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深海の時間

 ある日のことです。

 二人がいつものようにクラゲに囲まれながら過ごしていると、遠くの方でカチカチ、カチカチという音が聞こえました。

 音がした方向を見ようとした少年でしたが、その前に少女に手をつかまれました。


「いけない。あなたがみつかったらきっと大変なことになるわ」


 少女は尾をくねらせて泳ぎ出し、手を引かれた少年は走りました。

 少女が泳ぐスピードにチョウチンアンコウのランプがついてこられず、少年は足元が暗いまま、何度か転びそうになりながらも懸命に少女についていきました。

 急いでいる少女にどうして慌てているのかたずねるまもなく、魔法使いの家の前に到着しました。


「あいつがやってくるね」

「ええ、魔法使いさま。あなたはしばらく隠れていてね」


 少女に背中を押されて、少年は貝の中に踏み込みました。

 中が暗くて少年が身動きできずにいる間に、外から大きな声が聞こえてきました。


「やあ。久しぶりだねえ。元気にしてたかい」

「もちろん。おじさまもお元気そうで嬉しいわ」

「いやいや。わしもすっかり歳だ。そろそろ終わりの谷へ向かう時期だと感じているよ」

「気が早いのね」

「なにを言っているんだい。おまえさんがここに来てからでもどれくらい年月が経っているのか。いいかげんに、海の上は恋しくないのかい」


 少女が誰かと言葉を交わしています。


 さきほど聞いたカチカチという音の正体と、少女が誰と話しているのかが少年は気になりましたが、今は、この家の中に一緒にいる魔法使いのことのほうが気になっていました。


「そっちの貝はだんまりかい」

「眠っていらっしゃるのよ」

「おまえさんをこんな海の底にしばりつけておいてのんきなものだな」

「魔法使いさまのせいではないわ」

「だが、その化石さえいなければ、おまえさんがこんな場所に長々ととどまることにはならなかったはずだ」


 少女と誰かの話を聞きながら、少年は好奇心をおさえられずに魔法使いの姿を知ろうとして転びかけましたが、すばやく支えてくれたものがありました。

 それはたくさんの腕にからみつかれるような感触でした。

 驚いた少年は、思わず魔法使いの家の中から転びでてしまいました。


「人間! なぜ人間がこんなところに!」


 大きな声が辺りにひびき渡りました。

 少年は声の主を見ようとしましたが、それらしい姿は見えません。


「なんということをしているんだ。そんなことをしてまで彼女をとどめておきたいのか」


 ふたたび声が聞こえると、見上げる海の中に白い歯をのぞかせた巨大な口が見えました。

 声の主はクジラでした。


 真っ黒で大きなクジラの体は、クラゲの淡い光では全体を照らし出しきれません。闇の中にまっ赤な口がチラチラと見える様は、まるで夜空が吠えているかのようです。

 怒ったクジラがカチカチと歯を鳴らす音は重く、耳をふさいでも少年を苦しめます。激しくうねる尾ひれに水が揺れ、小さな体は飛びそうになっていました。


「ああ、うるさいねえ」


 うんざりしとした声とともに貝から出てきたのは、吸盤のついた何本もの腕と、大きな二つの目でした。

 魔法使いの正体は、長い年月を貝殻を背負って生きてきた巨大なタコでした。


「あんまり暴れると、その腹に私の家が突き刺さってしまうよ」


 魔法使いは少年を驚かせないように人の形を取っていた腕をタコの姿に戻し、少年を守ろうとくねらせました。


「おまえさんもよくよく考えることだ。おまえさんが本来棲むのはこんな暗い海の底じゃないんだからな」


 クジラは最後に少女にそう言って去って行きました。

 静けさの戻った海の底で、ぐったりとした少年は、少女と魔法使いに介抱されていました。


「この子のことを海王さまに知られたら大変なことになるかしら。あの方は海の生き物と陸の生き物が触れ合うことを好まれないから」

「その気があったら、とっくになにかしているだろう。うるさいのはあのクジラだけだよ。まったく、時たましか訪れないクジラと、時たましか拾って来ない人間。偶然が重なってしまったものだね」


 ぼんやりと会話に耳をかたむけていた少年でしたが、以前から気になっていたことを聞くなら今だと思いました。


「ねえ、今までここに来た人たちはどうしたの?」


 すると、少女は悲しそうに目を伏せました。


「みんないなくなってしまったの」

「どこへ?」

「わからないの。いつのまにかいなくなってしまったから」


 わからないのならしかたありません。

 少年はもう一つの気になっていることをたずねました。


「君はいつからここにいるの? どうしてここにいるの?」


 すると少女は、今度は困ったように笑いました。


「驚かないで聞いてくれる?」

「もちろん」

「私がここに来たのは百年前よ」


 少年は目を丸くしました。

 少女の年齢が人間の見た目とは異なることは少年もうすうす感じていましたが、それでも、百年は予想もできませんでした。


「どうして百年もいるの?」

「海王さまに怒られたから」

「許してもらえないの? そうしたらまた星が見られるのに」

「無理なの。許されても許されなくても、もう二度と海の上へ出ることはできないのよ」


 ——人魚のほこりを取りもどすまで、この海域に戻ることはまかりならん。


 初めて星空を見た日からその美しさに夢中になった少女は、日に日に空へ、大地へのあこがれが強くなり、ついには海王の怒りを買ってしまいました。

 少女は追われる身となり、王の配下に常に見張られ、海の上へ出ることもできなくなり、苦しい思いをしながら深い海へ逃げこみました。


 そんな少女に手を差しのべたのは、海王の支配下にない深海の魔法使いでした。


 魔法使いは少女が暮らしやすいように環境をととのえました。

 辺りでサンゴを育て、庭園のような彩りを。

 光るクラゲを集め、暗い深海にも明かりを。

 魚を呼び寄せ、いつも少女を囲っているように。

 そして、海に落ちてきた人間を少女の話し相手に。


 少年は少女に心配そうに顔を覗きこまれながら、この海の底で目を覚ました時のことを思い出しました。

 あの時、少年は少女に救われたと思い、少女に感謝しました。実際には違っていたのですが、黒い海に吸いこまれて終わらずに済んだのは、やはり少女のおかげだと思っています。

 少年は少女へお礼がしたかったし、そうでなくともそばにいたいと思っていました。


「僕がこれからも一緒にいてあげる」


 魔法使いの力で少しずつ元気になりながら、少年は少女の手を握りしめました。






 正体がわかったことで安心し、少年は魔法使いとも話しをするようになりました。


「あの子には内緒だけどね、これまでにここに来た人間たちに別れを与えたのは私だよ」


 少女がクラゲやサンゴの様子を見にいっているあいだに、魔法使いはこっそりと少年に打ち明けました。

 少年は驚きましたが、安心もしました。先に来た大人たちがいつまにかいなくなっていたと聞いた時には、自分もある日とつぜん海に消えてしまうではないかと不安になったのですが、そうではないとわかったからです。


「どうしてお別れしたの?」

「彼らは暗い海の底で永らえるよりも、安らぎが欲しいと言ってね。引き止めることはできなかったんだよ」

「あの子やここが嫌になったということはなかったの?」

「いいや。みんな、優しくあの子に接してくれていたし、ここの生活にもなじんでくれたね。ただ、最後にはもう永遠の眠りにつきたいと私に言ってきたんだよ」


 少年は不思議に思いました。どうして大人たちはふたたびの死を選んだのでしょうか。

 ここにはいばってる人やすぐに怒りだす人はいませんし、働かなくていいし、食事にも困りません。ただ、少女と話をしてさえいればいいのです。少女と一緒に冒険もできます。なにかあったら魔法使いが助けてくれます。少年はここでの暮らしを楽しんでいたので、ここを去っていった大人たちの気持ちがわかりませんでした。


「坊やも、その時が来たらこっそりと私に言っておくれ。あの子にはでできるだけ悲しい思いをさせたくないからね」

「わかった。でも、僕はずっとあの子のそばにいるよ」

「そうしてくれると私も嬉しいね」


 魔法使いの話を聞いて、少年はあらためて自分だけはずっと少女と一緒にいてあげないといけないと思いました。

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