第十章 もうひとつの始まり
国が栄えれば栄えるほど、人々の生活は安定し、社会としての機能も充実していく。
………が、その一方で踏み台となる者達もいる。国として歴史の浅いヴァイス国では、その差は顕著だった。
都市と呼ぶには貧相過ぎるが、街と称するならザバスに近いものはある。
人はいつの世も高見を目指す。それは様々な要因の因果によるが、実力やひたすらの努力、そして運。それらを使いこなした者だけが裕福な暮らしを手に入れるのだ。
だが、そのうちの何人が認識しているのだろうか、人の幸福は、人の不幸の上に成り立っていると。
「どけ!オラッ!!」
男の怒号が響く。
その足下には、幼い少女が可憐な花を拾い集めていた。
どうやら、花売りをしていたようだが、若い男に弾き飛ばされたらしい。
「……………。」
少女はみすぼらしい身なりで、哀しげな表情を浮かべ無言で散らばった花を拾っている。
「大丈夫か?」
周りの通行人が無視する中、少女の目の前に花を拾い差し出した男がいた。
落ち着いた声で語りかけて来た男は、黒いマントを羽織り、黒い髪を靡かせながらも、実に爽やかだった。
「酷いことをする」
男は少女の頭を撫でると、
「仇を取ってやろう」
立ち上がり、少女を弾き飛ばした若い男に声をかけた。
「待て!」
通りに響かせた。
誰もが歩みを止める中、自分が呼ばれたのだと若い男は分かったのか、睨みを利かせて振り向いた。
「あん?俺になんか用か?」
「フッ。ただ呼んだだけなのに、自分が呼ばれたと思うのは後ろめたさがあるからか」
「なんだ、テメエ!?」
ふてぶてしく詰めよって来る若い男は、凄めば黙らせられると思っていたのだろうが、
「グエッ!!」
喉元を掴まれた。
「お前にはこの少女が見えてなかったのか?」
「あがが………」
「見えてなかったのかと聞いている」
「はぐがぁ………」
「貴様のような外道の為に、どれだけの善良な者達が苦しんでると思う?」
もはや、若い男に口を開かせる気はなく、締めた首をちぎり落とす勢いだ。
「人は等しく生きる権利がある。だがそれは………」
言い掛けた時、後ろにマントを引く力があった。
幼い少女が、訴えかける目で見つめていた。
黒マントの男には、少女が何を訴えてるのか理解出来た。そう、もう十分だと訴えているのだ。健気にも、自分は大丈夫だからと、拾い集めた花の束を見せた。少女にとっては、自分のことよりも、花の方が大切だったらしい。
それならばと、手の力を緩め若い男を解放した。
「………感謝するんだな」
さっき睨まれた仕返しにと、たっぷり睨みを利かせてやった。
「さっさと消えろッ!」
そう怒鳴られ、若い男は慌てて逃げ去った。
マントの男はというと、出過ぎた真似をしたかと更けってみせた。
そんな哀愁を漂わせている男のマントを引っ張ると、少女は一輪の花を差し出した。
「俺にくれるのか?」
少女はコクリと笑顔で頷いた。
しっかりとした茎を持つ濃いブルーの花。宝石なんかより眩しく、温かさを感じる生気溢れた花だった。
「ありがたくもらっておくよ」
マントの男は、少女の頭をもう一度だけ撫でてやると、背を向けて歩き出した。
ところが、少し歩き出したところで、少女がテクテク着いて来てることに気がついた。
「……………。」
立ち止まってみると、少女も立ち止まって男が歩くのを待っている。
また歩き出してみれば、少女もそれに合わせて足を動き出す。
「…………。」
立ち止まる。
少女も立ち止まる。
歩き出す。
少女も歩き出す。
立ち止まる。
同じく。
早足。
小走り。
歩幅は違えど、一定の距離を保ちながら着いて来る。
「どうして俺に着いて来る?」
振り返り言った。
しかし、少女はただ微笑んでいるだけで、何も言わない。…………いや、多分、喋れないのだろうか。
「………お前、話せないのか?」
その問いにも、やはり微笑んで応える。
「親はどうした?」
今度は、首を振り身寄りがないことを伝えると、また微笑んだ。
「やれやれ………」
少女が本当に伝えようとしていることが分かってしまった。それはとても面倒で、己の性格から無下に出来ない厄介さもあった。
我ながら困ったと思う。
「悪いな、俺は旅人だ。身寄りのない子供を引き取ってやれる環境にないんだ」
そう言い聞かせるのだが、返ってくるのは屈託のない愛らしい笑顔。
薄汚れたワンピースに、肩まで伸びた髪が少女の切実な実状を語っていた。
「本気で着いて来るつもりか?」
助けたからなのか、妙になつかれた。
「言っておくが、俺は人間じゃない」
じゃあなんなのかと、少女は怪訝な顔をする。
「俺は………」
言い掛けてやめた。
きっと、何を言っても着いて来るだろう。それは生きる為に媚びてるのか、ひとり生きて行くことを拒む機会を伺っていたのか、真意は分からず終いだが、
「………いいだろう。着いて来たければ勝手にするといい。だが、俺の旅は苛酷だ。根をあげても助けはしない。いいな?」
少女は何度も嬉しそうに頷いた。
「フッ。俺も物好きだな」
これも運命なのか………そう思わずにいられなかった。
「ああ、まだ名乗ってなかったな。俺の名はヴァルゼ・アーク。何者かは、追々話すとするよ」
そして少女は、提げていたポーチから何やら金属のプレートを取り出すと、ヴァルゼ・アークに渡した。
「タグ?」
そこには、少女の名前が刻印されている。
慣れない文字だが、幾度か学び覚えていたお蔭で、読み取ることは難しくはなかった。
「………セドナ。これがお前の名か」
少女は、大きく頷いて肯定した。
「そうか、良い名前だ。………よし、セドナ。まずはお前の旅支度からだ。長く苛酷な旅への………な」
悪魔の神ヴァルゼ・アークと、身寄りのない花売りの少女セドナ。
もうひとつの始まりだった。