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海に落ちた少年と深海に棲む少女

 広い広い海原で、嵐が我がもの顔で駆けまわっていました。

 厚い雲は空を闇色に染め、風はうなりを上げて吹きすさび、波は高く荒れ狂い、一艘の大きな船を翻弄していました。


 波は船をしっかりと掴んで離さず、高く低く踊りながら揺さぶり続けます。時折、空を覆い隠すほどに高く背を伸ばしたかと思えば、全身で船に覆いかぶさり、誰もいない甲板を海水で洗い流しました。


 大きく揺れ続ける船の中で、一人の船乗りが這いつくばっていました。まだ少年の面影を残した彼は、揺れの収まらない船の中ですっかりと気分が悪くなっていました。

 少年は這いつくばりながら甲板へと続く扉を目指していました。


 本当は、今は危険だからと甲板へ出ることを止められていましたが、具合が悪くなっている少年は、たたただ楽になりたいと、それしか頭にありませんでした。


 少年が甲板へ続く扉を開けた瞬間、激しい風と大粒の雨が船内へ吹き込みました。

 吹き荒れる風がやわらかな髪をもてあそび、大粒の雨は小柄な体を激しく叩きます。しかし、少年は気分が楽になりたい一心で甲板を這い、天高く伸びるマストがギシギシと悲鳴を上げるのを聞きながら、船べりへと進んでいきました。


 そして少年が海の上に顔を出した瞬間。

 波に大きく持ち上げられた船体が傾き、少年の体は宙に投げ出されていました。


 あっという間に海に飲みこまれた体は、真っ黒な海水に振りまわされるようにもまれ、引きずられ、海の底へと沈んでいきました。






 目を覚ました時、少年は心配そうな表情の少女に顔を覗き込まれていました。


 辺りはとても静かで暗く、少女の向こうに見える夜空ではやわらかく光る星が揺れていました。すぐ側で灯る小さなランプの明かりは、少年と少女の顔を照らし出していました。

 けれど少年の目には、星よりもランプよりもなによりも、少女が輝いて見えました。頭の後ろでゆたかな金の髪をまとめ上げた少女の顔は、まるで太陽のように少年の視界を照らし出していました。


「気がついた?」


 少女に優しく声をかけられて、少年は自分がどこかの陸に流れ着いて助かったのだと思いました。


「君が助けてくれたの? ありがとう」


 喜ぶ少年を見て、少女は申し訳なさそうな顔になり、首を横に振りました。


「私は海に落ちたあなたを助けたわけじゃないの、ごめんなさい。ここは海の中。あなたは海に落ちて助からなかったのよ」


 深い海の底まで落ちてきた少年を少女が見つけ、海の魔法使いの力でこうして話せるようになったのだと言うのです。


 少年は驚きました。ここが本当に海の中なら、どうしてこんなふうにしゃべれるのでしょうか。空気もないのに溺れないのでしょうか。そして、少女はどうして海の底にいるのでしょうか。

 けれどまわりをよく見れば、ランプだと思ったものは顔の大きなチョウチンアンコウで、星空だと思ったものはふわふわと浮かぶ無数のクラゲで、そして、少年を介抱した少女の足先には魚のような尾ひれがついていました。


「君は魚なの?」

「私は人魚。海に棲む生き物よ」


 二人のまわりでは、少年が地上では見たことない、細かく分かれた枝を小山のようにまとめたサンゴがいくつも取り囲んでいました。ただよう無数のクラゲ達は、どこまでもなだらかに続く海底を照らし出していましたが、頭上には、クラゲの弱い光では照らし切れない暗闇が広がっていました。


「あなたにお願いがあるの。私のお友達になって。ここで私の話し相手になってくれないかしら」


 まだ驚きの冷めない少年に少女は言いました。

 少女は地上のことや人間のことが大好きでとても興味があるので、少年と話ができれば嬉しいと願っていました。


「いいよ。友達になってあげる。君の話し相手になってあげる」


 少年は自分が海の底に連れてこられた理由を知ると、すぐに引き受けました。


 ここには一日中怒鳴っている船長はいません。足の下は揺れませんし、塩辛いか腐りかけているかどちらかしかない食事も取らなくていいですし、狭い船内で蹴り合いながら眠らなくてもいいですし、なにより、本来なら少年は死んでいるのです。それが、少女と話をしながらのんびりとできるのなら、なかなか悪くないことだと思いました。


「ありがとう。これからよろしくね」


 少女は少年からよい返事をもらえて喜ぶと、尾ひれを大きくくねらせて、ふわりと浮かび上がりました。


「あなたを魔法使いさまの所へ案内するわ」


 羽根もないのに浮かび上がってクルクルと回る様子は楽しそうで、少年も少女のようにスイスイと泳いでみたかったのですが、軽くジャンプしてみても、足はすぐに海底についてしまうのでした。なので、尾ひれで泳ぐ少女と手をつなぎながら海の底を歩いて行くことになりました。


 チョウチンアンコウが先導し、少年の足下を照らします。

 どこまで行っても光るクラゲたちがあたりをただよっていて、ランプのように海の底を照らしていました。一匹一匹の光は弱く、ほんの少しの場所しか照らし出すことはできませんが、けれどその光は無数にあり、どこを見回しても光の点が見えました。


「海の中って意外と明るいんだね」


 なにもかもが珍しい光景に、少年はキョロキョロと辺りを見回しながら歩きます。


「魔法使いさまが明るくしてくださっているのよ」


 少女は時々つまづきそうになる少年の足下に注意しながら、先へと案内していました。


「僕が目が覚めた時には、あのクラゲたちの光が星のように見えたよ」

「あら。私と逆ね」


 地平線まで星空が降りてきたような光景を指しながらの少年の言葉に、少女はおもしろそうに言いました。


「私は初めて星空を見た時、海の上にも魚が泳いでいるのかと思ったわ。あんなにたくさんの魚のお腹が光ってるわって」

「海の上を見に行ったことがあるの?」

「ずっと前にね」


 人魚の少女はなんだか寂しそうに笑いました。


 どうやら、少女も多少は地上のことを知っているようです。てっきり、見たことがないから興味があるのかと思ったのですが、そうではないならあまり適当なことは言えないなと、少女の話し相手は責任重大だと少年は考え直しました。

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