みんな不幸になーれ♪
「ねえねえ、呪の鏡って知ってる?」
知ってる、知ってる。と私は返したりしなかった。
クラスメイトの会話が偶然たまたま聞こえてきただけなのに、どうして返事をしないといけないのか。
いや、そういう行動がとれて、尚且つそれがうざったくない人ももちろんいて、それがクラスの中心に立っているのだろうけど。
まあどちらにせよ、私には関係のないことだ。
関係ないし、どうでもいい。
それで、ええとなんだっけ。呪の鏡だっけ?
真夜中の三時。
学校の西階段の、三階と四階の間にある踊り場に設置されている鏡に、幽霊が現れるのだという。
その幽霊に『○○を呪ってほしい』と願うと、それが呪われてしまうのだ。
……真夜中の三時に、どうして小学校にいるんだ? なんてツッコミは野暮なのだろうか。
ちなみにこういった噂はこの学校内にはあと六つある。
いわゆる、学校の七不思議というやつだ。
「……」
私はクラスを見回す。
クラスメイトたちは二、三人のグループをつくって様々な話にこうじている。
そんな中、私は一人だった。
小学校というのは中々どうして、閉鎖的な空間である。
大人はいつも小学校ほど自由で、開放的で、楽しかった場所はないと言うけれど、今現在小学生である私から言わせてもらえば、小学校ほど狭苦しくて、閉鎖的な場所はないと思う。
子供の足じゃあ行ける場所も限定されて、それゆえに放課後だって他の生徒と出くわす事も多々ある。
小学生にとって学校こそが社会であり、世界の全てである。
学校での地位、立ち位置がその世界での生きやすさと直結する。
世界地図に広がる世界なんて全て嘘っぱちだ。
まあ、こんな考えも、もっと生きづらいらしい年上の世界に行けば、変わるかもしれないけど。
所詮この考えも、見識の浅い、見聞の薄い子供の戯れ言に過ぎないのだから。
ともかく私はそんな社会を拒絶していて、社会も私を拒絶している。
どちらが先に拒絶したのかは覚えていないし、そもそも分からない。
いつの間にか、そうであるのが当然であるかのように、私は一人になっていた。
ただ、それが嫌だと思った日は一度もない。
別に嫌いな奴らに好かれようと、迎合しようとは思わないからだ。
「しかし、呪いの鏡か……」
誰にも聞こえないように呟く。
そもそも私のことを気にかけている人なんていないのだから、気にすることないんだけど。
その噂が気にならないと言えば、嘘になる。
ちょっとだけ、そんな馬鹿馬鹿しいたわ言に、私は興味を持った。
「ふむ」
***
夜になった。
真夜中の二時五十分。
草木も眠る、もとより小学生が起きていい時間帯ではないけれど、私は起きて、学校に登校していた。
もちろん、こんな時間に校門が開いているはずもなく、よじ登っての不法侵入である。
「ふあ……昼寝をしておいたんだけどなあ」
あくびを噛み殺しながら、手頃な石を拾った私は、それで窓ガラスを割って、腕を突っ込んで鍵を開ける。
学校の中には小学生のプライバシーを守るために防犯カメラの類は設置されていないらしい。
街中ではいつでも監視しているくせに、プライバシーとかなんとか言うのは、なんだか失笑ものだけど、今日はその配慮にありがたくのっかかることにしよう。
窓を開けて無事に学校内に忍びこんだ私は、脇目も振らずに西階段に直行した。
夜の学校というのはいつもと違って薄暗くて閑散としている。
確かに幽霊話の舞台には丁度良いのかもしれない。
そんな事を考えながら、私は階段をのぼる。
ついでに階段関係の怪だ……噂話も試してみたけれど、上りも下りも階段の数は同じだった。
そうして三階と四階の間の踊り場に到着した。
鏡には私の姿が映っている。
前髪ぱっつんで、卑屈そうな顔をしている。
我ながら、性格が悪そうな顔だ。
時間は二時五十八分。
噂通りならば、あと二分でこの鏡に幽霊が映り込むはずだ。
映り込まなければそれは嘘で、私は明日からこの話題で盛り上がるクラスメイトを嘲笑することができる。
逆にこの噂が本当ならば、クラスメイトを利用して、その呪いがどれだけのものなのかを確かめてみよう。
「あ、名前どうしようかな。正直言うとあまり覚えていないんだよね、話したりしないから……うーん、まあ、クラスメイト全員でいいかな、面倒だし」
「分かった」
返事が、聞こえた。
思わず私は鏡の方を見た。
そこには私が映っていた。
どこからどう見てもそれは私である。
けど、違う。
何が違うのかは具体的には言えないけれど、違う。
この鏡に映る私は、私じゃあない。
それに私が気づいたのを理解したのか、鏡に映る私は――笑った。
くすくすと。
口元をひん曲げて。
私の目を見据えて。
「こ、これが、幽霊……?」
恐る恐る口にすると、鏡に映る私は、にいっ、と更に口を大きく歪めると、外を指さした。
階段の踊り場の壁は、外からの光を取り込むためか、一面窓ガラス張りになっていて、その手前にはその窓ガラスに近づかないように手すりが設置してある。
私は指さされた方を見る。
窓の外にはいつもと変わらない、しいて言うなら空が暗いだけの日常の風景が広がっているのだが。
そこを人が横切った。
上から下に。
落下するようにして。
「……え?」
私は目を何度か瞬かせる。
見間違いでなければ、落ちていったのは確かに人だった。
私はゆっくりと踊り場を歩き、手すりから上半身を乗りだして、鏡にへばりついて下の方を見る。
下は校舎の裏側ということもあってか、子どもたちの安全なぞ一切配慮せず、先生たちの車が動きやすいようコンクリートで固められている。
だからだろう。
頭から落ちたらしい人の頭がぐしゃぐしゃに潰れているのは。
赤色の円が、まるで落下地点を示す印のように広がっていく。
「……死、んだの?」
「呪った、私が」
鏡の中の私は私を指差しながら薄ら笑った。
「クラス、皆。不幸になる」
***
それからどれだけの時が過ぎただろうか。
あの後どうなったのかと言えば、どうにもならなかった。
空から落ちてきたのは、やはりクラスメイトだった。
頭が砕けて、即死だったらしい。
彼女がどうして自殺しようとしたのか、どうして夜の学校にいたのか、そもそも何て名前なのかは、私は一切分からない。
ただ、私がクラスメイト皆を呪ったら、彼女が死んだ。
呪いの鏡の呪いは死の呪い。
その事実だけが、私の頭に残った。
もしかして私はとんでもない事をしまったのではないだろうか、私は人殺しになってしまったのではかいかと毎日眠れない日々を過ごした。
けれど、どれだけ月日が過ぎても、クラスメイトが死ぬことはなかった。
いや確かに、クラスメイト全員を呪った次の日から、少しずつクラスはおかしくなった。
それはクラス替えがあった後も変わらず、全員どこかおかしくなっていった。
しかしそれだけ。
クラス内が不穏になっただけ。
それが呪いの効果なのだと気づいてからは、普通に眠れるようになった。
まあ、小学生の呪いなんてこんなものだ。
そして今日は小学校の卒業式。
この桜並木を抜ければ、この閉鎖空間から私たちは脱却して、呪いも忘れられる。
そう考えながら私は、桜並木の間を歩いていると、ドン、と私の隣を走って通り過ぎていった男子の肩にぶつかった。
文句を言う間もなく、私の体はよろめいて、桜の木の根元にぶつかった。
背中が痛い。
怒った私は、私を突き飛ばした男子に、私らしからぬ罵声を浴びかせようとしたのだけど、その声は出ることなく、代わりに口からは、血が溢れ出てきた。
痛い。痛い。
背中が痛い。
なにかが背中に突き刺さっているみたいな痛い。
折れた木の太枝だろうか。分からない。でも痛い。
深々と突き刺さって痛い。
助けて。助けて。痛い、痛いの。
早く助けて。誰か助けて。じゃないと私。
私は周りに助けを請う。
しかし誰もその声に反応しない。
いつものように。いつも以上に、皆は私を無視をする。
「な、んで……?」
手に力が入らなくなって、手に持っていた卒業証書が入った筒が地面を転がり、誰かの足にぶつかる。
その足のつま先は私の方を向いている。
私はその足の方を見る。
丁度、卒業証書の筒を拾い上げている私と目があった。
私はその私に見覚えがあった。
毎日鏡を覗き込むたびに映り込む私ではない。
あの日、呪いの鏡に映った幽霊の私が、私を見下している。
「呪った、私が」
私はにいっ、と口元を歪ませる。
「クラス、皆。不幸になる。もちろん、私も」
信じられないことに、私は『クラスの皆』に自分もカウントしていたらしい。
それだけを私に伝えると、私は卒業生の波に紛れて、校門の外に出た。
閉鎖的空間で燻っていた私は、卒業を機に、外に放たれた。
まだまだ呪いは続く。
彼らが生き続ける限り。
***
卒業式の次の日から、校門側から二つ目の桜は、一層鮮やかに咲き誇るようになったが、不思議なことに、それが話題にあがることは一度としてなかった。