プロローグ
人間とは、己という小さな世界の枠組みでしか物事を図れず、自己満足で行動する生物である。獣に比べ知識が少し長けているだけであり、知識が長けた分だけ愚かな生物になった。
他人の死や怪我で自分の生を確認しては、正義という大義名分な言葉遊びを使用し虐殺を実行したりする。
最終的に困れば、宗教や自己で創造したであろう神に頼る。
頼れる者であれば、何にでも頼る。
自分の行いを神のせいとして、自我を保てればよいのだから。
また、幸せを他人に見せびらかす事でしか自分の幸せを認識できない、くだらない生物である。
そんなくだらない生物が、自分がくだらないと結論がでても、死なない。
何故か?
答えは簡単だ。死ぬのが恐ろしいからだ。
死後の世界に恐怖を持っているからだ。
恐怖に怯え、また1日を過ごす。そしてまた1日。
もう戻ってこない1日。誰かが死に誰かが生まれた1日。
誰においても、時間という概念は平等であり、それに伴って老化し死ぬ。
もちろん、事故・災害・不治の病・飢餓・殺害などと時間とは関係無く起こる死もある。ただ、ある程度は科学の技術発展や医療技術の発展などで延命ができてきていた。
では、この後人類はどうなるか。結論、人類は死ななくなる。
クローンによる物?否。それは己の延命ではない。
己を延命させる為にするのは、脳の記憶から感情の隅々まで機械にデータとしてコピーでは無く移行すればいいだけである。
この機械は本来、脳をコピーさせて軍事的戦力として使用する為に開発されていたのだが結局は愚かな人間達の延命の為に市販化され、人類という種族は死ななくなった。
死ななくなった人類は、種族の存続に欠かせない出産さえ必要なくなった。
しかし、衣食住も睡眠も死への恐怖も何もかも必要なくなった機械化した人類にも問題は発生する。
感情の移行による暴走だ。感情は、パソコンであるところのバグと等しい状況を発生させたりする。
誰かが喜べば誰かが悲しみ、誰かが笑えば、誰かがうつむく。
それは暴力となり、いじめとなり、戦争となる。
人間という愚かな種族の感情は、醜かった。
いざこざや戦争により、ある程度の機械化した人類が減少した際、生物として生きてきた一部の人類がレジスタンスを結成し立ち上がった。
そのレジスタンスが、機械化した人類への攻撃として感情アンインストールプログラムを作成し、ウィルスを蔓延させた事によって機械化した人類は感情を消失したのだが、、、
この話はまた次にしようと思う。
この物語は、先程のレジスタンス達の死後の話、機械化した人類が感情を無くした世界でたった1人の青年が感情があるが故に苦悩しもがき苦しむ話である。