スピード
話は『真心 ~まごころ~』の直後、真の視点となります。
住宅地の角を折れると、屈強そうな体躯の大男――アルバンデュラが背後から少女の首に腕を押し当て、気を失わせようとしている現場に遭遇した。
その少女は、まさに僕が探している少女だった。
「アキ!」
僕が叫ぶと、アキは閉じていた眼を開けた。頬には涙の軌跡が描かれている。アルバンデュラも僕を見やると、憎々しげな顔をしてアキを拘束する腕に一層力を入れた。
「ぅ……ぁ……」
アキの悲鳴が聞こえた。僕はアルバンデュラを睨んだ。大男は得意になってニヤリと笑ったが、それまでだった。
僕は時を止めた。停止した世界を一人闊歩し、アルバンデュラの丸太のような腕を、アキの首から引き離す。相当な力を加えられていたようで一筋縄にはいかなかったが、なんとかアキを解放することに成功した。
僕はアキを抱き抱え、アルバンデュラから離れた。アキの眼は一点のみを見ている――僕だ。アキの眼には、まだ僕が映っている。僕が何をしているのか知らぬまま、自分の身に起こっていることを知らぬまま、彼女の時は止まり続けている。
……巻き込みたくなかった。アキはスキルの存在を知らないし、これからも知らなくていい。良かった、はずなのに。
僕は近くのファストフード店に寄り、中の椅子にアキを座らせた。学ランの胸ポケットから生徒手帳を取り出し、その辺の店員からはボールペンを拝借した。手帳の空欄に、危険だからしばらくここで待機していてほしいという旨を書き記し、アキの強ばった――というか固まった手に握らせた。
「ごめん……」
僕は去り際に、アキに聞こえるはずのない謝罪の言葉を口にして、店から出ていった。駐車場から出入り口の封鎖に用いられる鎖を見つけ出し、未だ停止したままの大男の元へ戻った。アルバンデュラのでかい図体に一厘の隙間も作らず鎖を巻きつけると、僕は時を進めた。
「……ん!? な、なんだ!? 一体、何が……なっ、なぜだ!? 女の子は!? どうして俺は縛られて倒れているんだ!? これは、一体……」
狼狽えている様子のアルバンデュラに、僕は挑発的な笑みをくれてやった。
「お前には逮捕状が出されている。僕は連盟のメンバーだ。諦めろ。僕には時間を止める力があるから、逃走しようとしても無駄だ……まあ、そもそもその鎖で逃げることもままならないだろうけど」
僕の台詞を最後まで聞き終えて数秒経つと、アルバンデュラは唐突にニヤッと笑った。
「――なるほど!」
そして叫ぶと同時に鎖を引きちぎった。拘束された両腕の力だけで、鉄製の鎖を破壊したのだ。虚を突かれ、慌てて時を止めようとした僕だが、直後にはアルバンデュラに背後を取られてしまっていた。
アルバンデュラは、先ほどアキにしていたように、僕の首を締めた。
「バカめ! 連盟のメンバーなら知ってるだろう! 俺のスキルを――『パワフル・パーティクル』! 肉体強化! このスキルは身体能力を高める! それはつまり、筋力を増強するということ! 腕の筋力を増強すれば鎖はおろかダイヤモンドも容易く砕き、脚の筋力を増強すれば特急列車をも追い越すスピードを得る! 比べてお前は、時を止める『だけ』! 時を止められる前に先手を打てば、お前の戦闘能力は凡人と変わらない!」
ギリギリと、アルバンデュラは着実に僕の首をへし折ろうとしていた。もはや呼吸も出来ない。目の前がチカチカする。脳に酸素がいっていない。
このままじゃ、死――。
「真くん!」
その時、アキが通りの角から現れた。バカな。避難させたのに。待機するよう、伝言を残したのに。僕は思考の定まらない頭で、懸命にアキの行動について考察した。
するとアルバンデュラは顔を紅潮させ、僕を放した。瞬間、アルバンデュラはアキの背後をとり、彼女の首に腕をかけていた。
「へへへ……バカな女の子だ! せっかくお友達がチャンスをくれたのに、のこのことやって来たのか! そんなに俺と寝たいのか! ああ、寝てやろう! 最高に心休まる夜をプレゼントしてやる!」
「……とも、だち……じゃ……な……」
アキは懸命に反論を試みるが、みるみる顔が青ざめていく。アルバンデュラは本気のようだ。僕は咳き込みながら、涙目でアキを見た。アルバンデュラが視線で警告した――動けば、彼女は死ぬ。
僕は自分の不甲斐なさに絶望しながら叫んだ。
「どうして来たんだよ!? 待ってろって書いただろ!?それに、なんでここが分かった!? 時を止めている間、ランダムで道を選んだのに!?」
アキは苦しそうに呻きながら、必死にアルバンデュラの剛腕に抵抗していた。
「分からない……見えたんだよ……真くんの生徒手帳に触れたら、真くんが私を抱いて走っているのが――あんなことされたら、放っておけないよ……だって、私……真くんの、幼馴染みだもん……」
アキは泣いていた。気づけば僕も涙を流していた。アキは、ずっと僕に囚われているのだ。幼馴染み。その一言が、アキにとって自分の全てを束縛する鎖となっていた。
幼馴染みは、交際して、結婚して、子供を作らなければならない――そんな、クソみたいなルールを信じ込んで。
「――もういい!」
僕はあらん限りの声で叫んだ。喉の奥が、じんわり痛んだ。こんなの、アキが今まで感じた苦痛に比べれば、屁でもない。
「もういいよ! 幼馴染みなんて! もうやめよう! 僕じゃなくていいんだ! 幼馴染みなんて関係ないんだ! アキは、アキが思うままに、好きなように生きていいんだ! 好きな人が僕じゃなくていい! 初めての彼氏が僕じゃなくていい! 僕と結婚しなくてもいい! 僕の子供を産まなくてもいいんだ! 好きな人と付き合って、結婚して、子供を育てるんだよ! 幼馴染みは、ただの幼馴染みだ!」
伝えた――アキにとっての真実、常識を根底から覆すことを。これは正しかった。正義じゃないとしても、正攻法じゃないとしても、これは正しかったのだ。
……でも。アキは、笑って首を振った。泣きながら笑って、首を横に振った。
「違うよ」
そう、呟いて。
「違うよ……違うんだよ……私は真くんだから結婚したくて、真くんだから一緒に子供を育てたいんだよ……幼馴染みだから、じゃない……ちゃんと、私は私のままだよ……」
彼女の眼差しは、この上なく優しい。
「私は、真くんのことが――」
言葉は続かなかった。アルバンデュラが、彼女の首を更に締め上げたのだ。
「茶番は終わりだ! これから一緒に寝る相手の前で何を言ってやがる! この尻軽のアバズレめ! こうなったら夢を見せてやるよ! とびきりイイ夢を! 俺のベッドで、お前は幼馴染みのことなんか綺麗さっぱり忘れちまうほどの安眠に沈むのさ!」
僕は拳を握った。守るためだ。幼馴染みじゃない、他の誰でもない、アキを守るために。僕は今一度、世界の時を止めた。アルバンデュラの腕をほどき、再びアキを取り戻した。
僕はアキを背負って最寄りの病院へ向かった。受付の看護師の前を悠々と横切り、薬などが保管されている個室に入る。そこから鎮痛剤・麻酔薬の類いを適当に取り出し、アルバンデュラの元へ戻った。
豪語した直後なので、アルバンデュラの口はでかでかと開いている。また興奮しているのか青い血管がところどころから皮膚に浮き出ていた。これは好都合だ。僕は持ち出した医薬品をありったけ、アルバンデュラに服用させ注射した。
少し距離をとり、僕は時を進めた。アルバンデュラは一瞬、困惑した表情を浮かべたが、僕と背中のアキを見ると、すぐに何が起こったのか悟り、高笑いした。
「学習能力の致命的に低いバカだ! 教えてやるよ! 俺のスピードは、お前が時を止めるスピードより速いんだぜ!」
言い終えた瞬間、アルバンデュラは片膝をついた。ガクガクと両足が震え、歩くことはおろか立っていることさえ難しいといった様子だ。
「な、なぜ……どうして……なんで……いったい……いっ、いった……いぃ……ひ……」
「残念ながら僕には医学知識の欠片もなくてね。麻酔の適量とか分からないからさ」
鎮痛剤や麻酔薬とは、つまり麻薬である。脳にダイレクトな影響を及ぼす物質を分泌させる、危険な代物だ。肉体強化のスキルは脅威だが、しかし肉体そのものを無力化することが出来れば、彼の戦闘能力は、凡人にも劣る。
肉体強化のスキルの弱点は、肉体そのものということだった。
「教えてやるよ。どれだけ速いスピードも『ストップ』には敵わないんだぜ」
僕は言い放ち、力なく倒れたアルバンデュラに目もくれず、アキに『もう大丈夫だ』と言った。いつも快活なアキの身体が、やけに軽く感じる。
アキは振り返った僕に、いつも通り優しく微笑んだ。
あっち行ったりこっち行ったりしました。医薬品の件に関しては、まあ思いつきの打開策だったのですが。やっぱり時間停止能力は強いです。
当初こそ『構想なしの行き当たりばったりで書いていく』というスタンスでいましたが、気がつけば本作の設定集みたいなのを自作していた作者です。当然、行き先のある程度定まった作品の方が完成度としては高くなりそうではありますが、同時に僕の中で『こんなはずじゃない』『こんなの本作っぽくない』と思い悩む二律背反の板挟みジレンマが超新星爆発の如く勃発中です。葛藤しています。
別作品の『ALTERNATIVE ~オルタナティヴ~』はと言うと、物語開始時点から既に構想を膨らませ、それを前提とした展開がされていますので、本作とはまた一味違ったポテンシャルが秘められていることと思います。こちらの方もぜひご一読ください。