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沈没船の探検

 歩いても歩いても同じような光景が続いていましたが、やがて、家のように大きな白い巻き貝が遠くに見え、少女は少年をその穴の前まで連れて行きました。

 この中に海の魔法使いが住んでいるのです。


 巻き貝のまわりにもクラゲがただよっていますが、穴の中は暗すぎてなにも見えません。

 少女によれば、魔法使いは海の底を明るくしたり、少年をこうして海の中で歩き回れるようにしたりと、いろいろな力を持っているようです。魔法使いとはどんな姿をした生き物なのかと、少年は緊張しました。

 すると、真っ暗な穴から長くて白い手が二本、にゅっと出てきて、少年の頭を撫でました。


「ようこそいらっしゃい、坊や。勇気と優しさを合わせ持った子だね」


 腕しか見せない魔法使いの声は優しくしわがれた声でしたが、少年は子供扱いはやめて欲しいと思いました。だって少年はもう、家を出て働くような年でしたから。


「魔法使いさま。あれを出してくれる? 彼に見せたいの」


 姿の見えない魔法使いにアレコレ言うこともできず、少年が子供扱いにがまんしていると、少女がなにかを魔法使いに頼みました。

 少年の頭から離れた手は穴の中に引っ込み、しばらくしてなにかを出して海の底に置きました。


「これは私の一番の宝物なの」


 そう言って少女が示したものは、円と輪と歯車が複雑に組み合わさった、ひと抱えもある大きさの機械でした。

 機械は長い間海の中にあったために変質して、表面はデコボコのザラザラになり、精密に刻まれていた文字や目盛りももう読み取ることができません。


 機械がどのようなものかさっぱりわからない少年に、少女は「星の動きがわかる道具らしいわ」と説明しました。


「君はいろんなことを知っているんだね」

「以前にここに来た軍人が話していたねえ」


 少年が少女の知識に感心していると、穴の中から魔法使いが言いました。

 以前にも誰かがここに来たことがあると知って、少年はがっかりしました。自分が少女の初めての人間の友達になれたと思ったのに、そうではないことが残念でした。


「沈んだ船から拾ってきたものなの。最初はいろんなところがくるくるとよく回っていたのに、今ではもう動かなくなってしまったけど。でも不思議ね、これであの夜空の星がどう動くかわかるなんて。人間が見る星はクラゲたちみたいに手が届く所にあるわけじゃないのにね」


 少しふてくされた少年でしたが、楽しそうに機械に触れる少女を見ているうちに少年も楽しくなってきて、今は僕が友達なんだからいいやという気分になっていました。


「これを拾った場所へ連れて行ってあげる」


 少女は少年の手を取ると、ふわりと浮かび上がりました。

 泳ぐ少女に手を引かれながら少年が振り返ると、あの長い腕が機械を穴へ引っ込めていました。

 少年は穴に隠れた魔法使いの姿が気になりましたが、貝の家はドンドンと遠くなっていきました。






 チョウチンアンコウを追いながら少女に案内される道のりは、やはり穏やかなものでした。

 海の底にいることを受け入れて余裕が出てきた少年は、きょろきょろとまわりを見ながら歩いていました。


 静かな海の底には、クラゲとサンゴ以外にもたくさんの生き物がいました。

 時々、小さな魚が少年の前を横切っていきます。頭上では旗のようにペラペラと薄い魚が長い長い尾を引いていました。遠くに見えたカヌーのように大きな魚は、少年たちが近づく前にくるりと向きを変えてどこかへ行ってしまいました。途中ですれ違ったエビの行列は、毎週日曜日の朝に大通りで見た光景のようで、静かなのににぎやかに感じられました。


 やがて、クラゲが照らしだす大きな物体が遠くに見えてきました。

 それは船でした。


「さっきの機械はあの船の中で見つけたの」


 海の底で斜めに傾いた船はマストが折れていましたが、海上にあったころとほとんど変わらない姿でそこにいました。

 船底から見上げる船は、少年が住んでいた街の一番偉い人のお屋敷よりも大きく見えました。大きさに圧倒されて、首がもげそうなほど上向いた少年は、口が開きっぱなしになっていました。


「中を見て回りましょう」


 少女が少年の手をしっかりと握り直すと、少年の足はふわりと海底から離れました。少年一人の力ではまったく泳げないのに、少女に導かれた体はとても簡単に浮かび上がりました。

 姿が変わっていないように見えた船でしたが、長いあいだ海の中にあったために木の部分がやわらかくなっており、少年が足を下ろした甲板はぐにゃりとへこんでしまいました。


 不安定な足場を、少年は少女に支えられながら進みます。

 チョウチンアンコウやクラゲの光を頼りに進む船内は、船と運命を共にした人々の気配が時々感じられました。

 けれど少年は、恐さよりもわくわくした気持ちの方が勝っていました。


 少年が船に乗っていた時、少年が動き回れる範囲は持ち場と、食堂と、寝床のある大部屋だけでした。けれど今は自由に歩き回ることができるのです。身分が高い人の部屋が並ぶ船尾へ向かっても怒られないのですから、これが楽しくないはずはありませんでした。


 一番奥にあったのは船長の部屋でした。

 狭い部屋にはいろいろなものが残っていました。金属の道具は少女お気に入りの機械のようにボロボロになっていましたが、木や服などはそのままの形で残っていました。

 少年は椅子にそっと座ると、船長のまねをしてみました。


「航路を南へ執れ!」

「はい、船長」


 少年も少年に合わせて、船員のまねをします。

 顔を見合わせて、二人はしばらく笑い合っていました。






 少年は少女といろいろな話をしました。

 少年は自分の身の上を話しました。六人兄弟の五番目だったこと。兄や姉はすでに働いたり結婚したりとで家を出ていて、今度は少年が働きに出る番だったこと。少年が住んでいた港町ではいつもどこかの船が船乗りを募っていて、すぐに仕事にありつけるので少年は船乗りになったことを話しました。


 一方、少女の身の上話は、以前は海の浅いところに棲んでいたけれど、今はここで魔法使いの世話になりながら静かに暮らしているという、とても簡単なものでした。

 どうして暮らす場所が変わってしまったのか少年は気になりましたが、短い話の間にも少女はとても寂しそうな顔をしていたので、くわしく聞くことはできませんでした。


 少女は星空についてよく聞きたがりました。けれどこれには少年は困ってしまいました。

 少年にとって星空は夜にただ見上げていただけのもので、少女に語れるような話はなにも持っていません。船に乗っていた時も、船長が乗組員と星と船の位置の関係について話し合うのを耳にしたこともありましたが、内容はさっぱりわかりませんでした。

 あの機械を持ち出しては昔見た星空を楽しそうに語る少女に、少年はいつも聞き役になっていました。


「どこでそういう話は知ったの? 前に言っていた軍人さんから聞いたの?」

「そうね。軍人さんが一番いろいろ教えてくれたわ」

「他にも誰かと話したことがあるの?」


 少女はうなずくと、どんな人間がここに来たことがあるか話しました。


 一人目は軍人でした。とてもまじめで、話す時はいつも背筋を伸ばして姿勢よく立っていました。

 二人目は船乗りでした。陽気によく歌をうたっていましたが、海の中ではお酒を飲むことができないことを残念がっていました。

 三人目は貴族の婦人でした。きれいなドレスを着た優しい人で、少女に人間の世界の立ち居ふるまいを教えました。


 いろんな人が海の底に来ていたことを少年は知りました。


 それほどしばしば人が沈んでくるものなのかと、少年は少し不思議に思いました。そして、その人たちは今はどこにいるのかも。けれど彼らの行く先を聞くことはこわくてできませんでした。それはそのまま、少年の未来にもなるかもしれないからです。

 海に沈んだ少年は、今はただ、少女とずっと友達でいたいと願っていました。


 少女と並んで海の底に座りながら、少年は顔を上げました。

 クラゲたちはあいかわらず辺りをただよっていました。

 意識がはっきりしている今はもう、クラゲの光を星と勘違いすることはなくなっていました。


「こんな海の底からじゃ、君の大好きな星空は見られないね」


 ここから空を見るには、暗い海のベールは厚すぎます。

 話せば話すほど少女が星が好きなことがわかるので、そんな少女に星空を見せられないことが少年は残念でした。

 けれど、少女はいたずらっぽく笑いました。


「実はね、海の中でも星空を見ることができるのよ」

「海の中から空が?」


 驚いた少年は頭上を見上げましたが、どれだけ透かし見ても海の上が見えるとは思えません。


「もうしばらくで、その日がやって来るわ。その時は一緒に見ましょうね」


 不思議そうに見上げたままの少年に、少女は言います。

 その顔は冗談を言っているようには見えませんでした。


「うん。絶対に一緒に見よう」


 少年は少女の言葉を信じ、二人は約束をしたのでした。

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