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変のよしあし  作者: ころ太
第一章 色を持たない私たち
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第2話 ハーフアンドハーフ


 

 社会人の朝は早い。

 たとえ残業続きで疲れが残っていても、面倒ごとに巻き込まれて寝るのが遅くなっても、いつも通りに起きなければならない。子供の頃は許されても、大人になれば許されないことが沢山あるのだ。

 耳元でけたたましく鳴り響くアラームを素早く止め、布団の温もりを名残惜しみながらズルズルと這い出る。欠伸をしながら大雑把に髪をまとめ上げて上着を羽織り、部屋を出て向かった洗面所で顔を洗い眠気を覚ます。昨夜はお酒をたくさん飲んだけれど、二日酔いにはなっていない。人並みに酔うが酒は残らない体質なのだ。

 台所の椅子に乗せていたエプロンを身に着け冷蔵庫の中を覗きこむと、タマゴとハムを発見。凝った料理を作る時間も技能もない。今日の朝食は定番の目玉焼きにしよう。米を買い忘れていたので食パンと、それから作り置きのポテトサラダでいいか。手軽で作り慣れた献立なのですぐに作り終え、テーブルに配膳していたところで妹が目を擦りながらやってきた。


「んん、おはよう、お姉ちゃん」


 この子は私、小松谷 喜代の歳の離れた妹である、小松谷 七緒。

 小学三年生で、私に似ずとても賢くてよくできた子だ。


「おはよう。今日は自分で起きれたね。えらいえらい」


跳ねた髪を押さえるように小さな頭を撫でると、妹の七緒は頬をぷっくりと膨らませて睨んできた。


「もう自分で起きれるもん」

「あれ? 昨日は起こしに行くまで寝てたよね」

「お、起きてたよ! お姉ちゃんをビックリさせようと思って、寝たふりしてただけ」

「ふふ、はいはい。朝ごはんできてるから、先に顔を洗っておいで」

「はーい」


 洗面所に向かった妹を見届けてからエプロンを脱ぎ、定位置の椅子に座る。

 近くにあったリモコンでテレビをつけると、いつも朝から見ている番組で、ちょうど天気予報をやっていた。今日は快晴で雨の心配はないみたいなので洗濯物を干していきたいが、今からだと時間が足りない。せっかくの機会だが、洗濯は週末の休みにまとめてやろう。


「お姉ちゃん。歯磨き粉、昨日全部使っちゃった」

「ああそっか、もう少ないって言ってたもんね。帰りに買ってこなきゃ。朝は私のやつ使って」

「お姉ちゃんの苦いから嫌い」

「朝だけ我慢してね。ちゃんといちご味の買ってくるから」

「うん!」


 七緒は私の正面の席に座る。そこが彼女の定位置だ。

 一緒に手を合わせていただきますをして、朝食に箸をつける。

 テレビでは天気予報が終わり、最近あった事件の特集が流れていた。朝から幼い妹と一緒に見る内容ではないのでさっさと教育チャンネルに変える。


「綺麗な目玉焼きだー。上手になったねお姉ちゃん」

「ふふん。お姉ちゃんはやればできる子なんだよ」


 この町に引っ越してくる前は全く料理というものをしたことがなかった為、二人暮らしを始めたばかりの頃は粗末な食卓風景だった。仕方なく惣菜や即席の食べ物で凌いでいたが、それでは栄養のバランスが偏って身体に悪い。妹に不自由な思いをさせるわけにはいかないと奮起して、本を見たり動画を見たりと勉強を重ね、なんとか食べれる物を作れるようになっていた。まだ簡単なものしか作れないので、たまに惣菜に頼ったり、同じアパートに住む料理上手なお隣のお姉さんの差し入れに甘えてしまっているので、さらなる精進が必要である。仕事で忙しく、時間も心の余裕もなくて料理の勉強をするのはなかなか大変なのだが。


「ごちそうさま! 美味しかった!」


 笑顔で嬉しいことを言ってくれる我が家の天使の為ならば、何であろうと苦にならない。

 この子の喜ぶ顔が、優しい言葉が、いつだって私の力になる。


「おそまつさま。歯を磨いてから、学校に行く準備ね」

「あ、今日は燦ちゃんと一緒にお花の水やり当番の日だった! はやく行かなくちゃ」


 ぱたぱたと慌ただしく動き回る妹に苦笑して、私も遅れないように仕事へ行く準備を始める。といっても、食器の片づけは夜にまとめてやるので放置して、あとは着替えて軽く化粧をするだけなので数分で終わってしまう。

 時間が余ったので食後の珈琲を飲みつつ料理の本を流し読みしていると、ランドセルを背負った七緒が玄関へ行ったので、私もそちらへ向かった。


「準備できた!」

「よし。忘れ物はない?」

「大丈夫」

「お外ではきちんと歩道を歩くこと。知らない人にはついていかないこと。何かあったらすぐに電話すること」

「わかってる」

「ん」


 小さな体を抱え上げて、おでこをコツンと合わせる。

 新しい学校へ行くのが恐くて嫌だと泣いていたこの子を慰めるためにやったことが、すっかり習慣化してしまった。


「いってらっしゃい。気をつけてね」

「いってきます!」


 にこにこ笑顔で学校へ行った七緒を見送る。すっかり学校に慣れたのか、一か月前の不安そうな表情はもうない。仲のいい友達も出来たみたいだし、順調に学校生活を贈れているようで一安心だ。

 私も職場へ向かおうと戸締りをして玄関を出る。すると隣の部屋の扉も同時に開いて、中から綺麗な容姿の女性が出てきた。


「おはようございます、光莉さん」


 隣に住む年上の女性、羽柴 光莉さん。

 在宅の仕事をしていて部屋にいることが多いので、私が仕事で帰宅が遅くなる時はよく七緒の面倒を見てくれている。料理上手でご飯も作ってくれるし、家事も手伝ってくれたりと至れり尽くせりで頭が上がらない。引っ越してきて色々と世話を焼いてくれる優しくて美人のお姉さんなのだ。この人のおかげで何とか今の生活を続けられていると言っても過言ではない。


「おはよう喜代ちゃん。これからお仕事?」

「ええ。光莉さんはこれからお出かけですか?」

「ううん、ゴミ出し」


 ひょいと片手に持ったゴミ袋を見せられて、今日がゴミ出し日であったことを思い出す。


「やばっ忘れてた! ありがとうございます、ちょっとゴミ袋を取ってきます!」


 慌てて部屋に戻ってゴミ袋を掴み、再び外へ出る。危うくゴミを出し忘れて溜め込むところだったので、光莉さんに感謝だ。彼女は律儀にも、私が部屋から出てくるのを待っていてくれたらしい。先に行ってくれてても良かったんだけどな。


「そうだ。ついでに光莉さんのゴミ袋も一緒に持っていきますよ」

「え、でも結構重いよ?」

「大丈夫ですって。私が馬鹿力なの、知ってますよね。普段、色々とお世話になってるんだからこれくらいさせて下さい」


 ちょっと強引だが、引っ手繰るように彼女の持っていた袋を奪った。この程度の重みなら、あと十個でもそれ以上でも持てる。いつも世話になってばかりで何も恩を返せていないので、自分に出来ることを少しづつでも返していきたい。


「ありがとう。じゃあ甘えちゃおうかな」

「はい。私にできることがあればお手伝いしますから、遠慮なく言ってください」

「うん、頼りにしてるね。でも喜代ちゃんと七緒ちゃんが居てくれるだけで助かってるよ? 一人暮らしで寂しいから、二人と一緒にご飯食べたりするの楽しいもん」

「そうですか? まあ、そう言って貰えると、気が楽ですけど」

「ふふ、気にしなくていいからね、私が好きでお節介を焼いてるんだから。あ、そうそう。実家からたくさんトマト送ってもらったから、今日の晩ご飯はトマト煮にするね」

「いつもすみません。楽しみにしてます」

「腕によりをかけて作るから、なるべく早く帰って来てね」


 うっ。昨日、飲んで遅く帰ったことを遠回しに咎められているような気がする。ちゃんと遅くなると連絡は入れたけれど、帰宅した時はもう日を跨いでおり、七緒はもう眠っていた。テーブルの上には光莉さんが作ってくれた晩ご飯がラップに包まっていて、添えてあったおかえりなさいのメモを見た時は罪悪感が胸をチクチクと刺した。今後はなるべく、誘惑に負けないよう気をつけたいと思います。


「えっと、じゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい」


 光莉さんに見送ってもらって出勤する。途中でアパートのゴミ置き場に寄り、二家庭分のゴミを捨ててから職場へ向かった。私が働く工場『株式会社ルクテック』までは徒歩15分なので通勤はかなり楽だ。余裕ができたら自転車を買ってもっと時間を短縮してもいい。いずれは免許も取りたいなぁなんて考えていたら、道の先に人だかりができている。何かあったのだろうか。

 好奇心が勝ったので集団の中心を隙間から覗いてみると、そこにはあの――――


 《触手》が、生えていた。


 触手。それは、無脊椎動物の口の近くにある、自由に伸縮・屈曲する細長い突起のことである。しかし五十年ほど前、新たに《触手》と呼ばれる、触手部位だけで構成された生物が海外で発見された。正式名称は《触手生命体》。海外のとある地域にだけ自生していた触手はやがて人の手によって秘密裏に各国へ運び込まれ、今では世界中に生えるようになってしまった。この国にも、もちろん多数いる。その生物は人間の体液を餌とし成長するため、人を襲う。個体が小さければ被害は虫に刺された程度だが、大きいものになると体液を搾り取られ死に至る場合もある、危険な生物だ。だから特定外来種として見つけたら駆除、もしくは通報するように法律で定められているが、厄介な事に繁殖力が高く、未だその数は衰えることはない。それにまあ、あれだ。この触手はアダルトな漫画やゲームに出てくる触手モンスターそのものみたいなものでして。うん、あれです。色々と使い道があるのです。快楽主義者がアレやソレに使ったり、悪人が飼ったり売ったりだの、そういうおぞましいケースもあるんです。


「うわっ、グロいな」

「朝から嫌なもの見ちゃった…おぇ、吐きそう」


 触手を見ている野次馬たちは興味津々に各々の感想を口にしている。大半は得体も知れない恐怖を感じている者が多い。気味が悪いと連呼する人や、口を押えて怯えた表情で去っていく人もいた。民衆が触手に向ける反応はこれが普通なのだ。正常といってもいい。


「気持ち悪いわね。はやく役所に連絡して駆除してもらいましょう」

「んー、あんまりでかくないし、俺らで駆除しても良くね? 塩撒いたら消えっかな?」

「ナメクジじゃないんだから。下手に刺激して襲われても知らないわよ」

「俺、触手プレイってちょっと興味あるわ。ほどほど大きさの個体だと、気持ち良いらしいぜ」

「おいおい、やめとけよ兄ちゃん。違法だし、危険すぎる。今朝もニュースでやってただろ、小さな触手に寄生されて意識不明の重体になったあの事件。おっかねぇよ」

「うわぁ、うねうね動いてる~、きも~い」


 建物と大木の隙間に生えている触手は好き勝手言われても何の反応も示さず、ただうねっている。当たり前だ、普通の触手は感情がないんだから。役所に電話している人がいたので、すぐに担当者が来て駆除されるだろう。大事にはなりそうもないし、仕事の時間に遅れるわけにもいかないのでさっさと出勤しよう。


「おはようございます、小松谷さん」

「うげ」


 背後から名前を呼ばれたので誰かと思いきや、昨日知り合ったばかりの同僚、有村さんだった。もしかしたら、さっきの触手を見ていた野次馬に混ざっていたのかもしれない。

 

「奇遇ですね。小松谷さんもあの触手を見ていたんですか?」

「まあ、ちょっとね」


 彼女はまた『触手って美味しいのかな?』とかアホなこと考えてそうな顔をしている。食べたことないし、あんな気持ち悪い物体を食べたいとも思わない。それに私は軟体動物が大の苦手なのだ。


「野生の触手生命体を初めて直に見ました。イカやタコの足みたいで、小松谷さんとは全然違うんですね」

「……私は触手と人間のハーフだから、触手よりも人間に近いんだよ」


 ごく普通の人間の女性と、上位種と呼ばれる触手の中でも極めて珍しい触手との間に生まれたのが私だ。妹は母と同様で何の特殊能力もない普通の女の子であり、私が触手人間ということすら知らない。多分、触手と人間のハーフなんて奇妙な生き物は世界で自分だけだろう。そんな特殊な存在が世間に見つかれば碌なことにはならないので両親と一部の人たち以外には隠して生きてきた。用心深く必死に隠してきたはずなんだけど、目の前の彼女にあっさり秘密がバレてしまったので、この先のことを考えると気が休まらない。


「そうなんですか。だから手の部分だけが触手に変化するんですね。触手って一本しか出せないんですか?」

「教えない」

「えー。あ、それより私、休みに結婚相談所へ行くつもりなんですが、小松谷さんも一緒に行きませんか?」

「行かない。興味ない」


 前向きなのは良い事だが、私を巻き込まないで欲しい。一人で勝手に行動してくれ。私は私と妹のことだけで手一杯なんだから。


「でしたら少し遠いですけど、触手展覧会に一緒に行ってみます? いろんな種類の触手が展示されてて、無害な個体と触れ合えるみたいですよ」

「おっもしかして私の恋愛対象が触手だと素敵な勘違いしてんのかな? ん? あはは面白いなぁ有村さんはぁ」

「あわわわ」


 興味がないのは人じゃなくて結婚の方だ。恋愛対象は人間で、触手にはそういう感情は抱いたことがない。むしろ、触手に対して嫌悪感のようなものを持っている。自分の半分は同じものでできている事を、棚の上に上げて。


「でも私は少し興味があります。触手という生物に」


 有村さんは私の右手を両手で握って、にっこりと純粋な笑顔を私に向ける。

 カブトムシを捕まえた少年のように。綺麗な貝殻を見つけた少女のように。

 その目はキラキラしていて、眩しくて、星の瞬く夜空のようで、不覚にも魅入ってしまった。

 こういう子供っぽいところが、どうも憎めないんだよなぁ。


「なに、有村さんって触手も恋愛対象なの。守備範囲が広いんだね」

「そうですね、老若男女どんと来いって感じですが、流石に触手は範囲外です。今のところ」

「逞しいな!」


 ちょっと誰でもいいから早くこの子と結婚してあげてー。道を踏み外す前にはやくー。

 ……それと触手に興味があるって、食料としてですよね?

 嫌な予感がしたので握られた手を慌てて解いて、逃げるように視線を逸らす。

 私の警戒心には気付いてないのか、彼女はきょとんとしていた。


「そろそろ仕事に行かないとまずい時間ですね」

「げっ本当だ。始業時間には余裕で間に合うけど、ギリギリに着くとお小言がうるさいんだよなぁ」

「厳しいんですね。うちの検査室は決められた時間を守れば文句を言われませんよ」

「うちのラインも全員マイペースでのんびりしてるんだけど、ほら、あれだから、周りがねぇ」

「ああ、そういえば小松谷さんはDラインでしたね」

「個性派揃いだからね。嫌でも周りのラインの人たちに目を付けられるんだよ」


 おっと、悠長に話してる時間はないんだった。走ればすぐに着く距離だけど、着替えたりタイムカード押したりと仕事が始まる前に済ませないといけないことが沢山あるのだ。


「小松谷さん、携帯鳴ってますよ」

「ほんとだ。なんか凄く嫌な予感がするから出たくないけど」


 番号を見て予感が当たったことを知り、げんなりする。

 しかし出ないわけにもいくまい。だって、出なかった後の反動が怖いんだもん。


「はい、小松谷です」

『ねえ何その女。私というものがありながらどうし――』

「おつかれさまっす」


 ピッと電源を切って携帯をバッグに仕舞う。さー今日もお仕事がんばろうっと!


「電話、もういいんですか?」

「うん。朝の挨拶みたいなもんだよ。それより、時間ないから急ぐよ」

「はい!」


 私たちは、職場に向かって駆け出す。誰かと一緒に出勤するのは初めてのことだ。

 たまにならこんな朝も悪くない、なんてらしくないことを考えていたら、有村さんがすぐに疲れて立ち止まりはあはあ言っている。置いていこうかと思ったが、捨てられた子犬みたいな目で見られたので仕方なく片手で荷物みたいに抱えて運ぶことにした。



 

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