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5話 あなたがそばにいたから!

 私の人生は一言でいえば平らだ。見晴らしのいい山もなければ、大きく落ち込む谷もない。


 私の両親は一言でいえば過保護な人達だった。ずっと両親の言うがままの人生を歩んできた。


 両親の薦める学校に入り、両親の期待する点数を取り、両親の望む会社に就職した。


 会社では周囲の期待する自分になった。業績をあげ、誰ともそれなりに仲良くできる。


 ある日会社の上司からアプローチを受けた。両親に話すと両親は彼に会うこともなく言った。


 「いいお話ね。」


 彼との縁談はとんとん拍子に進んでいった。年上の彼は私に家庭に入ることを望んだ。


 私は会社を辞め、主婦になった。


 子供はいなかった。もともと交渉が少なかった私たちだが、夫は四十手前にして不能となったようだ。


 夫との交渉で私が感じたことは一度もなかった。ただ、彼の期待する反応をして見せた。仕事も取り上げられた私には作業そのものだった。


 結婚当初は会えば子供の話をしていた両親も次第に何も言わなくなった。もしかすると両親の言いつけを守らなかったことはそれが初めてかもしれない。


 私は世間には淑やかでおおらかな人に思われていたかもしれない。夫もそう感じていたことだろう。夫に自分の意見を言ったことは一度もない。たまに両親の意見を伝えていただけだ。


 「出来た奥さんと一緒になれて、僕は幸せだよ。」


 彼はそう言った。


 「そうね。私もあなたと一緒になれて幸せよ。」


 私の返事はいつも同じ。「そうね」そこから無難と思える言葉をつなぐだけの返事だ。


 ある日、父が倒れた。癌だったようだ。


 私は毎日病院へ行った。そうするように母にも、夫にも言われていたからだ。


 そして、父は死んだ。


 涙は一滴も出なかった。本当はわんわんと泣いた方が良かったのだろう。でも、出なかった。


 母は、そんな私に失望したのだろうか。


 「あんなに可愛がってもらっといて、そんなに情のない子だと思わなかった。」


 母は私を罵った。初めて自分の一部を人に見せた気がした。


 夫は私に「キミはそんな人じゃない。僕はわかってるから」と言った。そうね。わかってほしいと思ったことなど、一度もないわ。


 それからしばらくして夫が死んだ。


 交通事故だった。呆気なかった。私が連絡を受けて駆け付けるともう息もしてなかった。


 「残念ですが。」


 お医者さんは言った。


 「そうね。とても残念ね。」


 夫の葬儀の時も一度も涙は流れなかった。葬儀に来た母とは葬儀中一度も話さなかった。


 帰り際に母が私に一言だけ吐き捨てるように言った。


 「あんた、どこか壊れてるよ」


 「そうね。」


 父と夫の遺産があったし何も困らなかった。


 母とは夫の葬儀以来一度も顔を合せなかった。


 私に何か言う人はみんないなくなった。とても楽だった。もう何も演じる必要がなかった。


 私の人生は真っ平。山も谷も何もない。避けて通りたくなる障害もなければ、思わず足を止めたくなるような花もない。ただただ無限に広がる荒野。でも、何も不満はなかった。


 ずっとつまらない映画でも見ている気分だった。


 私は観客の一人で、私の他に観客は誰もいない。


 たまに観客がちらほら来てはまた去っていく。離れた位置で見ていたり、私の隣に座ったり。


 ただ、そうやってつまらない映画を一緒に見たからと言って隣の人に興味など持ちようもない。


 そうやって、ただただエンドロールが流れるのを待っていた。


 エンドロールは流れなかった。


 ある日いつものように寝て、目を覚ますと両親のいる家だった。


 夢だと思った。それまで夢など一度も見たことはなかった。


 とても嫌な悪夢。


 でも、夢じゃなかった。


 私は高校1年生になっていた。


 また繰り返す。私は黙って両親の言いなりになる。


 ある日、私は隣の席の女の子に聞いた。


 「あなた、将来なりたいものはあるの?」


 その子は教師になると言った。中学時代の恩師のような人になりたいのだと。


 「ねぇ、あなたは?」


 笑顔でその子は私に聞き返す。


 「私?私は…」


 その時だった。それまでの記憶、空虚、無力感、悔しさ、いろんなものが押し寄せてきた。


 私はその場から逃げ出した。感情に任せた行動など初めてだった。


 そのあとの授業にも出ず私はトイレで一人泣いた。なぜ自分が泣いているのかもわからなかった。


 次の日、昨日の女の子が私に尋ねる。


 「昨日、どうしたの?大丈夫だった?」


 「うん。私ね、私も先生になりたい。保健室の先生がいい。」


 私は笑顔で答えた。初めて笑った気がした。


 3年になり、進学先の進路調査を知った父は怒った。初めて父に頬を叩かれた。


---


 「思いっきり殴り返してやったわ。もちろんグーでね。快感だったわぁー。」


 理子は拳を握り悦の表情を浮かべる。


 「そのあとはどうなったんです?」


 「大変だったわよー。父はますます怒ってくるけど、こっちももう止められないじゃない。ボッコボコにしてやったわよ!母は大泣きで警察まで呼んじゃって、ただの親子喧嘩に大げさなのよねー。」


 「いやいや、そうじゃなくて、進路のこととか。」


 「そんなのもう、誠も知ってるじゃない。私がここでちゃんと養護教諭やってるんだもの。」


 「なるほど。ていうか、一ついいですか?」


 「だめー」


 さすがに理子は俺が何を言おうとしているのかわかっているようだ。流石に女性に年齢のことはタブーということにしておこう。逆算できるけどな!


 「俺がタメ語でしゃべって良い理由が見つかってないんだよなー。」


 思わず口が滑る。


 「だーかーらー!ダメって言ったのに何でいうのかなー!察しろ!察しろ!察しろー!」


 おぉ、あの並木先生が怒っていらっしゃる。今までのシリアスな雰囲気はどこに行ってしまったのか。


 「その時出会ったのが深川先生ってわけですか。」


 「そのとーり。私には七海が光って見えたなぁー。」


 「今ではかなりのポンコツですけどね。」


 「それは誠だからそう見えるだけだよ。あれで七海、客観的に見て教師としても社会人としてもかなり優秀だよ。」


 それは真実だろう。部の申請の件を考えるとその有能さは想像に難くない。


 「七海がポンコツになるのは美海ちゃんの前だけだと思ってたんだけど…誠にここまで懐くなんて私…妬いちゃうな。」


 そう言いながら理子はさみしそうな顔をした。


 「俺は理子や美海の代わりにはなれませんよ。お互い役割が違うんです。理子には理子にしかできないことがあると思いますよ。」


 そういうと理子はますますさみしそうな顔をする。


 「あの時もだよ…」


 理子が呟く。


---


 私と七海は同じ大学に行った。学部は違ったがお互いに夢を持つことができた。二人で同じ高校に赴任できるといいね。そんな夢を頻繁に話し合っていた。


 そんな夢はあっさり叶った。教員採用試験二人揃って合格できた。赴任先も同じ高校だった。


 これは夢だ。こんな都合のいいことがあるはずもない。でもどうか、夢ならば醒めないで。もうすこしこのまま…幸せな夢を…


 しかし、夢はあっさり醒めた。それから私は七海の苦悩を知ることになったからだ。


 七海は新任にして担任を任されていた。しかも3年生だ。正直言ってあんなものは高校生の姿ではない。


 生徒たちは七海をななちゃんと呼ぶ。親しみではなく、侮りを込めて。


 私なら気にしない。些細なことだ。しかし、七海は悩んだ。もともと真面目な彼女だ。真に受けてしまう。


 その時ほど自分の空虚な人生を恨んだことはなかった。彼女の倍近い人生を生きて何一つ彼女を励ますことができなかったのだ。


 「私ね。教師辞めようかと、思うんだ。」


 それはまるで死刑宣告のような言葉だった。私も七海も公務員だ。いずれは転勤の時期が来て離れ離れになってしまう。でも彼女が、ずっと夢に向かって一生懸命頑張ってきた彼女がその夢をあきらめてしまうのが耐えられなかった。


 「もう少し、せめて転勤などで、お互いが離れ離れになってしまうときまでは一緒に教師でいよう。」


 私は必死に説得した。なりふり構ってなんかいられなかった。


 七海はよく保健室に来ては泣くようになった。私は辛かった。私の自分勝手な願いが、想いが彼女を傷つけている。でもどうすればいいのか、わからなかった。


 やがて新年度になり、七海はまた担任を持った。今度は1年生だ。しかし、状況は変わらなかった。相も変わらず、生徒たちは七海をななちゃんと呼ぶ。七海がいくら注意しても同じことの繰り返しだ。


 七海は相変わらず保健室で泣く。私にはどうすることもできない。


 ある日、七海は5限の授業が始まるとやってきた。最近は自分の授業がない時のお決まりだ。


 しかし、その日の来客は彼女だけではなかった。


 コンコンとノックをされる。授業が始まったばかりでの来客は少し珍しい。


 「どうぞー」


 努めて明るく返す。自分の心境を生徒に曝すわけにはいかない。


 「どうぞ。体調不良かな?」


 一応聞くがどう見ても体調が悪そうには見えない。正直帰ってほしい。


 「どうぞ座って。」


 「1-4の結城です。」


 七海のクラスの生徒だ。私ははらわたが煮えくり返りそうになった。自分の感情を押し殺し、努めて冷静を装う。


 「保健の”並木理子”です。4組なら七海のクラスね。」


 「七海さんですか…?」


 この生徒、ふざけているの?


 入学式からまだ1週間も経っていない。それなのに担任の名前も覚えてないっていうの?


 「結城君。担任の”深川 七海”です。先日自己紹介したばっかりじゃない。結城君、サボりは感心しないなぁ。」


 七海が隣から口をはさむ。真面目な彼女だ。こんな時でもこんな生徒一人放ってはおけないのだ。


 「サボってるのは七海もじゃない。それにしても結城君。まだ一年生なのに随分礼儀正しいのね。ご両親の教育が良かったのね。」


 私は精一杯の皮肉を込めて言った。


 「いえ、そんな、恐縮です。」


 なにこの子、面の皮厚すぎるんじゃない?皮肉ってわからないのかしら。


 しかし、そんな彼に、いや、私たちは疲れてしまっていたのかもしれない。七海は彼女の悩みを話し出した。


 「みんな結城君のように…」


 七海はやけにあっさり目の前の彼に自身の悩みを打ち明けてしまった。しかし、こんな彼が彼女の、いや、私たちの悩みにどうできるものでもない。そう思っていた。


 「あの、それでしたら…」


 話を聞いて思わず噴き出した。まるでおじさん、いや、ジジイだ。こいつ、何年生きてるんだって。


 しかし、七海は違った。久しく見てなかった。私が憧れた笑顔で…。


 「結城君、結城誠君…キミほんと何歳?」


 私は悔し紛れにそんなことを言った。


---


 「あっさり私たちの悩みを解決しちゃうんだもん。ズルいよ。」


 「俺に対する猛烈なヘイトは良く伝わってきたよ。」


 「だって仕方ないじゃない。私たち、本当に辛かったんだから。」


 「そうですね。理子がいかに深川先生のことが好きかよく伝わりました。」


 「やだ、私、ノーマルのつもりなのに。」


 理子が冗談交じりに言う。


 「はいはい。もういいよ。なんでも。でも、あれですべて解決したとは思わない方がいいよ。まだまだ思い悩むことなんか山ほど出てくる。でも、その時に深川先生を支えてあげられるのは並木先生しか、居ないと思うから。」


 少し真面目なトーンで伝える。


 「あら、誠は私たちのこと見捨てるの?」


 理子は冗談交じりに言う。


 「そうですね。友人としてなら、いくらでも相談に乗りますよ。」


 少し悩んだが素直に伝えた。


 「生徒としてって言わないところが、誠はやっぱり優しいね。」


 そう言った理子の顔はあの優しい包容力に溢れた笑顔だった。


 「ところで、最初の質問。覚えてますか?」


 「えーっと、なんだっけ?」


 わかっていて言っている。この人が一度自分が言った言葉を忘れるはずがない。


 「俺が高校時代、保健室にいた人だよ。」


 「思い出した?」


 「ええ、思い出したよ。というか、俺高校時代結構保健室で寝てたはずで何で今まで気付かなかったのか…」


 「ってことは、やっぱり、私じゃないのね?」


 理子が真剣な顔をする。先ほどまでの茶化し半分の雰囲気はなりを潜める。


 「ええ。俺が、思い出したのは確か結構壮年の女性だった。理子ほど若い教師はそもそも高1の頃にはいなかった。これがどういうことか、わかりますか?」


 「!?じゃ、七海は?七海は居なかったの?」


 理子の表情が焦りで染まる。


 「ええ。居ませんでした。そもそも、俺の高校時代、若い女性の担任は居なかった。」


 「どういうこと?」


 「俺も、今の今まで思い出せなかったんです。元々高校時代はアルバイトばかりで、学校生活は希薄なものでした。でも、いくら何でも担任が男か女かとかどれくらいの歳だったかくらい覚えていたはずなのに。」


 「七海が…いなかった?だって、あの子は私が教師になってもならなくても教師を目指してたはずじゃない!?」


 「もしかしたら1年で辞めてしまったのかもしれません。もしくはもともと…」


 「どうして…」


 理子の目から涙が零れ落ちる。


 「でも、今はちゃんといるじゃないですか。それは理子がそばにいたからじゃないかな?」


 「でも私は!私が七海に憧れたからであって、七海が教師じゃなかったらいったい私は…」


 「まだ、いや、もうわからないけど、もしかしたら他の学校で教師をやってたのかもしれない。それに、もし深川先生が夢を諦めてしまっていたとしても、その夢を守ったのは他でもない理子だよ。お互い、支えあってここまで来たんだ。それを今更否定して、どうすんだよ。」


 「わからないよ…」


 俯いた理子はその幼い容姿に似合う少女のような儚さを湛えていた。


 長い沈黙だった。ふと外を見る。辺りはもうすでに真っ暗だ。いったいどれほどの時間俺たちは話し込んでいたのだろう。時計を見る。時刻表示がおかしい。もう日付も変わり午前1時を指そうとしている。


 「理子。俺、そろそろ、帰らないと。」


 「今日は一人にしてほしくない。」


 理子はぼそりとそう言った。口説き文句にしても今はあまり嬉しくない。


 「じゃ、シャワー借ります。」


 返事を待たずに適当に浴室を探す。少し頭を冷やして冷静になりたかった。


 浴室を見つけてシャワーを借りる。冷たい水が体の芯を冷やして気持ちいい。


 「しまった。バスタオル…」


 着替えなら着ていた服をもう一度着ればいいと思っていたからタオルをすっかり失念していた。


 「バスタオル、ここ置いておくね。ガウンもあるから使って。」


 扉越しに理子に声を掛けられる。


 「ありがとう。助かった。」


 シャワーを浴び、ガウンに着替え、リビングに戻る。理子はおとなしくソファに腰掛けている。


 「お先でした。シャワー浴びてきてください。頭、さっぱりしますよ。」


 「今のクズっぽくていいね。」


 理子は冗談交じりにいうがいつものキレはなかった。


 理子もシャワーを浴び、パジャマ姿の理子がリビングに戻る。


 「俺、ソファー借ります。」


 「寝室、あっちだから。」


 わかる。来いということだろう。理子の表情はいつになく真剣だ。


 「いや、マズいでしょ。ここでいいです。」


 「誰かがシャワー水にしてて寒いし。」


 心がズキリと痛む。


 「…わかりました。」


 理子と同じベッドに入る。ダブルサイズのそれは二人でも余裕があった。


 「もっとくっついてよ。」


 「いや、仮にも教師と生徒ですよ?この状況だけでも首が飛びますよ?」


 「誰も見てないし、一緒だよ。不安…なんだよ。」


 仕方なく、理子の方を向く。胸がズキズキと痛い。頭がガンガンする。


 理子に腕を伸ばし優しく胸に抱きしめる。


 「優しいね…」


 理子は言う。吐き気も止まらない。


 「ほんとにできないんだね。」


 理子が言う。俺になんの反応もないからだ。


 「やめてください。俺だって辛いんですから。」


 「なんでこんなに優しいの?ほっとけばよかったじゃない。」


 「俺の話、聞いたからわかるでしょ?こういう温もりに依存して生きてきた人間だから理子が今求めてるものくらいわかります。ずっとこうやって流されて生きてきて、後悔ばっかりでしたよ。」


 「じゃ、なおさら…」


 「俺も…嬉しかったんだよ。一人ぼっちで高校生に飛ばされて、だれにも相談できない。自分の人生、確かに後悔することばっかりだった。ずっと自分勝手に生きてきた。周りの大切な人をいっぱい傷つけて…そんな自分を叱ってほしかった。甘えるなクズって罵って欲しかった。でも、そんな人生だったけど、無かったらよかったなんて一度も思ったことはない。でも、もう無理なんだ。同じ人生は二度とない。」


 「私、不安だったんだ。今まで、自分の信じていたものが実は本当に脆いもので、明日にでも、崩れて消えてしまうんじゃないかって。…誠、これからどうするの?」


 「変わりませんよ。精一杯高校生して、精一杯青春して、精一杯生きていきます。」


 「…私も、自分のために生きていこうと思う。今まで散々人に合わせて生きてきたんだから、これからは自分だけのために精一杯ワガママに生きたって許されるよね!」


 少し元気を取り戻した理子の声に吐き気が徐々に引く。頭痛もゆっくり収まっていく。


 「だから、私、ワガママに七海の傍にいるんだ。誠のことも利用してさ。自分の居場所、守るんだ。」


 「本人を目の前にしてよく言えるな。まぁ、俺の知ってる理子らしいや。」


 「誠は?もうクズはやめちゃうの?」


 「あのな、学校ではクズって言うなよ。それに、クズはもうだいぶ昔にやめてるんだ。でも…俺もまだまだ自分のために生きるんだ。」


 「それって…やっぱりクズじゃん。」


 理子が笑う。そうだ。クズでもいい。俺は自分のために周りを引っ掻き回して、振り回していくんだ。今度は迷わない。逃げない。なにも捨てない。全部拾う。今度の今度こそ、後悔も何もない、思い返すだけで頬が緩むような、そんな青春を送るって決めたんだ。


 「今日、ほんとは来るの嫌だったけど、やっぱ話してよかったわ。」


 「誠、ほんとにあったかいね」


 目の前のダメ教師はそんなことを言いながら静かに寝息をたて始めた。


 理子の体温を感じながら考える。理子は俺に身体まで許そうとした。しかしそこに愛はない。


 おそらく七海に対して持っている依存心、そんな七海を失う恐怖。それが彼女にそうさせたのだろう。


 理子の元の人生に依存がなかったのかというと、おそらくそんなことはない。彼女はずっと、両親に、夫に、周囲の目線に依存、いや、寄生と言ってもいいだろう。そうやって生きてきたのだ。だから元の彼女には実体がない。寄生先がなくなれば自分を見失う。


 きっと彼女にその自覚はないだろう。だから俺も余計なことは言わない。これからも彼女は七海に依存する。しかし、俺はそれが悪いことだとは思わない。人は誰もが何かに依存する。程度の違いはあれどそれがまともな現象だ。そうやって人との関係を築いていけばよいのだ。


 それは俺も、七海や美海、天文部のみんなにも言えることだろう。これからも俺たちは互いの距離を測りかね、測り違いすれ違いながら生きていく。そうやってお互い一歩ずつ歩み寄っていけばいい。そうすればきっと…


 腕の中で眠る理子を見る。まるで親子だ。


 そんなことを思うと自然と笑みが零れた。胸の痛みはズキズキ痛いが吐き気も頭痛ももうない。


 眠る理子の顔を優しく撫でる。人の温もりは心の安らぎに変換される。彼女も不安だったのだろうか。


 紛い物の一時の安らぎではある。しかし、それで彼女の心を救えるというのなら、もう少しこのままでもいいのかもしれない。


 そんなことを考えながら、瞳を閉じた。

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