7. 12月の冬将軍
今回は戦闘シーンが入ります。戦闘シーンの苦手な方は、御注意下さい。
尚、この物語はフィクションです。登場する人物・団体・国家・固有名称等は架空の存在であり、それに類似する実在ものとは一切関係がありません。
―――12月
冬に入り寒さも一段と厳しくなった頃、天気予報では今晩は大陸から冬将軍が到来し、ところによっては雪が吹雪く所もあると報じていた。
きっとこの辺りも山の方では、雪がちらつくに違いない。
そんな日のこと、漸く私に外出許可が父から下りた。
何故退院した10月の終わりから1月以上経った今日まで外出許可が下りなかったのか。
それは私が信用されていないから♪―――……じゃ無いよね、お父さん―――では無く、マスコミやら何やらが家の近所で騒がしかったからだ。
昨今の日本でも誘拐や拉致疑惑事件のワイドショーネタには事欠かない。
一応警察も情報規制は行っているけれど、やるなと言われた事は喜んでやるなんてジャーナリストも事欠かない。
そんな中、2年前とは言え一応全国レベルで行方不明拉致疑惑騒動が報じられた私が、記憶喪失とは言え無事帰ってきたなんてニュースは、最高のワイドショーネタだったから。
何故に最高かと言えば、最低ネタの真逆だからに他ならない。
例えば私のニュースで、私の死体や身体の一部が見つかったなんて事を報じたとする。
世の中には、『他人の不幸は蜜の味』とばかりにそのようなネタを好む視聴者も居るが、最近はそのようなニュースをワイドショーネタにするとインターネットやその他色々な方法で、その放送局が叩かれるらしい。
そればかりか、叩かれた放送局関連事業や番組のスポンサーの不買運動まで起きると言うのだから大変なものだ。
よってそんな中、無事帰還なんて幸福な結末は叩かれない上に、社会全体に希望をもたらすなんて大義名分の下が使える為に最高と言う訳だ。
尤も報道される側から言えば、希望も何も漸く帰ってきた人と静かに今迄の時間を取り戻したいのだから、正に勝手な言い分だろう。
まぁそんな訳で、寒さも厳しくなってきたから外での監視は厳しくなってきたし、大津山さん等の警察関係者が自動車待機している記者には交通法違反、マンション等の高層建築物からの盗撮は軽犯罪法や迷惑防止条例違反等でしょっ引いてくれているから随分と減った。
(本当に、門弟様々です。今度何かお礼をしよう)
と言う訳で外出許可が下りた訳だけれど、完全に自由と言う訳じゃない。
今日は藤崎さんが山中で亜希に夜間稽古を付けてくれる日だったから、それに同行許可が下りたと言うだけだった。
でも私も異世界に墜ちる7年前―――この世界では2年前―――には3年間程藤崎さんに稽古を付けて貰っていたから、それだけで楽しみではあった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
グレーのライトバンで、敷地内の駐車場に乗り付けてきた藤崎さん。
それを父さんと亜希と沙希、それから私で出迎えた。
私は早速にでも、車に乗り込んで山中の『鍛錬場』に向かうのかと思ったがどうやら違うようだ。
藤崎さんは、最後部の扉を開き何か重そうなモノを引っ張り出した。
あ、これは……と思った瞬間に、過去の情景がフラッシュバックする。
これは過去にもあった。
そうそれは……ああ、やっぱり。
「今日は久しぶりに大物が獲れたんで」
それは、かなり大きな猪だった。
「きゃ~~~~~~~!!」
あ、沙希が逃げた。
それはまぁ、当然と言えば当然である。
普通の女の子は、野生動物の死体なんて目にしない。
魚なんかは別だろうけど、鳥や獣の死体に正面から耐える事は流石に厳しいだろう。
私だって異世界墜ちする前は、これは結構心に来たものだ。
まぁそのお陰で、『アーシア』では狩りをする事が出来たのだから、人間万事塞翁が馬である。
そして沙希を怯えさせた犯人であるところの藤崎さんと言えば、父さんに猪を預けた後こっちをニヤニヤ見ていた。
(ははぁ、さては……)
「藤崎さん、今日の獲物、わざと持ってきたでしょう」
それも多分、私が驚くのを見たくて。
「そりゃ、わざとだよ。先輩やみんなと食べようと持ってきたんだから」
私がジト目で睨むと、藤崎さんは猪をバンバン叩きながら白々しい嘘をついてきた。
更に睨むと、今度は空を見上げながら下手糞な口笛なんて吹き始める。
ああ、変わっていないなぁこの人。
私が追求を諦めたのを見て取ったのか、藤崎さんは車に戻り後部座席の扉を開いた。そして私達を呼ぶ。
「ほら、さっさと乗った乗った。
そんじゃ、先輩、お子さん達お預かりします。
……それとその猪、捌いて置いて下さいね、腸と血は抜いてありますんで。
それと自分用にはあと一頭、車に積んであるんで気にしないで結構ですから」
あ、物陰からこっそり覗いていた沙希が、引っ込んだ。
成る程。
沙希は未だ裏門技の許可は下りていないと亜希が言っていたから、これは沙希対策でもあるのか。
確かに沙希は私が行くと聞いて、付いて行く気が満々だった。
でもあの鍛錬は当主の許可が下りたもの以外は、見てはいけないもの。
(それでなのね、でも確かにこれは有効だわ)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
山中をひたすら走り、山を二つばかり越えた先に『鍛錬場』がある。
『鍛錬場』と言っても私達がそう呼んでいるだけで、実際に何らかの設備がある訳ではない。
単に遊歩道からも外れた森の中にある場所だ。
だけど、この場所には木々も草むらも川原も岩場もある。
この場所で鍛錬出来ない状況と言えば、市街地戦や水中戦、後は長距離戦くらいのものだ。
今晩は新月。
空を彩る光源は星々の光だけだが、その弱い光では森の中の光源足り得ない。
そんな中でしか私達が行う裏門技の鍛錬は行えない。
徒手空拳で護身や守護を行うのが正門の技である事に対し、闇夜の中であらゆる手段を用いてでも相手の無力化するのが裏門の業だ。
そしてその為の技術を裏門技と言う。
もちろん『あらゆる手段を用いて』なので、徒手空拳という訳ではない。
無音で殺傷できる物であれば何でも使う。使わない武器と言えば銃火器となるが、自らが用いないだけで対銃火器戦の技法も存在する。
人が使う以上はどれだけ殺傷能力が高い銃火器であろうとも、認識の外からの攻撃を防げるものではないからだ。
だから私達は、鍛錬の意味を含めて単なる移動でも、木々の間を夜目と気配を頼りに歩く。
歩いているが目的地がある訳では無い。
実際の戦闘行為が自らが望む状況で起こるとは限らない。
実践では、自らの実力を最大限に発揮出来る場所を選ぶ事が戦術では無い。
相対的に自らの力が上回る場所を選ぶ事が戦術なのだ。
だからこの鍛錬は、『闇夜を利用して相手の実力を発揮させない戦闘術』の鍛練でしか無い。
なので、それ以外の条件である『立地』は伝えられていない。
だからどの『立地』は藤崎さんの合図次第だ。
そして暫くの時間を歩いている最中、藤崎さんの気配が不意に消える。
そう、これが鍛錬開始の合図だ。
私は五感を凝らし、気配と気配以外の僅かな痕跡を探す。
すると目前に僅かな気配がある。
(ははぁ・・・これが亜希ね)
口に出さず思考内のみで呟く。
でも次の瞬間には、亜希の気配は静かに消えていった。
(おおっ、亜希は随分と気配殺すのが上手いじゃない。これで2年目なんだ……私より才能は上かも)
私は異世界墜ちする前からこの修行に入ったけれど、2年目であそこまで上手くは無かったと思う。
私の気配の消し方は、その後の3年間の実戦による独学を含んでいる。
3年間の【アーシア】での戦い。そこで主軸となった竜魔術は、正直なところ隠密処理には向いていない。
身体強化系及び知覚強化系を使えば、闇夜でも苦にせず戦え、人の想像範囲外の攻撃をする事は出来る。
しかし竜魔術による強化は……気配が強く為り過ぎてしまうのだ。
魔術師ならその魔力の気配に、剣士等はその異質な気配に簡単に気付いてしまう。
そもそも竜は、その圧倒的な力で相手を押しつぶすものだから、隠密処理に向いている筈が無いのは当たり前だ。
なので私は、静かに自らの気配を紛れ込ます。そう、消すのでは無く、木々と同調するのだ。
この『紛れ込ませる』が独学の成果。
多対一戦闘に於いては、敵側の気配に紛れる事で同士討ちを誘発させる。
幾度と無く私の命を救ってくれた技だ。
そして気配を変えた後に、真上の枝に飛び移り、枝を揺らす事無くその慣性を利用して別の枝に移る。
だが自分ではそのつもりでも、僅かに枝は揺れてしまった。
これは、明らかな失敗。やはり自分なりに鍛錬は続けてきたつもりだったけれど、その後の4年間の戦艦暮らしで勘が鈍っているようだ。
その証拠にこちらに向かって何かが飛んでくる。
(この音からして、多分『礫』)
私は左腕に着けてある、布を厚く巻いた鉄環で弾く。するとそれと僅かに異なる軌道でもう一つ飛んでくる礫に気付いた。
だが礫と共に鳴る僅かな異音から、これは礫で無いと判断。身体ごと枝から落ち、その『何か』を回避する。
(……勘だけど、あれは多分『糸』だ)
『礫』はその名の通り小さな小石や鉛玉、又は手裏剣等の刃物も指す。
それに対し『糸』とは、礫だけでは無い。
『礫』に付随した糸や縄や蔦、そして金属ワイヤー等を指す。
『礫』は回避か弾けば事が足りるが、『糸』は絡まれると位置の補足だけでなく、逆間接に操作する事で『投げ』や『極め』又は得物次第では強く引くことで『切断』も可能となる。
よって完全に回避するか、別の囮に絡ませるしか方法は無い。
私は落下の途中で礫の飛んできた方向へ、自分の所有している礫を放つ。
しかしそれは牽制的な意味合いしか持たず、相手は―――亜希なのか藤崎さんなのか判らないが―――既にこちらの状況を把握しているだろう。
なので私は咄嗟に気配を『紛れ』から『消失』へ変える。
しかし次の瞬間、背後誰かが居る気がした私は、直感を信じて振り向き様に背後へ左掌打を放った。
だけど同時に、伸びた左腕の下を潜り、横腹に来る打突の気配も感じる。
(やばっ、カウンター喰らった!?)
私はそれを想定し腹部に力を込めて耐えようとする。
しかし衝撃は私の身体に届く事は無かった。
打突が私に当たる直前に私の腹部と掌から、パンッと乾いた音と共に相手の拳と私の掌が受け止められたからだ
そして一切何も感じなかった空間から声がした。
「はい、しゅう~りょ~」
その声は藤崎さんのもの。と言うことは、私に打突を放ったのは亜希と言う事になる。
そして、その亜希の拳と私の掌を包んでいるのは、藤崎さんの両手。
亜紀の拳と私の身体との距離は、僅かばかりだが私の掌と亜希の身体の距離よりも近い。
これは、亜希の拳が先に私へ届いたと言う事。
つまり私は、その存在に気付か無かった藤崎さんだけじゃなく、亜希にも負けた事になる。
私のミスが有ったとは言え、これは軽い驚きだった。
それから私達は車に戻り、車に積んであったポットから藤崎さん自家製コーヒーを頂いている。
空も曇り始め、星空さえも消え始めた。
だから光源は、ランタンの灯りのみ。
でもその灯りと暖かいコーヒーは、冷気満ちる中での隠密処理に凍て付いた心と身体を、ゆっくりと解してくれるかのようだった。
「うんうん、亜希君も随分と上達したね~」
藤崎さんはコーヒーを口にしながらそんな事を言った。
だがそれは本当だ。いくら4年のブランクがあったとは言え、亜希は私に圧勝した形だ。
あの時、藤崎さんが止めなければ、腹部に気合を込めても重傷は免れなかっただろう。
「いえ、そんな事無いです。あれは姉さんのブランクに付込んだようなものでしたから」
藤崎さんの褒め言葉に、敬語を使いながらも自嘲で返す亜紀。
藤崎さんは肩を竦める。多分、藤崎さんの考えは、私と同じだ。
「ううん、亜希。それは違うよ」
だから私は、亜希の自嘲にきっちりと訂正を入れる。
「あれが今の私の実力。亜希はきっちり鍛錬し、私は出来て居なかった。ただそれだけ」
「でも、姉さん。姉さんのブランクは、姉さんが望んだ事では無いでしょう」
・・・そうか、亜希は2年間私が何も出来なかったんだと、そう思っているんだね。
でもそれは、半分正解で半分間違いなんだよ。
亜紀にも何も言えないけど。
「望んでも望まなくても同じ事。だから気にしちゃ駄目だよ、亜希。失ったものは努力して取り戻せば良いだけ事なんだから」
そう、取り戻せば良いのだ。人はいつだって万全の状態で居られるとは限らないのだから。
私が今、隠密処理の腕前以上に家族の絆を取り戻そうとしているように。
コーヒーを飲み終わった後、私達は車に乗り込み家路に着く。
結局、亜希は帰りの道中ずっと無言だった。
もしかしたら私の言葉を考えてくれているのかも知れない。
(……そうだったら良いな)
私は、そんな姉馬鹿な事を、風に乗ってちらつき始めた雪を窓越しに見ながら、そう考えていた。