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03_エルーリア(Ерулиа)

――なんじの名に相応ふさわしきまったき者として、爾を選びし我とともともに在れ。(あなたの名前に相応しい完全な者として、あなたを選んだ私自身と一緒に留まりなさい。)【『ペトロの黙示録』、第3節】

「うっ……?!」


 突如として発生した爆風にされ、ニフシェは尻餅をついた。周辺には焼け焦げた草木の臭いが立ち込め、四肢の千切れたコイクォイの胴体が、ニフシェの右隣に落下してくる。


「ああ、ビックリした……」


 立ち上がると、ニフシェはコイクォイのいた場所に近づいた。よく見れば、爆風でえぐられたソテツの木の根元に、仕掛けの設置されていた跡がある。木々の間にワイヤーを張り、何かが引っかかると爆発する――という、単純な罠の一種が仕掛けられていたようだった。


 コイクォイがやって来たのは門の奥、つまりは敷地の中からであった。この敷地内には、まだ似たような罠があるかもしれない。コイクォイを倒すための罠だろうが、一歩間違えれば、ニフシェが餌食になっていてもおかしくはなかった。


(集中しよう……)


 長剣を鞘に収めると、ニフシェは周囲の空間に全魔力を集中させる。


 ”麒麟ジラファ”の魔法使いであるニフシェは、音を操ることができる。しかしニフシェの場合、音を外側から限界づけることができるという、天性の才能を有していた。


 ニフシェが操るのは、音を超えた音、超音波だ。


 魔力で生成した超音波の網を、ニフシェは周囲に展開する。程なくして、ニフシェの脳裏に、周囲のイメージが浮かび上がってきた。落とし穴、トラバサミ……罠の種類は多岐にわたり、いずれもかわしにくいところに設置されている。設置者が自分の罠に引っかからないことが、不思議なくらいだった。


 更に遠くから跳ね返ってきた超音波が、巨大な建造物を捉える。


(これが……)


 頭の中のイメージに、ニフシェは集中する。形状からして、学校か、若しくは聖堂の類だろう。


 先ほどから聞こえてきた女性の声も、同じ方角から響いてきていた。女性とその伴侶は、建物の中にいるに違いない。


 と同時に、もう一匹のコイクォイが建物に吸い寄せられていくことに、ニフシェは気付いた。先ほどの爆発音が、そのコイクォイを刺激したようだった。


(行ってみよう)


 罠に気をつけながら、ニフシェは慎重に草木の中、虫の群れの中を進んでゆく。陽射しの下では、クモの巣に引っかかった一匹のオオミズアオが、クモに羽をもがれているところだった。



――……



 建物の正面に佇んだニフシェは、その全容を見て息を呑んだ。


(すごいな……何だこれ?)


 建物の形態は、奇怪を極めていた。聖堂のような鐘楼が建っているかと思えば、塗炭で覆われた外壁は虹色に塗られている。近くの木には、タイヤをつるして作られた即席のブランコがあり、その手前の切り株には、錆び付いて使い物にならなくなった刃物が、大量に刺してあった。


 増築に増築を重ねた結果、建物はこのような形となったのだろう。遠い昔、それこそ”黒い雨”が降るよりも前から、この建物は打ち棄てられていたに違いない。


――どうしたの、あなた? そんなにそわそわして? ……”お客さん”?


 ニフシェの耳が、女性の声を捉える。と同時に、建物に迷い込んだコイクォイが、奥に向かって歩き出したのをニフシェは察知した。


(まずい……)


 ニフシェの手のひらが、自然と汗で湿る。コイクォイが動き出したのは、女性の声に反応したからだ。女性がコイクォイと出くわすのは時間の問題である。

 足の不自由な女性が、コイクォイの突進から逃げられるとは思えない。


――ええ、分かっているわ。大丈夫よ、フフフ……。

暢気のんきなことを……!)


 建物の玄関を、ニフシェは突破する。わざと大きな音を立てて扉を開け放ったのは、長い廊下の奥にいるであろうコイクォイの注意を、自分の方へと引きつけるためだった。


 だが、ニフシェの思惑どおりにはいかない。廊下の最奥まで到達していたコイクォイは、そのまま右手の扉の向こうへと進み始めるところだった。


――久々の”お客さん”ね。歓迎してあげないと……


 女性の声は、その扉の向こうから響いてくる。


(間に合わない……!)


 そう判断したときにはもう、ニフシェは魔法銃を取り出していた。ただし、今度撃つのは実弾である。音だけを頼りに、ニフシェはコイクォイを撃とうとする――。


「待って、お姉ちゃん」


 そのとき、見知らぬ声がしたかと思えば、ニフシェは後ろから、服の裾を引っぱられた。


「うわっ?!」


 悲鳴に近い声を上げると、ニフシェは素早く後ろを振り向く。そこには、銀髪をおさげにした、浅黒い肌の少女が立っていた。


「大丈夫よ、お姉ちゃん」

「ど、どうやって……?」


 口元で人差し指を立てる少女を前に、ニフシェが言えたのはそれだけだった。


 耳が良いニフシェは、足音と息遣いさえ聞き取れれば、人がどこにいるのかが分かる。にもかかわらず、この少女が近づいてきたことに、ニフシェは気付かなかった。「どうやって……?」とニフシェが問うたのは、そのためだ。


 山奥の廃墟に、人がいるはずなどない――そんな考え方に縛られ、ニフシェはこの少女を見失っていたのかもしれない。


(ボクも修行が足りない、ということか……)


 心の中でそう嘆息した矢先、ニフシェの前方からコイクォイの悲鳴が響いてきた。


「今のは……?!」

「感電する罠よ」


 少女が淡々と言ってのける間にも、コイクォイの断末魔は聞こえなくなった。倒れ伏したコイクォイの衝撃で、白木の床が震え、埃が舞った。


「やーい、ざまあみろーっ!」


 廊下の奥から、今度は少年の声がする。少女は眉をひそめると、ニフシェを置いてさっさと前方へ行ってしまった。


 銃をしまうと、ニフシェも廊下の奥まで歩く。廊下の曲がり角では、ワイヤーに引っかかって黒焦げになったコイクォイの死骸と、それを踏みにじって遊ぶ少年の姿があった。


「レイ!」


 そんな少年の姿を見て、少女が怒鳴った。この少年は、レイという名前らしい。ニフシェの見る限りでは、レイは少女よりも年下のようだった。


「『死んだ人間をもてあそんじゃダメ』って、院長先生に言われてるでしょ!」

「いいじゃん、ドーラ」


 唇を尖らせると、レイは少女のことを「ドーラ」と呼ぶ。


「院長先生だって見ちゃいないさ。……で、そこの姉ちゃんは、誰?」


 ドーラとレイ、二人の子供の視線が自分に注がれていることに、ニフシェは気付く。


「あ、えっと……ボクの名前はニフシェ」


 状況が飲み込めないままに、ニフシェは二人に会釈する。


「声が聞こえたからここへ寄ってみたんだけれど……キミたちはここに住んでいるの?」

「そうよ、お姉ちゃん」


 ドーラが頷いた。


「もともとは孤児院だったんだけれど、いまは私たちと院長先生の他に、誰もいないの。『”黒い雨”が降って危険だから』って、院長先生が私たちを匿ってくれているのよ」

「そうそう、姉ちゃん。オレたち、選ばれたんだぜ――」


 コイクォイの死骸から目を離し、ふと顔を上げたレイが、ニフシェの方を見て釘付けになる。レイの視線は、ニフシェが背負っている長剣に注がれていた。


「ね、姉ちゃん、その剣、ホンモノ?!」

「え? ええ……」

「うおーっ、マジか?! カッケーッ!」


 そう言うと、レイは持っていた棒きれを逆手に構え、剣を扱うかのようにして、それをコイクォイの頭に突き立てた。タマネギのような層を形成しているコイクォイの頭から、黒い汁が飛び散った。

 ニフシェは不快になる。いかにコイクォイがおぞましい存在であるとはいえ、元は人間であり、その人自身に罪はない。


「レイ、その遊びは――」

「――やめなさい、レイ」


 見かねたニフシェが、レイに声を掛けた矢先、レイの背後から、女性の声が響いてきた。ニフシェも聞き知っている声である。


 その声がした瞬間、ニフシェの隣で眉根を寄せていたドーラも、ふざけていたレイも、即座に背筋を伸ばし、起立の姿勢となった。


 杖をつきながら、一人の女性が現れる。―ーニフシェにとって意外だったのは、その女性の年齢が、自分とさして変わらないように見えたところだった。女性はつやのない金髪を長く伸ばしており、その肌は陶器のように白かったが、引き結んだ唇からは、意思の強さが見て取れた。


「死者を軽んじることはゆるされません、レイ」

「でも……院長先生……」

「レイ、言い逃れだけが上手な人になってはいけませんよ」


 口調にこそ怒気はなかったものの、女性の言葉は一言一言が射抜くようであった。しまいには、レイも無言のままうつむいてしまう。


「見苦しいところをお見せし、失礼しました、旅の方」


 ニフシェに向き直ると、女性は口を開いた。


「いえ、そんなことは」


 むしろ、ニフシェは感心していたくらいだった。女性が現れたときに見せたドーラとレイの態度といい、たとえニフシェが同じ立場に立たされても、こんな対応はできなかっただろう。


「旅の方、お名前を伺ってもよろしいですか?」

「ニフシェ・ティック・ミン、と申します」


 これは嘘である。「任務中は家名を明かさないこと」というのが、騎士の鉄則だからだ。

 女性は頷くと、ニフシェの背後を見やった。レイと同じように、ニフシェの持つ長剣が気になるようだ。


「騎士の方とお見受けしますが、違いますか?」

「ええ、そうです。シャンタイアクティから参りました……失礼ですが、お名前は?」

「私の名前はエルーリア。エルーリア・ボイサナン、と申します」

(ボイサナン……?!)


 女性の――エルーリアの――答えを受け、ニフシェはうろたえた。ボイサナン家といえば、シャンタイアクティでも名だたる貴族の家系である。


(でも、まさかな……)


 こんな辺境に、都の貴族がいるはずはない。ましてや”黒い雨”のために、目ぼしい血筋の子女たちはみな、南のビスマーへ疎開してしまっている。


 だから、このエルーリアという女性の姓は、たんなる偶然の一致だろう……と、ニフシェはそう考えた。


「どうかなさいましたか、ニフシェ?」

「いえ、別に」


 エルーリアから差し出された手を掴み、ニフシェは握手を交わした。握りしめたエルーリアの手は細く、身震いしたくなるくらい冷たかった。


「……ときに、皆さんはこちらに住んでおられるのですか?」

「ええ、そうです」

「この”黒い雨”の中を?」

「ええ。私は足が不自由で、遠くには行けません。疎開するにせよ、ウルトラもシャンタイアクティも、ここからでは遠すぎます。院長として、子どもたちだけは避難させましたが、この二人は『どうしても』といって聞かなくて……」


 ニフシェはしきりに頷いたが、心は別のところにあった。「皆さんこちらに住んでいるのですか?」と尋ねた段階で、ニフシェはエルーリアが旦那のことに言及してくれるもの、と期待していた。

 しかし、エルーリアは旦那のことをおくびにも出さない。だが、


「失礼ですが、旦那さんは……」


 などと、不躾ぶしつけな質問をするのははばかられた。代わりにニフシェは


「失礼ですが、もしよろしければ、車の部品を頂戴することはできますか?」


 と尋ねる。


「車の部品……ですか?」

「ええ。故障してしまって」

「そうですか……」


 そう言うと、エルーリアは目を伏せた。


「あいにく、ここにはまともに動く車がありません。バイクならばありますが、それも錆び付いてしまって、使えるかどうか……」

「――院長先生、あそこはどうですか?」


 ニフシェとエルーリアの会話に、ドーラが割って入る。


「あそこの工場です。何か使えるものがあるかも……」

「……工場ですか?」


 ニフシェはエルーリアに訊き返す。


「ええ。この建物の裏手にある工場で、昔は鹹水かんすいを作っていたとか。たしかにあそこならば、何か使えそうなものがあるかもしれません」

「分かりました。ではさっそく……」

「お待ちください、ニフシェ」


 建物の裏手へ向かおうとしたニフシェを、エルーリアが引き留める。


「よろしければ、今晩はこちらに泊まっていただけませんか?」

「えっ? でも……」

「ニフシェ、山の夜とは早いものです。それに、ヴィジャヤナガールでは旅人をあつくもてなすのがならわし。どうぞあるじもうけさせてください」


 まごついていたニフシェの耳が、遠くから響いてくる大気の振動を拾った。それが雷鳴の音であると分かったときにはもう、雨の音が周囲に立ち込めはじめた。

 目を輝かせながら、レイがニフシェを見上げる。


「ニフシェ姉ちゃん、ほら、雨なんだから! 泊まってってよ!」

「えっと……」


 レイとドーラの眼差まなざしを受け、ニフシェも決心が鈍った。ましてやこの雨である。一晩は求めに甘え、子どもたちの相手をするのも悪くない……ニフシェはそう考えた。


「分かりました。では、お言葉に甘えて……」

「ホント?!」

「やった……!」


 ニフシェの言葉を受け、レイとドーラは飛び上がって喜んだ。自分たち以外の人間と話す機会ができて、レイもドーラも心が弾んでいるようだった。


「ありがとうございます、ニフシェ。では、こちらに――」


 エルーリアに伴われ、ニフシェは廊下の奥へと歩みを進める。


「でも……ご迷惑にはなりませんか、エルーリア?」

「いいえ」


 ニフシェの言葉を打ち消しながら、エルーリアは扉をくぐる。


「あなたとは有意義なお話ができると思います。ここは不便ですが、じきにそんなことも、どうでも良くなると思いますよ」


 そう言うと、エルーリアは微笑んで見せた。

【Колонка】

・ エルーリア・ボイサナン(Ерулиа Беусаннанг)【人物】

 ヴィジャヤナガールの山地で、孤児院を営む女性。足が不自由であり、杖を頼りにして歩行する。


・ ボイサナン家(Беусаннанг)【固有名詞】

 シャンタイアクティにおける、貴族の家系の一つ。ラァ三家の次に家格が高いと目される、八つの家系の中の一つで、ルゥ=ラァ家の分家に当たる。シャンタイアクティの巫皇も都度輩出している。

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