13. 雪山 ―後編―
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・国家・固有名称等は架空の存在であり、それに類似する実在ものとは一切関係がありません。
「龍宮さん、龍宮沙希さんはこちらですか?」
ペンションに行き成り乗り込んできた巫女服姿の少女に、一体何事かとペンションの主人は驚いた。
しかし少女に引き続きペンションに上がり込んだ男性が、懐から手帳を取り出しその中身を見せ二言三言話すと、主人は落ち着いた様子であった。
「祠堂先輩っ」
階段の上から霞を呼ぶ沙希。
霞は、主人と話し続ける青年を余所に階段を上がって行き、沙希の部屋へと入り込んだ。
「それで沙希ちゃん、何が有ったの?」
中に入ると霞の口調は急に砕ける。
緊迫した雰囲気はそのまま維持し続けていたが。
「電話で簡単に状況は聞いたけれど…感じた事には間違い無いのね?」
「はい。
美咲さんが居なくなった時は慌てていたから思いつきませんでしたが……でも、改めて思い返せば目覚めた時に感じた刺激は、あの【変わらぬ風景の街】で感じたものに近いと思います」
「そうであれば事は急ぐわ。
電話の中で話していた受信機を見せて」
霞に言われ、受信機を二人の間に持ってくる沙希。
その大きさは、スマートフォンの2倍程の大きさの画面だった。
「これは5分に一度、現在地を表示すると言っていました。
それとエマージェンシーモードを発信側が選択すれば、音声による双方向通信も可能との事です」
「(これって軍やウチの調査員が使っているのと同じものよね…何処から手に入れたのかしら)」
沙希からの説明と共に見せられた機械を目にして、出所を訝しむ霞。
しかし詮索は後ほどにしようと、意識を切り替えた。
「判ったわ。
直ぐにこの最後の発信地点に向かいましょう。
沙希ちゃんも付いて来て」
霞の提案に少々面食らう沙希。
沙希としては、この場で姉兄の言う通り連絡係をするつもりでおり、その中には霞との連絡係も含まれるのだろうと当然の如く考えていた。
「いえ、沙希さんが≪ナニカ≫と同じ気配を感じたのであれば、一人で残る事は得策ではありません。
少なくとも私の傍に居た方が良いから。
…そうね、連絡係には仲村を残して行きましょう」
そう言って部屋を出る霞。
沙希も自らのバックと受信機を持ち彼女の後を追いかける。
沙希に下に降りた霞は、仲村に何点か指示を出し、頷いた仲村も霞へ報告していた。
霞も直ぐに来るであろうと思った沙希は、一足先に靴を履いて表に出る。
するとそこには、変わった形の車両が停まっていた。
無限軌道を片側前後二つ履き、車両前方には除雪板を取り付けたその車両は、沙希の知っているものとは多少違うが、多分雪上車なのだろう。
そしてその運転席には榊が待機していた。
榊が気付き先へ会釈してきたので、沙希も同様にお辞儀をする。
そんな事をしていると霞がペンションから出てきた。
「さぁ、急ぎ参りましょう!」
「はいっ」
そして二人は雪上車に乗り込み、車は雪を掻き分け山へと向かって行った。
運転する榊、前方を見定める霞、そして沙希は受信機を凝視していた。
そして気付いた。
受信機に写しだされる発信機の位置が、5分前から更新されていない事に。
その事を霞に伝えると、霞は車のライトで照らされた前方を見ながら、告げる。
「沙希ちゃん…それは多分アレの所為ね」
霞が指差す方向を見る沙希。
しかし、沙希にはアレが何なのか良く判らなかったので、霞に訊いてみた。
「アレ…ってどれですか?」
「…そっか、沙希ちゃんには未だ判らないか。
……結界よ。
榊さん、車を停めて下さい」
「はい」
霞が沙希に話す結界、意味は何と無く理解出来るが、沙希には未だ判らない事が意外であったかのような口振りは、一体どの様な意味であろうか。
沙希が首を捻っていると、車はゆっくりと減速し、そして停まった。
「沙希ちゃん、降りて」
自らも先導して降り、雪上車の前へと足を進める霞。
そしてその後ろを、えっちらおっちら歩く沙希。
霞は急に足を止めると、右手を前方に突き出し、まるで壁に触っているかのように左右に動かした。
「沙希さん、この辺り。
この辺りを掌で感じてみて?」
「掌で?」
意味も判らず霞の言う通りに行動する沙希。
「何か感じる?」
「え~っと…何か空気の重さが違うような…質が違うような…気のせいかも知れませんけど」
「いえ、気のせいではないわ。
それが≪結界≫の境界。
よく覚えておいてね、沙希ちゃん」
「…はぁ」
気の抜けたような返事をする沙希。
正直、この事を覚えておくよりも三人の安否の事が気になっていた。
尤も霞の前で結果なんてどうでも良い等とは口が裂けても言えないが。
その沙希の心中に気付いているのかいないのか、霞は話を続ける。
「この結界の向うが、【変わらぬ風景の街】と同様な場所なの。
5分に一度の発信機の反応が途絶えたのならば、多分そこにいるわ。
何故なら、その中では不思議と時間が進まないのよ」
驚きの事実を告げる霞。
「(そう言えば…あの時も)」
沙希は以前に囚われた【変わらぬ風景の街】の出来事を思い出す。
あの時も確かに時が4時45分から進んでいなかった。
「でも初めてで結界の境界を感じ取れるなんて、筋が良いわね沙希ちゃん」
褒められても、何の実感も沸かない沙希である。
「それでね、結界を破るには特殊な技法が必要なの。
よく視ていてね、沙希ちゃん…」
霞は降車の際に車内から持ってきた刀袋から、白鞘に入った日本刀を取り出す。
そして鞘ごと刀を腰溜め構え、そして呪を唱え始める。
「かーごめかごめ、かーごのなーかのとーりーは…」
「(え…これって…籠目歌…?)」
謳いながらも徐々に腰の捻りを増してゆく霞。
「…だーあーれっ!」
最後の一言と共に抜刀し、逆袈裟に刀を走らせる。
そのとき沙希は確かに感じていた。
こっちの空気があっちに流れ込む…そんな抽象的な感覚を。
「これでお終い。
結界破りに必要なコツは、結界を破るイメージと集中力よ。
力があってもこの二つが無いと成功しないわね」
霞は中空で刀を一振りすると、納刀する。
「さっ、先に進みましょう」
そう言って白鞘を刀袋に収めないまま、雪上車へ向かって行った。
そして沙希も先程の光景を脳裏に焼き付けたまま、その後を追いかけ乗車した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「参ったな~…」
亜希から二度目の報告を受けた瑞希は、未だ【犯人】と絶望的な消耗戦を強いられていた。
その情報により、この場の雪だけではなく空間の位相がずらされている事を瑞希は理解した。
本当はさっさとこの場の雪を全て吹き飛ばして、撤退したい瑞希である。
しかし封鎖されている以上は雪を吹き飛ばして撤退しても、帰れるわけでもない。
かと言って、二人の安全が確保されていない状況でこの場から撤退すれば、二人が危険に晒される。
だから瑞希は亜希に、『私からの連絡か、小鳥に異常が発生しない限りは、体力を温存しておきなさい』と伝えていた。
なるべく力の解放を最小限に抑え、侵食する支配空間の腕を防ぎながら、戦っている。
瑞希もこれだけ戦っていると、【犯人】の正体も掴めて来ていた。
コレは嘗て【アーシア】で瑞希が散々戦ったものと同質なものだ。
その行動原理が食欲である事が違っていたが。
ただ食べる事が、手段の為であろうと、目的であろうと同質である以上、結果も同じであろう。
コレは動物を喰らい、人を喰らい、力をつけて行く。
そして次は周囲の動植物の変異体を作り出す。
効率よく【意思あるもの】を喰らうために。
この存在を倒す方法はいくつかある。
あるにはあるのだが…
「やっぱり準備してから本番が良かった…」
と愚痴を溢す位、瑞希には準備が足りなかった。
有効な武器が無い。
技術を持った仲間もいない。
そして本体を探る余裕も無い。
せめて本体の位置がわかれば手段も増えるのだが、現状では瑞希には手の撃ち様が無い。
そうなると瑞希に残っている手段は、いきなり最終手段しか無い。
自分を含めた座標空間を対象とした魔法――魔術では無い――だ。
これなら確実にこの場から消す事が出来る。
但し、滅ぼすか退去させるのかが瑞希には判らないのだが。
何故なら瑞希もその魔法の結果を知らないのだ。
そういう魔法である事を、瑞希は聞いている。
しかし瑞希がこの魔法を使ったのは過去に一度だけ。
【アーシア】に於ける最終決戦で動けるものが自分一人になってしまった状況下であった。
そもそもあの戦いが最終であったかどうかも知らない。
単純に瑞希にとって最後であっただけで、あの戦いの結末だって知らないのだから。
間違い無いと瑞希が断言出来る事は一つだけ。
死ぬにせよ、別の世界に再び墜ちるにせよ、瑞希がこの世界から消えるという事だ。
「最終的には仕方ないにしても…基本は却下の方向で頑張りましょうかね」
幸い結界の所為か、瑞希に対する攻勢は散発的だ。
この状況下でなら、竜魔術を活用すれば未だ余裕はある。
あるにはあるが…。
「この余裕があるうちに、何か対抗策を思いつかないとね…」
ジリ貧になってからでは遅いのだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さて、これからどうするか……」
ビスケットとチョコレートを交互に口にしながら亜希は呟いていた。
あれから瑞希からの指示通りに体力の温存に努めようとした亜希は、通り道傍に木の洞を見つけていた。
そしてその洞を利用する形で木の枝と防水シートを中心に雪を被せ、簡易かまくらを作り上げた。
洞の奥には美咲を眠らせてある。
連れ戻す際に、再び姉の方へ歩いて行こうとしたので、何度か声をかけて起そうとしたが結局目覚めず、最終的に当身で意識を刈り取った。
そこまでは良かったのだが、何しろ亜希には今回のような超常現象に対する知識が乏しい。
これが物理的な事であれば、何かしら自分に出来る事を模索出来るであろうが、現在は美咲の確保くらいしか出来無い。
「(もし無事生還出来れば、噂の裏世界の術者と言う人々と接触してみたいな…師匠ならば……)」
等と考えているときだった。
亜希は地面を伝わる振動と、無限軌道の擦れる音に気付く。
「(やっと俺も役に立てるな)」
そのように考え、荷物から発炎筒を取り出す亜希。
車の持ち主が協力的な人物であれば、協力を仰ぐとして。
このような場所を走らせている人間だ、非協力的な人物の可能性もある。
その際には強奪も止むを得まいと、亜希は考えていた。
当然それは運転強要のオプション付である。
亜希は木の陰に隠れて車を観察する。
それは随分と変わった形態の雪上車だった。
となると、堅気の可能性は益々下がる。
これは、強奪及び強要の方向か…と、物騒な決断を亜希が行ったとき、雪上車は亜希の隠れる木の手前で止まった。
「(……?なんのつもりだ…)」
更に警戒感を強める亜希。
しかしその警戒感は、次の瞬間に露と為って消えた。
「兄さーん、この辺りに居るんでしょーーー」
雪上車の窓から身を乗り出し、周囲に大声で叫んでいるのは…亜希の妹の沙希であった。
「…なる程、その様な事が……」
亜希が沙希の声に返事を返すと、雪上車から二人降車した。
一人は沙希、一人は霞である。
亜希は霞の事を良く知らない。
姉の親友であり一学年上の先輩であった事、そして神社の巫女をしている事、この程度だ。
そしてそれは決してこのような状況下で出会う事と合致しない。
そう、亜希が霞の事を警戒するのは必然であった。
「……沙希、何故祠堂先輩がここに?」
「えぇと、話せば長い事に為るんだけど…」
「…そうか…」
どうやら妹の方にも、色々と事情がある事を察する亜希。
時間さえあれば、沙希の『長い話』も聞きたいが何せ今は時間が無い。
「ねぇ、それでお姉ちゃんは?」
「手分けする為に分かれた」
「…そっか…連絡は?」
「大丈夫と言っていた」
妹の質問に真実を濁して答える亜希。
ここで正直に全て話せば、沙希は瑞希の元に走り駆け出しかねない。
それは姉の望む所ではないだろうと、亜希は考えたのだ。
そしてその瑞希は、一人で【犯人】とやらの足止めをしてくれているのだ。
あのときの姉の思いに答えるには、一刻も早く美咲の安全を確保しなければ為らない。
「(…それならば、沙希を信じて――謎の人物であるはあるが――祠堂先輩に頼るのも、手ではあるな)」
亜希その様に考え、霞に体を向けた。
「祠堂先輩」
「はい」
「この先に要救助者が一名居ります。
要救助者を安全な場所へ移送する事をお願い出来ますか」
10メートルも離れていない簡易テントに寝かせてあった美咲を、亜希が背負って戻るまでの所要時間は10分にも満たなかった。
亜希が戻ってくると、雪上車は2台に為っていた。
「(…いや、前後に分割しただけ…か)」
そう、亜希の見立て通り雪上車は前方の運転席部分と、後方の貨物部分に分割されていた。
そこで、戻ってきた亜希に気付いた霞は、要救助者をこちらにと亜希を案内する。
案内されたのは、分割された貨物部分のコンテナであった。
コンテナ内に踏み入ると、そこは居住スペースとなっていた。
コンテナ内のベットに美咲を寝かせた二人は、コンテナから出た。
霞は歩きながら亜希に今後のことですが、と前置きし話す。
「さて、亜希さん。
事情や状況は、時間が無い為これから道中伺います。
但し、彼女…香坂さんはここに置いてゆく事になります」
「それは…」
どう言う事かを問おうとする亜希を片手で押し留め、もう一台の車両へと歩きつつ話を続ける。
「本来私達の任務は、今回の異常事態解決にあります。
私としても彼女を安全地帯まで輸送したいのはやまやまですが、そちらの優先度を上げる訳には参りません。
既にバックアップと連絡を執りましたから、それ程時を経ずして応援がこの車両と彼女を保護する手筈です。
その後彼女の事は応援部隊に任せる事になります」
霞のいう事を頭の中で整理する亜希。
つまり霞は今回の件――瑞希の言う【犯人】――に対する対抗方法を持っていると言う事であろうかと。
そうであれば、確かに元を断つのが美咲を助ける最善の手段ともなる。
「(問題は、祠堂先輩の持つ手段が、本当に対抗手段であるかどうかだな…)」
ただ一つ確実な事は、これは相談では無く決定の通達である事を霞の雰囲気から亜希は、悟っていた。
三人用の座席に四人で座る――運転手の榊から霞、亜希、沙希の順だ――のは多少窮屈であったが、亜希と沙希が小柄であったのが幸いし、何とか座れた。
そして後部車両を外した事で幾分か速度が上がった雪上車の車内で、霞から現在の状況説明が始まった。
「…つまり、今回の怪異は正体不明…と?」
「はい、実例が少ない為に確実な事は言えません。
ですが、近年今回と同様にその正体を誰にも掴めない事件が確認されています」
今迄でしたら痕跡から推測が多少也とも成り立っていたのですが…、と霞は小声で呟いた。
「それと亜希さん」
「…なんですか」
「その肩の小鳥ですが…貴方の式神…ですか?」
「…何故です」
その返事は、既に小鳥が普通の生物では無い事を認めたようなものだった。
「生物独特の命の揺らぎがありませんから。
ただ、今迄の話への反応から、亜希さんが術者とは思えませんでしたので」
そこまで見破られていてはどうしようもない。
だが姉の事を何処まで話して良いのか、亜希には判断がつかない。
どうするか…と、悩む亜希であったが、救いの手は本人から伸びた。
『亜希、私から話すよ』
亜希の肩の小鳥からでた声は、姉妹の、そして霞の親友の声だった。
「…いいのかい、姉さん」
『亜希が悩む事はないからね。
亜希、これを霞に渡して?』
まるで目の目で亜希が悩んでいたのを視ていたかのように話す瑞希。
「(まさか、この小鳥が見ていた事まで視えていたのか?)」
姉ならそんな事もやりそうだ等と失礼な事を考えつつ、亜希は肩の小鳥を、霞に渡す。
「瑞希?本当に瑞希なの」
『うん、本当』
「では、この小鳥は瑞希の式神なの?」
『式神がどういうものかは、良く知らないんだけどね。
これは生態型通信機だよ』
「瑞希…」
『霞、取り敢えず時間が無いから至急確認したいんだ。
霞は支配領域に入って来れる手段を持っている、それは間違い無い?』
霞は、瑞希の言う支配領域とは結界の内側の事を指すと解釈した。
「ええ、そうよ。
不可視の結界を破って入ってきたわ」
『上等よ。
急いでこっちに来てくれる?
正直一人でこれ以上凌ぐのは、準備不足だけに手詰まりだったんだ』
「……え?
まさか、瑞希。
一人で怪異と戦っているの!?」
瑞希の言葉に驚く霞。
そしてその隣では、沙希が霞の言葉に驚いていた。
何故もっと早くに話さなかったのか、と亜希を睨みつける霞と沙希。
だが、亜希の救いの手はまたしても小鳥の口から伸びた。
『亜希、霞はあとどれくらいで到着出来る?』
「…この速度だとあと2分程だと思う」
『わかった、見えたら教えて。
…それにしても人は見かけによらないって言うけど、霞がそんな世界の人だったなんてね。
親友に隠し事は良くないと思うな』
余裕があるのか、それとも別の理由なのか、更に話し続ける瑞希。
「…瑞希こそ、術者だったなんて聞いていないわよ?
あとでその辺もしっかり訊かせて貰うから覚悟なさい?」
『お~こわこわ』
話し続ける瑞希と霞。
だが、亜希は周囲の地形と自分の記憶とを照合し、到着までの時間を正確に測ろうとしていた。
「(…もうすぐだな)」
「…なに、この感じ…」
突如、隣に座っている沙希が呟くのを亜希は聞いた。
「どうした、沙希」
「嫌な、絶対に近づいてはいけない気配…あの時と同じ…」
同じく沙希の様子に気付いた霞が、亜希に問う
「亜希さん、目的地は!?」
「もうすぐ、あの大岩の裏側!
姉さん、すぐ着く!」
『OK』
亜希の言葉に、榊が大岩の横を越えた地点で無限軌道に逆進をかけて急停止をする。
沙希、亜希、霞の順に車を飛び出した面々は、自ら目にしたものに視線を奪われた。
片や淡い水色に染まった瑞希の周囲に、キラキラと煌くダイヤモンドダストに包まれた、瑞希を護るかのような空間。
そして片や舞い上がった雪が瑞希を襲うかのように吹きつけ、その中に腹が破けた獣や上半身と下半身に分かれた男女の遺体が、雪に引き摺る跡を残しながら瑞希に近寄ろうとしている、悪夢のような空間であった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
霞達四人が戦場に到着する少し前の事。
「うわぁー、夢に出そう」
瑞希の目の前で、雪の上に散らばっていた動物達の遺骸が動き始めたのだ。
【氷竜】を行使中の瑞希の目は、動物達の遺骸に水が浸入し、その身体を操っている事が見て取れている。
だから、ホラームービーの様に死霊が取り付いて死体が動き始めた……なんて事は無いのは理解しているが、結構インパクトのある光景だ。
更には遺体――男女3人分が上半身下半身分断されている――までもが動き始めている。
「これは誰にも…特に沙希には見せられないよねぇ…」
藤崎さんが獲ってくる獲物の解体現場でさえ避ける沙希だ。
こんな光景を見たら気絶は必死であろう事は、誰にとっても簡単に予測できる。
その上先程から、瑞希の耳元には呼ぶ声が聞こえる。
「こっち…」「ほら…」「そこ…」
等、単純な単語のみであるが、瑞希にとって煩わしい事この上ない。
これは氷と氷の擦り合わさった音で作り出している事は、瑞希には判っている。
だが原理が判っていても、心が理解するのとは別問題である。
つまり先程の動く死体と合わさると、瑞希が当初に述べた言葉になるのだ。
あまりにも言葉が五月蝿いので、瑞希は耳から聞こえる情報を生体通信機――亜希に渡した小鳥だ――意識を向けていた。
幸いにも、動く死体の動きは遅いので、音に頼る必要が無い。
瑞希は近づいてきた鹿の四肢を、氷で作り上げた刃を飛ばして切断した。
切断面から血の替りに水が吹き出る鹿の四肢。
しかし鹿が倒れこむ前に水は凍結し、四肢を繋げる。
「うげっ」
余りの気持ち悪さに思わず下品な言葉が飛び出る瑞希。
「やっぱり、その他も同じかな~っと」
先程同様、鹿の首を刎ねてみたがやはり同じだった。
「これは微塵切にするか、磨り潰すか、凍らして封じるかどれかしかないか…」
その為には支配力の絞りを開放しなければ為らない。
しかしそれは持久戦の手段に反する。
もっと簡単な方法として、瑞希の中では燃やすと言う選択肢もあるが、その為には一度【氷竜】を解除しなければ為らない。
この状況下では、そのロスタイムは命取りだ。
「やっぱり、一つ一つやっていくしかないかっと」
その時、瑞希の意識には聞き捨てならない言葉が聞こえた
『その肩の小鳥ですが…貴方の式神…ですか?』
「(あちゃー。
霞ったら、その事にも気付いちゃうんだー)」
先程から聞いていた会話の中で、瑞希は霞が術者と言われる本物だという事を知った。
呪術というものに知識が疎い瑞希には、正統かどうかなんて知り得ない。
しかし、あの空間位相のずれを超えて相手の支配領域に踏み込んで来れたのが本当ならば、本物であろうと瑞希は思った。
「(…そう、【アーシア】の魔術師達と同じ様に)」
だから瑞希は、生態通信機を介して答えたのだ。
霞にも、沙希にも、自分が最悪化け物と呼ばれる事を覚悟して。
尤も口調は思いとは裏腹に、意図的に軽くしたが。
『もうすぐ、あの大岩の裏側!
姉さん、すぐ着く!』
「OK」
口の中で瑞希は呟くと、瑞希は押さえていた支配力の絞りを、少し開放した。
髪や瞳だけでなく、身体の周囲も淡い水色の光に包まれる。
乱入予定の霞達に、相手がどの様な反応を示しても、対応出来る様にする為だ。
支配する氷雪を、飛び道具に使ってる分や盾に使っている分以外に広げる。
瑞希中心とした半径3メートルの空間が瑞希の支配する氷雪に満たされる。
その氷雪を瑞希は、細かい氷の粒に変換し、周囲に纏った。
丁度そのときだった、雪上車が大岩の影から姿を現したのは。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「やばっ」
瑞希は視線を雪上車の方に向けた後、手抜かりが有った事に気付いた。
降りた面子の中に、沙希が居たからだ。
そして沙希は…動く死体を見て凍り付いていた。
「あっちゃー…」
右手で顔を抑える瑞希。
しかしその隣で、刀袋から白鞘を取り出しつつ動き始める霞と、沙希を支える亜希の姿に安堵する。
最低二人は戦力として期待出来るからだ。
「亜希、瑞希の事をお願いっ」
頷く亜希を確認した瑞希。
そしてやはり霞達の方へ侵食の腕を伸ばし始めていた氷雪に、瑞希は支配下に置いた氷雪をぶつけて相殺する。
「はぁぁぁ!」
すると霞が雪とダイヤモンドダストの衝突地点から、瑞希とは反対側寄りの雪に刀を裂帛の気合と共に刀を振り下ろした。
すると、瑞希が防いでいた氷雪の支配力が消え、ダイヤモンドダストが衝突場所を突き抜けていった。
「おおっ、霞やるぅ~♪」
思わず感歎する瑞希。
そう、霞は相手の支配力を斬っていたのだ。
「オフェンスがいればこっちのもの!」
瑞希は更に支配力の絞りを開放する。
そして自らが支配する氷雪を霞達のガードに回した。
すると淡い水色に包まれたダイヤモンドダストが霞達の周囲に纏わりつく。
「これだけ防護術式を詠唱無しで……」
「…これが姉さんの力か…」
「…きれい…」
どうやら沙希も目覚めたらしく、自分の身の回りの変化に感動していた。
しかしそのときだった。
大岩から音が鳴ったのは。
瑞希は視た、大岩の内部に水が浸入し、大岩に亀裂を入れた上で水が酸素分子と水素分子に変化したのを。
「大岩が爆発する!」
「榊さんっ」
『はい』
瑞希が警告の声を上げつつ、大岩の進路を逸らそうと氷の盾の準備をしたのと、霞が部下の名前を呼び彼が拡声器越しに答えたのは同時だった。
大岩内部の水素爆発で飛んで来た殺傷力のある岩は3つ。
一つは瑞希が作り上げた盾で、進行方向を逸らされ林の中へ飛び込んでいった。
一つは亜希が沙希を抱え、回避している。
「(だけど、残り一つに対応が間に合わない!)」
残り一つの進行方向は、丁度霞の居る辺りだった。
しかし、岩が霞に当たる事は無かった。
途中で、人の二から三倍程の大きさの異形の人型が霞の前に割り込み、左右の両腕に装備された湾曲した盾で飛んでくる岩を弾き飛ばしていた。
その人影は両足には無限軌道、両腕に盾としてスノープラウ(除雪板)を左右に分割したものを装備したPPDFであった。
「(あの特殊な形状は、PPDFだったからか…)」
亜希が、巨大な人型の背後に残された運転席部分から、あのPPLDが多目的雪上車をベースにしたものだと理解した。
「(いや、PPDFを雪上車に改装した…と言う方が正しいか…)」
亜希は頭の中で訂正する。
PDFとは、現在軍用・民生用共に使われている人型機械の総称だ。
尤も軍用と民生用では根本的な所で違っていると言う噂だが、報道等では多くが総称としてこの呼び名を用いている。
その中で、PPDFとは軍用では無い、特定用途に用いられるPLDの事を指す。
それは救助用であったり、建設用であったり、警備用であったり、色々だ。
このPPDFは、山岳作業を主とする多目的作業用PPLDであった。
『霞様、このまま直衛に入ります』
「おねがいしますっ」
背後を榊が操るPPDFに任せて、怪異の気配がする場所を斬り付けて行く霞。
祠堂家では、術者のサポートとして作業用PPDFを活用する方針だった。
それが今回のように役立つときもある。
一方瑞希は、呪術と巨大人型ロボットのコラボゼーションに軽いカルチャーショックを受けていた。
「Drは≪魔法のような科学≫を使っていたけど、まさか≪魔法と科学≫を見ることになるなんて…ね」
そんな一幕があったといえ、新戦力の参加で戦力は増強され、戦況は瑞希達に傾いていった。
霞が敵の支配を切り伏せる事で、弱体化させた。
榊がPPLDを用いて、物理的に皆を守った。
瑞希は皆を侵食から護りつつ、霞の切り口から徐々に相手の支配を奪って行った。
亜希は沙希を護る事に集中し、回避し続けた。
そして沙希は、瑞希にとって意外な才能を見せていた。
本来視認する事が出来ない支配率。
瑞希の様に、直接物質を支配する者はその支配の抵抗力から。
霞の様に、怪異との戦いに特化した者なら、自然ならざる気配から。
其々、この相手――瑞希は【犯人】と名付けていたが――の状況を把握できる。
しかし、沙希はそのどちらでも無かった。
にも拘らず、≪近寄っては為らない気配≫との言う直感は正確であった。
「あそこ、あそこが一番強い!」
亜希の背中に負ぶさった形で沙希が指差した方向には、雑誌程の大きさの石が崩れていた。
瑞希は沙希の指摘した周辺の氷雪の支配力を一気に高め、石を吹き飛ばす。
そこには、大人の握り拳ほどの大きさの丸いナニカが浮いていた。
「霞、道を作る。
あれを斬って!」
「ええっ、判ったわ!!」
瑞希の支配によって、霞とナニカの間の氷雪が裂けた。
その裂け目を、大地を踏み締めて駆け上る霞。
自らの心を刃にする鍵をくちにしながら。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前っ」
一旦、腰の白鞘に納刀した霞は、最後の一文字と共に居合いからの逆袈裟に切り上げた。
呪法では無い、純然たる意志の力を込めて。
そしてその切っ先は…見事にナニカを断った。
その瞬間、斬線に沿って上下が吸い込まれる様に、消えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「倒し…た?」
と残心の構えを残しながら、霞が呟く。
「あの嫌な感じが消えた…」
と亜希の背中の上で、沙希が呟く。
「…動きが止まったな」
と、動く死体を見て亜希が呟く。
『周囲に動くものはありませんな』
と、拡声器越しに榊が呟く。
「ううん、逃げただけだよアレは」
と、首を横に振りながら瑞希は呟いた。
「どう言う事なの、瑞希」
「アレは私が知っているものと同じなら基本的に消せない、そういうモノなんだ」
皆の疑問を代表して問うた霞に、瑞希は答える。
「…消滅させるとしたら万全の準備が必要なんだよ」
瑞希は、遠い空を見上げながら呟いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
榊のPPDFにバックアップ任務についた仲村から連絡が入ったのは、それから直ぐだった。
それは、分離させた車両の中から回収した美咲が、眠りから目覚めたとの連絡だった。
今作で平均3日ペースの更新を取り戻す事が出来た柿崎です。
お陰様で450ユニークを無事超えました、ありがとうございます。
前話で書かせていただきましたが、前々話・前話・今話・による1話構成の予定でした。
然しながら小生の構成力の不足から、3話に分割公開せざるを得なかった事をお詫び申し上げます。
それでは今後とも宜しくお願い致します。