前編
「あいつは友達じゃないから」
苦々しげに吐き出された言葉に、わたしは心臓が根っこから冷えて行くのを感じた。心臓だけではない。手足の先からおどろくほど素早く、体温はどこかへ抜けて行って、あとに残された寒々しさに震えが止まらなくなる。
体が冷えて行くのとは対照的に目頭はいやというほど熱くなって、ついにはぽろりとぬるい水を落とす。
「へえ」
幼馴染の親友は笑い――嘲笑を含んだ声音でそう応じる。それに対し幼馴染はバツが悪そうな声を上げて、親友を軽く叩いたらしい。ぱし、という軽い音がわたしの耳にも届いた。
わたしはその音に弾かれるようにして――いや、弾かれるほど勢いは良くなかった。ほとんどほうほうのていで震える脚を動かし、どうにかこうにかその場から立ち去るので精一杯だった。
「友達じゃない」
わたしにとってどこまでも無慈悲で残酷なその言葉が、頭の中でリフレインする。そのたびにわたしの心はずたずたに引き裂かれ、まなじりからはぼろぼろとみっともないほどに涙がこぼれ落ちた。相変わらず手足は氷水にでも浸かったかのように震えて、このままどうにかなってしまうのではないかとわたしを不安にする。
けれどもなんというか、そんな体の不調が延々と続くはずもなく。家に逃げ帰って、自分の部屋に閉じこもって、ベッドに飛び込んでしばらくすると、手足はまた体温を取り戻したのであった。
そのころにはわたしの頭も多少は冷静になったので、行きつく先は「まあ、そうだよね」という、そういうあきらめにも似た感情だった。
わたしの唯一と言える幼馴染の能美周吾は、見た目からしてわたしとは住む世界が違った。
茶色く染めた髪――わたしたちの学校はそのあたりの校則はゆるい――の毛先を遊ばせた姿は、端正な面立ちの彼にはよく似合っていた。
不敵な笑いがよく似合っていて、それでいてそんな表情でも見る者に不愉快な感情を抱かせない。「そういうやつだ」と、良きにしろ悪しきにしろ、納得させてしまうのは、彼が持つ独特の雰囲気がなせるわざであろう。
そうであれば相手に多少はキツい印象を与えかねないが、垂れがちの目がそれを和らげる。
軽く崩した制服も合わせると、不良と優男の合間といった風体である。それでも中途半端な雰囲気にはならないのは、ここでも彼は「そういうやつだ」という唯一無二の印象を抱かせるからだろう。
周吾はそういう、不思議な雰囲気のある人間だった。
対するわたし――歳森季和は、パッと見、男に間違えられる名前を除けば、取り立てるような特徴のない人間だ。
社交的な周吾に比べて、わたしはずいぶんな引っ込み思案だし、友人のほとんどは彼がわざわざ橋渡しして、そうしてようやっと友誼を結んだ相手ばかり。周吾がいなければ、ぼっち一直線である。
それでも一番親しい相手が周吾だと言えば、わたしがどれだけ交友が不得手な人間かおわかりだろう。
……「取り立てて特徴がない」と、そうは言ったけれど、本当はあるのだ。けれど、それはどれもわたしの力の及ばない部分だから、それをすべて取っ払えば、残るのはさしたる特徴のない、つまらない人間だけ。そこに嘘はない。
わたしの家は、自慢もなく率直に言って裕福である。近隣で一番大きな家と、立派な門構えに、庭は専属の庭師を雇って整備させている。家事はすべて「お手伝いさん」と呼ばれる人たちの手に委ねられていた。それが一般的な中流家庭の姿ではないとわたしが知ったのは、小学校に上がってからのことである。
父は指揮者として一年のあいだに日本にいることのほうが少ない生活を送っている。
母は女優で、もうずっと長いこと第一線で活躍し続けて実力派と呼ばれるような地位を築いている。
社会的にも経済的にも成功したふたりから生まれたのが、こんな平凡から一段落ちるような人間なのだから、嫌になってしまう。
父か母か、あるいは両方の名を出すと「あの○○の娘さん?」というような反応が返ってくるのは、いくつになっても辛い。その目に映る人間の凡庸さに、彼ら彼女らがおどろいているのがありありとわかってしまうからだ。
もうひとつのわたしの特徴は、全体的に色素が薄いという点である。髪は薄茶色で、瞳は緑がかった同じく薄茶色。肌は気味が悪いほどに白い。色白と言えば聞こえはいいが、単に部屋遊びが好きな結果でもあるから、健康的な白さとは隔たりがある。
これは母からの遺伝だった。母方の祖父がオーストリア人なのだ。その上、父方にも何代か前にドイツ人だかがいるとかで、劣性遺伝が表に出てきた結果がこの容姿である。
この容姿には昔から悩まされた。今より前はもっと色素が薄く、これでも昔よりは多少色が濃くなったほうなのだ。お陰で周囲からの奇異の目に、わたしはいつだって怯えていた。羨ましがられることもあったが、それはそれでどういう態度を取ればいいのか、コミュニケーション能力のないわたしは困ってしまった。
容姿を抜きにしてもこの性格でいじめられなかったのは、ひとえに周吾のお陰である。
中学校で再会した周吾は、そのときにはもうクラスの中でも目立つポジションにいた。整った容姿に、気取ったところのない付き合いやすい性格もあって、女子生徒からはかなりモテていた。
だからもちろんそんな彼と親しいわたしは嫉妬の目で見られることもあったが、やはり好きな人の反感は買いたくないと思うのが普通なのだろう。嫌がらせに遭うというようなことはなく、わたしの学校生活は平穏そのものだった。
むしろ悩ましかったのは、周吾に近づくためにわたしに寄って来る女子たちの存在であった。わたしに興味がないのにそのていを装われるのは、やはり気分が良いものではない。けれども小心なわたしは、そんな彼女らと上っ面だけの付き合いを続けるしかなかった。
わたしは彼女らのうちの、ひとりとして心を開かなかったけれど、彼女らにとってもまあ、そんなことはどうでもいいのだろう。だから「友人」と呼べないような「友人関係」を築くという不思議なことになっている。
もちろん周吾はそんなわたしの奇妙な友人関係に気づいている。何度か「嫌ならちゃんと言え」とか「俺から言ってやろうか」とか言われたけれど、わたしはそのすべてを断った。
自分のことは自分でなんとかすべき。――というようなご大層な思想があったわけではなく、単に現状、困っていなかったし、もっと言ってしまえばどうでも良かったからだ。
それにこういう「友人」がいるのは、本質的にぼっちである人間にとっては大変に都合が良かった。授業でペアやらグループやらを形成するときに、彼女らが「友人」というていで誘ってくれるからだ。
彼女らがわたしを「周吾の幼馴染」として利用している片側で、わたしは彼女らを「都合の良い友人」として利用している。わたしたちはそういう関係だった。
もちろん周吾の迷惑にはなりたくなかったから、そういう関係性を説明して、逆に「迷惑だったら言ってね」とわたしから言った。
周吾は「別に迷惑じゃねえけど」と言っていて、普段の様子を見る限りその言葉に嘘はないらしい。
周吾はわたしと違って周囲に人がいる状況を面倒だと感じないタイプだったし、むしろ大勢で騒ぐほうが好きなようだから、ちやほやされるのは案外嫌じゃないのだろう。
ただそのときの周吾の顔は複雑な色を帯びていた。恐らく、わたしたちの利用し合う関係が健全ではないと感じて、そういう顔をしたんだろう。
周吾はその容姿から軽薄に見られがちだが、実際は規律を重んじるし、情に厚く大変に面倒見の良い性格なのだ。そうでなければどんくさいわたしの面倒を、あれこれと見たりはしないだろう。
そう、周吾はとても良い人なのだ。わたしなんかとは比べ物にならないくらい。
だからわたしは彼のことを好きになってしまった。わたしよりもずっとずっと出来た彼に。優しい彼に。彼のすべてに惚れ込んでしまった。
けれどもこの恋に勝ち目がないことは明白で、だからこそわたしは彼の幼馴染で友人という関係を維持して行こうと決めていた。
せめて、嫌われないように。
せめて、友人でいられるように。
けれども現実は、友人とすら思われていなかった。
「友達じゃないから」
周吾の声が蘇る。苦々しく吐き出すような、そんな声がわたしの頭の中でけたたましく鳴り響いて、それから心臓にぐさぐさと突き刺さる。
周吾の声を、言葉を反芻するたびに、息が苦しくなって涙がこぼれ落ちそうになる。
けれどもひどく傷つく裏側で、どこかわたしは納得してしまっていた。
わたしみたいな人間が、周吾の友人になんかなれるはずなんかないと。
だけどそうやって納得している表側では、わたしの恋心が醜く泣き叫んでいて、バラバラな心の内をどうすればいいのかわからず、途方に暮れる。
「季和ちゃん、どうしたの?」
不意にノックの音と共によく通る涼やかな声が耳朶を打つ。
――お母さんだ。