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さて、記念すべき最初の不幸話です。

皆さまこんにちは、こんばんは、はたまたおはようございます。


同じ日に投稿してるので、そのままこのページを開いてくださった方、ありがとうございます。




さて、ではまず一つ目の不幸を話しましょう。



私の一番最初の不幸は、私に全く記憶がない出来事です。

あぁ、記憶喪失とかではないですよ。

私が赤ちゃんの時に起こった出来事だからです。


具体的な年齢は両親からは聞いてないので、おそらく0歳です。


さて、赤ちゃんの不幸って一体どんなものだ?

どんなものか、考えてみてください。



両親がひどい人? いいえ、両親はとても立派な人です。

兄弟が意地悪? いいえ、兄弟は末っ子の私にとても優しいです。




さて、身の回りじゃないなら、もちろん私自身の不幸です。




私は、病気を持って生まれました。

前頁で述べた病気とは違います。ええ、全く違います。

おそらく世界中の人が知っている病気です。


私は、癌を患っていました。

正式名称をいいますと、「神経芽腫」。


医者ではないので詳しいことは知りませんが、「神経芽腫」は、その名の通り、神経の先にできる癌です。

この病気は、赤ちゃんの100人に一人がかかる病気だと聞きました。聞いたのが中学生くらいの時なので、現在の割合はわかりませんけどね。

この病気で亡くなる子もいます。

私はこの時から悪運が強かったのか、良性の癌でした。


でも、あくまで不幸中の幸いでして、私の腫瘍は少しずつ腫れていったそうで、お医者さまには「このまま大きくなり続ければ死ぬ、止まれば問題なし」と言われたそうです。

赤ちゃんで、しかも特殊疾患だったので、手術代は保険がおります。親はもちろん手術することを選びました。


無事に腫瘍は取り除かれましたが、腫瘍の先にあった副腎という臓器も、まあ一緒に取り除かれたそうで。

医療的なことは全くわからないので、なぜ副腎まで?と思わないでもないのですが、まあ赤ちゃんですし、難しい手術だっただろうなあ、とは思います。

今でも、お腹に15センチくらいの手術痕は残っています。小さい時は、背中まで傷があったそうです。


私にとってその手術痕は、自我がある頃からずっとそこにあって、全く違和感のないことでした。

一年に1〜2回の通院も、みんながしていることと思っていました。

そうじゃないと気づいたのは、保育園の、多分プールの時です。

同じ園の子に、「その傷なあに?」とか聞かれたんだと思います。正直この記憶はうっすらとしか無いのですが、私は母に尋ねたのです。


私のお腹の傷ってなあに?と。


母がなんて答えたかは、覚えていません。

ただ、台所に立つ母を見上げていたことを覚えています。

こちらを見なかった母を、覚えています。


私にとって、この出来事は不幸でもなんでもなく、ただの事実なのです。

不幸だったのは、母でしょう。父でしょう。兄弟でしょう。


生まれてきた子が病気でした。

毎年病院に通わねばなりませんでした。

母は入院中の私に付きっきりでしたから、歳があまり離れていない兄弟たちはずっと母に甘えられませんでした。

父はそんな兄弟をずっとみていました。私の世話をする母をずっと見送っていました。

私は、その記憶はありません。家族がどんな顔をしていたのか、どんな思いを抱いていたのか、知りません。


ただ、私のお腹に手術痕は残っています。

私が病気だったのだと、教えてくれます。

私は、生きていると、それを見ると実感するんです。


鏡を見れば、左右でお腹の大きさが違います。

傷痕をなぞれば、ボコボコした触感が指に伝わります。

私に記憶が無くても、私が手術をしたのだと、私は両親の決断のおかげで、ちゃんと生きているのだと、実感できるのです。


私にとっての一番最初の不幸は、1番の幸せでもあるのです。

だって、私にこの両親を与えてくださったのですから。

私を産み、生かしてくれた両親がいると、教えてくれたのですから。


私は生まれた時から、少しだけ不幸でした。

ですが悪運が強かったおかげで生き残り、最高の両親を私にくれました。

神様は信じていませんが、私は同時に幸運でもあるのです。




いきなり重い話ですね。笑える話をするはずだったのですが、これじゃあ笑えませんね。

次は、少し明るい話をしましょう。




小学生の時、世界的に有名な、あの漫画を読みました。

そう、某海賊王の漫画です。麦わら帽子のよく似合う主人公の漫画です。

それを読んでいた私は、主人公の頬の傷痕や、赤髪の人の目の傷を見て、傷痕はカッコいいものなんだ!と思いました。


ええ、もちろん、自分のお腹の傷もカッコいいと思ってましたよ。

お風呂に入るたび、おおお、と目を輝かせましたとも。

アホの子だったんです。とってもアホでした。


でも男兄弟の中で育ったんです、私。兄二人に対し妹の私は、当然兄に憧れというか、男の子に親近感が湧くじゃないですか。

小さい頃は兄のお下がりを喜んできてましたし、男物がカッコいいと思ってたので、普通に男物の服をいろいろ持ってました。スカートは大嫌いで、今も1着も持っていません。


みんなに自慢して回りたい気分でいっぱいでしたが、なんとなく教えちゃいけないことでもあるのだろうと、自粛はしてました。

母があまりいい顔をしていないのを覚えてましたし、何より、私がそのことを話すたび、家族は話にはなるけど、明るい表情ではなかったので。


とはいっても、私は考えるより口が先に出るタイプだったので、家族の表情なんてあまり気にせずいろいろ話してましたけどね。

手術痕のことはあまり言いふらしたりせず、いろいろ、それはもうおしゃべり好きな私が、母にうるさいと叱られるまではずぅっと。


ちなみに、うるさいと叱られるのは、未だにです。

もう大人なのにね。




さて、このお話は以上となります。

途中まで辛いお話でした。最後は笑っていただけたでしょうか?


この小説、エッセイはこんな感じで、暗い話と、それにまつわる幸運、そして笑い話と一緒に書いていきたいと考えています。

しんみりばかりは、エッセイとしては読みづらいでしょうから。


とはいえ、私の文章力にもよるとは思いますが。

こんな話でよければ、付き合ってください。

ちょっとした不幸を、笑ってください。

不幸が来れば、幸運も同じく来るのだと、皆様の出来事も振り返ってみてください。


不幸ばかりではないはずです。

ちゃんと考えれば、幸運もあるはずです。


不幸と思えるのは、幸運だった証明、らしいですから。



では、皆さまさようなら。


次も読んでやってください。



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