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02_麒麟(Жирафа)

――他の者より離れよ。さすればなんじに王国の秘密を授けん。爾王国に至るを得るといえども、た大いに嘆かん。(他の者たちから離れなさい。そうすれば、王国の秘密をお前に授けよう。お前は王国に達することはできるが、大いに嘆くことになるだろう。)【『ユダの福音書』、第35頁】

――二人目の天使のハルマスは、王国アイオーンを照らす炎の目……


 ニフシェは、”麒麟ジラファ”の魔法使いである。神聖な属性のひとつであり、”麒麟”の魔法使いは音を操ることにけていた。遥か遠くから聞こえてくる『見えざる大いなる霊の聖なる書』を朗読する女性の声を、ニフシェが正確に聞き分けることができるのも、この属性のお蔭だ。


 ニフシェは、声に耳を傾ける。


――六人目の天使のカインは、大いなる諸世代の太陽と呼ぶ人……どうしたの、あなた? そんなにそわそわして? ……


 背嚢ランドセルを背負いなおすと、ニフシェは息を殺して、声がする方角へと歩き始めた。アスファルトから一歩踏み出したニフシェのブーツの踵が、土の泥濘ぬかるみをえぐる。


 女性の声に混じり、床を踏む足音と、床を打つ棒の音が、ニフシェの耳に代わる代わる飛び込んでくる。程なくしてニフシェは、床を打つ棒の音が、女性の用いる杖の音だと理解した。


 女性は足が不自由なのだろう。だから、”黒い雨”が降ってきても逃げることができず、この地に留まっているのだ。


 しばらく進むと、ニフシェの眼前に、錆び付いた巨大な門が姿を現した。と同時に、ニフシェの耳が、女性のかすかな笑い声を拾う。


――ええ、ええ。分かっているわ。忘れるわけないじゃない……今日はあなたの誕生日よ。盛大にお祝いしましょう……

(旦那さんと一緒か)


 ”あなた”と呼ぶその声には、並々ならぬ親しみが込められているように、ニフシェには感じられた。女性の伴侶であると考えて、間違いないだろう。声の主が決して一人で取り残されているわけではないということが分かり、ニフシェは安心しさえもした。


 腕を伸ばすと、ニフシェは門の柵を掴み、前後に引っ張ってみた。門は軋むばかりで、開くそぶりは見せない。門の上を這っていた蟻が、振動にすくわれて地面に落下する。


「開かないな……」


 額から流れる汗を、ニフシェは手首で拭った。積年の風雨で錆び付いてしまっている門には、特に鍵が掛かっているようには見えなかった。


(コイクォイが入ってこなかったのは天の配剤、ってことかな)


 ”黒い雨”に打たれた人びとは、身体に侵入してきた黒い雨水に冒され、全身から出血する。血が止まった時にはもう、雨の呪いに身体を支配され、見境なく人に襲いかかるようになる。そして餌食となった人間もまた、怪物の仲間入りを果たしてしまうのだ。


 彼らの頭部は、もはや人間の面影がないほどにまで変形してしまっている。生き残った人びとは、元は人間であったはずの怪物たちのことを、古くからの言い伝えにちなんで”コイクォイ”と呼んだ。


 そしてニフシェは、こうして門の前に立っている段階で、二匹のコイクォイが近くにいることを察知していた。一匹は窪んだ地面の底にうずくまっており、その息遣いを聞き取ることができる。もう一匹は木々の間にいて、立ち上がろうとしては失敗し、泥の中を転げ回っているようだった。コイクォイが転ぶたび、周囲の木々がざわついている。二匹目のコイクォイは、木々の間を生い茂る蔦に引っかかり、身体の半分が宙に浮いているようだった。


 コイクォイは聴覚が異常に鋭く、どんな小さな音でも聞き逃さない。その反面、頭部の変形によって視力を完全にうしなってしまうから、今のコイクォイのように、こうして自分自身に絡みつく蔦を切り抜けることさえ覚束なくなってしまう。


(どうしようかな……)


 この門をくぐれば、建物まであと少しであるのは間違いない。運が良ければ、車の部品を借り、ニフシェは再び快適な旅へ戻ることができるかもしれない。何より、こんな危険な状況下で人の声がする以上、かれらを見過ごして先へ進むことなど、ニフシェにはできなかった。


 門の前で立ち往生していたニフシェだったが、ふと地面に目をやり、あることに気付いた。よく見れば、門の下の部分が土に埋もれている。


 雨で流れた泥が溜まり、晴れると共に固まってしまうのは、暴雨シュクヴァルの後ではしばしば起きることだ。だが、普通は門を埋めるほど泥は溜まらない。つまり、この門は長いこと開かずのまま、今まで放置されていたことになる。


(なら、破っても文句は言われないな)


 そう自分に言い聞かせると、ニフシェは背嚢ランドセルから乳醤バターを取り出した。ナイフで乳醤バターを薄く切ると、脆くなっているとおぼしき箇所に、ニフシェは乳醤バターを念動力で貼り付ける。背嚢ランドセル乳醤バターをしまうと、ニフシェは左の手のひらを、右手の指でなぞった。解き放たれた自分の魔力が、左手に集まっていくのを、ニフシェは感じ取る。ある特定の形をなぞり終えると、ニフシェは左手を口の前にかざし、


「フッ――」


 と息を吹きかけた。ニフシェの手のひらから火花が飛び散り、浮かび上がった青い魔法陣が、門に塗られた乳醤バターの上に貼りつく。


 ニフシェが門に貼り付けたのは、「真空を作り出す」魔法陣である。作り出された真空を、自然は埋め尽くさずにはいられない。――その効果はすぐに現れた。魔法陣が走ると同時に、周囲のものが真空に吸い寄せられる。最もよく反応したのが、魔法陣の付着した鉄の門だった。左右の扉は互いに衝突し、高い音を立てて弾ける。ニフシェの目の前で、門は旅人を迎えるために、その口を開いた――。


 このときにはもう、ニフシェは背負っていた長剣を抜き放ち、右足で地面を蹴って背後へ跳躍していた。丁度ニフシェの立っていたところに、別の人影が躍る。――窪みに蹲っていたコイクォイが、門の弾ける音を捉え、すかさず迫ってきたのである。


 身をひるがえしたときのエネルギーを右腕に集めると、ニフシェは振り向きざまに、下から上へと剣を薙いだ。ニフシェに爪を立てようとしたコイクォイの右腕が、長剣に刻まれて宙を舞う。コイクォイの鋭い悲鳴が、ヴィジャヤナガールの熱帯林を凍りつかせる。


 頭上に剣を振りかざしたまま、ニフシェは正面からコイクォイを捉える。変形した頭部は、ねじのような螺旋を描いていた。


きみを殺す我がうぬぼれを許せ……」


 騎士の決まり文句を唱えながら、ニフシェは長剣を振り下ろした。


「さらば!」


 胴体から離れたコイクォイの首が、放物線を描きながら茂みの向こうへと消えてゆく。頭を喪った胴体は、地面に転がった後も血管から黒い汁を吹き出していたが、程なくして動かなくなった。


(もう一匹は……?)


 剣を握りしめたままニフシェが振り向いたのと、もう一匹のコイクォイが姿を表したのは、ほぼ同時だった。音に導かれるまま、コイクォイは強引に蔦を破って現れたのだろう。


 コイクォイの頭から垂れ下がる蔦を見たニフシェは、そこで戦慄した。引き千切られ、地面に垂れ下がった蔦の一房に、黄色い塊がある。スズメバチの巣だった。


「ああ、もう!」


 猛烈な羽音とともに殺到してくるスズメバチを前にして、ニフシェは剣から手を離すと、ベルトから銃を抜き放った。銃といっても、ただの銃ではない。本来弾倉がある部位には、魔法陣をかたどった金属のカートリッジが入っている。


 ニフシェは引き金を引いた。右手を通じ、魔力が銃へと吸い寄せられていく。カートリッジが回転した瞬間、稲妻が銃口からほとばしった。稲妻はスズメバチの集団に鞭のように襲いかかり、押し寄せたスズメバチたちを黒焦げにした。


 消費された「稲妻」のカートリッジが、自動的に発条バネから外れ、地面に落下する。粉々になったスズメバチたちの身体が弾け、白い煙が周囲に立ち込める。


 その煙を切り裂いて、コイクォイがニフシェに飛びかかってきた。銃を収めると、ニフシェは剣を構えなおし、その首筋に剣先を絞る。


 コイクォイの全身が眩しく輝いたのは、その瞬間だった。

【Колонка】

シャンタイアクティの騎士の七つ道具


1.長剣(武器)

 文字通りの長い剣。近距離戦闘のときに利用する。シャンタイアクティ騎士の一人ひとりのために、シャンタイアクティの鍛冶屋が特別にこしらえる。抜群の切れ味を誇る刀身は、鍛え抜かれた鋼でできている。騎士は自らの魔力を長剣に流し込むことで、重たい長剣をステッキのように軽々と振り回すことができる。

 数百年前の血なまぐさい時代では、長剣以外にも槍や斧を用いる騎士がいたが、今は剣に統一されている。数世代にわたって巫皇・聖騎士を輩出している貴族の家庭では、先祖の剣を受け継ぐことも多い。


2.銃(魔法銃)

 騎士の用いる銃は特別であり、実弾を撃つこともできれば、魔法陣をかたどったカートリッジをはめ込み、稲妻や炎、冷気などを撃つこともできる。昔はボウガンだったが、よりかさばらず、より手軽な銃に取って代わった。長剣に比べると、使用頻度は少ない。これは、銃撃の後は隙だらけになってしまい、熟練の騎士の場合はその隙に一気に間合いを詰めてくるためである。「近距離で銃を用いてはならない」とは、騎士たちの鉄則のひとつである。


3.ブーツ

 騎士団の黎明期、つまりは千年以上も昔から、騎士たちはサンダルを履かずにブーツを履いていた。これは「神の子はみな沓を履く」という古くからの伝承にしたがったものであり、また騎士たちの気位の高さを象徴するものであるが、それと同時に、地を這う一部の蜘蛛や蛇を媒介する毒や伝染病から、騎士たちを守るという合理的な理由も含まれている。

 ブーツは基本的に先輩の騎士から後輩に引き継がれるものであり、彼女たちは年がら年中、それこそ非番のときでさえブーツを履いていなければいけないため、消毒と消臭にいつも頭を悩ませることとなっている。


4.乳醤バター

 作成に時間がかからない魔法陣の場合、騎士たちは手のひらを指でなぞって魔法陣を作成し、それを適当な場所に吹き付けることで魔法陣を発動させる。緊急時にはそのまま吹きつけるのだが、手指の油に反応し、より簡単に魔法陣を付着させることができるよう、あらかじめ油を塗ってから魔法陣を吹き付ける方が、効果が高く、失敗も少ない。

 基本的に油ならば、ツバキ油でもサラダ油でも何でも良いのだが、入手の容易な乳醤バターが用いられることが最も多い。魔法陣の媒介として乳醤バターを用いる以外に、ブーツのつや出しに使う騎士もいれば、「傷口に塗って応急処置をほどこす」などと口走る猛者も存在する。一部のてきとうな騎士たちの中には「とりあえず乳醤バターを塗っておけばいいのさ」という考えの人もいるため、新人騎士たちはそんな先輩のてきとうさを即座に見抜くだけの判断力が要求される。


5.チョーク(または蝋石)

 「とりあえず乳醤バターを塗っておけばいいのさ」派の騎士たちも、それなりに複雑な魔法陣を構築する場合には、チョークに頼らざるを得なくなる。騎士たちの用いるチョークは特別であり、木の表面でも、ガラスの表面でも、水の表面でも、はたまた空気の表面でも、魔法陣を描くことができる。昔はアカシアの木から作った木炭を粘土に混ぜて使っていたのだが、水との相性が悪いため、今ではチョークか蝋石が主流となっている。どちらを用いるかは騎士の好みによるのだが、「チョークを使うと手がかぶれる」という騎士は、蝋石を使うことが多い。


6.針金(またはたこ糸)

 緊急時にすぐ発動できるよう、特定の材料で魔法陣をこしらえておき、いつでも使えるようにしている騎士も多い。その際に用いられる材料は、針金とたこ糸の二種類が存在する。針金は作成するのが簡単だが、背嚢ランドセルの中で変形してしまうと使い物にならなくなる可能性があり、たこ糸は変形の心配こそないものの、作るのに時間がかかるという欠点がある。要するに一長一短であることから、針金とたこ糸のどちらを使うかは、単純に騎士の好みの問題でもある。


7.煙草

 文字通りシガレットのこと。ただし、騎士の場合は、嗜好品として喫煙するという意味合いもあるが、自らの魔法に特別な効果をもたらしたり、最大限の魔法を発揮するためだったりなど、戦術上のサプリメントとしての意味合いもある。

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