は玲の父親として生きていこう。そう思っていた。だけど、出来なかった。耐えられなかった。そんな、そんな俺が!あいつらに、何が言える!何を語りかけてやればいいんだ!無理だよ…」


 思わず感情が噴出する。きっとこの時の俺は、それはそれはひどい顔をしていたのだろう。


 琴美も理子も俺に何も言えずに固まっていた。あるいはこんな俺に愛想が付きかけていたのかもしれない。


 ただ、美海は、美海だけはこんな俺を優しく抱きしめてくれた。


 「誠、誰もあなたを責めたりしない。過去がどうでも、これから先、どうなろうとも。」


 美海の暖かな温もりに包まれながら、その腕の中で密かに涙を流す。


 「だから、誠、それも克服しよ。過去に負けるなんて私達らしくないよ。」


 美海は優しく俺の頭を撫でる。俺は何も言う事が出来ずただただ美海に抱かれていた。


 「そうだよ。誠、あいつら、幸せになるようになんとか出来るよ!きっと!それで、誠もきっとつらい記憶を変えられるよ!」


 琴美も立ち上がり、俺を励ます。


 「簡単に、言うなよ。どうすりゃ良いって言うんだよ。」


 俺は美海から体を離し、琴美に反論する。


 「そんなの簡単じゃない。あなたが出来損ないパパの先輩として教えてあげればいいだけじゃない。」


 理子もあっけらかんとしながら言う。


 「あ、あのなぁ…」


 「ほら、誠、もう逃げないんでしょ。」


 先ほどまで俺を抱きしめていた美海もそういうとニッコリと俺に笑顔を見せる。


 俺は大きく息を吸って、ゆっくりとそれを吐き出す。


 「わかった。そうだな。単純だけど、やってみるか。自分の為に!」


 そうだ、こんなことは失敗でも何でもない。彼らには彼らなりの青春がある。なら、その青春が間違いだったなんて、誰にも言わせないように、出来ることを全力でやってやる。


 そう心に誓った。


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