第七章 驚異になりうる存在
「へへ、バカめ!」
夜の茂みをなんなくすり抜け、脱走して来たノアは、ザバス城を遠目にほくそ笑んだ。
一時的に牢へ入れられるわけだったのだが、この混乱に乗じてあれやこれやと上手く逃げて来たのだ。
言うまでもなく、街は全面的に戦火だ。ほとんどの兵士が街で奇襲に応戦しているのだから、その反対側を悠々と歩いていればよかった。
「一時はどうなるかと思ったけど、どこぞの国が攻めて来てくれて助かったな」
街から火が上がっている。自分の幸運に感謝しつつも、燃え盛る大きな炎を見て胸を痛めていた。
何故、戦争をするのか?バジリア帝国が世界を管理していた時は、貧富の差に誰もが不満を持っていたらしいが、戦争なんてもので人が死ぬことはなかったと言う。
その頃は、ノアはまだ五歳程度。後から聞いた話だから、信憑性は正直分からない。
けれども、今の世の中が酷いのは事実。世界の権力者さえ葬ってしまえば、また平和になるんじゃないかと思っていた。
もっとも、シズクとサマエルに言われたことで、そんなことで世界が変わることはないと認識した。
だからと言って、諦めたわけではない。別の方法を探して、また世界に挑めばいい。
そこまでして世界を変えようとするのには、もちろんそれなりに理由はある。
「オイラは負けないからな!」
誰に言うでもないが、そう呟いた。
また訪れるだろう時期を待つべく、ザバスを去ろうと思っていた時、
「おい!お前!」
呼び止められる声があった。
それは、明らかに自分を指した声。ザバスの兵士か、奇襲を掛けて来たどこぞの国の兵士か、ノアは息を呑み振り向いた。
「なんだ、ガキか」
その言い草はこの際、無視する。そこにいたのは。マントを羽織った青年。だが、ただ者ではないことは確かだった。
何故なら、マントからはみ出るくらいの鎧のショルダー、足元はもはや隠す意図もないのか、暗がりでも分かるくらい赤光りしている。
「まあいいや。お前、そっちから来たってことは、この城の人間か?」
この非常時に淡々と口を開く青年は、よほどの“場慣れ”した人物であると、幼いノアにも想像出来た。
「い、いや、オイラは………」
野生の勘が働く。関わるなと。
雰囲気と言おうか、やけに威圧的な感覚があり、そう、サマエルのような。それでいて似て非なるもの。
なんにしても、この混乱に乗じて逃げなければ死刑にされてしまう。素早く逃走体勢を取ると、
「待てっての!逃げることね〜だろ!」
男に襟首を捕まれ、その機会を失う。
「頼みます!!見逃して!!」
ノアは、形振り構ってられないと土下座までしたのだが、
「あん?俺はただ城への侵入経路を聞いてるだけだぞ。…………ははぁん。さてはお前、犯罪者だな?」
ギクリとした。粗暴な言葉使いをするくせに、案外鋭く分析しやがる。
「ま、いいや。ほら、案内しろ」
青年はノアの二の腕を掴み挙げ、強制的に歩かせようとした。
その力足るや、見た目以上のものだった。隙を見て逃げようとも、恐らく失敗するだろう。
この青年が、何を望んで戦禍へ足を向けるのか知らないが、
「マジかよ………」
ただではすまないような気がしていた。
そして、その予感は当たることが予定されていたなど、この時のノアには分かるはずもなかった。
そう、やがて驚異になりうるのだと。